鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく

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日本語には“ほのぼの”という言葉がある。英語で言えば“peaceful”だとか“heartwarming”だとか、そんな意味になるのではないか。しかしそれよりもっと緩やかで心地よいといったニュアンスがあることは日本語の分かる方ならご存知だろう。その微妙なニュアンスを捉えることは簡単ではないが、それを最も美しい形で成し遂げている作品がある。それこそがAbbas Fahdel監督作“Yara”だ。

題名にもなっているヤラ(Michelle Wehbe)という少女が今作の主人公だ。彼女はレバノンの緑深い山奥で祖母と一緒に2人で暮らしている。孤独などは感じていない。祖母とそれに、鶏やロバ、ネコなど可愛らしい動物たちに囲まれながら、毎日健やかに日々を生きていた。

今作を組み上げる要素は平凡なる日常の何気ない記録の数々だ。祖母とは“おはよう”だとか“お腹すいた?”だとか他愛ない会話の数々を繰り広げている。その合間には山奥にまで食料を持ってきてくれる親子と交流を繰り広げる。そしてヤラは豊かな自然の中を、誰に邪魔されるでもなく自由に散策することになる。こういったどこにでもあるだろう日常が淡々と描かれていくのだ。

そこにが自然との安らかで理想的な共生の光景が見て取れる。例えばヤラは木に生えているプラムを採って自由に食べたりする。午後には日向ぼっこをするネコたちと戯れたりする。時々はヤギたちを引き連れて、山の険しい道を練り歩いていく。自然を愛する者にとっては、正に理想的であろう暮らしがここには広がっているのだ。

それが伝わってくるのは監督の徹底したドキュメンタリー的演出のおかげに他ならない。撮影監督も兼任するFahdelは、目前で繰り広げられる風景の数々を些かの装飾もなく映し出していく。監督が紡ごうとするのは息を呑む絵画的な美などではない。彼は日常に根づいているのだろう、ありのままの美を焼きつけようとしているのだ。

今作の監督Fahdelは、5時間にも渡って死と隣り合わせにあるイラク人家族の日常を追った長大なドキュメンタリー作品「祖国ーイラク零年」が有名な映画作家である。そこでも彼はかけがえのない日常を丹念にかつ素朴に描き出していたと言える。その方法論は正にこの“Yara”にも受け継がれていると形容しても過言ではないだろう。

ある時、ヤラはエリアス(Elias Freifer)という青年と出会うことになる。彼は父が住んでいるオーストラリアに移住する予定なのだが、この山奥の地でレバノンでの最後の時を過ごしていた。出会った当初からお人好しでお調子者な彼の性格は、自分と同世代の若者たちと交流してこなかったヤラの心を少しずつ開いていく。その過程で彼女はエリアスに惹かれていくのだったが……

今の観客はハリウッド方式の出会ったらその夜のうちに速攻でキス&セックスという早さに慣れてしまっているかもしれない。そんな観客にとって今作は正に驚きという他ないだろう。一緒にご飯を食べたり、廃墟を散策しながらも、彼女たちはセックスどころかキスすらもしない。歩くような早さで近づいていって何とか額にキスするくらいの程度だ。余りにも甘酸っぱい、思春期の少年少女のような恋がここでは描かれていく。

だがそこには胸を締めつけるような、激しい切なさが存在している。エリアスはいつかオーストラリアに移住してしまう故に別れは近いのだ。恋心は成就することができないと既に定められてしまっている。それでもヤラは彼に惹かれる心を抑えることができない。何故ならば、それが恋というものだからなのだ。

“Yara”において、監督はそんな風景の数々を一切の虚飾もなく、ありのままに描き出す。それだけの大いなる度量がある。自然は揺れる少女の心を優しく抱きながら、その切実な震えには監督の類い稀なるヒューマニズムが宿っている。素朴だけれどもとてつもなく大きな寛大さによって、監督は何気ない日常や何気ない人生が、何気ないからこそ宿しているのだろう唯一無二の美しさを映し取っているのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷
その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた
その339 Gjorce Stavresk&"Secret Ingredient"/マケドニア式ストーナーコメディ登場!
その340 Ísold Uggadóttir&"Andið eðlilega"/アイスランド、彼女たちは共に歩む

