鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

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ルーマニアの医療体制の腐敗は東欧でもかなり悪名高いものだ。患者が置かれる環境が劣悪であることはもちろん、医師や看護師たちの待遇もかなり悪く、優秀な人材が国外に流出しさらの体制が悪化するという悪循環を辿っていっている。ルーマニア映画界においては“ルーマニアの新たなる波”の巨人クリスティ・プイユが2005年に「ラザレスク氏の最期」という作品(レビュー記事を読んでね)を製作している。今作は命の危機に瀕した老人が病院をたらい回しにされる無惨な姿を通じて、ルーマニア官僚主義的な医療を批判していた。さて、今回紹介するGabi Virginia Șarga&Cătărin Rotaru監督作“Să nu ucizi”はまたそんな作品に連なる作品と言ってもいい。

クリスティアン(Alexandru Suciu)はブカレストの病院に勤務する有能な外科医だ。彼は理想家でもあり、ルーマニアの医療を改善しようと日々邁進している。そのせいで同僚の医師たちや看護師たちと衝突することもしばしばある。この前も命令を聞かなかった看護師長に暴力を振るったことで、懲戒免職を喰らってしまう。それでも彼の理想主義的姿勢は揺るぐことがない。

そんな中、最近手術は成功しながらも術後の経過が悪くそのまま亡くなってしまう患者が続出する事態に陥る。この異変について調査を重ねていたクリスティアンはその原因が病院で使われている殺菌剤にあることを突き止める。そして同じ殺菌剤を使っているルーマニアの各都市で同様の事態が起こっていることを知る。それを正そうと彼は動き出すのだったが……

今作は、例えばアメリカ映画の「コーマ」コンテイジョンが属するような医療スリラーであると形容が可能だろう。人を救うはずの医療が人の命を奪うという闇を暴くために、クリスティアンは奔走する。秘密裏に腐敗に関係する書類を集めたり、上司にこの現状を告発するなど可能なことは全て行う。しかし闇は深い。再三の主張にも関わらず状況は改善されることなぃ、クリスティアンは孤立無援となっていく。

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それでも今作はルーマニア映画だ。普通の医療スリラーである訳もない。演出はルーマニア映画の潮流を反映した徹底的なリアリズム指向であり、監督たちは撮影のTudor Platonと共にドキュメンタリー的なアプローチで以て主人公の動きをストイックに追い続ける。ゆえにスリラー作品に典型的な興奮は意図的に排されている。それが原因で、最初は今作を退屈な医療スリラーと見なす人々も多いかもしれない。

しかしその退屈さが映画として結実する瞬間もまた存在している。同僚たちに見捨てられ、妻であるソフィア(Cristina Flutur)に見捨てられ、更には新聞社に記事を送るも、殺菌剤の会社が大手企業ゆえスポンサー関係で掲載を断られてしまう。そんな中でクリスティアンは何とか医療機関の上部組織への接触を成功させる。彼は職員の前で事前に覚えてきた告発文をストイックに暗唱する。だが“上司を呼んでくる”と途中で遮られてしまう。その上司を交え、再び告発文を最初から暗唱する。だがまた“上司を呼んでくる”と途中で遮られ、その人物を待つ羽目になる。

監督はこの異様な光景を、淡々とした長回しで以て、数分間一切の時間の途切れなく描き続ける。クリスティアンが告発文を早口で暗唱する様は鬼気迫る雰囲気がある。しかしこれが度重なる中断を経て繰り返されるうち、それが圧倒的な徒労感へと変容していく。3回目にとうとうその徒労ぶりに痺れを切らしたクリスティアンは、泣いてるのか笑っているのか分からない絶望の滲む声で唸り始める。問題の核はここにあるのだ。ここに宿る徒労感、それを発する退屈さや凡庸さ、それがルーマニアに蔓延る官僚主義の根源だと監督は喝発するのだ。

この大いなる退屈さの中で、クリスティアンは徐々に精神の平衡を失っていく。孤独な彼の中でパラノイア的な思考は高まっていき、この医療の腐敗に対してはもっと抜本的な改革を起こさなくてはならないという危険な考えに取りつかれていく。そして彼は狂気の中で思索を巡らせていき、車を走らせる。

