鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛

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さて、コソボである。他の旧ユーゴスラビア諸国のようにこの国もまた苛烈な紛争を経験し、数多の死と破壊に見舞われることとなった。その時代から約20年が経ち復興は確かに進みながらも、今にも癒えない傷や隠された忌まわしき過去というものはコソボの人々の心に影を投げかけている。Blerta Zeqiri監督によるデビュー長編“Martesa”はそんな影かかる記憶の数々を、繊細な手つきで以て描き出していく作品だ。

今作の主人公はアニタ(Adriana Matoshi)という女性、彼女は紛争で両親と離ればなれになってしまった哀しい過去を持っている。それでも今はバーを経営するベキム(Alban Ukaj)という男性と出会い、幸せな日々を送っていた。そしてもうすぐで彼との結婚式が開かれる予定だった。アニタの心は高揚感で浮き足立つこととなる。

まずこの作品は現在のコソボに広がる日常を描いていく。例えばお洒落なバーで友人たちと酒を酌み交わす、義理の両親の家に行って和気藹々と食事を囲む。そういった風景は他の国ともなんら変わらないものだろうが、異なる風景も確かに存在する。年に数回、この国では紛争の死者や行方不明者を偲ぶ会が執り行われており、アニタもまたそこに参加し、いなくなってしまった両親のことを想うのだ。

そんなある日アニタはノル(Genc Salihu)という男性と出会う。彼は紛争後フランスへと渡り歌手として成功した人物であり、同時にベキムの旧友でもあった。紛争時には身を寄せ合いながら恐怖の時を隠れて過ごしていたのだという。最初2人は再会を喜びあい、アニタもソルと気があうのだったが、彼女は2人がある秘密を隠しているとは知る由もなかった。

そうして物語は3人の関係性の揺らぎを丹念に描き出していく。アニタたちが次にソルに会った時、彼は酒に酔いかなり荒れていた。そして最愛の人を失ったという哀しみを吐露する。アニタはその愛を追い続けるべきだと叱咤激励するのだが、一方でベキムの機嫌はどんどん悪くなっていく。異変を嗅ぎ取ったアニタは、帰り道にそれについて詰問するのだが、ついに喧嘩へと発展してしまう。

監督の演出は素朴で繊細なものだ。撮影監督Sevdije Kastratiのカメラは手振れを伴いながら登場人物たちに迫っていく、リアリズム志向の様式を取っている。躍動する音楽やこれ見よがしなショットは排除した上で、生々しく登場人物たちの心情に迫っていくのだ。そして彼らが内に秘めている生の感情を、プリスティナの寒々しい風景の中に滲ませていく。

そしてアニタに隠れて、ベキムたちは2人だけで会うことになう。その後彼らは密やかに唇を重ねあい、身体を重ねあう。彼らは昔恋人同士であったのだ。紛争という恐怖の中で親密な愛を育んでいたベキムたちは1度は別れ、互いに愛し続けながらその思いを内に秘めていた。そんな中での再会はその愛に再び火をつけたのだ。しかし、今はもうあの頃とは状況が違う。この愛を一体どうすればいいのか?

こうして紡がれるのは、愛の寒々しく悲愴な移ろいだ。言葉では“お前以上に愛した人間はいない”と言いながら、ベキムはノルと一緒にフランスへ行くことはしないで結婚を進めようとする。そんな裏腹な態度を取るベキムに対してノルは怒り心頭ながらも、心は彼への深い愛に引き裂かれていく。そんな激動について何も知らないまま、アニタは不安と期待の間でその時を待つ。三者三様の心を抱えながら、そして結婚式は幕を開ける。今作はコソボが経験してきた忌まわしき過去を背景として、ままならない愛の彷徨を描き出すメロドラマだ。その道の果ては雪の上を流れる黒い血のように苦い後味を伴うだろう。

