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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時

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小児性愛は欧米においては絶対的なタブーであるだろう。それ故にこれを描きだした芸術作品というのはあまりに少ないし、これから新しい作品が作られることもほとんどないだろう。そんな中で、ドイツからこの社会的タブーを描きだそうとする映画が現れた。それがSavaş Ceviz監督による初の劇長編"Kopfplatzen"だ。

今作の主人公であるマルクス(Max Riemelt)は29歳の建築士であり、順風満帆な日々を送っている。だが彼には誰にも言うことのできない秘密があった。彼は子供に性的な欲望を抱く小児性愛者なのだ。マルクスはこの秘密をひた隠しにしながら、平凡な幸福を壊さないように生きつづける。

今作はそんなマルクスの日常を静かに見据える。仕事場などでは頼れる同僚としてみなに愛され、家族からも深い愛情を受けている。だが路上で少年を見かけると、心の底に隠した欲望が首をもたげ、時にはマスターベーションを行わなければ逃れられないほど、心を掻き乱されてしまう。そんな子供に性的に惹かれる自分をマルクスは呪いながら、彼らを求めることを止めることができない。

Cevizと撮影監督Anne Bolickの眼差しは徹底して観察的なものである。マルクスの一挙手一投足に凍てついた視線を投げかけつづけ、彼の行動が起こす小さな波紋を映しとっていく。ジムで鍛える、街を歩く、バスに乗る、家族と会う。そんな他愛ない日常の光景にも確かに濃厚な影が存在しているのだ。

そんな中でマルクスの住むマンションにジェシカ(Isabell Gerschke)というシングルマザーが引っ越してくる。彼女の荷物運びを手伝ったことで彼らは仲良くなり、急速に交流を深めていく。だがマルクスの視線が注がれる先はジェシカの息子である少年アルトゥル(Oskar Netzel)だった。

ここから本作はマルクスの欲望が絶望的な形で発露を遂げていく様を描きだす。彼はジェシカと距離を近づけていくたび、暖かな幸福の感触を知る。彼はこの幸福を大事にしようとしながら、アルトゥルへの欲望は加速度的に膨れあがっていく。彼の身体を性的に眼差し、闇のなかでマスターベーションを行う。その様には狂気にも似た悲痛な叫びが宿っている。

こうして壮絶な自己反省、欲望への敗北が繰り返される訳だが、この核となるのがマルクスを演じる俳優Max Riemeltの存在感だ。彼はあまり表情を露にすることはないが、すこぶる微妙な表情の移りかわりにマルクスの痛みが哀しいまでの豊かさで以て現れる。小児性愛者という難しい役柄を、Riemeltは丹念に魂をこめながら演じているのだ。

ところで、小児性愛とは病であるだろうか? 今作に出てくる医師はそれを否定する。小児性愛性的指向の1つであり、治すことのできる類の概念ではない。ケアをしながら一生付きあいつづける必要のあるものだ。そう医師はマルクスに説く。"治らない"という言葉に激昂するマルクスだが、医師は根気強くその意味を説く。本作の特筆すべき点は、こうした医療的な対話をも積みかさねていくことで、小児性愛の脱スティグマ化をも行っていることだ。

そして今作が最も私の心を震わせた点は、例えばルーマニアの反哲学者シオランが説くような"この世に生まれ落ちたことの絶望"を壮絶な形で描きだしていることだ。そしてこの絶望はマルクスの懊悩によって更なる深みへと至る。その絶望とは"私が生きることは誰かを傷つけることを運命づけられている"というものである。

私は小児性愛者ではないにしても、この絶望については常に考えてきた。例えば私が男性として生まれ生きるならば、それは女性やその他の性別にある人々を抑圧することに繋がる。例えば私が日本人として生まれ生きるならば、それは在日韓国人やその他の外国人らを抑圧することに繋がる。私たちは生まれながらにして、誰かを抑圧し差別することを運命づけられている。それを理解するべきだろう。

マルクスもまたそんな存在だ。小児性愛者として生まれた彼は、生きるだけで子供たちに欲望を向けることになり、例え実際に傷害行為を行わなかったとしても、彼らを傷つけることを運命づけられている。監督はこの小児性愛者特有の痛みを、監督は普遍的な苦しみにも重ねながら、凄まじい密度で以て描きだしているのである。

それでもマルクスはこの深い絶望を乗り越えて、生きようとする。その様は私の心を深く震わせるのである。今作の最後はいわゆるオープン・エンディングではあるが、私はマルクスが死ではなく、生きることでもって絶望の先に行くことを願っている。

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