鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ

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いわゆる紀行映画(トラヴェログ)というジャンルがある。ある人物がめぐる旅路の中で見る風景や体験する出来事を捉えていくことで紡がれていく映画のことだ。こういった作品を観ていると、自分たちも語り手と同じく旅をしているような、そんな心地を味わうことができる。Miko Revereza監督による長編作品“No Data Plan”はそんな紀行映画の系譜に属する作品だと言えるだろう。

今作の語り手はフィリピンからの違法移民である映画作家のRevereza自身だ。彼は列車で以てアメリカはニューヨークからロサンゼルスまで、長い長い陸路を旅することを決意する。そんな彼は映画作家としての性とばかり、旅の過程でカメラを回し続けるのだが、そんな旅路は自身の境遇について振り返るための大切な時間となっていく。

彼は字幕によって自身についてを少しずつ観客に語っていく。フィリピンからアメリカへとやってきた経験について、母親が不倫をして家族から離れては戻ってくるという経験について。字幕のみで綴られていく静かな語りの数々は素朴ながら、観る者自身にも人生を振り返させるような叙情性に満ち溢れている。

同時に描かれるのは監督の旅路である。例えばスクリーンに浮かび上がるのは乗客でごった返す駅のホーム、電車の席に身体を深く埋めて休む人々、窓にこびりついた真っ白い汚れや夥しい傷、車窓に浮かんでは消えていく風景。そういった何の変哲もない光景の数々を、監督は淡々と捉えていき、私たちの目の前に差し出していく。

しかしその光景たちがだんだんと美しさを獲得していくのだ。途中で監督が立ち寄る灰色がかった青に包まれた街では、そそりたつ電灯や駐車場で談笑する人々が見えてくる。夜の闇では宝石のような輝きを放つ灯りが、閃光のように車窓を駆け抜け、白い残像を残していく。そしてある時、監督は電車の最後部で遠ざかっていく風景を映し出すことになる。小さくなっていく木々や野原は何でもない風景のはずだが、そこには胸を締めつけるような感覚が宿っている。それはここに観る者それぞれの記憶を喚起するような郷愁が存在しているからだ。

そして物語を通じて、この郷愁はどんどん膨らんでいく。旅それ自体は広大なるアメリカを縦断するという大いなる旅路だ。しかし監督が朴吶と語る記憶の数々は個人的でごく小さなものばかりだ。この大いなる旅路とちっぽけな記憶が静かに重なりあうことで、郷愁が醸し出されていく様は切実であり、感動的だ。

“No Data Plan”は小さなものと大きなものが静かに重なりあうことで形を成していく、素朴だけども美しい紀行映画だ。この旅路の中に私たちはそれぞれの記憶を見いだすことによって、人生という旅の奥深くまで潜りこんでいく、そんな切なる映画体験に埋没することになるはずだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ

Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって

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旧ユーゴ圏において血みどろの紛争が繰り広げられる中で、ユーゴスラビアの人々は平和を求めて世界各国へと離散することになる。その中でそれぞれの第2の故郷で成長を果たし、育っていった世代が映画作家として活躍する時代がやってきた。ロッテルダム国際映画祭のコンペティション部門で先頃上映された作品“Take Me Somewhere Nice”の監督Ena Sendijarevićは、正にその世代にある映画作家だ。そして本作はオランダで育ったボスニア人作家による自身のルーツをめぐる魅力的な作品となっている

アルマ(Sara Luna Zoric)は母と一緒にオランダに暮らすボスニア人の少女だ。ある日、自分たちを置いて故郷に戻った父が病院に担ぎ込まれたとの連絡が入ってくる。母は自分を見捨てた彼に嫌悪感を隠さないが、アルマの心の中には様々な思いが渦巻く。そして彼女は父の元へと行くために、ボスニアへと旅することを決意する。

しかし旅はそんなに甘くはない。ボスニアに辿り着いたは良いのだが、頼りにしていた従兄弟のエミール(Ernad Prnjavorac)は多忙なのを理由に旅への同行を拒否してくる。仕方がないので独りでバスに乗って出発するも、揺れが酷すぎるゆえ休憩時間にゲロをブチ撒けている間にバスは出発、スーツケースごと交通手段を失ってしまう。途方にくれるアルマだったが、悩んでも意味ないのでヒッチハイクを始めるのだったが……

