鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20190829123825j:plain

ルーマニア人女性と聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。真先に思い出されるのは体操選手のナディア・コマネチだろう。体操選手として初めて満点を叩きだした偉業は広く語られている。私が好きなのは小説家であるSofia Nădejde ソフィア・ナデジュデだ。彼女の名前は文学賞の名前になるほど、本国では有名である。さて今回はルーマニアで最も有名な女性の1人である芸術家Nina Cassian ニーナ・カシアンを描いたドキュメンタリー、Dana Bunescu&Mona Nicoară監督作"Distanța dintre mine și mine"を紹介していこう。

ニーナ・カシアンは主にチャウシェスク共産主義政権時代に活躍した芸術家である。その活動は詩人、小説家、音楽家、児童文学者、映画批評家など多岐に渡るものである。80年代からは活躍の場をニューヨークに移し、そこでルーマニア語と英語を行き交いながら芸術を生み出した後、2014年に90歳で大往生を遂げた。

今作は晩年の彼女に取材した1作である。彼女は90代を目前としながらも矍鑠として意気軒昂、インタビュアーである監督たちに常に話を続けるほど元気である。ウォッカを飲みながら、自分の人生について語り続ける姿には、観客の私たちですら老いを肯定したくなるような力に溢れている。

芸術家としての萌芽が現れた10代の頃、カシアンは共産主義に傾倒していた。その頃は未だファシズム時代なので、彼女は弾圧の憂き目に遭う。かと思うと、ルーマニア共産主義に染まった戦後、彼女は詩人としての活動を始めるのだが、その詩は"退廃的"との烙印を押され、更には"人民の敵"とまで呼ばれてしまう。

これ故に、カシアンは詩人としての活動を一時的に諦めてしまう。と同時に共産主義政権に賛意を示し始め、プロパガンダ映画製作などに参画し始める。とはいえ彼女は抜け目ない。当時の恋人であった映画監督Slavomir Popovici スラヴォミル・ポポヴィチと共同で製作した短編映画"Uzina"は、表面上ルーマニアの工業発展を礼賛する作品である。しかしその様式は異様なまでに前衛的で、同時代のアメリカ前衛映画を思わせるものだ。彼女は共産主義への中世の裏で、反抗の意気を巡らせていたのである。

その傾向は児童文学者・音楽家としてのカシアンに濃厚に見られる。彼女は自分のために児童文学を書いていると言うと同時に、この様式にならば様々なメタファー――それは政権にとって危ういものも多分に含まれているだろう――を込めることができると語っている。音楽に至ってはこんなことを嘯いてみせる。人々は1つの音が"ルーマニア万歳!"を表現するか、"ルーマニアクソッたれ!"を表現しているかなんて分からない、と。

老境に差し掛かったカシアンは監督たちに対して、猛烈に人生を語っていく。自分は醜い。この鼻も顎もよくない。だけど男たちは私を愛してくれた。愛したのは映画監督のスラヴォミル・ポポヴィチ、小説家のMarin Preda マリン・プレダ、それから……彼女は思うままに女性としての人生を謳歌しているのだ。それが凄まじくBad-assである。

そしてこの世において女性として生きることで被る性差別に対して、カシアンは真っ向から立ち向かっていく。例えばある文芸評論家は"女性性は男性性よりも劣るもの故に、女性作家はそれを消し去るよう試みるべきだ"と主張する。カシアンは"何故女性であることが低劣であることに直結するのか?"と疑問を呈しながら、滔々たる反論を紡いでいく。この反抗は観客の女性たちを勇気づけるものだろう。

しかしそうした規範に反抗する姿に、当局が脅威を感じない訳がない。それ故に彼女は秘密警察セクリタテアに常に監視されることとなる。映画にはその監視報告書が何十枚も提示される。彼女の思想から交友関係まで全てにおいて監視されている様は、ルーマニアという国がいかに不気味な国家であったかを指し示している。

しかし"Distanța dintre mine și mine"にはそんな抑圧を笑い飛ばすような、ニーナ・カシアンの軽快な強さが存在している。このドキュメンタリーを観た後ならば、私たちも彼女のように逞しく生きられればいいと、そんな思いが泉のように湧き上がってくるだろう。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20190829124038j:plain

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

私の好きな監督・俳優シリーズ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷
その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた
その339 Gjorce Stavresk&"Secret Ingredient"/マケドニア式ストーナーコメディ登場!
その340 Ísold Uggadóttir&"Andið eðlilega"/アイスランド、彼女たちは共に歩む
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き