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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

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ルーマニア人女性と聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。真先に思い出されるのは体操選手のナディア・コマネチだろう。体操選手として初めて満点を叩きだした偉業は広く語られている。私が好きなのは小説家であるSofia Nădejde ソフィア・ナデジュデだ。彼女の名前は文学賞の名前になるほど、本国では有名である。さて今回はルーマニアで最も有名な女性の1人である芸術家Nina Cassian ニーナ・カシアンを描いたドキュメンタリー、Dana Bunescu&Mona Nicoară監督作"Distanța dintre mine și mine"を紹介していこう。

ニーナ・カシアンは主にチャウシェスク共産主義政権時代に活躍した芸術家である。その活動は詩人、小説家、音楽家、児童文学者、映画批評家など多岐に渡るものである。80年代からは活躍の場をニューヨークに移し、そこでルーマニア語と英語を行き交いながら芸術を生み出した後、2014年に90歳で大往生を遂げた。

今作は晩年の彼女に取材した1作である。彼女は90代を目前としながらも矍鑠として意気軒昂、インタビュアーである監督たちに常に話を続けるほど元気である。ウォッカを飲みながら、自分の人生について語り続ける姿には、観客の私たちですら老いを肯定したくなるような力に溢れている。

芸術家としての萌芽が現れた10代の頃、カシアンは共産主義に傾倒していた。その頃は未だファシズム時代なので、彼女は弾圧の憂き目に遭う。かと思うと、ルーマニア共産主義に染まった戦後、彼女は詩人としての活動を始めるのだが、その詩は"退廃的"との烙印を押され、更には"人民の敵"とまで呼ばれてしまう。

これ故に、カシアンは詩人としての活動を一時的に諦めてしまう。と同時に共産主義政権に賛意を示し始め、プロパガンダ映画製作などに参画し始める。とはいえ彼女は抜け目ない。当時の恋人であった映画監督Slavomir Popovici スラヴォミル・ポポヴィチと共同で製作した短編映画"Uzina"は、表面上ルーマニアの工業発展を礼賛する作品である。しかしその様式は異様なまでに前衛的で、同時代のアメリカ前衛映画を思わせるものだ。彼女は共産主義への中世の裏で、反抗の意気を巡らせていたのである。

その傾向は児童文学者・音楽家としてのカシアンに濃厚に見られる。彼女は自分のために児童文学を書いていると言うと同時に、この様式にならば様々なメタファー――それは政権にとって危ういものも多分に含まれているだろう――を込めることができると語っている。音楽に至ってはこんなことを嘯いてみせる。人々は1つの音が"ルーマニア万歳!"を表現するか、"ルーマニアクソッたれ!"を表現しているかなんて分からない、と。

老境に差し掛かったカシアンは監督たちに対して、猛烈に人生を語っていく。自分は醜い。この鼻も顎もよくない。だけど男たちは私を愛してくれた。愛したのは映画監督のスラヴォミル・ポポヴィチ、小説家のMarin Preda マリン・プレダ、それから……彼女は思うままに女性としての人生を謳歌しているのだ。それが凄まじくBad-assである。

そしてこの世において女性として生きることで被る性差別に対して、カシアンは真っ向から立ち向かっていく。例えばある文芸評論家は"女性性は男性性よりも劣るもの故に、女性作家はそれを消し去るよう試みるべきだ"と主張する。カシアンは"何故女性であることが低劣であることに直結するのか?"と疑問を呈しながら、滔々たる反論を紡いでいく。この反抗は観客の女性たちを勇気づけるものだろう。

しかしそうした規範に反抗する姿に、当局が脅威を感じない訳がない。それ故に彼女は秘密警察セクリタテアに常に監視されることとなる。映画にはその監視報告書が何十枚も提示される。彼女の思想から交友関係まで全てにおいて監視されている様は、ルーマニアという国がいかに不気味な国家であったかを指し示している。

しかし"Distanța dintre mine și mine"にはそんな抑圧を笑い飛ばすような、ニーナ・カシアンの軽快な強さが存在している。このドキュメンタリーを観た後ならば、私たちも彼女のように逞しく生きられればいいと、そんな思いが泉のように湧き上がってくるだろう。

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