Ísold Uggadóttir&"Andið eðlilega"/アイスランド、彼女たちは共に歩む

そして、アイスランドである。この国はまず世界の歌姫ビョークの出身国であることがまず有名であるが、最近は映画の撮影地として重宝され、例えばクリストファー・ノーランインターステラーなどがこの地をロケ地として撮影されていることは有名だろう。

現地の映画産業はどうかと言えば、小国ながらもなかなかコンスタントに才能を輩出していると言えるのではないだろうか。例えば最近ではハリウッドにおいて頭角を現しているデンジャラス・ランバルタサール・コウマウクルに、日本でも「馬々と人間たち」が日本でも公開されたベネディクト・エルリングソン、日本において知名度は低いが映画祭界隈ではアイスランド1の才能と謳われる「スパロウズ」ルーナ・ルーナソンなどなど、映画作家には枚挙に暇がない。さて、今回はそんな国から現れた新たなる才能である Ísold Uggadóttir監督による初長編映画“Andið eðlilega ”を紹介していこう。

ラーラ(Kristín Þóra Haraldsdóttir)はシングルマザーとして息子エイナル(Patrik Nökkvi Pétursson)を独りで育てている。空港職員として働いているけれども、生活は困窮の極みにある。そして家賃滞納が元でとうとう家を出ざるを得なくなり、とうとうホームレス同然で車中生活を送るまでに追い詰められてしまう。

今作はアイスランドに根づく様々な問題を射程に入れているが、ラーラの姿からは貧困とホームレスの問題が浮かび上がる。女性1人だけでは母として満足に子供を育てられない状況がここには広がっている。セーフティネットもうまく機能しないゆえに、金がなければ容易にホームレスへと転落してしまう。こういった苦境がアイスランドには存在しているのだ。

そして今作にはもう1人主人公がいる。アジャ(Babetida Sadjo)はより良い生活を送るため、故郷のブルキナファソからカナダを目指していた。しかしトロントへ向かおうと立ち寄ったアイスランドの空港で、パスポートの偽造がバレてしまい勾留されてしまう。その後に収容所で暮らすことになるのだが、いつまで収監されるか分からない絶望感に沈みながら、彼女は時間を浪費することとなる。

そんな彼女の姿には難民の問題が浮かび上がる。容易に目的地へは辿り着けない難しさがここにはある。そして収容所はかなり劣悪であり刑務所のような息苦しさに満ち、更には定期的に警察がガサ入れに来て理由も分からないままに仲間が拘束されていく。現代において難民は顕著な問題であるが、それがアイスランドでも起こっているのだ。

そういった女性たちの苦難はアイスランドの荒涼たる風景の中で苛烈さを増していく。開けた大地には建物も疎らで荒涼たる雰囲気が充満している。そして外では常に凄まじい風が吹きすさんでおり、ラーラたちがその中で一瞬にして吹き飛ばされてしまうのではないか?という恐ろしい予感が、ここには存在しているのだ。

ラーラたちは車中泊を続けるのだが、その最中に息子のエイナルが飼い猫を追って行方不明となってしまう。ラーラは彼を探すために広大な大地を彷徨い続けるのであるが、とうとう見つけた後に彼が一緒にいたのがアジャだった。彼女がエイナルの猫を見つけてくれたのだ。この出会いをきっかけとして、ラーラは収容所で住む場所を確保できたりと、距離は少しずつ深まっていく。

最初は全く違う状況で、それぞれの困難を抱えたふたりの女性の姿が平行して描かれるのだが、それが少しずつ重なり始めるのだ。ラーラとアジャ、2人で以て吹きすさぶ風の中に立ち続けるとそんな後ろ姿が描かれるのだが、それは女性同士の連帯の可能性を象徴しており、それが繊細な筆致で以て綴られる様は静かな感動を呼ぶだろう。