Blerta Zeqiriは1979年にコソボで生まれた。2004年には紛争中に危機的状況へ追い込まれた3人の友人たちを描く"Exit"を、2009年には普通のディナーが悪夢に変わる様を描いた"Darka"を製作した。そして2012年には"Kthimi"を監督、セルビアの刑務所から帰ってきたアルバニア人男性と彼の家族をめぐる短編作品で、サラエボサンダンス映画祭で作品賞を獲得するなど高評価を得る。そして2017年には彼女にとって初の長編作品となる"Martesa"を完成させた。今作はタリン・ブラックナイツ映画祭で国際批評家賞と審査員特別賞を獲得した。ということで今後の活躍に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

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さて、スリランカである。近年ではカンヌでパルムドールを獲った「ディーパンの戦い」の主人公たちがスリランカ難民だったなどがある。しかしスリランカ自体の映画は余り多くないし、日本でもほとんど評判について聞くことはないだろう。という訳で今回はそんな国から現れた新鋭監督の作品、Suba Sivakumaran監督作“House of the Fathers”を紹介していこう。

舞台はスリランカ内戦真っ只中の時代だ。ある地域に2つの村があり、片方がタミル語を喋る民族の村で、もう片方がシンハラ語を喋る民族の村であった。ゆえに2つの村は長い間闘争を繰り広げており、村の境界線を越えた者は有無を言わさず射殺するという、苛烈な状況が広がっていた。

しかし双方にとって問題が浮上する。女性たちがみな妊娠しなくなり、子供が増えないという危機的な状況に陥ってしまったのだ。そんな中で神のご託宣が人々の元に届けられるのだが、それによれば村の外れにある聖なる森へと男女を献上しろとのことだった。そうして選ばれたのがアソーカとアハリヤ()の2人だった。そして余所者の医師を調停役として彼らは森へと向かう。

3人を待つのはスリランカの乾いた風景の数々だ。ザラついた色彩の野原には生気のない緑が疎らに散らばっており、それらからは荒廃の寂しさを感じさせる。そして川を越えた先にある森、その奥には濃厚な闇が広がっており、神秘的で不穏な雰囲気が漂っている。Kalinga Deshapriya Vithanageによる端正な撮影は、何かが来たるような不思議な予感をスリランカの自然に纏わせていく。

そして彼らはまさしく不思議な光景の数々を目撃する。誰もいないはずの森で休んでいると傷ついた兵士たちが唐突に川から現れ、夢遊病者のように彼らに自分の過去をとりとめもなく語る。昼間には列を成して避難をする民衆たちの姿が現れ、さらに彼らを襲う戦闘機の轟音までもが聞こえてくる。アソーカたちには分かっている。これは全て幻想であり、彼らは全員死者であることを。

監督はいわゆる魔術的リアリズムという手法を駆使して、スリランカの現在と過去を綴っていく。3人はだんだんとこの幻影の数々がただの幻ではなく、彼ら自身の記憶の投影だというのが分かってくる。アソーカは部下であったが戦死した兵士たちの魂と、アハリヤには内戦で失った家族の魂と対面することになる。そういった幻影=消し去りたい過去が、現実の中に実態を以て現れて、彼らを苛んでいくのだ。

過去に対する思念が現実化する様は、アンドレイ・タルコフスキー監督作惑星ソラリスなどの作品を彷彿とさせるものだ。そうしてアソーカたちは、忌まわしくも大切な人々が存在し続ける過去へと心を引き摺られていく。この個人の葛藤や苦悩は、正にスリランカの血ぬられた歴史と重なっていくのだ。その様は壮大であり、幻惑的だ。

“House of the Fathers”スリランカの酸鼻に耐えぬ過去の数々を幻想的な筆致で描き出すことによって、苦痛や苦悩を昇華させていくという試みに満ちた作品だ。そして物語は現実と過去が混ざりあいながら、死と生との観念的な領域へと至る。この中で私たちは過去に散っていった魂たちに思いを馳せることになるだろう。

Suba Sivakumaranは1981年スリランカジャフィナに生まれた。5つの異なる国で子供時代を過ごし、現在はニューヨークとロンドン、スリランカを拠点に活動している。ロンドン経済学校とハーバーど大学で政治と公共政策について学んだ後、国際開発の分野で働き始める。その後は人道支援や貧困削減を旨とする団体で活動していた。