“Să nu ucizi”は医療スリラーという定型ジャンルを、ルーマニアの緻密なリアリズムで解釈し直した、正に“ルーマニアの新たなる波”の本領発揮というべき作品だ。この国に巣喰う闇は、私たちが思うよりも暗く、個人が立ち向かうには余りにも深すぎるのかもしれない。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体

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アルゼンチンの現代史は激動の歴史以外の何物でもないだろう。特に、俗に言う“汚い戦争”が繰り広げられた、7年にも渡る軍事政権は様々な形で人々を翻弄していった。例えば共産主義者などに対する弾圧は有名であるが、同時に同性愛者に対する弾圧も凄まじいものがあったといい、それは政権崩壊後も消えない傷痕を残していった。そんな過去を生きた1人の男の姿を描いた作品こそ、今回紹介するAgustina Comedi監督によるドキュメンタリー“El silencio es un cuerpo que cae”だ。

監督の父であるハイメはこの世を去る時、家族を撮影した膨大な量のホームビデオを遺していった。家族みんなでディズニーランドへと遊びに行く姿、監督がバイオリンを拙くも一生懸命に演奏する姿。そのビデオの1つ1つからは彼の家族を思う心情が見てとれる。しかし彼には1つ大きな秘密を隠していた。彼は同性愛者であったという秘密を。

監督はその秘密について探るため、父の友人たちに話を聞いていく。青年時代にゲイであると自覚した父は時代を越えて様々な男性たちを愛してきた。しかし突如、彼はモノナという女性(つまりは監督の母)と結婚し、娘を授かることとなった。なぜ彼は同性愛者であることを隠し、結婚して家族を作るに至ったのか?1つの秘密の裏には、更に多くの秘密があるようだった。

そして監督はアルゼンチンにおける同性愛者弾圧の過去を知っていく。同性愛者であることが人々に知られてしまうと刑務所に収監されて拷問を受ける。そして精神病院に入れられた挙げ句にショック療法を施される。そんな時代が確かに存在したのである。であるゆえに、同性愛者たちは影に隠れて愛を育む必要があったのだ。

そんな中で浮かび上がる1人の男性がネストル、ハイメの恋人の1人だった人物だ。フレディ・マーキュリーのような口髭を蓄えた彼とハイメは11年もの長きに渡る間連れ添った仲だという。ハイメが遺した写真やビデオにもその姿が確認できる。それほどの関係だったのだろう。しかしハイメは最後には彼と別れて家族を作ってしまう。ネストルの心中はいかばかりのものであったと察するが、彼の行く末は軍事政権後にも続く同性愛者の苦難を反映することになる。80年代に到来したエイズ禍である。彼はその毒牙にかかって若くして亡くなったのだ。その死は奇しくもマーキュリーの死と重なることとなる。

背後にそうした死の1つ1つを抱えながらも、同性愛者であることは秘密のままにハイメは家族と過ごし続けた。友人は“彼は子供が欲しかったから、女性と結婚した”と証言する。愛を隠し通してまで授かった監督への眼差しは、ホームビデオから伺える通り、観る者の心を満たすような暖かさを宿している。しかしもう1つの証言がある。“あなたを授かった時、彼の一部は死んでしまった……”監督はその言葉の意味を探るため、自分が映し出されたホームビデオを眺め続ける。

しかし今作は意味そのものへの答えとはなってくれない。代わりに今作は答えへと至ろうとする監督のめぐる過程として、観客の心を掴んでいく。終盤において、監督は自身の息子に対してカメラを向けることになる。彼女の眼差しはハイメが彼女に向けていたものと同じく暖かいものだ。この2つの眼差しが重なる瞬間には感動的な愛が存在する。複雑なものを抱える父に対する“それでも……”という複雑で感動的な愛がここには宿っているのだ。

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アルゼンチン映画界を駆け抜けろ!
その1 ナタリー・クリストィアーニ&"Nicola Costantino: La Artefacta"/アルゼンチン、人間石鹸、肉体という他人
その2 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その3 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その4 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その5 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その6 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その7 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その8 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その9 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その10 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その11 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その12 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その13 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その14 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その15 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕

私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体

Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時

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子供の頃、私たちはただただ無邪気さの中に浸っていることができる。しかしいつかは、その生温くも心地よい無邪気さを捨て去って、世界へと羽ばたく必要があるだろう。その過程がどんなに辛くとも、どんなに奇妙なものだとしても。Csuja László監督のデビュー長編であるハンガリー映画“Virágvölgy”はそんな若さの彷徨を独特の形で描き出した作品だ。

