鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Hlynur Palmason&"Vinterbrødre"/男としての誇りは崩れ去れるのみ

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芸術において男性性とは雄大な自然と結びつけられていくことが多い。例えば蒼窮へと向かって聳えたつ山々、地中深くに根を張りその葉を繁らせる大樹。しかし人間というものはちっぽけなものだ。実際に剥き出しにされたちっぽけな男性性は大自然に投げ出されたとしたら一体どんな結果が待っているのだろうか。アイスランド人作家Hlynur Palmasonによる初長編“Vinterbrødre”(英題:"Winter Brothers")は、その行く末を描き出した作品だ。

エミール(Elliott Crosset Hove)は兄であるヨハン(Simon Sears)と共に、鉱山で鉱石採掘を行いながら生計を立てている青年だ。デンマークの冬はとても厳しいものであり、エミールの日常もそれを反映したかのように寒々しいものだった。しかしどこにも逃げ場などないままに、彼らは鉱山で働き続けるしかない。

鉱山での生活は重々しく、そして閉鎖的なものだ。黒々しい闇にはヘッドライトがかぼそく瞬いていく。その明かりの中に真っ白い埃にまみれた作業員たちの姿が浮かんでは消えていく。彼らの表情は揃って陰鬱なものだ。そして鉱石を採掘する際には鈍重な音が禍々しく響き渡り、作業員たちを苛む。その陰鬱さには終わりが存在しない。

それでいてエミールたちの日常には奇妙な熱にも満ちている。彼らはアルコール中毒と性的な欲求不満を抱えながら悶えている。ゆえにエミールたちは工場から化学薬品を盗み出して酒を密造、同僚たちに売り捌いていく。そして勤務中には仕事場で立ちションをしたり、片想い中であるアンナ(Victoria Carmen Sonne)という女性の着替える姿を窓から盗み見たりする。この風景には奇妙な生命力が宿っているのだ。

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撮影監督であるMaria von Hausswolffはそんなエミールたちの日常をゾッとするような崇高さを伴う映像美で以て描き出していく。鉱山の中の無限の絶望が続くような黒、雪景色の中の果てしない孤独が反映されたかのような白。そういったモノトーンの大自然を、彼は粒子深いフィルムを最大限駆使しながら、端正にかつ印象的に描き出しているのだ。

そしてエミールも鬱屈は徐々に加速していく。彼はアルコールの密造がバレて鉱山での仕事をクビになりかけてしまう(エミールの上司としてマッツ・ミケルセンの兄であるラース・ミケルセンが出演)。更にアンナへの思いはいつになれども成就することはなく、溢れる性欲から彼は家から下着を盗んでその匂いを嗅ぎまくるという醜態を見せることになる。

ここに表れているのは男性性の崩壊というべき代物だ。仕事でも際立った活躍はできないままにクビの危険に晒される。恋人もできないまま欲求不満だけが残酷なまでに疼く。彼には男性としての誇りを支えるべきものがどこにも存在していないのだ。彼の欲望が満たされる場所は夢の中にしかない。それゆえに彼の鬱屈はどんどん醜く膨らんでいく。この崩壊において印象的な要素はToke Brorson Odinが手掛ける音楽だ。インダストリアルな金属の不穏なる震えは、全編通じて観客の耳元で鳴り続けており、不気味な音響設計も相まって、際立ってザラついた感触を与える。そしてその震えはエミールの心に生じる不安定な震えと重なりあうことで、彼の崩壊を観客の心へとより肉薄させていく。

こうして私たちはエミールと共に暴力へと導かれていく。彼は近くに住む老人から古いライフル銃を譲り受ける。使い方を教える教則ビデオを観ながら、エミールは全裸で銃を構え続ける。銃への執着心は人生が傾いていくと共に膨張していき、彼の姿は異様さを増していく。そして必然的に、激発の時は近づいていく。