映画監督としてのデビュー作は2012年製作の短編作品"I Too Have a Name"だった。スリランカ北東部で内戦のトラウマに悩む尼僧と彼女の使用人の姿を描き出した作品で、ベルリンやドバイ、レイキャビックなどで上映され話題となる。そして自身の製作会社Palmyrah Talkiesを設立した後、自身にとって初の長編作品となる"House of My Fathers"を完成させる。という訳で今後の活躍に期待。

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その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて

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2012年、マケドニアで凄惨な殺人事件が起こった。首都スコピエの郊外に位置する湖で4つの死体が発見されたのだ。どれも10代の少年たちのものであり、頭部を撃ち抜かれていた。この事件はマケドニア全土に衝撃を巻き起こす。イスラム過激派の仕業など噂が全土を駆けめぐり、事態は混迷を極めた。その後犯人は一応逮捕されながらも、真相は未だ藪の中だそうである。マケドニア映画作家Teona Strugar Mitevskaによる第4長編“When the Day Had No Name”はこの事件に材を取って製作された作品だと言えるだろう。

ミランとペタル(Leon Ristov&Hanis Bagashov)はロクに学校にも通わず、適当に遊び回る日々を送っていた。目的も夢もなければ、家族との仲も冷え込んでしまっている。未来には一切希望が存在せず、どう生きればいいかを教えてくれる人々も存在しない。それゆえに、彼らはただただ時間を浪費し続けながら人生を過ごしていた。

今作はそんな若さの荒んだ日常を描き出す作品だ。ミランは淀んだ空気感の中で継母である女性と口論を繰り広げる、公園でプロムに連れていく少女について語り合う、ミランとペタルは2人して野原をただ目的も考えずに歩き続ける、軽口を叩きあった後にひょんなことから喧嘩に発展して取っ組み合う、そんな風景の数々が冷ややかにかつ即物的に積み重ねられていくのだ。

そんな出来事とスコピエ郊外に広がる荒れた風景が共鳴を遂げていく。朽ちた壁を持った家々は郊外に疎らに乱立している。川辺には無数のゴミが散乱しており、腐敗臭が匂いたつほどだ。そして出来の悪い落書きの数々が公園やトンネルなどあらゆる壁に氾濫している。寒々しい荒廃の風景がここには広がっているのである。

監督の演出は不気味なまでに断片的なものだ。バラバラに分かたれた若者の彷徨いの風景を、彼女は乱雑に繋ぎあわせていく。風景が繋がりあい意味が生まれるといったそんな快楽は、ここには存在しない。凍てつくほどに即物的な意味しか持たないのだ。ここにストリングスを基調とする禍々しい音楽が重なりあうことで、不穏な雰囲気が醸造されていく。

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ある時ミランたちは他の仲間を連れだって、売春宿へと赴く。そこで彼らは1人の若い娼婦を買って、順番にセックスすることにする。青年たちは自分がセックスできる順番が来るまで、適当に時間を潰し始める。ここで異様なのはセックスなどを撮しとるのではなくミランたちの暇潰し自体を延々と映し出すことだ。苔色の壁に覆われた廊下で下らないことを喋ったり、酒を呑んだりして、彼らは時間を潰す。それが淡々とかつ延々と描かれていく様には有象無象の無意味さが淀み際立つ。全てが無駄に費やされていくことへの徒労感、終わりの見えない鬱屈が観る者の臓腑に溜まっていくのだ。

しかしそれと同時に異様な緊張感をも漲り始める。ただ少年たちの行動がとりとめもなく映し出されるだけでありながらも、一瞬の後に残酷な何かが巻き起こるのではないか?という不吉な予感が常に付きまとい続けるのだ。そうした画面から目が離せなくなるような凄味がここには存在している(今作の撮影がフランスの有名撮影監督アニエス・ゴダールであることもその一因だろう)

冒頭、2012年の事件について説明するテロップが流れるのだが、その際に監督は“今作は被害者たちの物語ではない”と明言する。では何についての物語かといえば、マケドニアという国家についての物語に他ならないだろう。この国における経済停滞による未来や希望の消失が、若者たちの怠惰で無意味な行動の数々に繋がっていくことを今作は示唆している。