ラチ(Réti László)は家具店で働く真面目な青年だ。両親はおらず、しかも発達障害を抱えながらも、彼は何とか独りで生きていっている。ある日彼はクリーニング店でビアンカ(Berényi Bianka)という少女と出会う。赤ちゃんを連れた彼女は、自分たちはホームレスで住む場所を探しているとラチに助けを求めてくる。なので彼は自分の部屋に招き入れて、しばらくの間一緒に住むこととなる。

が、このビアンカという少女がなかなかに破天荒な曲者だった。気の赴くままにバーで踊り狂うかと思えば男たちの元に押しかけて迷惑をかけまくる。誰もいない住居に侵入して、全裸でプールに勝手に入り込む。挙句の果てには、母親から満足に世話されてないように見える赤ちゃんを拉致してしまう。そしてオムツを変えるため近くにあったクリーニング店に駆け込んだ訳だが、そこで出会ったのがラチだったのである。

そうして2人の生活が幕を開ける。お人好しのラチはどこか妙な雰囲気を湛えるビアンカを見捨てられず、彼女のために色々と奔走する。彼女が欲しいと言うのでトレーラー車を盗んだり、金を稼ぐために慣れない大工仕事をしたり。その合間には妖精のように移り気なビアンカの性格に振り回されていく。それでもラチは彼女と共に生活し続ける。

今作は奇妙な味つけの青春映画だ。アメリカなどだったらビアンカの自由な性格を反映したようにテンション高めなコメディ映画になりそうな所である。しかしこの作品はハンガリーという東欧に属する国の冷たい空気感、シビアな現実を反映したかのような素っ気なさがある。それによって独特のリズムがここからは響き渡っているのだ。

その一因はVass Gergelyが担当する撮影の力もあるだろう。その撮影は手振れカメラを主体とした生々しいものだ。ダルデンヌ兄弟的な社会的リアリズムに特化した様式だとも形容できる。それ故にハンガリーブダペストの猥雑な地下道、閑散とした団地、埃臭いな工事現場、郊外に広がる緑豊かな野原など、そこに満ちる空気が私たちの瞳に迫ってくるのだ。

そしてラチたちは借金取りから逃げるためブダペストを出ていき、キャンプ場に流れ着いてここで生活することになる。2人で頑張って赤ちゃんを育てていく姿は若い夫婦のようだ。しかしそんな幸福な時間は長くは続くはずがないのである。

“Virágvölgy”は若さがあてどなくフラフラとさまよう姿を描き出した青春映画だ。様々な事情から大人になりきれないラチは、大人になるため様々に奇妙な道筋を歩んでいく。その果てには今まで親しんできたものを捨て去らなくてはならない哀しみが存在している。しかし悪いことばかりではない。その哀しみに触れる時、ラチは確かに前へ進んでいるのである。

Csuja László1984年2月にハンガリーデブレツェンに生まれた。ブダペストの演劇映画芸術大学とプラハ芸術アカデミー映像学部(FAMU)で映画について学び、様々な映画祭のワークショップに参加していた。"Foszfor"(2009)や"A dugulas"(2013)など2005年から短編作品を精力的に製作した後、2018年には初の長編作品となる"Virágvölgy"を完成させる。カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で審査員特別賞を、セルビアのパリッチ映画祭では作品賞を獲得するなど話題になる。ということで監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
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その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時

Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛

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さて、コソボである。他の旧ユーゴスラビア諸国のようにこの国もまた苛烈な紛争を経験し、数多の死と破壊に見舞われることとなった。その時代から約20年が経ち復興は確かに進みながらも、今にも癒えない傷や隠された忌まわしき過去というものはコソボの人々の心に影を投げかけている。Blerta Zeqiri監督によるデビュー長編“Martesa”はそんな影かかる記憶の数々を、繊細な手つきで以て描き出していく作品だ。

今作の主人公はアニタ(Adriana Matoshi)という女性、彼女は紛争で両親と離ればなれになってしまった哀しい過去を持っている。それでも今はバーを経営するベキム(Alban Ukaj)という男性と出会い、幸せな日々を送っていた。そしてもうすぐで彼との結婚式が開かれる予定だった。アニタの心は高揚感で浮き足立つこととなる。