それを支えるのが俳優たちの熱演だ。アジャ役のBabetida Sadjoは過酷な状況において憂いの表情を浮かべながらも、それを切り抜けようとする女性の姿を捉えている。そしてラーラ役のKristín Þóra Haraldsdóttirは神経衰弱ギリギリの状態に陥りながら、生活を建て直そうと必死に奔走する、そんな弱さと強さを兼ね備えた女性を巧みに演じきっている。

更にそこにほんのりとクィア的な要素があるのも見逃せない。物語の冒頭においてラーラは、エイナルと同じ幼稚園に通う園児の母親とセックスする姿が映し出される。そこには女を愛する女としてのアイデンティティーが存在している。そしてアジャと出会い少しずつ距離を深めていくうちに生まれる感情がある。それは表だって現れることがないが静かに積み重なっていく複雑な感情だ。それが今作の核にあることが分かってくるだろう。

Gjorce Stavresk&"Secret Ingredient"/マケドニア式ストーナーコメディ登場!

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いわゆるストーナーコメディというジャンルが存在する。マリファナ吸って気分よくなった連中が騒動を巻き起こすといったゆるゆるなコメディ群だ。しかし最近新機軸の作品が現れ始めている。例えばイスラエル映画“”は息子の死をマリファナで乗り越えていくという、その白煙に真心を込めた心暖まるコメディだった。今回紹介するGjorce Stavreski監督によるマケドニア映画“Secret Ingredient”もそんな系譜の先にある作品だ。

今作の主人公であるヴェレ(Blagoj Veselinov)は寂れた町に住む青年だ。工場で働きながらガンに苦しむ父親(Anastas Tanovski)を介護しながら苦しい生活を送っている。更に薬代がとても高く、アスピリンとシナモンを混ぜた紛い物を治療薬として飲ませなければやっていられない。ヴェレはそんな生活に嫌気が差す。

序盤は何ともドン詰まりなマケドニアの風景が描かれていく。汚い工場で錆びついた機械を動かしながら働くヴェレ、家に帰ってきたらガンの苦しみに耐えかねてショットガンで自殺を試みる父親、それを何とか奪い取り車へ積みにいく途中“いっそそれで殺してくれ!”と懇願してくるアパートの住民。もはやこの世界には希望がどこにも残っていないようだ。

ある日、ギャングの所有するマリファナが盗まれるという事件が起こる。偶然それを見つけてしまったヴェレは金に変えようとするのだが、試みは失敗してしまう。そんな中で代わりにマリファナの効用を知った彼は、ケーキに混ぜて父親に食べさせたのだが、何とその効果なのか何なのかガンが治ってしまったのである。

今作は物語の流れや画面に満ちる雰囲気からいって、しみったれたクライムスリラーを想起する人が多いだろう。確かにそういう展開もあるのだが、そこを期待すると裏切られてしまう。何故なら本作はスリラーの皮を被った真顔のユーモア満載のブラックコメディだからだ。

元気になった父親は隣人たちにケーキが起こした奇跡について宣伝し始める。すると奇跡をもたらすヒーラーだとヴェレが祭り上げられることになってしまう。部屋に収まりきらないほどの人で廊下が溢れる姿は大袈裟すぎて笑えてくる。正に現代の聖人登場といった風だ。しかし有名になると同時にギャングの脅威が近づきはじめ、事態は思わぬこんがらがりようを見せる。

先述した通り、アメリカにはストーナー映画というジャンルがあり、それはマリファナ吸ってラリって騒いで最高!といったマリファナ礼賛映画な訳だが、その意味で今作はマケドニア式のストーナーコメディという形容できる作品となっている。何せマリファナが奇跡を起こして、人々を救うのである。終盤の展開も気が利いている。そして未だにマリファナが危険なドラッグ扱いの国ではこんな風な描き方もされるという意味で、独特の魅力がある。