今作は奇妙な味つけの青春ロードムービーとなっている。劇中には間の抜けたユーモアが満載だ。映画は観客との間で絶妙な距離感を保ったままに、真顔で変な事件を起こしまくる。それに翻弄されるアルマの姿は、思わず観客を笑わせてしまうような可笑しみに満ち溢れている。

その独特のリズム感を支えるのがにEmo Weemhoffよる撮影だ。冒頭から他の平凡な作品の数々とは世界の見方や切り取り方が違うというのが分かるはずだ。空間を普通とは違った洗練されたシュールさを以て捉える感覚、現実離れした鮮やかな色彩の氾濫、光と影の滑稽な交わりあい。こういった要素の数々によって、本作はどこかおとぎ話的な感触も獲得している。

さらにこの印象を高めているのが、ミュージシャンでもあるがElla van der Woude手掛けた音楽だ。いわゆるベッドルーム・ポップという音楽ジャンルが存在するのだが、それはローファイ感を白昼夢の夢心地に接続するジャンルだと形容できる。これが全編において効果的に流れていくのだ。聞いていると、何だか自分が虹色の雲になったような気分になり、世界を漂うとそんな感覚を味わうことができる。

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そういったボタンを1つか2つほどかけ違えたような不思議な世界を、アルマは旅していく。何だかんだで来てくれたエミールと彼の“インターン”と自称する青年デニス(Lazar Dragojevic)と共に、彼女は車でボスニアを行く。父親が入院しているという病院に行ったり、彼が住んでいる家に行ったり、時々は車で野原を駆け回ったりと、彼女たちは様々な場所をめぐっていくのだ。

ボスニアのそんな風景にはどこか異国情緒が漂っている。サラエボの中心街に位置するネオン輝くデパート施設、キャバレーの極彩色の場末感、父親が住む住居の共産主義的ブルータリズムが濃厚な外観、どこまでも広がる荒涼とした野原。アルマはオランダとは微妙に異なる、故郷の景色の数々に心を揺り動かされていく。

だがその心にボスニアの現実が迫ってくる。確かにアルマはボスニア人ではある。しかしオランダに移り住んだ彼女と、ボスニアに住み続けるエミールたちとの間には確かな壁が存在している。彼らは旅を手伝ったり友好的な態度を取ったりしながらも、微かな不信感をも抱いている。そこからはボスニアが今直面している貧しい現実の存在がある。持つ者と持たざる者の微妙な分かりあえなさが厳然として存在するのだ。

それでいて劇中においてはこの緊張感を背景として、愛とも他の感情ともつかぬ三角関係が形成される。最初アルマはデニスと良い雰囲気になるのだが、彼には恋人がいるらしい。エミールは性格的にクソ野郎で無職というダメっぷりだが、時おり無性に愛おしくなる瞬間があったりしてアルマの心は揺れる。この少女漫画を彷彿とさせる複雑な三角関係もまた、旅を彩っていくのだ。

今作の核になるのはアルマを演じるSara Luna Zoricの存在感だ。常に野良犬のような不機嫌な表情を張りつけながら、彼女は旅を続ける。その中でふてぶてしい態度を取るかと思えば、驚くほどに繊細な表情を露にすることもある。この思春期特有の不安定な二面性が、今作をさらに興味深いものにしていると言っていいだろう。

“Take Me Somewhere Nice”は自分のルーツを探ろうとする少女の不思議な旅路を描いた作品だ。背景にはアイデンティティーの探求やボスニア紛争の深い傷跡など難しいテーマが絡み合っている。しかし観客は、それら全てを包み込んだ、本作の寛大なる愛らしさに深く魅了されること請け合いだろう。

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その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
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その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
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その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって

Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?

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30歳という年齢は若くもなければ老いてもいない微妙な年代と言えるだろう。巷ではこの微妙さに翻弄される人々の危機的な状況を“クォーターライフ・クライシス”と言うそうだ。今回紹介するブルガリア映画界の新星Simona Kostovaによるデビュー長編“Dreissig”はこの狭間の世代による切実なる苦悩を鮮烈に描き出した傑作と言えるだろう。

オヴィ(Övünc Güvenisik)は正にその30歳に差し掛かった男性だ。彼は小説家であるのだが、上手く物語を紡ぐことができないスランプ状態に陥ってしまっている。しかし友人たちが誕生会を開いてくれるというので、彼は気分転換とばかりに彼らと共にベルリンの街へと出掛けようと決める。

