カリスマ性のあるロック歌手というのは、当然というべきか映画の題材になることが多い。最近でもQueenのフレディ・マーキュリーを描き出した伝記映画「ボヘミアン・ラプソディー」が話題になったことは記憶に新しいだろう。しかしニューヨーク・インディー映画界の最前線に位置する作家Alex Ross Perry アレックス・ロス・ペリーの新作“Her Smell”ほど、観客にインパクトを与える作品は存在しているだろうか?
ボーカリストのベッキー・サムシング(「犬と私とダンナのカンケイ」エリザベス・モス)率いるロックバンドSomething Sheはそのカリスマ性で以て一世を風靡することとなった。しかしそれも今は昔、ベッキーの創作意欲は枯渇し、バンドは危機的状況に陥っていた。それでもライブを開けば客は殺到しながらも、その裏側では目も当てられない醜態が繰り広げられていた。
という訳で、まず本作は舞台裏で繰り広げられる人間ドラマを描き出していく。ベッキーは常時ハイになった状態で場を掻き回し続けるのに対し、バンドメンバーであるマリエルとアリ(ゲイル・ランキン&アギネス・ディーン)は呆れ気味だ。しかもこの日は元夫である歌手のダニー(「靴職人と魔法のミシン」ダン・スティーヴンス)が娘であるタマの他に、恋人のティファニー(“The Mountain” ハンナ・グロス)まで連れてくるのでベッキーは憤激、御付きのブードゥー魔術師とティファニーへ呪いをかける用意を始め、事態は更に悪化の一途を辿っていく。
今作の撮影監督ショーン・プライス・ウィリアムスはそんな狂態を異様な熱気と共に描き出していく。画面の切り取り方は閉所恐怖症的で空間が圧縮されたような感触を覚えさせるが、そうして映し出される狭苦しい楽屋には様々な登場人物が入れ替わり立ち替わり現れては消えていく。このフレーム・アウト/インの忙しない反復は、その場に漂う熱気を更に濃密なものにしていく。そして照明の鮮血さながらの赤も相まって、この空間は伏魔殿のような悪魔的雰囲気をも獲得していくのだ。
監督であるロス・ペリーとウィリアムスはほぼ全ての作品で協同している盟友だが、彼らは作品ごとに新たな映像言語を開発していく。例えば第2長編“The Color Wheel”はフィルムの質感が濃厚なモノクローム撮影で以て、ウディ・アレン作品のような洒落た雰囲気を醸し出す試みを行っている。第4長編“Queen of Earth”ではクロースアップを多用することでイングマール・ベルイマンを彷彿とさせる聖性を画面に宿している。今作においては、例えばポール・トーマス・アンダーソンの「ブギーナイツ」などを想起させる長回しを主体として、途切れない時間の流れの中に、空間に満ちる異様な熱気を生々しく刻み込んでいると言えるだろう。
そんな狂態を繰り返すベッキーだったが、今後もキャリアを続けるには新作アルバムを完成させる必要があった。しかし酒やヤクで脳髄がボロボロのベッキーにそんな力は残っていない。それでも場を掻き回す不機嫌さだけは健在であり、それが元でマリエルやアリは呆れ果て、姿を消してしまう。とそこに現れたのが、キャシー(「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」カーラ・デルヴィーニュ)率いる新人バンドThe Akergirlだった。自分のファンであるという彼女たちを巻き込んで、ベッキーは新作を完成させようとするのだが……
今作の核となる存在は愛すべき暗黒パンクビッチであるベッキーを演じるエリザベス・モスに他ならない。モスは主にテレビ界で数々の名声を獲得してきた。「ザ・ホワイトハウス」に始まり「マッド・メン」「トップ・オブ・レイク」ときて、最近では「ハンドメイズ・テイル」で主演を演じ、エミー賞を獲得するなどの名誉にも浴してきた。映画界では割合インディー方面の印象的な脇役として出演することが多かったが、そんなキャリアを一新させたのがロス・ペリーとの出会いだった。第3長編“Listen Up, Phillip”では主人公の恋人役を演じた後、続く“Queen of Earth”で主役に抜擢、無二の親友との愛憎劇を通じて凄まじい圧の演技力を見せた。そこでの密接な関係が最新作である“Her Smell”に繋がったと言ってもいい。
そんなモスだが、今作では自分のことのみを考えるエゴの塊のような存在の彼女を、神憑り的な迫力で以て演じ続け、熱い血をブチ撒け続ける。誰彼構わず崇高なまでに独創的な罵詈雑言を吐き散らかす様は、まるでシェイクスピア劇でも見ているかのような錯覚に襲われる。パンクとは何か分からない人でも、モスによる一挙手一投足を目撃したなら、その概念の何たるかを言葉ではなく心で理解することができるだろう。
