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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ

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さて、ルーマニアである。東欧に位置しながらもスラブ民族ではなくロマンス民族で構成された異端の国、EUに所属する中では最貧国の1つとして数えられながらもITなどの面で経済は急成長を遂げている急進国家。そんな過渡期にある国で生きることにはどんな意味があるのだろう。独りで生きる、誰かと共に生きる。男性として生きる、女性として生きる。異性愛者として生きる、同性愛者として生きる。幸福を味わいながら生きる、不幸を抱きながら生きる。そこにどんな意味があるのだろうか。それを突き詰めんとする作品がルーマニアの新鋭Marius Olteanu監督のデビュー長編“Monștri”だ。

ダナ(「シエラネバダ」Judith State)は重いトランクを抱えて、ブカレストの家へと帰ろうとするところだった。タクシーを捕まえて乗り込むのだったが、彼女は何故だか憂鬱そうな表情を浮かべたままでいる。そしてタクシーは自宅近くまで辿り着くのであるが、彼女は帰ろうとしない。そこには一体どんな理由があるというのだろうか?

まず本作はダナの心情を丹念に追っていく。彼女はタクシーに乗る前に、駅のトイレで涙を流す。何か心の中で激動が起こっていることの証明だろう。そしてその悲壮な感情は時間が経つにつれて深まっていく。グズグズとして家に帰らないままでいると、偶然出会った友人の妻が産気づいたので相乗りすることになる。そこでも彼女は機嫌が悪いのを隠すことはないのだが、ふと生まれた狭間の時間、タクシー運転手のアレックス(「4ヵ月、3週と2日」Alexandru Potocean)と他愛ない会話を繰り広げるうち、何かが浮かび上がり始める。

監督の演出はルーマニア映画界直系の極まったリアリズムに裏打ちされたものであると形容すべきだろう。途切れることのない長回しで以て、Olteanuと撮影監督のLuchian Ciobanuは登場人物の表情や挙動の移り変わりを繊細に焼きつけていく。更に普通とは違う縦長のスクリーンサイズは息苦しい閉所恐怖症的な感覚を観る者に与えていく。そして劇伴などの装飾は極力切り詰められたミニマルさの中に、豊かな感情が静かに沁み渡り始めるのだ。

今作は3幕構成となっているのだが、2幕目はアンドレイ(Cristian Popa)という男性の姿を描いていく。ジムで汗を流した後、彼はとあるアパートの一室へと向かうことになる。そこには年上だろう壮年男性(現代ルーマニア映画においては毎度お馴染みシェルバン・パヴル)が待っている。彼らはぎこちなくも、酒を飲みながら会話を繰り広げるのだったが……

1幕とは異なり、こちらは会話劇が主体と言えるだろう。彼らは様々なことについて話す。酒の好み、恋人関係のような深い関係性への態度などその話題は多岐に渡る。そのうち壮年男性は同性の恋人と別れた経験について話し始める。つまりは彼は同性愛者なのであり、2人も行きずりではあるが(劇中にはゲイ同士のマッチング・アプリGrindrも登場する)そうした同性愛の関係にあることが明らかになっていく。

2幕のテーマはルーマニアで男を愛する男として生きることについてだ。同性愛者であることはひた隠しにしながら、同時に家庭を隠れ蓑としながら愛し合わなければならない実情がここでは赤裸々に綴られる。そして男性同士が愛しあうにはアパートなどの誰にも見られない密室で密やかにする必要があるのだと、彼らの態度からは見て取れる。

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ここでルーマニアにおける同性愛者が置かれる実情について見ていこう。ルーマニアの漫画家であるAndreea ChiricăThe Guardianに掲載したコミックによると、同性愛者が表だって愛しあえる場所はルーマニアブカレストにはとても少ないそうである。特に男性の同性愛者はアパートの密室など個室に隠れるか、数少ないクィア・フレンドリーなクラブに行くしかキスすらも出来ない。もし見つかったら“ホモ!ペド野郎!”と罵倒されるのが顛末だという。

更に最近では同性婚を禁止するために、結婚を“男と女”のものにするための憲法改正をめぐる国民投票ルーマニアでは行われた。ボイコットによって投票は無効になりながらも、同性婚禁止賛成派は90%以上という実情が突きつけられることとなってしまう。

そんな国で同性愛についての映画を作ることはとても意味のあることだろう。以前このブログでも紹介した“Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă”も、女性同士のカップルがアパートの一室の中に愛をひた隠しにする姿がする姿が映し出されていた。更に2018年に最も話題になったと言っていいルーマニア映画”Soldații. Poveste din Ferentari"はロマの文化研究者である男性とその文化の担い手である男性同士のロマンスを描き出した作品なのだが、友人が伝えるところによるとルーマニア正教の保守的な信者たちが映画館の前で抗議活動を行ったそうだ。それほどルーマニアは同性愛に対して保守的なのである。そういう意味でここにおいて描かれる男性同士の微妙な愛の関係性は重要なものだろう。

そして様々なテーマを抱えながら本作は3幕目へと至ることになる。ここで初めてダナとアンドレイは夫婦であることが明かされることになる。彼は一緒に朝を過ごし、隣人に挨拶をし、友人の子供の洗礼式に参加する。そんな何の変哲もない普通のに日常が淡々と綴られていくことになる。

監督はそれぞれの事情を抱えるゆえに不安定な関係性にある彼らの感情の機微を、繊細に捉えていく。端から見ればダナたちはごく一般的に幸せそうな夫婦に見えるだろう。しかしふとした瞬間に彼らの姿から不安や焦燥感が溢れ出す瞬間が存在している。ままならない人生に対する透明な絶望感のようなーおのがそこには滲み渡るのだ。

この豊かさを支えるのが主演の夫婦を演じる2人である。まずStateは圧倒的な孤独を体現する女性として観客に静かなインパクトを与えるだろう。そしてPopaはどうしていいか分からない衝動と不安、そして愛を持て余す男性の姿を魅力的に演じていく。そんな2人の抱える淀みがゆっくりと溶け合いながら、濃密なまでに不確かで濁った感情が露になっていく様は正に圧巻だ。

"Monștri"という作品は、ルーマニアという国に生きる意味を徹底して浮かび上がらせようとする渾身の1作だ。そしてそこにどんな感情が滲み渡ろうとも、しかし人生は続いていかざるをえないのだということも我々に教えてくれる。

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