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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて

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中年男性と若い女性という組み合わせは映画に限らずとも芸術には溢れている。会いにしろ余りにも陳腐と思われようとも、主にヘテロの男性作家たちはこの組み合わせを延々と繰り返し、つまらない映画を創り出す。それでも才能ある作家はその陳腐さを逆に利用して、力強い芸術作品を作ることがある。今回はその好例である、Radu Dragomir監督のデビュー長編"Mo"を紹介して行こう。

今作の主人公モー(Dana Rogoz)はブカレストで大学生として生活している。しかし彼女にはある大きな傷があった。10代の頃、彼女は最愛の父を失ったのだ。そこから時間は経ちながらも、未だにその死から立ち直れずにいた。表面上そんな素振りは見せないが、彼女は確かに苦しみを抱えている。

まず今作はそんなモーの姿を追っていく。演出は現代ルーマニア映画のリアリズムを継承したようなもので、手振れを伴うカメラで以て彼女を追跡していく。モーは常に斜に構えており厭世的な雰囲気を醸し出しているが、時おり大胆な行動に打って出る人物だ。そのせいで面倒事に巻き込まれることも多い。

そんな彼女には幼馴染の親友ヴェラ(Mădălina Craiu)がいる。常にヴェラと共に大学生活を過ごしており、ほとんど一心同体だ。ある時、彼女たちは難しい試験においてカンニングを計画する。最初は順調に行っていたのだが、それが教授であるウルス("Balanța" Răzvan Vasilescu)にバレてしまい、大学追放の危機に陥ってしまう。

そして2人はウルスの元に押し掛けることとなる。カンニングで使われた故に奪われた携帯を取り戻すことが目的であったが、そこで彼女たちはウルスの意外な優しさに触れることになる。そこから会話に発展し、意気投合した3人はウルスの部屋で一夜を過ごすことになる。それが運命の1夜になるとも知らずに。

彼らの会話では奇妙なまでにポップカルチャーが引用される。大量のDVDが整然と並ぶ棚の前で放たれるのはジェームズ・キャメロンアバターミケランジェロ・アントニオーニ砂丘ローレル&ハーディという名前。更に音楽にまで話が及び、ラモーンズセックス・ピストルズといった有名バンドの名前が並べられる。

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ここにはタランティーノ以降におけるポップカルチャー引用の影響が感じられるが、ここにはそれ以上の意味があると思われる。何故ならこの映画はルーマニア映画だからだ。共産主義国家としては例外的に、ルーマニアには西洋文化がスムーズに流入してくる状況にあった。その影響から、例えば文学などにおいて欧米を手本とした世代である"ブルージーンズ世代/80年世代"が現れるなどするが、そうして欧米文化に触れ続けた故にそこには常にその国々への憧憬が存在した。共産主義が崩壊した後もその流れは続き、ルーマニアは芸術において独自の様式を開発していくと同時に、西洋の影を追い求め続けてもいる。この捻じれた憧憬がカルチャー引用には感じられるのだ。

そしてこの横溢の中からウルスの本性が立ち現われてくる。モーたちは鑑賞する映画を選ぶのだが、それを見せる際にクイズを出題してくる。例えばローレル&ハーディ――実はルーマニアではスタン&ブランと呼ばれている――を見せた時は、彼らのフルネームを執拗に尋ねる。タイタニックを見せた時は、誰も憶えていない些細なシークエンスについて問題を出し続ける。その姿はいわゆるマンスプレイニングをする傲慢な中年男性といった風だ。当然、モーはそれに反抗し始める。

そこから2人の関係性は奇妙な方向へと舵を切ることになる。ウルスの傲慢な態度は、しかし芸術への深い造詣に裏打ちされたものである。モーは反抗を続けるうちにそれに気づいていく。そして彼の余裕と深い知識に、モーは惹かれていく。ウルスは長い人生を経てきた故の磁力を持ち合わせている。そこに彼女は誘われていくのだ。

そしてモーが彼に惹かれる理由はもう1つあるかもしれない。それは亡くなった父親の存在だ。ある時、ウルスはギターを持ってきて曲を弾き始めるのだが、モーはそれに驚く。それは父が好きだったジョイ・ディヴィジョンの曲だったからだ。彼女は自分から残酷に失われてしまった父親像を求めているのだ。この大いなる衝動が彼女を突き動かしていく。

その間隙に付けこむように、ウルスの存在感は異様な形で増していく。彼の態度は融通無碍だ。基本的には傲慢でありながらも、そこには優しさも垣間見え、知的さすら光る。時には着物を着て空手を披露したりと、ユーモアもある。その性格は万華鏡のようで、捉えどころがないのだ。だが私たちはモーの心を巧みに掌握していく光景を見ながら、その心の裏側で禍々しい何かが蠢いているのに気がつくだろう。