そんなマリファナ映画たる今作だが、根底にあるテーマは父と子の絆という普遍的なテーマだ。ふたりだけで狭苦しいアパートの一室に暮らしながらも、ガンのせいで関係には亀裂が入っている。マリファナの奇跡以後も、この真実については口外できないので、関係は秘密のせいで更にぎくしゃくしてしまう。それが危機的状況の中で再び対話を果たすことで、ふたりの道筋はどうなっていくのだろうか……

“Secret Ingredient”マケドニアの現在を反映した奇妙なコメディ映画だ。不穏な雰囲気から笑える空気感、ローカルな要素から普遍的な要素まで、その全てがマリファナ・ケーキに包まれて差し出される様は何とまあおかしいし、その味はなかなかに独特でイケてたりする。

Gjorce Stavreskiは1978年12月28日にスコピエに生まれた。スコピエの国立映画アカデミーで学んだ後、ベルリナーレ・タレント・キャンパスなど様々なワークショップに参加し技術を磨いていく。"Doma""Na izgrejsonce"などの短編を製作、オムニバス短編集"Skopje Remixed"に参加した後、2017年には初の長編映画"Secret Ingredient"を完成させた。現在は新作長編を計画中だそう。ということでStravreski監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
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その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた

Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた

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アニメーションというのは目に見ることのできないはずの様々な感情を、私たちの目の前で鮮やかにかつ魔法のように描き出していくメディアだ。生の喜びや楽しみ、哀しみ、そしてその全てをうちに抱いた愛をもアニメーションは豊かな映像で以て描き出していく。Anja Kofmel監督作であるアニメーション作品“Chris the Swiss”は正にそんな生の複雑を綴りあげた作品と言ってもいいだろう。

この映画の監督であるKofmelはあることを明確に覚えている。小さな頃、好きだった叔父のクリスが亡くなってしまった時、彼の出てくる夢を見たこと。その日を境に彼女にとって叔父は未知の場所で命を落とした勇敢なヒーローになり、クロアチアという国もまた美しい幻想の国へと姿を変えた。しかし彼女は知らない。彼はなぜ死んだのか、そもそもなぜクロアチアへ行ったのか。

大人になった後、そんな謎を探るために監督は調査を始める。クリスという人物は元々ジャーナリストであり、スイスにおけるホームレスの問題を主に扱っていた。しかしユーゴスラビアで紛争が勃発した後に、彼は現地で何が起こっているかを知るためクロアチアへと赴き、そして亡くなったのだった。この空白にこそ謎は隠されている訳である。

監督は実際にクロアチアへと旅行すると共に、彼が生前に残していた日記を頼りに痕跡を辿っていく。そこには様々なことが記してある。クロアチアへ向かう電車の中で出会った女性、町の中で爆撃や銃撃を潜り抜けた経験、ホテルにおける他のジャーナリストたちとの交流。彼女は実際に現地の状況を眺めながら、クリスの足取りを自分の目で目撃していく。

そんなクリスの道行きはモノクロームのアニメーションで以て綴られていく。人物や建物などを描く線はとても素朴なものでありながらも、白と黒のグラデーションはすこぶる繊細で美しいものだ。親しみやすさを感じさせると同時に、アニメーションというものの精緻さに触れることのできる作画と形容できるだろう。

そして映画の序盤においてはその素朴な線に見合った牧歌的な雰囲気が物語には流れることになる。しかしクロアチアの紛争へと物語が足を踏み入れると共に、息を呑む不穏な絵がいくつも現れることに私たちは気づくだろう。銃撃によって破壊される建物や車の数々、陰鬱な空気に満ちた世界を駆け抜ける真っ黒い兵士たち、そんな彼らが直面する死の頭上に立ちこめる濃厚な雲の数々。それらはクリスの踏み込んだ世界がいかに危険なものかを饒舌に語る。