主人公を演じるのはデンマーク注目の若手俳優Elliott Crosset Hove、彼の姿は青年エミールの震えに濃厚な説得力を与えている。繊細で神経質そうな顔つきはあの勇大な大自然においては悲しいほどちっぽけに映ることとなる。それが今作において深い意味を持ってくるのである。彼が今作で幾つもの賞を獲得したのは全く納得の結果だろう。“Vinterbrødre”大自然の中で、男性性というものが脆くも崩れ去っていく様を丹念に描き出したドラマ作品だ。そして孤独のような白と絶望のような黒の中へと、全ては埋もれていくのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
その305 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その306 工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り
その307 Oleg Mavromatti&"Monkey, Ostrich and Grave"/ネットに転がる無限の狂気
その308 Juliana Antunes&"Baronesa"/ファヴェーラに広がるありのままの日常
その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に

Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に

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私たちは精神や魂だけで生きているのではない。そこには否応なく身体というものが付いてまわる。身体とは人間にとって最も近しい存在の1つでありながら、最も遠い他者の1つでもあり、それを理解するのは余りにも難しい。ゆえにそれを探求する旅路はひどく険しく過酷なものだ。Adina Pintilie監督の長編デビュー作“Touch Me Not”はそんな旅路を映画として捉えていこうという試みに満ちた、野心的な1作と言えるだろう。

今作の主人公の1人はローラ(Laura Benson)という40代の女性だ。彼女は親密さとは何か?という問いに取り憑かれており、その答えを探し求めて様々な人々と交流していく。ブルガリア人の男娼を家に招いてマスターベーションを鑑賞する。トランスジェンダーの娼婦と親密さについて議論を繰り広げる。セラピストと“身体に触る”ということについて突き詰めていく。しかしそんな体験を経るごとに、親密さの謎はますます深まっていく。

そして私たちはトマスとクリスチャン(Tómas Lemarquis&Christian Bayerlein)という男性たちにも出会うことになるだろう。トマスは無毛症であり全身に毛が存在していない。クリスチャンは全身に障害を抱えており、車椅子なしには生活することができない。病院のセラピーで出会った彼らは交流を深め始める。2人もやはり親密さとは何かを探し求めており、日々セラピーに参加しては互いの身体を感じあうのだ。

今作が身体感覚についての映画というのは冒頭から明らかだ。撮影監督George Chiperのカメラはまず体毛に覆われた男性の身体を這いずるように映していく。肌に浮かぶ染みがハッキリ見えるほど近づく。そして太ももやぺニス、腹に置かれた手や乳首などの身体の部位が次々と映っては消えていく。それが濃厚な実体を以て深くこちらに迫ってくる中で、画面の中のそれに限ることなく、私たちは自分の身体に対する感覚をも鋭敏になっていくのに気がつくだろう。

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そして身体感覚というものの核であろう“触れる”という行為にも監督は迫っていく。セラピーの最中、トマスはクリスチャンの身体に両手で触れていく。指先を新しい瞳に変えることで彼の身体を感じるのだ。それは見知らぬ他者を知る行為であると同時に、自分の身体という他者を知る行為でもある。誰かの身体を自分の間近に感じることでこそ、親密さに近づこうとするのだ。

この流れにおいてはもちろんセックスも重要な要素と成りうる。相手に触れるという交流の最たるものであると言えるからだ。トマスは昔の恋人の面影を追って怪しげなSMクラブへと赴く。そこで繰り広げられるSMプレイなどの過激なセックスの数々はトマスの心を掻き乱していく。先に学んだ親密さの意味を再考せざるを得なくなるのだ。

そして身体に関すること以外で特徴的な演出が1つ存在する。劇中においてはPintilie監督自身が現れることとなり、ローラなどを演じる俳優たちとカメラの前で対話を果たすのである。その中で監督は俳優たちに“自分がどうしてこの映画を作っているのかが分からない”と吐露する場面がある。そんな映画を製作する意味を探る監督の苦悩は、ローラたちによる親密さを手探りで見つけ出そうとする苦闘と共鳴しあい、今作に新たなる思索の層を宿していく。