そんな彼を演じるのはRăzvan Vasilescu ラズヴァン・ヴァシレスクルーマニア映画界を代表する名優と言っても大袈裟ではない人物だ。彼はLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ監督作"Balanța"(今作についてはこの記事を参照)で頭角を表した後、現在までクリスティ・プイウのデビュー作"Marfa și banii"(今作についてはこの記事参照)、夭逝の天才Cristian Nemescu クリスティアン・ネメスクのデビュー作にして遺作"California Dreamin' (nesfârșit)"、舞台監督としても有名なSilviu Purcărete シルヴィウ・プルカレーテ"Undeva la Palilula"などに出演している。風貌は若い頃から好々爺といった風だが、様々に複雑な感情を大胆に、時には繊細に捉えることに彼は長けている。ここでもルーマニア1の名優と呼ぶに恥じない不敵な演技を魅せてくれる。

そんな彼に対峙する存在がモーを演じるDana Rogoz ダナ・ロゴスだ。彼女もヴァシレスクほどとは言わないが、子供時代から俳優をしている人物であり、彼の存在感に拮抗するような雰囲気を湛えている。反抗的な態度は常に崩さないながら、その中にデリケートな寂しさや哀しみが滲み出てくる様はさすがとしか言い様がない。"Mo"はこの2つの魂の奇妙なる激突を描き出した作品だ。時に不気味な吐き気が込み上げ、そして時には不可解な高揚感すらも込み上げる。そうして暗く輝ける火花はゾッとするほどに力強いものだ。

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最後にDragomir監督のインタビューの翻訳で終わることにしよう。ルーマニアの#Metooムーブメントの実情などが伺えて興味深い。

"Mo"はニュースで報道された実際の出来事に材を取っています。初長編において、なぜその物語を脚色したいと考えたのですか?

実在の出来事から始まったことは問題ではありません。何故ならそういった出来事は(ルーマニアで)いつでも起こっているし、人々もそうだと信じていますからね。脚本を書き終わった後、映画業界の人々にそれを読ませたのですが、その1人が――重要な人物です――が言いました。"テーマも何もあったもんじゃない。これなら映画を作る必要はないよ、馬鹿げてる。この2人の馬鹿な少女たちが男のアパートに行ったら、当然そうなる。驚きはないよ。こんな映画作る理由なんてない"と。その時、自分はこの映画を作るべきと思ったんです。

映画を作り終えた時、つまり製作を終えた時、#Metooムーブメントが始まりました。そして私はこの映画を作ることは良い選択だったと確信しました。

#Metooムーブメントはルーマニアでは下火ですね。なぜ大きな話題とならないとお思いですか?

脚本執筆や映画製作に影響したもう1つの出来事は、ヨーロッパで行われた統計――ある状況下においてレイプは正当化され得るかという問いでした。もし被害者がアルコールを飲んでいたら、もし被害者が男のアパートに行ったら、もし被害者がキチンと"No"と言わなかったら。ヨーロッパ人の30%が正当化されると答える中で、ルーマニア人は55%がそう答えたんです。最も高い割合です。

そうして脚本が変更されました。最初、描かれる全てはもっと攻撃的でした。それから55%の人々が正当化されると答える限界まで後退させたんです。理想としては、その55%の人が描かれる全ての状況を見て、最後にはこれは"正当化されない、酷いことだ"と意見を変えて欲しかった訳です。

最初に観客が教授(ウルス)と出会った時、彼は頑固で、ほとんど権威主義的な姿を見せます。しかしその後アパートで、彼はもっと複雑な人物になっていきます。魅力的で敏感、自身が抱える失望の数々に傷ついている。しかし同時に、彼はモーとヴェラに対する権力を纏っています、吐き気を催す形で。彼を時おり同情的に描くことに心配はありませんでしたか?

それは意図的なものです。しかし最終的に、彼は怪物であると断言したい。実際、観客が目撃する彼の総てはコントロールされた見かけに過ぎません。本当は悪意の塊なんです。俳優たちとは脚本のみを前提として1ヵ月間リハーサルをしました。俳優たちは脚本がどう展開するか、サブテキストはどんなものか、完璧に理解していました。しかし背後に押し留められているものについては分かっていませんでした。ちなみにリハーサルはワンテイクでやりました。予算が十分でないという製作上の問題があったのです。だから13日で撮り終えました。

観客はレイプシーンにことさら拒絶感を抱くでしょう。ルーマニアの観客は、映像的に刺激が強くチャレンジングな作品を観るのに困難を覚えると思いますか?

思いますね。既に観客からはそういった反応が出ています。ですがそれはとても良いことでしょう。*1

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