そしてマケドニア愛国主義的な志向も見え隠れしている。ミランたち若者はマケドニアに住むアルバニア人に対して敵愾心を露にする。子供でも大人でも同じような憎しみを発しながら、彼らに食ってかかるのだ。その理由は明かされることはないが、若い人々の間にも危うい排外主義・国家主義が蔓延していることを表しているだろう。今作はマケドニアに巣食う圧倒的なまでの虚無を、怠惰で無軌道な若さの彷徨いを通じて、不気味なほどの密度で以て描き出す黒い青春映画だ。そして少年たちの元に、マケドニアの元に最後には黙示録の時が来たるのである。

Teona Strugar Mitevskaは1974年にマケドニアスコピエに生まれた。6歳の頃からマケドニアのTVドラマで俳優として活躍していた。グラフィック・デザインを学んだ後、ニューヨークで美術監督として勤務する傍ら映画製作を学んでいた。

映画監督デビュー作は2001年の"Veta"で、ベルリン国際映画祭で特別審査員賞を獲得するなど話題になった。初長編作品は2004年の"Kako ubiv svetec"(英題:"How I Killed a Saint")、アメリカからマケドニアへ戻ってきた女性が直面するこの国の現実を描き出した作品でロッテルダムやカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭などで上映され高評価を得る。2007年にはマケドニアに生きる三姉妹の姿を描いた第2長編"Jas sum od Titov Veles"(英題:"I am from Titov Veles")を、2012年にはフランスとマケドニアを股に掛けた死と生についての物語"The Woman Who Brushed off Her Tears"を監督、世界中で話題となる。そして2017年には第4長編"When the Day Had No Name"を完成させた訳である。現在は新作"God exists, her name is Petrunija"を準備中、ということで今後の活躍に期待。

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Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく

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さて、モロッコである。映画史に残る傑作カサブランカの舞台として有名なこの国であるが、モロッコ自体の映画は少なくとも日本では余り知られていないというのが現状だろう。しかしコンスタントに映画が製作され、何本もの作品がカンヌ映画祭で上映されるなど映画産業に活力はあるのだ。という訳で今回はそんな北アフリカはモロッコの新鋭映画作家Meryem Benm'Barekによるデビュー長編“Sofia”を紹介していこう。

今作の主人公ソフィア(Maha Alemi)は20歳の女性であり、首都カサブランカに家族と共に暮らしている。ある日彼女は腹痛に苦しんだ後、唐突に破水してしまう。従姉のレナ(Sarah Perles)に付き添われ、ソフィアは事態もよく呑み込めないままに出産する。レナから誰が父親かと詰問されるが、ソフィアは沈黙を貫く。

ここでモロッコの文化事情が彼女に影を投げ掛ける。モロッコでは婚外子は認められず、父親が誰かを示す書類が無ければ母親は刑務所へ送られてしまう。それがありながら沈黙するソフィアを説き伏せて、レナはオマールという名前と彼の居場所を何とか聞き出し、家を訪れる。しかし彼やその家族は事実を否定、事態は更に混迷を極め始める。

監督の演出は徹底してリアリズム志向であり、まず彼女はモロッコの日常や空気感を丹念に映し出していく。アラブ文化にフランス語がが混ざりあうような中流階級のモロッコ人の日常風景と、労働者階級のモロッコ人たちが享受する劣悪な生活風景を彼女は対比する。そしてそれらが交わりあうカサブランカの、猥雑な活気が満ちる雑踏の様子をも切り取っていく。そういった要素の数々が今作では鮮やかに捉えられていくのだ。

同時に撮影監督の○は手振れを伴う撮影で以て、逼迫した状況にあるソフィアたちの姿を追う。息苦しく生々しい空気感が画面に満ちわたる様は、それを目撃する者たちの心を瘴気で満たしていくだろう。そして展開が進むにつれて、閉所恐怖症的な感触は、窒息を喚起するほどに増していくのである。

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ロッコにおいて結婚もしていない女性が赤ちゃんを生むことは、母親父親双方の家族にとって頗る不名誉なことだと見なされる。ゆえに家族はソフィアを糾弾し、自身の家族が危機に晒されていることに絶望感を隠さない。ここにこの国の女性差別の実態が見て取れるだろう。ただ必死に生きているだけで、全てにおいて罵られてしまうという地獄がここには広がっているのである。