そんなオヴィの友人の1人がパスカル(Pascal Houdus)だ。彼はパリから引っ越してきたフランス人なのだが、恋人であるラハ(Raha Emami Khansari)と別れたばかりで未だに未練がタラタラだ。心機一転、今度は東京へ引っ越すことも考えているのだがイマイチ決心がつかない。そんな彼はオヴィが誕生日を迎えるということで、ヘンナー(Henner Borchers)やカーラ(Kara Schröder)たち友人を集めて夜のベルリンで誕生会を開くことにする。

こうしたあらすじから予想される通り今作はベルリンに生きる若者たちの夜を描き出した作品だ。こう言えばよくある作品と思うかもしれないが、それらとは一線を画する作品というのは冒頭から明らかだ。まずカメラはオヴィの寝顔をクロースアップで撮しとる。電話が鳴り始めると彼は起きる準備をしだし、それと共にカメラは遠くへと離れていき、最後には部屋の全容を映し出す。群青色に包まれた寒々しい部屋で、孤独に煙草を吸う侘しい姿。それを監督は5分以上にも渡る長回しで描き出すのだ。そこには何か異様な予感がある。

夜がやってくるとオヴィたち皆がはしゃぎ始める。ヘンナーの家に集まって誕生会を開き、プレゼントを上げる。そしてオヴィが出会った女性も交えて、彼らは街に繰り出してクラブで踊ったりする。そして街角を酒の勢いでブラブラ歩き回る。しかしそこに何か不思議な感情が込み上げてくるのに、観客は気づくはずだ。

今作の主体は撮影監督Anselm Belserによる長回しだ。しかしそれはただ目の前の景色を撮すだけの、素朴なものではない。冒頭における被写体との距離を少しずつ変えていく長回し、部屋の立地を利用して擬似的なスプリットスクリーンを作る長回し、自転車でベルリンを爆走するパスカルを捉え続ける汚れた血におけるドゥニ・ラヴァンを思わす長回し。そういった多種多様な長回しがここでは披露されていくのだ。

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そのどれもがベルリンという街に生きる人々の間に満ちる空気感を捉えている。例えばクラブにいる若者たちの表情を捉える長回しはそれを象徴する。濃厚なキスに興じるカップルの顔、そこから煙草を憂鬱そうに吸う人物の顔に移動し、さらにカメラは暇そうにぼんやりと虚空を眺める人物の顔へ、楽しそうに友人と会話をしている人物の顔へ、ゆらゆら移動していく。この途切れない表情の豊かさが、そのままベルリンの文化の豊かさを示している。

この長回しの根底にあるのはリアリズムの追求だ。編集や虚飾はなるべく排除してリアルな空気感を捉えようと監督は試みているのだ。ゆえにごく個人的な部屋の中に満ちる親密な雰囲気や、ベルリンの道端に蟠る空気感、満杯のクラブに満ちわたる熱気、そういったものが迫ってくるような感覚がここにはあるのだ。

さて今作の舞台はベルリンだが、監督はブルガリア人である。元々はブルガリアの首都ソフィアで俳優として活動していたが、映画作家としての道を歩もうと決意し20代でベルリンへと移住、そして2019年に今作で長編映画デビューを果たした人物だ。ブルガリアといえば、近年映画界で目覚ましい台頭を見せる国と言っていいだろう。東京国際映画祭含めて世界中の映画祭で喝采を受けた「ザ・レッスン~女教師の代償」クリスティナ・グロゼヴァ(ブログ記事)、ロカルノ映画祭で最高賞を獲得した“Godless”Ralitza Petrova(ブログ記事)、同じくロカルノの若手監督部門で作品賞を獲得した“3/4”Ilian Metev(ブログ記事)ら、素晴らしい作家陣が多い。私も2017年のベスト10に後者2本を入れたほどだ。

これらの作品に共通するのは徹底したリアリズムである。ダルデンヌ兄弟や隣国である“ルーマニアの新たなる波”に影響を受けたこの作風は、目前で起こることを見逃すまいとする苛烈なアプローチだと言える。しかしブルガリアの場合はこのリアリズムを極端に推し進めることで、正にブルガリア的としか形容しがたい唯一無二の詩情を獲得したと言える。“Godless”人間性のすべてが刈り取られた後に広がる風景を鋭く眼差すことで生まれる凍てついた虚無の詩情や、“3/4”の逆にヒューマニズムを徹底してリアルに描き抜くことで現れる感動、これがブルガリア映画の真髄だ。その現代のブルガリア人作家が持つ無二の味わいが今作にも継承されているのだ。ネオン色の詩情、ミニマル芸術的な美しさ、青春の輝き。それらがリアリズムを突き詰める過程で映し出されていくのだ。