そういった感覚や苦悩といった要素の全ては、“Touch Me Not”においては白へと収斂していく。白を基調とした潔癖的にも思えるプロダクション・デザイン(Adrian Cristeaが担当)の中で、登場人物たちは親密さについて思考を重ねていく。そして彼らは答えを見つけ出すため頻繁に世界に対して自身の裸体を晒け出していくが、その裸体の白が世界の白に溶けこんでいくのだ。それぞれの身体はそれぞれの美しさを持っている。そして最後には鬱々とした雰囲気が爆ぜるように、1つの身体が解放を見せる。その様は最も輝かしい美を誇っているのだ。

“Touch Me Not”はこうして親密さについて、私の身体についての洞察を深めていく。だがこの作品自体、Pintilie監督自身答えに辿りつけると思ってはいないし、実際明確な答えが提示されることはない。それでもここに映るのが答えを探し求める痛切な過程であるからこそ、親密さとは何かを自分でも探し求め、自分の身体に触れようという1歩を踏み出す勇気に、私たちは触れることが出来るのだ。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について

私の好きな監督・俳優シリーズ
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
その305 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その306 工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り
その307 Oleg Mavromatti&"Monkey, Ostrich and Grave"/ネットに転がる無限の狂気
その308 Juliana Antunes&"Baronesa"/ファヴェーラに広がるありのままの日常
その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ
その318 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に

Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ

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さてグアテマラである。あなたはグアテマラについて何か知っていることがあるだろうか。正直言って私はラテンアメリカ諸国の1国ということしか知らない。調べているとこんな文章が出てきた。“この国は最も危険で、最も宗教的で、最も貧しい国の1つ”だというのだ。ふむ、そうなのかという感じなのだが、今回はそんなグアテマラを舞台にこの地に広がる日常と愛を描き出す作品、Li Cheng監督作"José"を紹介していこう。

今作の主人公であるホセ(Enrique Salanic)は19歳の青年で、50代の母親(Ana Cecilia Mota)とグアテマラ・シティの郊外に住んでいる。昼はレストランで汗水垂らして働き、夜はネットで出会った男性たちと行きずりで関係を結んでいる。そんな彼の日々には貧困という濃い影がかかっている。電気代すらも払えない現状に甘んじながらも、ホセは母と共に日々を精一杯生き抜いている。

まず描かれるのはグアテマラに広がる些細で愛おしい風景の数々だ。ホセのようにレストランで働く人々は昼間道の真ん中に立って、通る車を追いかけていき必死に客を呼び寄せようとする。夜には公園で集まって思い思いに騒ぎながら、色とりどりの花火を打ち上げていく。そして深い黄色の街灯に照らされた深夜の住宅街は美しく輝いている。

しかしその裏側には残酷な二面性も隠れている。バスでは堂々と泥棒が乗客から携帯を盗み取り、他の乗客たちは恐怖からかそれを完全に無視する。そして女性が独りで夜道を歩いていると、いきなり男たちが現れて、暴行を加えた後に荷物を奪って逃げ去っていく。そういった恐ろしい出来事がここではそこかしこ、日常茶飯事で起こっているのだ。

そんな中で、ある日ホセはルイス(Manolo Herrera)という男性と出会う。最初はいつもの通り行きずりの関係かと思われたが、レストランを抜け出してホテルで愛を交わすうちホセは彼に深く惹かれていく。唇を優しく重ね合わせたり、互いの身体に刻まれた傷について親密に語り合ったり、ホセはルイスといる時に深い安らぎを感じていた。

監督はそんな愛の風景を端正で瑞々しく描き出していく。監督と撮影監督のPaolo Gironは日常を描く際、カメラを被写体から遠くに置いて人々を眺めるようにして撮影する。だが2人を映し出す時はその表情が鮮やかに映るように、レンズを彼らに肉薄させる。バイクに2人で乗りながらいちゃつく場面は頗る微笑ましいものだし、独りの夜に愛を我慢できなくなりホセが深夜の町を全力で走り抜ける場面の若さは何とも眩しいものだ。監督の描く愛、その全てが息を呑むほど瑞々しいのである。

しかしそこには翳りも見え始めてくる。母親が自分の息子は同性愛者であることに感づき始め、彼を抑圧しようと行動し出すのだ。それと同時に、ルイスはホセに対してこの町を出て別の場所で一緒に生きようと懇願することになる。しかし母親の行動を知ってか知らずか、ホセは母親を独りにはできないと懇願をはねのけ、喧嘩の末に彼らの関係性は決裂の時をむかえてしまう。そしてホセは再び独りになってしまう。

