ユーゴスラビア紛争から20年もの時が既に過ぎた。大地は銃弾によって穿たれていき、その陥孔の間を血の河が流れていった。数えきれないほど多くの命が失われて、何とか生き残った人々の体や心には深い傷が刻まれることになった。この傷は20年を経て癒えたのかと言えば全くだろう。それらは未だに残り続けている。さて、今回紹介する映画はそんなユーゴ紛争の余波を描き出した作品、Alen Drljević監督作“Muškarci ne plaču”だ。
ボスニアの人里離れた山奥にあるホテル、ここに紛争を戦った元兵士たちが集まりイヴァンというセラピストの元でグループセラピーを行っている。最初は滞りなく会は続いていくが、徐々に彼らは敵意を剥き出しにして波乱を巻き起こし始める。セルビア人は全員クソッタレだ!ボスニアって国は俺たちに何もしちゃくれない!ムスリム野郎なんかと同じ空気が吸えるか!そうして一触即発の緊張感が部屋には満ちていく。
そんな中で男たちはそれぞれの過去を振り返らざるを得なくなる。ある1人の男は戦時中の忌まわしい出来事を語り始める仲間の兵士がセルビア人兵士によって包囲された末に、恐怖から自殺を遂げたことだ。イヴァンはその光景を再演しようと提案する。仲間が基地に残ることを拒否した際、怒鳴りつけてその訴えを退けたことを男は覚えている。それを自分で再演し、更に他の人々に再演させる中で、彼は忌まわしい過去が再び迫りくるような恐怖に晒される。この恐ろしい感覚は、映画全体に漲っていると言ってもいいだろう。
そして舞台はボスニアでありながらも、ここに集った男たちには様々な背景がある。例えばムスリムの男はイマームにもらったお守りを大切にする信心深い男であったり、ボスニア人に混じるセルビア人は自身の素性を仲間に隠し続けようとしているし、紛争で下半身不随となり車椅子に乗っている男は不誠実な態度を取り続け場を掻き乱していく。こうして立場は様々なものであり、故に彼らの抱える傷も様々な物であると示唆される。
監督はそんな傷ついた彼らを暖かな眼差しで以て描き出していく。夜に酒を酌み交わしながらカラオケで盛り上がる彼らの和気藹々とした空気感、常に張り詰める緊張の奥底からふとこみあげてくる臆面もないユーモア感覚。監督はシリアスな舞台設定の中にもこういった親しげに弛緩する瞬間が存在するのを見逃さない。そして彼はそこに和解の仄かな可能性を見出だしてもいるのだ。
しかし物事はそう単純なものではない。セラピーの最中、1人の男が懊悩の末に自分の経験について語り始める。極限状態の末にセルビア兵たちをライフルで殺戮したという経験についてだ。それを再演するうち、仲間たちは“これは仕方がなかった、もしそうしなかったら自分が殺されていたかもしれない”と共感する素振りを見せる。だがこの仲間の中に実は殺される立場にあったかもしれない者がいたとするなら……
ユーゴスラビア紛争によって刻まれた傷は余りにも複雑であり、特に部外者の日本人である私たちには理解しがたいもののように思われる。それでも監督はそれぞれの立場にいる人々が互いに歩み寄れるかもしれない可能性について、この映画によって常に探り続けている。戦争においては家族や友人すらも理解しあうことの不可能な状況で、同じような傷を抱える人々と経験を共有することによって、彼らは安らぎや希望を見出だすことになる。そして監督は、その共感の行き着く先には確かに希望が存在しているとも力強く語るのだ。
Alen Drljevićはボスニアのサラエボに生まれた。サラエボ舞台芸術学校で映画製作を学ぶ。ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したヤスミラ・ジュバニッチの「サラエボの花」や「サラエボ、希望の街角」などで助監督を務めていた。2005年には卒業制作の短編"Prva plata"でサラエボ映画祭短編部門の作品賞を受賞、2007年には長編ドキュメンタリー"Karneval"を製作、1990年代におけるモンテネグロからのボスニア難民を襲った苦難を描く今作はアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(IDFA)やヨーテボリ国際映画祭で上映され好評を博した。そして幾つかの短編を監督した後、2017年には"Muškarci ne plaču"を完成させ、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でプレミア上映される。ということで監督の今後に期待。
私の好きな監督・俳優シリーズ
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
その305 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その306 工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り
その307 Oleg Mavromatti&"Monkey, Ostrich and Grave"/ネットに転がる無限の狂気
その308 Juliana Antunes&"Baronesa"/ファヴェーラに広がるありのままの日常
その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