だが監督がそれを突き詰めた先にあるのは、もっと悲壮で切実なものだ。ある時、オヴィは不愉快な場面に遭遇してふと吐き捨てる。“こりゃ何の比喩だよ?人生はクソって意味か?”そしてカーラやヘンナーも心の奥底に押し留めていた、誰にも説明できない不安定な感情に翻弄されて、夜の中で人生を見失い始める。愛の終わりの中にいるパスカルとラハは、深い孤独と直面することになる。監督が描き出す詩情に浮かび上がるものは人生を生きるにあたって避けられない侘しさや寂しさなのだ。

今作の題名“Dreissig”は正に“30”を示す単語だ。先述した通り、この年齢は若くもないし老いてもいない微妙な年代である。その狭間で自分たちは何をすればいいのか、どうやって生きればいいのか。そんな問いを真摯に考え続ける今作からは、こんな切ない叫びが聞こえてくる。“僕たちは人生に何かを求めてる。でもそれって一体何なんだ?”

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Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃

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恋はいついかなる時間場所でも花を咲かせる。その恋の風景の数々は共通するところがあれば、異なる部分もある。それらについて映画などを通じて知っていくことは、芸術に触れる楽しみの1つでもあるだろう。今回紹介するKatharina Mückstein監督作“L’animale”はヨーロッパの小さな一国であるオーストリアに広がるそんな風景を描き出した作品だ。

今作の主人公であるマティ(Sophie Stockinger)は思春期真っ盛りである高校生の少女だ。男勝りな性格であり、モトクロスバイクを趣味とする彼女は女子ではなく同年代の少年たちとつるんで、楽しい時を過ごしている。両親であるガビとパウル(Kathrin Resetarits&Dominik Warta)との仲も良好であり、悩みは何もないように思える。しかし彼女は将来自分がどうなっていくか想像できない、不安な時期を過ごしていた。

まずこの作品を牽引する要素は、マティが経験する青春の風景だ。彼女は郊外の採石場で仲間たちとバイクで爆走し、スリルを楽しんでいる。その合間には少年たちと粗野なお喋りを繰り広げる。時には仲間の1人が立ちションしたりなんかして、みんなを馬鹿笑いさせ、マティもその輪に混じるのだ。

その青春は微笑ましいものと思いきや、合間合間に監督は不穏な予感をも挿入していく。ある時、マティは少年たちと共にクラブへと赴く。1人の少年がふざけて少女に痴漢をするのだが、当然その行為は喧嘩に発展、2つのグループの間で火花が散る最中、マティは痴漢された少女の元に近寄ると、その顔に勢いよく唾をブチ撒ける。この光景はかなり厭な緊張感に満ち溢れている。

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監督のMüchsteinは映画学校在籍時、あの現代オーストリア映画界の第一人者であるミヒャエル・ハネケに師事していたという。ゆえに今作の演出は最近の彼の作品群に似たリアリズム重視なものであり、映画的な興奮は消し去られていると言ってもいいここにも青春の瑞々しさよりも、どこか居心地悪さや不穏さが充満しているのだ。

しかしその作風は少しずつ変わっていくのにも気づくだろう。ある日、マティはカルラ(Julia Franz Richter)という少女と出会う。彼女はガビの経営する動物病院に来院したかと思えば、偶然仲間たちと寄った食料雑貨店に店員として働いていたりと、何かと目につくようになる。そうやって出会いを繰り返すうち、マティの心の中にある感情が芽生え始める。

監督はそんなマティの心の移ろいを繊細な筆致で描き出していく。病院の用件と偽り、カルラの家へと押し掛けた後、一緒にタバコを吸ったりと交流を深める。そうすると逆に少年たちとつるまなくなっていくのだが、それに気づいた仲間の1人セバスティアン(Jack Hofer)が“恋人になって欲しい”と告白してくる。こうして板挟みになったマティは深い悩みに苛まれていく。

今作は揺れる少女の心を克明に描き出した作品だ。以前いた馴染み深い世界に留まり続けるか、それとも殻を破って新しい世界へと飛び込んでいくのか。マティを演じる○、彼女はそんな大いなる変化の兆しに直面し戸惑いながらも、何とか前へと進もうとする少女の姿を鮮やかに捉えており、印象的だ。