そうして2つの愛のジレンマの中で苦悩する果て、ホセは本当の自分自身を見つけ出すために旅へと出かける。目前に広がる様々な光景を通じて、彼は“自分自身とは何か?”“愛とは何か?”という思索を重ね続けていく。それに対して監督は明確な答えを出すことはない。それでも“”という作品は、抑圧的な状況の中で誰かを真に愛することの瑞々しさを真っ直ぐに、美しく歌い上げている。ヴェネチア国際映画祭において優れたクィア映画に贈られるクィア・ライオンを獲得したのも納得の1作だ。

Li Chengは中国出身、ラテンアメリカを拠点とする映画作家だ。好きな映画はイタリアのネオリアリズモやホウ・シャオシェンだという。1999年にアメリカへと移住後、最初は生物工学の分野で働いていたが一念発起して映画を勉強し始める。そして2014年には初の長編作品"Joshua Tree"を手掛ける。アメリカン・ドリームの崩壊を描き出した作品はアメリカ国内外で話題となる。その後ラテンアメリカに移住し、各国で映画製作のための調査を行う。2018年にはその結実として第2長編である"Jose"を監督、ヴェネチアクィア・ライオンを獲得したことは上述の通りである。今年でグアテマラには住んで2年だそうで、この国で新しい映画を作るのか、それとも新天地で映画を製作するのか。何にしろCheng監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
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その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
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その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷
その317 Li Cheng&"José"/グアテマラ、誰かを愛することの美しさ

Lila Avilés&"La camarista"/ままならない人生を生き続けて

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人生を生き続けるというのはとても難しいことだ。退屈な日常の反復に、それ故積み重なっていく徒労感、そして反復に散りばめられた小さな哀しみと諦めの数々。人生というのは全く思うようには行かない。それでも生きていかなくてはいけない。今回紹介するLila Avilés監督作"La camarista"はそんな人生の1つの側面を豊かに描き出した作品だ。

24歳の女性エベ(Gabriela Cartol)はメキシコシティ有数の高級ホテルで客室係として働いている。毎日朝早くから夜遅くまで働いており、一人息子であるルーベンにも気軽に会うことができない状況が続く。それでも人生が好転することを願いながら不平不満を心に閉じ込めたまま黙々と職務を全うしていく。

まず監督はエベの過ごしている反復の日常を淡々とした筆致で描いていく。トイレや風呂場を一切の汚れが無くなるまで丹念に掃除していく。シーツを綺麗に畳むなどしてベッドを整理整頓する。その合間には友人の元に預けているルーベンに電話をかけて憩いの時を過ごす。そして時には客室を掃除する前に、人々がそこに泊まっている/泊まっていた痕跡を眺めて、彼らの残した小さなゴミをそっとポケットに忍ばせる。

そんなエベはとても内気な、閉じた人間だ。職場には頼れる友人は全くいないし、食事をする時も何をする時にもずっと独りだ。彼女は他者とどうやって付き合っていけばいいのか分からないと、そんな悲壮な雰囲気を纏っているのだ。私たちは冷ややかな反復の中にそんな悲痛な孤独を見出だすことになるだろう。

しかし監督は同時に、それでも何かが変わるかもしれないという予感をも日常の反復の中に浮かび上がらせていく。エベは資格獲得のために通い始めたホテル備え付けの夜間学校でミリアム(Teresa Sánchez)という気の良い女性と知り合いになる。最初はその世話好きな性格に辟易としながらも、段々とその優しさに感化され始める。そしてロミナという宿泊客には赤ちゃんの世話を頼まれ、激務の中でもそこに癒しを見出だすことになる。そういった小さな出会いの数々がここでは繊細に描かれていくのだ。

そしてエベの心は徐々に開き始める。少しずつ、本当に少しずつだけ、歩くような早さでエベは世界へと心を歩み寄らせていくのだ。その歩みが冷淡な反復への埋没から彼女を救いだしていく様は静かな感動を呼び、観る者を魅了していくのだ。