まずこの作品は現在のコソボに広がる日常を描いていく。例えばお洒落なバーで友人たちと酒を酌み交わす、義理の両親の家に行って和気藹々と食事を囲む。そういった風景は他の国ともなんら変わらないものだろうが、異なる風景も確かに存在する。年に数回、この国では紛争の死者や行方不明者を偲ぶ会が執り行われており、アニタもまたそこに参加し、いなくなってしまった両親のことを想うのだ。

そんなある日アニタはノル(Genc Salihu)という男性と出会う。彼は紛争後フランスへと渡り歌手として成功した人物であり、同時にベキムの旧友でもあった。紛争時には身を寄せ合いながら恐怖の時を隠れて過ごしていたのだという。最初2人は再会を喜びあい、アニタもソルと気があうのだったが、彼女は2人がある秘密を隠しているとは知る由もなかった。

そうして物語は3人の関係性の揺らぎを丹念に描き出していく。アニタたちが次にソルに会った時、彼は酒に酔いかなり荒れていた。そして最愛の人を失ったという哀しみを吐露する。アニタはその愛を追い続けるべきだと叱咤激励するのだが、一方でベキムの機嫌はどんどん悪くなっていく。異変を嗅ぎ取ったアニタは、帰り道にそれについて詰問するのだが、ついに喧嘩へと発展してしまう。

監督の演出は素朴で繊細なものだ。撮影監督Sevdije Kastratiのカメラは手振れを伴いながら登場人物たちに迫っていく、リアリズム志向の様式を取っている。躍動する音楽やこれ見よがしなショットは排除した上で、生々しく登場人物たちの心情に迫っていくのだ。そして彼らが内に秘めている生の感情を、プリスティナの寒々しい風景の中に滲ませていく。

そしてアニタに隠れて、ベキムたちは2人だけで会うことになう。その後彼らは密やかに唇を重ねあい、身体を重ねあう。彼らは昔恋人同士であったのだ。紛争という恐怖の中で親密な愛を育んでいたベキムたちは1度は別れ、互いに愛し続けながらその思いを内に秘めていた。そんな中での再会はその愛に再び火をつけたのだ。しかし、今はもうあの頃とは状況が違う。この愛を一体どうすればいいのか?

こうして紡がれるのは、愛の寒々しく悲愴な移ろいだ。言葉では“お前以上に愛した人間はいない”と言いながら、ベキムはノルと一緒にフランスへ行くことはしないで結婚を進めようとする。そんな裏腹な態度を取るベキムに対してノルは怒り心頭ながらも、心は彼への深い愛に引き裂かれていく。そんな激動について何も知らないまま、アニタは不安と期待の間でその時を待つ。三者三様の心を抱えながら、そして結婚式は幕を開ける。今作はコソボが経験してきた忌まわしき過去を背景として、ままならない愛の彷徨を描き出すメロドラマだ。その道の果ては雪の上を流れる黒い血のように苦い後味を伴うだろう。

Blerta Zeqiriは1979年にコソボで生まれた。2004年には紛争中に危機的状況へ追い込まれた3人の友人たちを描く"Exit"を、2009年には普通のディナーが悪夢に変わる様を描いた"Darka"を製作した。そして2012年には"Kthimi"を監督、セルビアの刑務所から帰ってきたアルバニア人男性と彼の家族をめぐる短編作品で、サラエボサンダンス映画祭で作品賞を獲得するなど高評価を得る。そして2017年には彼女にとって初の長編作品となる"Martesa"を完成させた。今作はタリン・ブラックナイツ映画祭で国際批評家賞と審査員特別賞を獲得した。ということで今後の活躍に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

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さて、スリランカである。近年ではカンヌでパルムドールを獲った「ディーパンの戦い」の主人公たちがスリランカ難民だったなどがある。しかしスリランカ自体の映画は余り多くないし、日本でもほとんど評判について聞くことはないだろう。という訳で今回はそんな国から現れた新鋭監督の作品、Suba Sivakumaran監督作“House of the Fathers”を紹介していこう。

舞台はスリランカ内戦真っ只中の時代だ。ある地域に2つの村があり、片方がタミル語を喋る民族の村で、もう片方がシンハラ語を喋る民族の村であった。ゆえに2つの村は長い間闘争を繰り広げており、村の境界線を越えた者は有無を言わさず射殺するという、苛烈な状況が広がっていた。