さて、今作の舞台となるのは90年代であるが、この時代に隆盛を誇っていた音楽的潮流といえばRiot Grrrlムーブメントをおいて他にはないだろう。この流行は男性中心主義的な音楽界に対して中指を突き立てるように、女性たちが主体となって作られた画期的なものだ。例えば代表的なバンドにはBikini KillやSleater Kinneyなどがいるが、彼女たちは自分たちの叫びを聞け!とばかりに、轟音を響かせて自己を解放するような音楽を奏でていた。それは徹頭徹尾“私”の音だった。
この文化を背景として、ロス・ペリーは“私”を極私的エゴへと接続していく。“私”を解放することに否応なく付きまとう暗部、それは“私”が周りの全てを欲望のままに破壊する暗黒物質へと変容してしまうことだ。監督は正にそんなアメリカの片隅で旋風を巻き起こすエゴを描き続けてきた訳であるが、今作においてはRiot Grrrlというアメリカの歴史が複雑に編み込まれることによって、今までの集大成的な作品が爆誕することと相成っている。
だが、そんな今までの要素だけではない進歩すらもここには見られる。アメリカのエゴを体現する堂々たるクズたちに対して、今まではどこか突き放すような視線を監督は向けていた。彼は解剖学者のような冷徹さでクズたちの生態を観察し続けていたのだ。負け犬クズの究極の傷の舐めあいが結末であった“The Color Wheel”も、それを描く上での淡々たるな長回しは同情というよりも距離を取った観察という触感を感じさせるものだった。
しかし彼にとっては異色作であった第5長編“Golden Exit” aka「君がいた日々」(どう異色であったかはこの記事を参照)を経て、今作にはどこか暖かな優しさが宿っているのである。ロス・ペリーはここにおいてベッキー・サムシングという超弩級のクズに、辛辣ながらも深い優しさを捧げているのである。そしてその優しさは思わぬところへと終着を遂げる。それは愛にも憎しみにも似た女性たちの絆だ。ベッキーの周りにいる女性たち、例えばかけがえのないSomething Sheのバンドメンバーたち、自分に尊敬の念を向けるThe Akergirlsのメンバー。みなは何度もベッキーのクズさに呆れ果て背を向けながら、最後には彼女の元に戻ってくる。ロス・ペリーは6作中4作が女性主人公であり、女性の描き方の濃密さには定評があるが、それがここでは優しさへと、女性たちの複雑な連帯へと結実しているのである。それが描かれるラストは今までにない感動があるのだ。
“Her Smell”はロックが生来的に宿すだろう破壊衝動と、思いがけない女性たちの優しさのせめぎあいを描き出した強烈な音楽映画だ。今作はロス・ペリーにとっての集大成であり、彼のフィルモグラフィは喜ばしい一区切りを迎えたといっていい。それでいて今作に宿った新たな感覚は、彼が新境地を切り開いたことを高らかに語っている。次は一体どんな作品を作るのか。次回作がこんなにも楽しみな映画作家はいない。
ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その61 オーレン・ウジエル&「美しい湖の底」/やっぱり惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 S.クレイグ・ザラー&"Brawl in Cell Block"/蒼い掃き溜め、拳の叙事詩
その63 パトリック・ブライス&"Creep 2"/殺しが大好きだった筈なのに……
その64 ネイサン・シルヴァー&"Thirst Street"/パリ、極彩色の愛の妄執
その65 M.P. Cunningham&"Ford Clitaurus"/ソルトレーク・シティでコメdっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴ
その66 Patrick Wang&"In the Family"/僕を愛してくれた、僕が愛し続けると誓った大切な家族
その67 Russell Harbaugh&"Love after Love"/止められない時の中、愛を探し続けて
その68 Jen Tullock&"Disengaged"/ロサンゼルス同性婚狂騒曲!
その69 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その70 ジョセフィン・デッカー&"Madeline's Madeline"/マデリンによるマデリン、私による私
その71 アレックス・ロス・ペリー&「彼女のいた日々」/秘めた思いは、春の侘しさに消えて
その72 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その73 Tim Sutton&"Donnybrook"/アメリカ、その暴力の行く末
その74 Sarah Daggar-Nickson&"A Vigilante"/破壊された心を握りしめて
その75 Rick Alverson&"The Mountain"/アメリカ、灰燼色の虚無への道行き