鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

モンテネグロ映画史の官能~Interview with Zerina Ćatović

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのはモンテネグロ映画史の研究者Zerina Ćatović ゼリナ・チャトヴィチである。彼女は旧ユーゴ圏を含めた南東欧の映画におけるトラウマ的な記憶について研究している人物であり、特に彼女のŽivko Nikolić ジヴコ・ニコリッチ作品に関する論文"Balkan Cinema Identity as Consequence of Postcolonialism: the example of Montenegrin director"は有名だ。ということでそんな彼女にモンテネグロ映画の過去・現在・未来について聞いてみた。以前掲載した映画批評家Maja Bogojević マヤ・ボゴイェヴィチインタビュー記事も併せて読んでくれれば、モンテネグロ映画史の一端が明らかになっていくのではないかと思う。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画の専門家になりたいと思ったんですか? それをどうやって成し遂げましたか?

ゼリナ・チャトヴィチ(ZC):私は元々文化の歴史について研究していました。この間に、映画は社会における変化が反映されるベストなメディアだと分かったんです。それからアカデミーでの人生を急旋回させて、映画をサンプルとする文化的研究を行うようになったんです。

TS:映画に興味を持った際、どんな映画を観ていましたか? そして当時モンテネグロではどんな映画を観ることができましたか?

ZC:とても小さなマーケットながら、モンテネグロはいつでも他のより大きな産業に開かれていました。特にここ15年はどんな映画でも観ることができます。アメリカの娯楽大作から世界中で作られている小規模なインディーズ映画までです。10代の頃に映画に興味を持ち始めましたが、その時は70年代80年代のユーゴスラビア映画に没頭していました。それらはユーゴスラビアで広く受けいれられ、愛されてきており、地方のTVチャンネルで何度も放映されていたんです。

TS:モンテネグロ映画における最も際立った特徴はなんでしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと黒いユーモアがあります。ではモンテネグロ映画はどうでしょう?

ZC:まず言っておくべきはモンテネグロの映画監督には制限があるのが普通だったということです。社会的・金銭的条件が彼らに制約を与え、そのせいで彼らは十分に可能性や創造性を発揮できなかったんです。そして彼らの作品はユーゴスラビアの異なる観客の間で引き裂かれていました。しかし我々の映画の象徴を語るなら、それはおそらく"芸術的視覚性とフレーミングの鮮やかさ"ということになるでしょう。

TS:モンテネグロの外側において、世界のシネフィルに最も有名なモンテネグロ人作家はŽivko Nikolićでしょう。"Jovana lukina""U ime naroda"といった彼の作品はとても力強く奇妙な傑作であり、モンテネグロの文化がいかに豊かかを教えてくれます。しかし実際にモンテネグロではどう評価されているのでしょうか?

ZC:モンテネグロ人の大部分はZivko Nikolicが最も創造的で才能ある、知的な芸術家であると言うでしょう。彼の作品は何度観てもいつも同じ注目と悲しみ、笑いとともに迫ってくるんです。その美しい映画の数々の層のなかにはいつであっても新しい何かが存在しているんです。しかし以前私たちは彼の価値に気づいていませんでした。Nikolicは貧困のなかで亡くなり、私たちは多くの罪を負っています。そしてその死から20年後、とうとう私たちは彼を敬愛し始めたんです。

TS:モンテネグロ映画について調べている際、私はあなたの論文"Balkan Cinema Identity as Consequence of Postcolonialism: the example of Montenegrin director"を見つけました。それに感銘を受け、私はNikolic作品の表層しか見れていなかったと悟りました。あなたはどのように彼の作品を発見し、この素晴らしい論文を執筆しようと思ったんですか?

ZC:Nikolićについてはたくさんのことを書いてきました。修士号でも博士号でも彼について書き続けてきました。その選択はとてもシンプルなものでしたが、彼について執筆する研究者はとても多かったです。何故なら彼の作品はモンテネグロの景色や伝統に根ざしており、文化人類学的研究において際立った源と成りうるからでした。

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"Jovana Lukina"

TS:論文を読んだ時、感銘を受けたのはモンテネグロ映画やNikolićの作品が、エドワード・サイードオリエンタリズム理論と、大胆で興奮させられる形で繋げられていたからです。どのようにしてこのアイデアは生まれたのでしょう?

ZC:バルカン半島に生きる人々は世紀を通じて、様々な植民地的態度と戦うことを運命づけられていました。これは映画にも適用できます。サイードの作品はアカデミックな領域では鋭く批判されていますが、それでも南東ヨーロッパの脱殖民地理論において再考するべき要素が多く存在します。現代の映画においてもです! 文化的アイデンティティーに関する歴史的分析を綴った以前の研究が、私にバルカンの芸術やメディアを更に探求する勇気をくれました。そうして私は自己オリエント化についての研究を続けることを決意したんです。

TS:Živko Nikolić作品で最も際立った特徴の1つは多様な官能性です。それは時おり神々しくも残酷で("Jovana lukina")、それは時おり荒涼として詩的です("Iskušavanje đavola")。Nikolicの作品における官能性は何が源だと思いますか? 彼自身の性格、モンテネグロの文化、もしくは他の何かですか?