しかし双方にとって問題が浮上する。女性たちがみな妊娠しなくなり、子供が増えないという危機的な状況に陥ってしまったのだ。そんな中で神のご託宣が人々の元に届けられるのだが、それによれば村の外れにある聖なる森へと男女を献上しろとのことだった。そうして選ばれたのがアソーカとアハリヤ()の2人だった。そして余所者の医師を調停役として彼らは森へと向かう。

3人を待つのはスリランカの乾いた風景の数々だ。ザラついた色彩の野原には生気のない緑が疎らに散らばっており、それらからは荒廃の寂しさを感じさせる。そして川を越えた先にある森、その奥には濃厚な闇が広がっており、神秘的で不穏な雰囲気が漂っている。Kalinga Deshapriya Vithanageによる端正な撮影は、何かが来たるような不思議な予感をスリランカの自然に纏わせていく。

そして彼らはまさしく不思議な光景の数々を目撃する。誰もいないはずの森で休んでいると傷ついた兵士たちが唐突に川から現れ、夢遊病者のように彼らに自分の過去をとりとめもなく語る。昼間には列を成して避難をする民衆たちの姿が現れ、さらに彼らを襲う戦闘機の轟音までもが聞こえてくる。アソーカたちには分かっている。これは全て幻想であり、彼らは全員死者であることを。

監督はいわゆる魔術的リアリズムという手法を駆使して、スリランカの現在と過去を綴っていく。3人はだんだんとこの幻影の数々がただの幻ではなく、彼ら自身の記憶の投影だというのが分かってくる。アソーカは部下であったが戦死した兵士たちの魂と、アハリヤには内戦で失った家族の魂と対面することになる。そういった幻影=消し去りたい過去が、現実の中に実態を以て現れて、彼らを苛んでいくのだ。

過去に対する思念が現実化する様は、アンドレイ・タルコフスキー監督作惑星ソラリスなどの作品を彷彿とさせるものだ。そうしてアソーカたちは、忌まわしくも大切な人々が存在し続ける過去へと心を引き摺られていく。この個人の葛藤や苦悩は、正にスリランカの血ぬられた歴史と重なっていくのだ。その様は壮大であり、幻惑的だ。

“House of the Fathers”スリランカの酸鼻に耐えぬ過去の数々を幻想的な筆致で描き出すことによって、苦痛や苦悩を昇華させていくという試みに満ちた作品だ。そして物語は現実と過去が混ざりあいながら、死と生との観念的な領域へと至る。この中で私たちは過去に散っていった魂たちに思いを馳せることになるだろう。

Suba Sivakumaranは1981年スリランカジャフィナに生まれた。5つの異なる国で子供時代を過ごし、現在はニューヨークとロンドン、スリランカを拠点に活動している。ロンドン経済学校とハーバーど大学で政治と公共政策について学んだ後、国際開発の分野で働き始める。その後は人道支援や貧困削減を旨とする団体で活動していた。

映画監督としてのデビュー作は2012年製作の短編作品"I Too Have a Name"だった。スリランカ北東部で内戦のトラウマに悩む尼僧と彼女の使用人の姿を描き出した作品で、ベルリンやドバイ、レイキャビックなどで上映され話題となる。そして自身の製作会社Palmyrah Talkiesを設立した後、自身にとって初の長編作品となる"House of My Fathers"を完成させる。という訳で今後の活躍に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その319 Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ
その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない

Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて

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2012年、マケドニアで凄惨な殺人事件が起こった。首都スコピエの郊外に位置する湖で4つの死体が発見されたのだ。どれも10代の少年たちのものであり、頭部を撃ち抜かれていた。この事件はマケドニア全土に衝撃を巻き起こす。イスラム過激派の仕業など噂が全土を駆けめぐり、事態は混迷を極めた。その後犯人は一応逮捕されながらも、真相は未だ藪の中だそうである。マケドニア映画作家Teona Strugar Mitevskaによる第4長編“When the Day Had No Name”はこの事件に材を取って製作された作品だと言えるだろう。

ミランとペタル(Leon Ristov&Hanis Bagashov)はロクに学校にも通わず、適当に遊び回る日々を送っていた。目的も夢もなければ、家族との仲も冷え込んでしまっている。未来には一切希望が存在せず、どう生きればいいかを教えてくれる人々も存在しない。それゆえに、彼らはただただ時間を浪費し続けながら人生を過ごしていた。