そして監督はクリスの悲劇的な道行きを暴き出していくこととなる。ジャーナリストとして傍観者でいることに耐えられなくなったクリスは外国人傭兵部隊に入隊することになり、彼は仲間と共に、セルビア人たちを殲滅する任務を遂行していくことになるのだ。しかしその部隊は極右思想に染まった過激な部隊であり、それゆえに彼の人生は狂っていく。

今作は歴史的な記憶と個人的な感情の合流地点に存在する映画作品だ。クロアチアという国がめぐる血塗られた歴史、その一端として民族の問題があり、宗教の問題がある。そんな大きな問題の数々をクリスは意図せずして背負うことになる。その先に必然的にあるのは死だけであったのだ。

それでいて“Chris the Swiss”の核にあるものは監督の言葉にはできない思いだ。子供の頃におけるヒーローであったクリスの真実の姿は、そんな純粋に英雄的なものではなく、むしろ残酷なる血に染まったものだ。それを知っていく過程は同時に、監督の心が傷ついていく過程でもある。それでも捨て去ることのないものが、クリスという人物への郷愁にも似た暖かな愛だ。彼女はそれを描くために実写ではなく、アニメーションという方法を選択した。それによって今作は彼女の複雑な愛が濃厚に反映された、特別なものへと昇華されたのだ。

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その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた

Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路

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日本人は無宗教な人種だとよく言われる。しかしそれは少し間違っているのではないかと自分は思う。個人的には、日本人はそれ以前に宗教という概念をそもそも理解していないのが実際のところでは?と思っている。それは宗教的な事柄があまりにも世俗化されすぎて(例えば初詣やクリスマスなど)実体を失っているゆえだ。だからアメリカ映画におけるキリスト教的要素など宗教に関しては理解が難しいのだ。今回紹介するアルバニア映画、Robert Budina監督作“A Shelter Among the Clouds”も日本人からすれば難しいかもしれない。だが宗教という概念の複雑さ、その一端へ確かに触れることができる一作でもある。

今作の主人公は中年男性のベンシック(Arben Bajraktaraj)、彼はアルバニアの山奥で羊飼いとして暮らしている。そんな仕事の傍ら、寝たきりの父親を孤独に介護する日々をも送っていた。敬虔なイスラム教徒である彼の心の拠り所はアラーであり、毎日欠かさずに祈りを捧げ続けている。

まず監督は広大な自然の中に根づいている日常を丹念に描き出していく。崇高さを帯びた山々に囲まれながらベンシックは羊などの動物たちを育てている。その合間には大地や風の存在を全身で感じとりながら祈りを捧げていく。そういった風景を撮影監督のMarius Panduruは端正に切り取っていくのだ。そこには静かなる情熱が宿り、観る者に畏敬の念を抱かせるだろう。

ある日、ベンシックは足しげく通っていたモスクの壁に謎のほころびを見つける。修復のためにやってきた外部の調査員が言うには、壁の奥に見えるのは聖母マリアの壁画であり、つまりこのモスクは昔カトリック教徒が通う教会であったことが判明したのである。

小さなこの村では宗教が共生してきた歴史がある。イスラム教とキリスト教がデリケートな平衡感覚の上で持ちつ持たれつ生きてきたのだ。しかしモスクが教会だと判明した後から、その均衡が崩れ始める。ベンシック自身はこのモスクをキリスト教徒にも解放すべきであると主張するのだが、イスラム教徒たちはそれに反対し、不満が噴出し始める。

ベンシックの人生自体も、この宗教の複雑な対立を反映していると言えるかもしれない。亡き母は敬虔なキリスト教徒であったのだが、父は共産主義者であり宗教を忌み嫌っている無神論者でもある。しかしベンシックはどちらの宗教観も受け継ぐことなきイスラム教を信仰することとなる。それについて父は常に文句を言いながらも、外の声には耳も貸さず、彼は厳格にアラーに祈りを捧げ続ける。