しかしもう1つ今作には重要なテーマがある。前半の居心地悪さの根源はいったいどこにあるのか。それはいわゆるホモソーシャルという概念の排他性に寄るものだろうと考えられる。男性同士の馴れ合いが他者、特に女性たちを不用意にかつ悪意漲る形で傷つける姿が今作では何度も描かれていく。そして女性であるマティもそこに属するゆえに、名誉男性的なメンタリティを保持していることは唾を吐き捨てる場面からも明らかだろう。しかしその凝り固まった感性が同性への淡い恋心によってほどけて、彼女は害のある価値観から抜け出していく。そういう意味で恋(加えて同性に対する)が、ポジティブに描かれていることが今作の要とも言えるだろう。

“L’animale”は恋のその時に広がる情景を他のロマンス作品とはまた違う角度から描き出した青春映画だ。きっと恋をしたマティがめぐる変化のその先には輝ける未来が待っているだろう。そしてそれは監督の映画界における将来についても同じことが言えるだろう。

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Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

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ルーマニアの医療体制の腐敗は東欧でもかなり悪名高いものだ。患者が置かれる環境が劣悪であることはもちろん、医師や看護師たちの待遇もかなり悪く、優秀な人材が国外に流出しさらの体制が悪化するという悪循環を辿っていっている。ルーマニア映画界においては“ルーマニアの新たなる波”の巨人クリスティ・プイユが2005年に「ラザレスク氏の最期」という作品(レビュー記事を読んでね)を製作している。今作は命の危機に瀕した老人が病院をたらい回しにされる無惨な姿を通じて、ルーマニア官僚主義的な医療を批判していた。さて、今回紹介するGabi Virginia Șarga&Cătărin Rotaru監督作“Să nu ucizi”はまたそんな作品に連なる作品と言ってもいい。

クリスティアン(Alexandru Suciu)はブカレストの病院に勤務する有能な外科医だ。彼は理想家でもあり、ルーマニアの医療を改善しようと日々邁進している。そのせいで同僚の医師たちや看護師たちと衝突することもしばしばある。この前も命令を聞かなかった看護師長に暴力を振るったことで、懲戒免職を喰らってしまう。それでも彼の理想主義的姿勢は揺るぐことがない。

そんな中、最近手術は成功しながらも術後の経過が悪くそのまま亡くなってしまう患者が続出する事態に陥る。この異変について調査を重ねていたクリスティアンはその原因が病院で使われている殺菌剤にあることを突き止める。そして同じ殺菌剤を使っているルーマニアの各都市で同様の事態が起こっていることを知る。それを正そうと彼は動き出すのだったが……

今作は、例えばアメリカ映画の「コーマ」コンテイジョンが属するような医療スリラーであると形容が可能だろう。人を救うはずの医療が人の命を奪うという闇を暴くために、クリスティアンは奔走する。秘密裏に腐敗に関係する書類を集めたり、上司にこの現状を告発するなど可能なことは全て行う。しかし闇は深い。再三の主張にも関わらず状況は改善されることなぃ、クリスティアンは孤立無援となっていく。

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それでも今作はルーマニア映画だ。普通の医療スリラーである訳もない。演出はルーマニア映画の潮流を反映した徹底的なリアリズム指向であり、監督たちは撮影のTudor Platonと共にドキュメンタリー的なアプローチで以て主人公の動きをストイックに追い続ける。ゆえにスリラー作品に典型的な興奮は意図的に排されている。それが原因で、最初は今作を退屈な医療スリラーと見なす人々も多いかもしれない。

しかしその退屈さが映画として結実する瞬間もまた存在している。同僚たちに見捨てられ、妻であるソフィア(Cristina Flutur)に見捨てられ、更には新聞社に記事を送るも、殺菌剤の会社が大手企業ゆえスポンサー関係で掲載を断られてしまう。そんな中でクリスティアンは何とか医療機関の上部組織への接触を成功させる。彼は職員の前で事前に覚えてきた告発文をストイックに暗唱する。だが“上司を呼んでくる”と途中で遮られてしまう。その上司を交え、再び告発文を最初から暗唱する。だがまた“上司を呼んでくる”と途中で遮られ、その人物を待つ羽目になる。