今作はそんな若さの荒んだ日常を描き出す作品だ。ミランは淀んだ空気感の中で継母である女性と口論を繰り広げる、公園でプロムに連れていく少女について語り合う、ミランとペタルは2人して野原をただ目的も考えずに歩き続ける、軽口を叩きあった後にひょんなことから喧嘩に発展して取っ組み合う、そんな風景の数々が冷ややかにかつ即物的に積み重ねられていくのだ。

そんな出来事とスコピエ郊外に広がる荒れた風景が共鳴を遂げていく。朽ちた壁を持った家々は郊外に疎らに乱立している。川辺には無数のゴミが散乱しており、腐敗臭が匂いたつほどだ。そして出来の悪い落書きの数々が公園やトンネルなどあらゆる壁に氾濫している。寒々しい荒廃の風景がここには広がっているのである。

監督の演出は不気味なまでに断片的なものだ。バラバラに分かたれた若者の彷徨いの風景を、彼女は乱雑に繋ぎあわせていく。風景が繋がりあい意味が生まれるといったそんな快楽は、ここには存在しない。凍てつくほどに即物的な意味しか持たないのだ。ここにストリングスを基調とする禍々しい音楽が重なりあうことで、不穏な雰囲気が醸造されていく。

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ある時ミランたちは他の仲間を連れだって、売春宿へと赴く。そこで彼らは1人の若い娼婦を買って、順番にセックスすることにする。青年たちは自分がセックスできる順番が来るまで、適当に時間を潰し始める。ここで異様なのはセックスなどを撮しとるのではなくミランたちの暇潰し自体を延々と映し出すことだ。苔色の壁に覆われた廊下で下らないことを喋ったり、酒を呑んだりして、彼らは時間を潰す。それが淡々とかつ延々と描かれていく様には有象無象の無意味さが淀み際立つ。全てが無駄に費やされていくことへの徒労感、終わりの見えない鬱屈が観る者の臓腑に溜まっていくのだ。

しかしそれと同時に異様な緊張感をも漲り始める。ただ少年たちの行動がとりとめもなく映し出されるだけでありながらも、一瞬の後に残酷な何かが巻き起こるのではないか?という不吉な予感が常に付きまとい続けるのだ。そうした画面から目が離せなくなるような凄味がここには存在している(今作の撮影がフランスの有名撮影監督アニエス・ゴダールであることもその一因だろう)

冒頭、2012年の事件について説明するテロップが流れるのだが、その際に監督は“今作は被害者たちの物語ではない”と明言する。では何についての物語かといえば、マケドニアという国家についての物語に他ならないだろう。この国における経済停滞による未来や希望の消失が、若者たちの怠惰で無意味な行動の数々に繋がっていくことを今作は示唆している。

そしてマケドニア愛国主義的な志向も見え隠れしている。ミランたち若者はマケドニアに住むアルバニア人に対して敵愾心を露にする。子供でも大人でも同じような憎しみを発しながら、彼らに食ってかかるのだ。その理由は明かされることはないが、若い人々の間にも危うい排外主義・国家主義が蔓延していることを表しているだろう。今作はマケドニアに巣食う圧倒的なまでの虚無を、怠惰で無軌道な若さの彷徨いを通じて、不気味なほどの密度で以て描き出す黒い青春映画だ。そして少年たちの元に、マケドニアの元に最後には黙示録の時が来たるのである。

Teona Strugar Mitevskaは1974年にマケドニアスコピエに生まれた。6歳の頃からマケドニアのTVドラマで俳優として活躍していた。グラフィック・デザインを学んだ後、ニューヨークで美術監督として勤務する傍ら映画製作を学んでいた。

映画監督デビュー作は2001年の"Veta"で、ベルリン国際映画祭で特別審査員賞を獲得するなど話題になった。初長編作品は2004年の"Kako ubiv svetec"(英題:"How I Killed a Saint")、アメリカからマケドニアへ戻ってきた女性が直面するこの国の現実を描き出した作品でロッテルダムやカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭などで上映され高評価を得る。2007年にはマケドニアに生きる三姉妹の姿を描いた第2長編"Jas sum od Titov Veles"(英題:"I am from Titov Veles")を、2012年にはフランスとマケドニアを股に掛けた死と生についての物語"The Woman Who Brushed off Her Tears"を監督、世界中で話題となる。そして2017年には第4長編"When the Day Had No Name"を完成させた訳である。現在は新作"God exists, her name is Petrunija"を準備中、ということで今後の活躍に期待。