それでもそんな女性たち同士が連帯する場面もここには存在する。従姉のレナは医学生であり、その知識を生かして危機的状況にあるソフィアを甲斐甲斐しく世話していく。出産が終わった後批判に晒されるソフィアに対しても、レナは献身的な態度で味方で居続けるのだ。しかしその連帯ををも越えるほどに、この国を覆う絶望は底知れないものであるということが徐々に明らかになっていく。

生命の誕生というのは、どんな時でも喜ばしきものであるべきなのだろう。しかし“Sofia”においては周囲の人々の人生を破壊していく悪夢に他ならない。それはモロッコの腐敗した社会システム、家父長制に端を発するものに他ならないだろう。監督はこの悪夢の道行きに国家への批判を託していく。それほどにモロッコという国家の闇は深いということなのだろう。

Meryem Benm'Barek1984年にモロッコの首都ラバトに生まれた。フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)でアラビア語学と人文科学について学んだ後、ベルギーのブリュッセル国立高等芸術研究所(INSAS)で監督業について学ぶ。映画製作と並行して音響芸術も製作しており、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で個展も開いている。

映画監督として有名となるきっかけになった作品は2014年製作の"Jennah"だ。10代の少女が母親との関係性に悩みながら成長していく姿を描いた作品で、アトランタ映画祭とロード・アイランド国際映画祭で作品賞を獲得するなど話題になる。そして2018年には彼女にとって初の長編作品となった"Sofia"を完成させた。ということで今後の活躍に期待。

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Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者

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持てる者と持たざる者の対立、1%と99%の対立は世界各地で繰り広げられている。世界が不穏な方向へと傾くなかで、この闘争もまた複雑で熾烈なものとなっていっている。Olga Korotko監督作である“Bad Bad Winter”は、中央アジアの小国であるカザフスタンにおいて繰り広げられるこの闘争を描き出した作品だ。

大学生のディラナ(Nurgul Alpysbayeva)は祖母の死をきっかけに、故郷の家へと帰ってくる。祖母だけが住んでいたこの家を整理して、売り払う予定にあったのだ。彼女は子供の頃に都市部へと移住しており、それゆえに祖母とも故郷自体とも疎遠だった。そんな過去があるこの家で、ディラナはしばしの間思い出に浸る。

最初、監督はごく普通の日常を描き出していく。祖母の揃えていた家具を眺める、廊下を歩きながら家族に電話をかける、久しぶりの故郷の空気を存分に味わう。しかし不穏な何かが水面下で進行しているような、不気味な雰囲気すらもこの風景からは感じられるのだ。

そんな時、ディラナの帰郷を聞きつけた昔のクラスメイトたちが彼女の前に現れる。しばし再会を喜んだ後、クラスメイトたちはささやかなパーティーを開くことになる。しかしそのメンバーの一人であるムラット(Marat Abishev)とディラナは関係を持っていながら、この時初めて彼にアライ(Zhalgas Jangazin)という婚約者がいることを知る。そのアライもディラナたちの関係を疑っており、険悪な雰囲気がだんだんと張り詰めていく。

そしてムラットたちが来た真の目的は明かされる。彼らは酔っ払いと喧嘩をした際に誤って殺害してしまう。刑務所入りを避けるためには金が必要になるのであり、実業家の父を持つディラナにそれを催促するためここへとやってきたのだ。しかし彼女はその頼みを拒否したことで、家に幽閉されてしまう。

監督は観察的な眼差しで以て彼らの心理模様を描き出していく。撮影監督Aigul Nurbulatovaによる灰色がかった風景に淀んだ感情が這いずりまわる様を目の当たりにするうち、観客の内臓には瘴気が溜まっていくような感覚がある。その背後には明晰な観察眼が存在しているのだが、それはハリウッドのトリックスターである映画作家スティーブン・ソダーバーグの影響を感じさせる。彼の解剖学的なアプローチを彼女は継承しているのだ。