物語において中心となるのは、そんなベンシックの信仰が様々な側面から試される姿だ。彼はリリエ(Suela Bako)という調査員の女性と出会い、信仰について様々な対話を重ねながら、微妙な関係性に陥っていく。だが帰省してきたきょうだいたちとは仲違いをし、どうにも苦悩が募る。追い打ちをかけるように、介護していた父親の容態が急に悪くなり危篤状態に陥ってしまう。そうしてベンシックは“自分はどうすればいいのか?” “何をすればいいのか?”を常に問われることになる。

そして彼の宗教的な苦悩が崇高なる雰囲気で以て描かれていく。物語には信仰を震わされる時に、自分の存在それ自体をも震わされてしまうという実存的な震えが濃厚にある。そんな中で小さな祈りが大自然の中に響き渡る様はこの苦悩がいかに切実かを指し示していると言えるだろう。この果てに、ベンシックが1つの選択を行うことになる。

今作は宗教的な混迷が巻き起こす試練に直面する男の姿を描き出した作品だ。この映画のニュアンスを深くまで理解するのは、日本人には難しいかもしれない。しかし宗教という大きな概念をひとりの男の小さな視点から描き出すという作品ゆえに、宗教というものに触れるにはいい出発点でもあるかもしれない。

Roberto Budinaアルバニアを拠点とする映画作家だ。まず演劇を学んだ後、戯曲の執筆や舞台の演出を多く手掛ける。2001年にはSabina Kodraと共に製作会社ERAFILMを設立し、ここから映画製作に乗り出す。日本でも上映されたラウラ・ビスプリ監督の「処女の誓い」の製作も務めていた。映画作家としては2012年の初長編である"Agon"を完成させる。よりよい未来のためにギリシャへと移住した兄弟の姿を追った作品で、2014年のオスカー外国語賞アルバニア代表にも選ばれた。そして2018年には今作を完成させ、タリン・ブラックナイツ映画祭で好評を博すことになった。ということでBudina監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷

Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷

さて、コロンビアである。この地では60年代からつい最近まで政府軍と反政府軍による内戦が続いていた。それはコロンビアの大地に、コロンビアに生きる人々の心に深い傷を刻みつけていった。ゆえにこの国の映画作家たちは様々な形でこのテーマについて扱ってきたが、今回紹介するのはそれらとは全く違う方法でこの傷との対面を図るドキュメンタリー、Federico Atehortúa Arteaga監督作である“Pirotecnia”だ。

まず今作にはある写真が浮かび上がる。野外に放置された、椅子にくくりつけられた4つの死体と、それを眺める群衆たちを捉えた写真である。その構図はどこか奇妙で、不気味な印象を見る者に与える。そしてナレーターは私たちに説明する。ここで写し出されている事件こそがコロンビアにおける映画史の始まりなのだと。

1904年、当時のコロンビア大統領であるラファエル・レジェス、彼を狙った暗殺事件が巻き起こった。それは未遂に終わり、容疑者である4人は即刻捕らえられて銃殺刑に処されることになった。冒頭の写真は正にそれを示している訳だ。この後、大統領たちは暗殺未遂事件を自分たちで再演することになる。そしてこれを映像として残し民衆に見せつけることで、権力の強化を図ったというのだ。つまりこれこそが映画史の始まりという訳である。

これが説明された後、監督はもっと個人的なことへ話題を転換する。監督の母親はある日を境に全く喋らなくなってしまったのである。医者や迷信に頼りながら原因を究明していくのだが、理由は不明のままである。唯一の手がかりは彼女が残した膨大なホームビデオにあるのかもしれない。そう思った監督は広大な映像の海へと飛び込んでいく。

今作は様々な観点からコロンビアの歴史を俯瞰していくドキュメンタリーだ。まず映るのは軍服姿でポーズを決める子供の頃の監督の姿だ。この軍服は当時コロンビアを騒がしていた反政府の左翼ゲリラFARCにインスパイアされたものらしいが、その繋がりを起点として、今度はそのFARCの実際のメンバーがジャングルを行く記録映像が映し出される。そして60年代の白黒映像、もっと後にカラーで紡がれる内戦の光景、それらが歴史において長く続いてきた暴力の凄まじさを語る。