しかしだからこそ人生というもののままならなさの存在すらも際立ち始めるのだ。激務を続けるうち電話越しにルーベンとの距離は離れていき、仕事でも上手く行かないことが続く。そして決定的な出来事が彼女を襲った時、エベの心は過去にないほど震わされることとなる。嬉しいことと悲しいこと、それは片方が連続で起こることは少ない。両方が交互に波打つことになるのだ。だからこそ人生が宿している喜びと残酷さが“”には滲んでいるのである。

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メキシコ!メキシコ!メキシコ!
その1 Elisa Miller &"Ver llover""Roma"/彼女たちに幸福の訪れんことを
その2 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その3 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その4 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その5 Santiago Cendejas&"Plan Sexenal"/覚めながらにして見る愛の悪夢
その6 Alejandro Gerber Bicecci&"Viento Aparte"/僕たちの知らないメキシコを知る旅路
その7 Michel Lipkes&"Malaventura"/映画における"日常"とは?
その8 Nelson De Los Santos Arias&"Santa Teresa y Otras Historias"/ロベルト・ボラーニョが遺した町へようこそ
その9 Marcelino Islas Hernández&"La Caridad"/慈しみは愛の危機を越えられるのか
その10 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その11 ニコラス・ペレダ&"Minotauro"/さあ、みんなで一緒に微睡みの中へ
その12 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その13 アマ・エスカランテ&「エリ」/日常、それと隣り合わせにある暴力
その14 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その15 Natalia Almada&"Todo lo demás"/孤独を あなたを わたしを慈しむこと
その16 Diego Ros&"El Vigilante"/メキシコシティ、不条理な夜の空洞
その17 Dariela Ludlow Deloya&"Esa era Dania"/物語全部がハッピーエンドな訳じゃない、けど
その18 Lindsey Cordero&"Ya me voy"/ニューヨーク、冬のように染み入る孤独
その19 Marcelino Islas Hernadez&"Clases de historia"/心を少しずつ重ねあわせて
その20 Lila Avilés&"La camarista"/ままならない人生を生き続けて

Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷

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ユーゴスラビア紛争から20年もの時が既に過ぎた。大地は銃弾によって穿たれていき、その陥孔の間を血の河が流れていった。数えきれないほど多くの命が失われて、何とか生き残った人々の体や心には深い傷が刻まれることになった。この傷は20年を経て癒えたのかと言えば全くだろう。それらは未だに残り続けている。さて、今回紹介する映画はそんなユーゴ紛争の余波を描き出した作品、Alen Drljević監督作“Muškarci ne plaču”だ。

ボスニアの人里離れた山奥にあるホテル、ここに紛争を戦った元兵士たちが集まりイヴァンというセラピストの元でグループセラピーを行っている。最初は滞りなく会は続いていくが、徐々に彼らは敵意を剥き出しにして波乱を巻き起こし始める。セルビア人は全員クソッタレだ!ボスニアって国は俺たちに何もしちゃくれない!ムスリム野郎なんかと同じ空気が吸えるか!そうして一触即発の緊張感が部屋には満ちていく。

そんな中で男たちはそれぞれの過去を振り返らざるを得なくなる。ある1人の男は戦時中の忌まわしい出来事を語り始める仲間の兵士がセルビア人兵士によって包囲された末に、恐怖から自殺を遂げたことだ。イヴァンはその光景を再演しようと提案する。仲間が基地に残ることを拒否した際、怒鳴りつけてその訴えを退けたことを男は覚えている。それを自分で再演し、更に他の人々に再演させる中で、彼は忌まわしい過去が再び迫りくるような恐怖に晒される。この恐ろしい感覚は、映画全体に漲っていると言ってもいいだろう。

そして舞台はボスニアでありながらも、ここに集った男たちには様々な背景がある。例えばムスリムの男はイマームにもらったお守りを大切にする信心深い男であったり、ボスニア人に混じるセルビア人は自身の素性を仲間に隠し続けようとしているし、紛争で下半身不随となり車椅子に乗っている男は不誠実な態度を取り続け場を掻き乱していく。こうして立場は様々なものであり、故に彼らの抱える傷も様々な物であると示唆される。