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その320 Milko Lazarov&"Ága"/ヤクートの消えゆく文化に生きて
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Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく

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さて、モロッコである。映画史に残る傑作カサブランカの舞台として有名なこの国であるが、モロッコ自体の映画は少なくとも日本では余り知られていないというのが現状だろう。しかしコンスタントに映画が製作され、何本もの作品がカンヌ映画祭で上映されるなど映画産業に活力はあるのだ。という訳で今回はそんな北アフリカはモロッコの新鋭映画作家Meryem Benm'Barekによるデビュー長編“Sofia”を紹介していこう。

今作の主人公ソフィア(Maha Alemi)は20歳の女性であり、首都カサブランカに家族と共に暮らしている。ある日彼女は腹痛に苦しんだ後、唐突に破水してしまう。従姉のレナ(Sarah Perles)に付き添われ、ソフィアは事態もよく呑み込めないままに出産する。レナから誰が父親かと詰問されるが、ソフィアは沈黙を貫く。

ここでモロッコの文化事情が彼女に影を投げ掛ける。モロッコでは婚外子は認められず、父親が誰かを示す書類が無ければ母親は刑務所へ送られてしまう。それがありながら沈黙するソフィアを説き伏せて、レナはオマールという名前と彼の居場所を何とか聞き出し、家を訪れる。しかし彼やその家族は事実を否定、事態は更に混迷を極め始める。

監督の演出は徹底してリアリズム志向であり、まず彼女はモロッコの日常や空気感を丹念に映し出していく。アラブ文化にフランス語がが混ざりあうような中流階級のモロッコ人の日常風景と、労働者階級のモロッコ人たちが享受する劣悪な生活風景を彼女は対比する。そしてそれらが交わりあうカサブランカの、猥雑な活気が満ちる雑踏の様子をも切り取っていく。そういった要素の数々が今作では鮮やかに捉えられていくのだ。

同時に撮影監督の○は手振れを伴う撮影で以て、逼迫した状況にあるソフィアたちの姿を追う。息苦しく生々しい空気感が画面に満ちわたる様は、それを目撃する者たちの心を瘴気で満たしていくだろう。そして展開が進むにつれて、閉所恐怖症的な感触は、窒息を喚起するほどに増していくのである。

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ロッコにおいて結婚もしていない女性が赤ちゃんを生むことは、母親父親双方の家族にとって頗る不名誉なことだと見なされる。ゆえに家族はソフィアを糾弾し、自身の家族が危機に晒されていることに絶望感を隠さない。ここにこの国の女性差別の実態が見て取れるだろう。ただ必死に生きているだけで、全てにおいて罵られてしまうという地獄がここには広がっているのである。

それでもそんな女性たち同士が連帯する場面もここには存在する。従姉のレナは医学生であり、その知識を生かして危機的状況にあるソフィアを甲斐甲斐しく世話していく。出産が終わった後批判に晒されるソフィアに対しても、レナは献身的な態度で味方で居続けるのだ。しかしその連帯ををも越えるほどに、この国を覆う絶望は底知れないものであるということが徐々に明らかになっていく。

生命の誕生というのは、どんな時でも喜ばしきものであるべきなのだろう。しかし“Sofia”においては周囲の人々の人生を破壊していく悪夢に他ならない。それはモロッコの腐敗した社会システム、家父長制に端を発するものに他ならないだろう。監督はこの悪夢の道行きに国家への批判を託していく。それほどにモロッコという国家の闇は深いということなのだろう。

Meryem Benm'Barek1984年にモロッコの首都ラバトに生まれた。フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)でアラビア語学と人文科学について学んだ後、ベルギーのブリュッセル国立高等芸術研究所(INSAS)で監督業について学ぶ。映画製作と並行して音響芸術も製作しており、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で個展も開いている。

映画監督として有名となるきっかけになった作品は2014年製作の"Jennah"だ。10代の少女が母親との関係性に悩みながら成長していく姿を描いた作品で、アトランタ映画祭とロード・アイランド国際映画祭で作品賞を獲得するなど話題になる。そして2018年には彼女にとって初の長編作品となった"Sofia"を完成させた。ということで今後の活躍に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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