その中で暴力はさらに苛烈なものとなっていく。皆さんは“Falsos positivos”という事件をご存じだろうか。これは政府軍たちが農村の若者や障害者を集め、組織的に殺害、そしてこの死体をゲリラ兵士と偽装することで、武勲を捏造したり作戦の成功を国民に喧伝するなどしていたのだ。実際、政府軍に死体を売り渡したという兵士たちもインタビューに答える。それほどコロンビア内戦は悍ましいものだったのだ。

本作の特徴は個人的な記憶と国としての歴史が同列のものとして扱われながら、この2つの間を行き交うという構成である。そこにおいては個人の小さな記憶が血腥い歴史の傷を雄弁に語ると共に、大いなる歴史のうねりから犠牲になった1人1人の悲鳴が聞こえてくる。例えば女性たちが、軍服を着た青年の写真を掲げる姿には個人の悲しみと歴史の残酷さが交わりある。このダイナミクスこそが本作の核にあるものなのである。

コロンビアの歴史を語る時にはまず戦争を語らなくてはならない。しかし戦争を語るには死と墓場について語る必要があるのだ……“Pirotecnia”を象徴するような言葉だ。私たちは本作を観ながら、こんなにも生々しい死を背負ってコロンビアの人々は生きていかなくてはならないのかと気が遠くなるだろう。霧深い雨の野原を歩く、物言わぬ監督の母の姿からはそんな悲しみが濃厚に滲んでくる。

Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ

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さて、ルーマニアである。東欧に位置しながらもスラブ民族ではなくロマンス民族で構成された異端の国、EUに所属する中では最貧国の1つとして数えられながらもITなどの面で経済は急成長を遂げている急進国家。そんな過渡期にある国で生きることにはどんな意味があるのだろう。独りで生きる、誰かと共に生きる。男性として生きる、女性として生きる。異性愛者として生きる、同性愛者として生きる。幸福を味わいながら生きる、不幸を抱きながら生きる。そこにどんな意味があるのだろうか。それを突き詰めんとする作品がルーマニアの新鋭Marius Olteanu監督のデビュー長編“Monștri”だ。

ダナ(「シエラネバダ」Judith State)は重いトランクを抱えて、ブカレストの家へと帰ろうとするところだった。タクシーを捕まえて乗り込むのだったが、彼女は何故だか憂鬱そうな表情を浮かべたままでいる。そしてタクシーは自宅近くまで辿り着くのであるが、彼女は帰ろうとしない。そこには一体どんな理由があるというのだろうか?

まず本作はダナの心情を丹念に追っていく。彼女はタクシーに乗る前に、駅のトイレで涙を流す。何か心の中で激動が起こっていることの証明だろう。そしてその悲壮な感情は時間が経つにつれて深まっていく。グズグズとして家に帰らないままでいると、偶然出会った友人の妻が産気づいたので相乗りすることになる。そこでも彼女は機嫌が悪いのを隠すことはないのだが、ふと生まれた狭間の時間、タクシー運転手のアレックス(「4ヵ月、3週と2日」Alexandru Potocean)と他愛ない会話を繰り広げるうち、何かが浮かび上がり始める。

監督の演出はルーマニア映画界直系の極まったリアリズムに裏打ちされたものであると形容すべきだろう。途切れることのない長回しで以て、Olteanuと撮影監督のLuchian Ciobanuは登場人物の表情や挙動の移り変わりを繊細に焼きつけていく。更に普通とは違う縦長のスクリーンサイズは息苦しい閉所恐怖症的な感覚を観る者に与えていく。そして劇伴などの装飾は極力切り詰められたミニマルさの中に、豊かな感情が静かに沁み渡り始めるのだ。

今作は3幕構成となっているのだが、2幕目はアンドレイ(Cristian Popa)という男性の姿を描いていく。ジムで汗を流した後、彼はとあるアパートの一室へと向かうことになる。そこには年上だろう壮年男性(現代ルーマニア映画においては毎度お馴染みシェルバン・パヴル)が待っている。彼らはぎこちなくも、酒を飲みながら会話を繰り広げるのだったが……