そしてここに浮かぶのが持てる者と持たざる者の対立なのである。ディラナは父親が実業家であり富裕層に属していると言える。だがムラットたちは貧困ゆえに自分の故郷に縛りつけられたまま、困窮した日々を送っている。ゆえに彼らはディラナを裏切り者と呼び、その富を分配しろと迫ってくる。しかしディラナは望んでこの身分になった訳ではないのだから、あまりに不条理であり、この齟齬が事態を悪化させていく。

今作は追い詰められた若者たちの状況を冷ややかな洞察で描き出すことによって、カザフスタンの逼迫した現状を浮かび上がらせることに成功した一作だ。その果てに描かれる皮肉な終盤の展開には、この停滞した国への絶望感が滲んでいる。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕

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ホラーという映画ジャンルは、他のジャンルよりも多くかつ意識的に、この世に存在する恐怖を隠喩的に描いてきた。最近の映画でいえばクワイエット・プレイスドナルド・トランプに代表される不寛容が台頭する世の中で親として子供を育てることの恐怖を描いていたし、フランス産ホラー「RAW 少女のめざめ」は思春期の少女が経験する肉体的・精神的変化という恐怖を描いていた。さてそんな中で今回は、ヨーロッパにおいて過去に蟠り続けるナチスという恐怖を描き出した、Adrian Panek監督によるポーランド映画“Wilkołak”を紹介していこう。

1945年、少年ワデク(Kamil Polnisiak)は仲間の子供たちと共に強制収容所で辛い日々を送り続けていた。しかしその果てに、ソ連軍による解放の時はやってきたのである。そして収容所から救い出された後、彼らはヤドウィガ(Danuta Stenka)という女性が運営している、森の奥深くにある孤児院にしばらく滞在することなるのだったが……

ナチスによる占領や戦争が終わった後にも恐怖の時は終わることがない。ワデクたちは飢えや渇きを凌ぎながら、日々を何とか生き延び続ける。しかしある日皆で森を散策していた際、ヤドウィガが何者かに殺害されるという凄惨な事件に遭遇する。彼女を殺したのは犬たちだ。収容所を守っていた凶悪な番犬たちもまた野に放たれ、森に潜んでいたのだ。

今作はそんな極限状態を生きざるを得ない子供たちの姿を追ったホラー作品だ。子供たちだけで団結して生き延びなければならない事態で問題が立て続けに起こっていく。食料や水の圧倒的な不足に、血に飢えた猛犬たちの存在。そういった危険は子供たちを、まるで蝿の王を彷彿とさせる生存闘争に追いたてる。

ポーランド産ホラーとして最近話題になったものでゆれる人魚という作品がある。人肉を喰らう人魚姉妹を描いた極彩色のミュージカルホラーという奇妙な一作であったが、同じくポーランド産ホラーである今作はまた別の興趣を持っている。こちらはハリウッド産ホラーからの影響が伺える作品だ。洋館を禍々しく魅せるDominik Danilczykによる端正な撮影、すこぶる手の込んだグロテスク描写、鼓膜に不気味に響き渡る音の数々など、ハリウッド産ホラーの記憶が散りばめられた演出で以て、監督は恐怖を高めていく。

そして物語は子供たちの心理模様へとフォーカスし始める。ワデクはアンカ(Sonia Mietielica)という年長の少女に恋心を抱いているのだが、気弱な性格が災いして彼女を遠くから見ていることしかできない。一方で“ドイツ野郎”と蔑まれる少年アニス(Nicolas Przygoda)は猛犬たちに対して勇敢な姿を見せて、仲間たちの信頼を勝ち取っていく。そして自然とアンカとの距離も近づいていく。

ここにおいて最も恐ろしいものとして描かれていくのは、やはり人間の心だ。ワデクはアニスとアンカの仲に嫉妬を抱き始める。そんな中でドイツ軍人の身振りと言葉を完璧に模倣すれば、猛犬を手懐けられることの気づくことになる。彼は良心の呵責に苛まれながらも、それを利用してアニスを陥れようと策を練り始める。そしてワデクの、人間の醜悪な部分が顔を見せることになるのだ。