監督はそんな傷ついた彼らを暖かな眼差しで以て描き出していく。夜に酒を酌み交わしながらカラオケで盛り上がる彼らの和気藹々とした空気感、常に張り詰める緊張の奥底からふとこみあげてくる臆面もないユーモア感覚。監督はシリアスな舞台設定の中にもこういった親しげに弛緩する瞬間が存在するのを見逃さない。そして彼はそこに和解の仄かな可能性を見出だしてもいるのだ。

しかし物事はそう単純なものではない。セラピーの最中、1人の男が懊悩の末に自分の経験について語り始める。極限状態の末にセルビア兵たちをライフルで殺戮したという経験についてだ。それを再演するうち、仲間たちは“これは仕方がなかった、もしそうしなかったら自分が殺されていたかもしれない”と共感する素振りを見せる。だがこの仲間の中に実は殺される立場にあったかもしれない者がいたとするなら……

ユーゴスラビア紛争によって刻まれた傷は余りにも複雑であり、特に部外者の日本人である私たちには理解しがたいもののように思われる。それでも監督はそれぞれの立場にいる人々が互いに歩み寄れるかもしれない可能性について、この映画によって常に探り続けている。戦争においては家族や友人すらも理解しあうことの不可能な状況で、同じような傷を抱える人々と経験を共有することによって、彼らは安らぎや希望を見出だすことになる。そして監督は、その共感の行き着く先には確かに希望が存在しているとも力強く語るのだ。

Alen Drljevićボスニアサラエボに生まれた。サラエボ舞台芸術学校で映画製作を学ぶ。ベルリン国際映画祭金熊賞を獲得したヤスミラ・ジュバニッチサラエボの花サラエボ、希望の街角」などで助監督を務めていた。2005年には卒業制作の短編"Prva plata"サラエボ映画祭短編部門の作品賞を受賞、2007年には長編ドキュメンタリー"Karneval"を製作、1990年代におけるモンテネグロからのボスニア難民を襲った苦難を描く今作はアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(IDFA)やヨーテボリ国際映画祭で上映され好評を博した。そして幾つかの短編を監督した後、2017年には"Muškarci ne plaču"を完成させ、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でプレミア上映される。ということで監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
その305 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その306 工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り
その307 Oleg Mavromatti&"Monkey, Ostrich and Grave"/ネットに転がる無限の狂気
その308 Juliana Antunes&"Baronesa"/ファヴェーラに広がるありのままの日常
その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏
その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞
その316 Alen Drljević&"Muškarci ne plaču"/今に残るユーゴ紛争の傷

Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞

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さてモンテネグロである。旧ユーゴスラビア圏の1国であり、国名の意味は“黒い山”という情報くらいしか私は知らなかったりする。映画で言えばユーゴスラビアの黒い巨星ドゥシャン・マカヴェイエフモンテネグロを思い出す人も多いかもしれないが、あれは登場人物の名前が“モンテネグロ”なだけでモンテネグロという国自体は余り関係がない。映画界においては頗る影の薄いこの国であるが、今回はそんな小国を舞台とした作品であるIvan Salatić監督作"Ti imaš noć"を紹介していこう。

今作の主人公はサーニャ(Ivana Vuković)という若い女性だ。彼女は船上での仕事を失い、しばらくあてどなく街を彷徨い歩いた後、故郷である港町へと帰ってきた。家族とも再会を果たして最初は喜びながらも、家族や町の状況は荒廃そのものであった。そしてサーニャもまた、その拭いきれない荒廃へと埋没していく。

まず監督はサーニャたちがめぐる灰色の日常の数々を淡々と描き出していく。薄暗い闇の中でベッドに横たわり淀んだ静寂に浸る姿、リビングで子供の勉強を見てあげる姿、廃品処理場へと赴いて使えそうな廃棄物を物色する姿。それらはどこにでも広がっている日常かもしれない。だがこの映画で描かれるそんな光景には侘しさと虚無感ばかりが滲み渡っている。