監督はこの異様な光景を、淡々とした長回しで以て、数分間一切の時間の途切れなく描き続ける。クリスティアンが告発文を早口で暗唱する様は鬼気迫る雰囲気がある。しかしこれが度重なる中断を経て繰り返されるうち、それが圧倒的な徒労感へと変容していく。3回目にとうとうその徒労ぶりに痺れを切らしたクリスティアンは、泣いてるのか笑っているのか分からない絶望の滲む声で唸り始める。問題の核はここにあるのだ。ここに宿る徒労感、それを発する退屈さや凡庸さ、それがルーマニアに蔓延る官僚主義の根源だと監督は喝発するのだ。

この大いなる退屈さの中で、クリスティアンは徐々に精神の平衡を失っていく。孤独な彼の中でパラノイア的な思考は高まっていき、この医療の腐敗に対してはもっと抜本的な改革を起こさなくてはならないという危険な考えに取りつかれていく。そして彼は狂気の中で思索を巡らせていき、車を走らせる。

“Să nu ucizi”は医療スリラーという定型ジャンルを、ルーマニアの緻密なリアリズムで解釈し直した、正に“ルーマニアの新たなる波”の本領発揮というべき作品だ。この国に巣喰う闇は、私たちが思うよりも暗く、個人が立ち向かうには余りにも深すぎるのかもしれない。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体

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アルゼンチンの現代史は激動の歴史以外の何物でもないだろう。特に、俗に言う“汚い戦争”が繰り広げられた、7年にも渡る軍事政権は様々な形で人々を翻弄していった。例えば共産主義者などに対する弾圧は有名であるが、同時に同性愛者に対する弾圧も凄まじいものがあったといい、それは政権崩壊後も消えない傷痕を残していった。そんな過去を生きた1人の男の姿を描いた作品こそ、今回紹介するAgustina Comedi監督によるドキュメンタリー“El silencio es un cuerpo que cae”だ。

監督の父であるハイメはこの世を去る時、家族を撮影した膨大な量のホームビデオを遺していった。家族みんなでディズニーランドへと遊びに行く姿、監督がバイオリンを拙くも一生懸命に演奏する姿。そのビデオの1つ1つからは彼の家族を思う心情が見てとれる。しかし彼には1つ大きな秘密を隠していた。彼は同性愛者であったという秘密を。

監督はその秘密について探るため、父の友人たちに話を聞いていく。青年時代にゲイであると自覚した父は時代を越えて様々な男性たちを愛してきた。しかし突如、彼はモノナという女性(つまりは監督の母)と結婚し、娘を授かることとなった。なぜ彼は同性愛者であることを隠し、結婚して家族を作るに至ったのか?1つの秘密の裏には、更に多くの秘密があるようだった。

そして監督はアルゼンチンにおける同性愛者弾圧の過去を知っていく。同性愛者であることが人々に知られてしまうと刑務所に収監されて拷問を受ける。そして精神病院に入れられた挙げ句にショック療法を施される。そんな時代が確かに存在したのである。であるゆえに、同性愛者たちは影に隠れて愛を育む必要があったのだ。

そんな中で浮かび上がる1人の男性がネストル、ハイメの恋人の1人だった人物だ。フレディ・マーキュリーのような口髭を蓄えた彼とハイメは11年もの長きに渡る間連れ添った仲だという。ハイメが遺した写真やビデオにもその姿が確認できる。それほどの関係だったのだろう。しかしハイメは最後には彼と別れて家族を作ってしまう。ネストルの心中はいかばかりのものであったと察するが、彼の行く末は軍事政権後にも続く同性愛者の苦難を反映することになる。80年代に到来したエイズ禍である。彼はその毒牙にかかって若くして亡くなったのだ。その死は奇しくもマーキュリーの死と重なることとなる。

背後にそうした死の1つ1つを抱えながらも、同性愛者であることは秘密のままにハイメは家族と過ごし続けた。友人は“彼は子供が欲しかったから、女性と結婚した”と証言する。愛を隠し通してまで授かった監督への眼差しは、ホームビデオから伺える通り、観る者の心を満たすような暖かさを宿している。しかしもう1つの証言がある。“あなたを授かった時、彼の一部は死んでしまった……”監督はその言葉の意味を探るため、自分が映し出されたホームビデオを眺め続ける。