このワデクの姿にはポーランドにおけるナチスの傷跡に繋がる。収容所での忌まわしい記憶はワデク自身をナチスのような恐ろしい存在へ変えようとする。今作の鍵はそんな恐怖といかに対面しなければならないのかということだ。ワデクは記憶に呑み込まれてしまうのか、それとも記憶を乗り越えるのか。そんな過去の恐怖に対する洞察を、ホラー映画として描き出した作品がこの“Wilkołak”なのである。

Adrian Panekは1975年ポーランドに生まれた。ヴロツワフ科学技術大学で建築学について学んだ後、シレジア大学とワイダ・スクールで映画製作についても学ぶ。短編を製作すると共に多くのコマーシャルやMVを監督し、そして2011年には初の長編作品である"Daas"を完成させる。18世紀のヨーロッパを舞台にポーランドに現れた救世主の謎を追う歴史絵巻で、ポーランド国内で高く評価される。そして刑事ドラマ"Komisja morderstw"のエピソード監督を経て、2018年には第2長編"Wilkolak"を完成させた。タリン・ブラックナイツ映画祭で観客賞を獲得するなど世界で広く評価される。ということで監督の今後に期待。

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その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕

Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ

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さて、ウルグアイである。アルゼンチンの隣に位置する小国であるがゆえ、この国の有能な作家陣はアルゼンチンに行ってしまい、この国自体の映画産業が特に大きいということはない。それでも祖国への愛着を持つ人々は世界各地に存在している。という訳で今回はウルグアイの血を引くカナダ人作家Katherine Jerkovicのデビュー長編“Las Rutas en febrero”(日本語訳:"2月の道筋")を紹介していこう。

最愛の父が亡くなった後、サラ(Arlen Aguayo-Stewart)は自分たちが昔住んでいた、そして父方の祖母であるマグダ(Gloria Demassi)が今も腰を据えているウルグアイへと旅に出る。彼女にとってウルグアイは遠い地ながらも、子供時代を過ごした場所であり愛着があった。そして故郷の小さな田舎町に辿りついた後、サラはマグダと再会を喜びあう。

ウルグアイの田舎にはのどかな雰囲気が漂っている。広く開けた世界に疎らな家々、あちらこちらでは輝いている緑。マグダの家も昔ながらの面影を残しており親しみ深い。それらを映し出すNicolas Canniccioniによる撮影も素晴らしい。彼女は田舎町に広がる風景の数々をゆったり捉えていく。群青色の空とオレンジ色の町並みという濃淡がウルグアイを彩っている。そして郊外にも廃工場の荒涼としながらも美しい風景が広がっている。そういった描写は頗る端正であり、それを観ているだけで旅行をしているような雰囲気が味わえる。

サラはしばらくの間、マグダの元で平穏な時を過ごす。しかしマグダとの関係性は少しぎこちないものだ。サラにとっての父/マグダにとっての息子の死が関係性に影を投げかけているのは明らかだ。そういう微妙な空気感も何もかも、田舎町に流れる時間の中では等しく漂うこととなる。

そしてサラの心の旅路はウルグアイの現状も反映していく。ある時彼女は1人の青年と出会うのだが、ウルグアイから出ていきアルゼンチンのブエノスアイレスで一旗揚げたいという思いを彼はサラに吐露する。自分たち家族もウルグアイを捨ててカナダへと移住した過去がある。ウルグアイは幸福を追い求めるには過酷な場所なのだ。そうしてサラは残してきた故郷の過去と未来に思いを馳せることとなる。

今作の核となるのはサラを演じるArlen Aguayo-Stewartの繊細な演技だ。サラは俳優になるという夢を諦めてウェイトレスとして日々を浪費する現状に置かれている。更に人生において道に迷っている所で父の死という悲劇に直面してしまう。そして当惑と不安の最中に、彼女は自分のルーツへと今再び立ち戻ることとなる。それゆえに若さが宿す不安定さや輝きを、彼女は体現しているのだ。“Las Rutas en febrero”は故郷への複雑な思いを、端正な風景描写と繊細な心理描写で以て美しく描き出した1作だ。その旅路には全てを優しく抱くような温もりが満ちている。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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