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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Isabel Sandoval&「リングワ・フランカ」/アメリカ、希望とも絶望ともつかぬ場所

さて、今映画界におけるトランスジェンダー表象が話題である。例えばNetflixトランスジェンダー表象を当事者の目線で描きだした"Disclosure"(邦題は長すぎる)が配信された一方で、ハル・ベリートランスジェンダー男性を演じようとして批判が殺到、彼女が役を降りるといった出来事も起こっている。個人的にはこれは今までトランスジェンダー役にシスジェンダーばかりが配役されてきた労働格差を解消するために、トランスジェンダー俳優を積極的に登用すべきだと思う。そして労働における格差の是正も大事ながら、トランスジェンダーの当事者にトランスをめぐる物語を語ってもらうことで今までに語られなかった、魅力的な物語が紡がれる可能性が飛躍的に上がるという美学的な理由も合わせて挙げておきたい。そしてこれを私に確信させた理由が、今から紹介するIsabel Sandoval監督による傑作"Lingua Franca"だ。

今作の主人公はオリヴィア(監督が兼任)というトランス女性だ。彼女はフィリピンからアメリカへとやってきた不法移民であり、息を潜めながら日々を生きている。そして彼女はオルガ(Lynn Cohen)という女性の元で介護士として働くことになるのだったが……

まず監督は撮影監督であるIsaac Banksとともに、彼女の日常生活を静かに観察していく。彼女は甲斐甲斐しくオルガを介護する一方で、グリーンンカードを獲得するために同じくフィリピン移民である友人と奔走することになる。その合間には故郷にいる母親と電話で会話をするのだが、その声には疲労の色が滲んでいる。

そしてオリヴィアはグリーンカードを手に入れようと全く見知らぬアメリカ人男性と結婚しようとするのだが、その一方で彼女はオルガの孫息子であるアレックス(Eamon Farren)と知りあう。最初はぎこちない関係が広がっていたが、彼を深く知っていくうちオリヴィアはアレックスに惹かれていく。

こうして本作はオリヴィアとアレックスの関係性の移りかわりに焦点を当て始める。アレックスは少し粗暴な男であり、夜の精肉場で働いている。そんな状況で彼は孤独を深めながらも、オリヴィアと出会うことで少しずつ癒されていく。だが彼はオリヴィアがトランス女性であることを知らなかった。

今作で際立つのは彼らの関係性がいかに複層的なものであるかだ。まずオリヴィアはフィリピン人でアレックスはアメリカ人という国籍上の差異が存在する。そこにはアジア人と白人という違いが上乗せされ、更にはオリヴィアがアジア移民である一方、アレックスはロシアからの移民という血筋を受け継いだ東欧移民でもある。アジア人であることは当然アメリカで差別の対象となるが、東欧移民はアメリカを含む欧米において同じ白人でありながら"White nigger"と蔑まれる存在でもある(例えばルーマニア人移民が、コロナ禍のドイツで野菜の収穫に従事させられるという、西欧における東欧移民の労働力の搾取が今問題になっている)そういった一筋縄ではいかない関係性がここにはある。

だが最も焦点が当たる関係性はトランス女性とシス男性という二項対立だ。オリヴィアは誰にも公言はしないまま自然体で女性として生きる一方、それ故かアレックスは彼女がトランス女性とは知らないままに関係性を深めていき、そして最終的には恋人関係となる。

ここで凡庸な、言い換えればシスジェンダーによるトランスジェンダーについての映画では、オリヴィアがトランス女性ということが分かった後、アレックスは激高し、そうしてサスペンスが醸造されるなどの陳腐な展開があるかもしれない。だがSandval監督はそういった二の轍を踏むことがない。

Sandoval監督は自身もトランス女性であり、ここでは監督・脚本・編集・主演を兼任している。つまりはトランスパーソンが当事者としてトランスの物語を語っている訳だが、ここで興味深く表れるものが1つある。シスジェンダー作家がトランスの映画を作る時、トランスの描写が当然の如く論外な一方、自身も属するはずのシスジェンダー描写すら陳腐ということがよくある。それは、相手がトランスだと知って我を失う類の人物か、相手がトランスだと知って全てを受け入れる類の人物かの二極化だ。"Lingua Franca"のシス男性であるアレックスの描写は前者に属し、それでサスペンスを演出するという人物造形と思いきや、物語が展開するにつれもっと複雑な感情と優しさが立ち現れるのだ。Sandoval監督はむしろシス男性である彼の描写をこそ綿密なものにすることで、今作を他の凡百なトランスジェンダーを描く映画とは一線を画するものとする。

Sandoval監督はこの"Lingua Franca"において、この複層的な関係性を、ドナルド・トランプが移民やトランスジェンダーを筆頭としたLGBTQの人々への差別を先導する現代のアメリカを舞台に紡ぎだしていく。そして物語が最後に辿りつくのは希望とも絶望ともつかぬ場所だ。監督の視線は怜悧なれど何て、何て豊穣な物語なのだろうか。

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