しかし今作は意味そのものへの答えとはなってくれない。代わりに今作は答えへと至ろうとする監督のめぐる過程として、観客の心を掴んでいく。終盤において、監督は自身の息子に対してカメラを向けることになる。彼女の眼差しはハイメが彼女に向けていたものと同じく暖かいものだ。この2つの眼差しが重なる瞬間には感動的な愛が存在する。複雑なものを抱える父に対する“それでも……”という複雑で感動的な愛がここには宿っているのだ。

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アルゼンチン映画界を駆け抜けろ!
その1 ナタリー・クリストィアーニ&"Nicola Costantino: La Artefacta"/アルゼンチン、人間石鹸、肉体という他人
その2 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その3 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その4 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その5 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その6 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その7 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その8 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その9 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その10 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その11 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その12 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その13 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その14 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その15 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕

私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体

Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時

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子供の頃、私たちはただただ無邪気さの中に浸っていることができる。しかしいつかは、その生温くも心地よい無邪気さを捨て去って、世界へと羽ばたく必要があるだろう。その過程がどんなに辛くとも、どんなに奇妙なものだとしても。Csuja László監督のデビュー長編であるハンガリー映画“Virágvölgy”はそんな若さの彷徨を独特の形で描き出した作品だ。

ラチ(Réti László)は家具店で働く真面目な青年だ。両親はおらず、しかも発達障害を抱えながらも、彼は何とか独りで生きていっている。ある日彼はクリーニング店でビアンカ(Berényi Bianka)という少女と出会う。赤ちゃんを連れた彼女は、自分たちはホームレスで住む場所を探しているとラチに助けを求めてくる。なので彼は自分の部屋に招き入れて、しばらくの間一緒に住むこととなる。

が、このビアンカという少女がなかなかに破天荒な曲者だった。気の赴くままにバーで踊り狂うかと思えば男たちの元に押しかけて迷惑をかけまくる。誰もいない住居に侵入して、全裸でプールに勝手に入り込む。挙句の果てには、母親から満足に世話されてないように見える赤ちゃんを拉致してしまう。そしてオムツを変えるため近くにあったクリーニング店に駆け込んだ訳だが、そこで出会ったのがラチだったのである。

そうして2人の生活が幕を開ける。お人好しのラチはどこか妙な雰囲気を湛えるビアンカを見捨てられず、彼女のために色々と奔走する。彼女が欲しいと言うのでトレーラー車を盗んだり、金を稼ぐために慣れない大工仕事をしたり。その合間には妖精のように移り気なビアンカの性格に振り回されていく。それでもラチは彼女と共に生活し続ける。

今作は奇妙な味つけの青春映画だ。アメリカなどだったらビアンカの自由な性格を反映したようにテンション高めなコメディ映画になりそうな所である。しかしこの作品はハンガリーという東欧に属する国の冷たい空気感、シビアな現実を反映したかのような素っ気なさがある。それによって独特のリズムがここからは響き渡っているのだ。

その一因はVass Gergelyが担当する撮影の力もあるだろう。その撮影は手振れカメラを主体とした生々しいものだ。ダルデンヌ兄弟的な社会的リアリズムに特化した様式だとも形容できる。それ故にハンガリーブダペストの猥雑な地下道、閑散とした団地、埃臭いな工事現場、郊外に広がる緑豊かな野原など、そこに満ちる空気が私たちの瞳に迫ってくるのだ。

そしてラチたちは借金取りから逃げるためブダペストを出ていき、キャンプ場に流れ着いてここで生活することになる。2人で頑張って赤ちゃんを育てていく姿は若い夫婦のようだ。しかしそんな幸福な時間は長くは続くはずがないのである。

“Virágvölgy”は若さがあてどなくフラフラとさまよう姿を描き出した青春映画だ。様々な事情から大人になりきれないラチは、大人になるため様々に奇妙な道筋を歩んでいく。その果てには今まで親しんできたものを捨て去らなくてはならない哀しみが存在している。しかし悪いことばかりではない。その哀しみに触れる時、ラチは確かに前へ進んでいるのである。

Csuja László1984年2月にハンガリーデブレツェンに生まれた。ブダペストの演劇映画芸術大学とプラハ芸術アカデミー映像学部(FAMU)で映画について学び、様々な映画祭のワークショップに参加していた。"Foszfor"(2009)や"A dugulas"(2013)など2005年から短編作品を精力的に製作した後、2018年には初の長編作品となる"Virágvölgy"を完成させる。カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で審査員特別賞を、セルビアのパリッチ映画祭では作品賞を獲得するなど話題になる。ということで監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
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その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時