今作においてまず特徴的なのはJelena Maksimovićによる、いわゆるスローシネマ的な編集だ。しかしこのジャンルに属する作品は壮大な時の流れを感じさせるために應揚たるリズムを作り上げることが多いが、今作は遅々たる編集で以て時間の生々しい停滞を観客に対してこれでもかと突きつけてくる。映画的な快楽は予め排除された上で、私たちはありのままの荒んだ現実を目撃することとなるのだ。

ここにおいて描かれる、撮影監督Ivan Markovićによる硬質の美しき荒廃もまた印象的なものだ。港町は盛りをとうに過ぎており陰鬱な雰囲気に包まれている。空き地には何らかの残骸が横たわっており、サーニャの住む邸宅の周りに広がる木々は不穏な深緑を纏いながら、風に揺れ続ける。そして破損した小舟は死体のように道端に転がり、その傍らを“魚!魚を!”と叫びながら浮浪者が歩いていく……

この停滞や荒廃は、モンテネグロという国自体が直面する危機と言い換えてもいいのだろう。ラジオではかつて栄華を誇った町が破綻を迎えたというニュースが常に流れており、サーニャの町も正にその1つな訳だ。その状況で人々は酒場で仲間と駄話を繰り広げるか、廃品処理場で使えそうな物を漁るしかできない。最早いかんともし難いドン詰まりがここには広がっているのである。

こういった危機的な状況は、悲劇的でありながらもしかし必然的でもある喪失をサーニャたちにもたらすこととなる。そしてその後に私たちはある映像を観ることとなるだろう。セピア色の彩りには港で船を見送る人々の姿が浮かび上がる。更に威風堂々たる風体の男たちが握手を交わした後、何かを記念しているのだろう石像が大衆の面前でお披露目されることとなる。その光景には今の悲壮感など微塵も存在しない。未来への明るい展望だけがある。あの活気に湧いていた時代はもう戻ってくることはないのか。そんな深い絶望感が"Ti imaš noć"には刻まれているのだ。

Salatić監督はこの作品についてこんな言葉を残している。"今作は私にとても近く、感情を揺さぶる類の作品です。映画で描かれる場所に元々住んでいましたから。あの造船所に住んでいた人も知っているし、実際父はそこで働いてもいました。この作品は政治的声明ではありません。実在する人生に宿る些細な物事から作られた作品であり、表面的にはモンテネグロのこの地域に住む人々の人生を描いています。それと同時に、アーカイブ映像を通じて、新しい社会が作られることへの興奮が未だ存在していた時代に人々の生活はどうであったかも描いています。今やその社会はバラバラになっていっていますが。"*1

Ivan Salatićは1982年にクロアチアドゥブロヴニクに生まれた。その後はモンテネグロのヘルチェク・ノヴィで育ち、ハンブルグ造形芸術大学(HFBK)で映画製作について学ぶ。2013年には90年代のモンテネグロを舞台とした短編"Intro"、2014年には離婚調停中の親の元を離れ叔母の元で夏休みを過ごす少年の姿を描いた"Zakloni"を監督するなどコンスタントに映画を作り続ける。そして2018年には初の長編作品となる"Ti imaš noć"(英題:"We Have the Night")を完成させた訳である。ということで今後の活躍に期待。

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その314 Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆
その315 Ivan Salatić&"Ti imaš noć"/モンテネグロ、広がる荒廃と停滞

Danae Elon&"A Sister's Song"/イスラエル、試される姉妹の絆

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姉妹という関係性は、熱烈でありながら酷薄でもあり、親愛と不信感という相反する感情に満ちた複雑な関係性であると言えるだろう。しかしその複雑さを鮮やかにかつ丹念に描き出した映画作品はそれほど多く存在してはいない。Danae Elon監督によるドキュメンタリー“A Sister’s Song”はそんなテーマに対して、静かなる熱気を以て対峙した1作と言えるだろう。

マリーナはイスラエルのハイファに住む中年女性だ。彼女の妹であるタチアナは学校を卒業した後に尼僧となる道を選び、ギリシャへと行ったきり20年もの間戻ってきていない。それが原因で姉妹の間には殆ど交流がないが、1度束の間の再会を果たした時、マリーナはタチアナの憔悴したような姿を目の当たりにし、それから彼女は幸せではないのではないか?という思いに取りつかれることとなる。