1幕とは異なり、こちらは会話劇が主体と言えるだろう。彼らは様々なことについて話す。酒の好み、恋人関係のような深い関係性への態度などその話題は多岐に渡る。そのうち壮年男性は同性の恋人と別れた経験について話し始める。つまりは彼は同性愛者なのであり、2人も行きずりではあるが(劇中にはゲイ同士のマッチング・アプリGrindrも登場する)そうした同性愛の関係にあることが明らかになっていく。

2幕のテーマはルーマニアで男を愛する男として生きることについてだ。同性愛者であることはひた隠しにしながら、同時に家庭を隠れ蓑としながら愛し合わなければならない実情がここでは赤裸々に綴られる。そして男性同士が愛しあうにはアパートなどの誰にも見られない密室で密やかにする必要があるのだと、彼らの態度からは見て取れる。

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ここでルーマニアにおける同性愛者が置かれる実情について見ていこう。ルーマニアの漫画家であるAndreea ChiricăThe Guardianに掲載したコミックによると、同性愛者が表だって愛しあえる場所はルーマニアブカレストにはとても少ないそうである。特に男性の同性愛者はアパートの密室など個室に隠れるか、数少ないクィア・フレンドリーなクラブに行くしかキスすらも出来ない。もし見つかったら“ホモ!ペド野郎!”と罵倒されるのが顛末だという。

更に最近では同性婚を禁止するために、結婚を“男と女”のものにするための憲法改正をめぐる国民投票ルーマニアでは行われた。ボイコットによって投票は無効になりながらも、同性婚禁止賛成派は90%以上という実情が突きつけられることとなってしまう。

そんな国で同性愛についての映画を作ることはとても意味のあることだろう。以前このブログでも紹介した“Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă”も、女性同士のカップルがアパートの一室の中に愛をひた隠しにする姿がする姿が映し出されていた。更に2018年に最も話題になったと言っていいルーマニア映画”Soldații. Poveste din Ferentari"はロマの文化研究者である男性とその文化の担い手である男性同士のロマンスを描き出した作品なのだが、友人が伝えるところによるとルーマニア正教の保守的な信者たちが映画館の前で抗議活動を行ったそうだ。それほどルーマニアは同性愛に対して保守的なのである。そういう意味でここにおいて描かれる男性同士の微妙な愛の関係性は重要なものだろう。

そして様々なテーマを抱えながら本作は3幕目へと至ることになる。ここで初めてダナとアンドレイは夫婦であることが明かされることになる。彼は一緒に朝を過ごし、隣人に挨拶をし、友人の子供の洗礼式に参加する。そんな何の変哲もない普通のに日常が淡々と綴られていくことになる。

監督はそれぞれの事情を抱えるゆえに不安定な関係性にある彼らの感情の機微を、繊細に捉えていく。端から見ればダナたちはごく一般的に幸せそうな夫婦に見えるだろう。しかしふとした瞬間に彼らの姿から不安や焦燥感が溢れ出す瞬間が存在している。ままならない人生に対する透明な絶望感のようなーおのがそこには滲み渡るのだ。

この豊かさを支えるのが主演の夫婦を演じる2人である。まずStateは圧倒的な孤独を体現する女性として観客に静かなインパクトを与えるだろう。そしてPopaはどうしていいか分からない衝動と不安、そして愛を持て余す男性の姿を魅力的に演じていく。そんな2人の抱える淀みがゆっくりと溶け合いながら、濃密なまでに不確かで濁った感情が露になっていく様は正に圧巻だ。

"Monștri"という作品は、ルーマニアという国に生きる意味を徹底して浮かび上がらせようとする渾身の1作だ。そしてそこにどんな感情が滲み渡ろうとも、しかし人生は続いていかざるをえないのだということも我々に教えてくれる。

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