そんな疑念は20年の時を経てマリーナをギリシャへと向かわせる。切り立った山地の合間に位置する修道院、そこで禁欲的な生活を続ける妹と久し振りに再会したマリーナは喜びを隠すことがない。黒い装束を身に纏う彼女は近寄りがたい雰囲気を醸し出しながらも、元気そうではある。故にマリーナは少し安堵するのだったが、彼女の生活を眺めるうち疑念は少しずつ大きくなっていく。

ここから始まるのは姉妹の対話だ。最初は当たり障りのない会話の数々を繰り広げながらも、マリーナは徐々に“修道院で生活を続けるあなたの姿は幸せそうに見えない”と核心に切り込んでいく。そんな姉に対してタチアナは尼僧になったこと、尼僧であることの意味を滔々と説き始める。個人の幸福などという領域に自分はいない。自由意思を放棄して全てを神に委ねる、それが今の自分であるのだと。

姉妹の立場は明らかなまでに対極のものだ。マリーナは妹にイスラエルに戻って“普通の生活”を送って欲しく思っている。だがタチアナは自分の居場所はイスラエルではなくこの修道院でありこれからもずっと神に使える生活を送りたいと思っている。この対立が姉妹の絆に確かな亀裂を入れていく。対話を重ねるごとに2人の間には緊張感が重なっていくが、そんな空気感を監督は静かに捉えていくのだ。

その後マリーナの説得が実を結んでタチアナはイスラエルへと一時的に帰省することとなる。甥や母親と数年ぶりの再会を果たしながらも、帰省は良いことばかりではない。喜びを経た後に、母親はタチアナに対して20年もの間自身の娘を失っていた悲しみについて詰問する。それに対してタチアナは“修道院に行ったのは家族が嫌いだからでも、愛していないからでもない”と答えながら、彼女の応答は母親には理解されない。そののちも微妙な時間は続いていく。

“A Sister’s Song”イスラエルに広がる現在を宗教的な側面から眺める作品だ。姉妹の絆は宗教という概念によって引き裂かれていく。そこには理解しあえない溝が深く横たわっている。それでも彼女たちは少しずつ歩み寄ろうと、対話を重ねていく。その果てに見せるマリーナとタチアナの憂いの横顔は、彼女たちの抱く余りにも複雑すぎる心境を言葉なしに深く静かに語っている。

Danae Elonは1970年生まれ、イスラエルを拠点に活動するドキュメンタリー作家だ。日本でもエルサレム―記憶の戦場」という邦訳が出ているジャーナリストのAmos Elonを父に持っている。ニューヨーク大学で映画製作を学んだ後、撮影監督としてアメリカとイスラエルを股に掛ける生活を送る。

映画監督としては1996年にはアメリカやヨーロッパで活動するユダヤ人極右組織ユダヤ防衛同盟の姿を追った作品"Never Again, Forever"を製作すると共に、2009年には自身の妊娠経験を綴ったドキュメンタリー"Partly Private"を監督した。彼女の代表作は2015年製作の"P.S. Jerusalem"だ。父の死後、エルサレムに住むことを決めた監督と彼女のパートナー、そして3人の息子をめぐる苦悩を描いた作品で、ハイファ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。そして2018年には最新作である"A Sister's Song"を監督する訳である。ということでElon監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて
その303 ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で
その304 ミカエル・エール&"Amanda"/僕たちにはまだ時間がある
その305 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その306 工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り
その307 Oleg Mavromatti&"Monkey, Ostrich and Grave"/ネットに転がる無限の狂気
その308 Juliana Antunes&"Baronesa"/ファヴェーラに広がるありのままの日常
その309 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その310 Lola Arias&"Teatro de guerra"/再演されるフォークランド紛争の傷痕
その311 Madeleine Sami&"The Breaker Upperers"/ニュージーランド、彼女たちの絆は永遠?
その312 Lonnie van Brummelen&"Episode of the Sea"/オランダ、海にたゆたう記憶たち
その313 Malena Szlam&"Altiplano"/来たるのは大地の黄昏