ZC:Nikolicの官能性と女性の性への傾倒はとても型破りなものです。彼の作品の官能性は権威や古い存在、家父長制、マチズモなどへの反抗であり戦いであるんです。時おり官能性の利用が成功していない時もありますが、愛と性を固定観念と神話の破壊に駆使するのは彼のトレードマークです。それがモンテネグロ社会の伝統主義に対する反乱であり、皮肉的な態度なんです。

TS:あなたの最も好きなNikolić作品は何ですか? それは何故でしょう。何か個人的な理由がありますか?

ZC:これはあなたの先の言葉にも関連しますが、素晴らしく力強い女性像という意味で"Jovana Lukina"が私の好きな作品になりますね。今作のヒロインには真実味があり、誇り高く、創造性に溢れています。彼女は誰かの妻という従属を運命づけられていますが、映画を通じて彼女は伝統的な共同体や教会、権威や男性中心主義的な文化と戦おうとするんです。この地域、もしくはモンテネグロ映画一般に興味がある方にはNikolićのドキュメンタリー映画もオススメします。そこで描かれる世界もまた素晴らしいものです!

TS:2010年代も数か月前に終りを告げました。そこで聞きたいのは、2010年代に最も重要なモンテネグロ映画は何かということです。例えばIvan Marinović イヴァン・マリノヴィチ"Igla ispod praga"Ivan Salatić イヴァン・サラティチ"Ti imaš noć"Marija Perović マリヤ・ペロヴィチ"Grudi"などがあります。しかしあなたのご意見は?

ZC:どんな映画も、例えそれが最悪の作品だとしても、小さなマーケットにおいては必要不可欠です。新しい世紀のモンテネグロ映画は全て、例えばGojko Berkuljan ゴイコ・ベルクリャン"Iskra"Nemanja Bečanović ネマニャ・ベチャノヴィチ"Posljednje poglavlje"Nikola Vukčević ニコラ・ヴクチェヴィチ"Djecaci iz ulice Marksa i Engelsa"などは近隣国との共同制作として作られています。あなたの挙げた作品に関しては……主だった瑕疵はあれどもなかなかの作品ではあります。私の考えでは、この地域は素晴らしいインスピレーションと材料を与えてくれます。モンテネグロは未だに映画的なアイデンティティーを建設途中であり、多くの語られるべき力強い物語があり、その方法にも美しいものがたくさんあります。それでも1作選ぶなら、Aleksa Stefan Radunovic アレクサ・ステファン・ラドゥノヴィチによる低予算のアマチュア映画"Lijenstina"を選びます。素晴らしくキュートで鮮烈な映画です。

TS:モンテネグロ映画において最も注目すべき新しい才能は誰でしょう? 例えば外側からは、荒涼としながら美しいリアリズムという意味でDušan Kasalica ドゥシャン・カサリツァを、深いヒューマニズムという意味でSenad Šahmanović セナド・シャフマノヴィチを挙げたいです。しかしあなたのご意見は?

ZC:この国の映画祭からは注目すべき若い学生たちの作品が上映されています……短編やドキュメンタリー映画に関する彼らの才能は卓越したものであり、彼らの時代はもうすぐやってくると確信しています。なので、時が経ち本物の星々が現れるのを待ちましょう。

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"Lepota poroka"

ブルガリア映画史の呼び声~Interview with Katerina Lambrinova

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのはブルガリア映画批評家Katerina Lambrinova カテリナ・ランブリノヴァである。彼女は映画批評家として現在のブルガリア批評界を牽引する存在であり、ブルガリア唯一である紙媒体の映画雑誌Kino Magazineの編集者としても活動している。そんな彼女に今回は極個人的なブルガリア映画の思い出、ブルガリア映画界における女性監督の台頭、2010年代において最も重要なブルガリア映画ブルガリアの映画批評の現在などなど様々なことについて聞いてみた。ブルガリア映画ファンには垂涎のインタビュー記事であること間違いなしである。ということでこのブルガリア映画への旅をぜひ楽しんでほしい。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思ったんですか? それをどのように成し遂げましたか?

カテリナ・ランブリノヴァ(KL):私はいつだって映画に興味があり、子供の頃から映画に対して高い基準を持っていました。まるで書くことに関する芸術的な職業に就くと常に知っていたようでした。映画批評家の他に、私は脚本のコンサルタントブルガリア国立テレビ局のプロデューサーもしており、執筆もしているんです。監督のPhilip Andreev フィリップ・アンドレエフと脚本を共同執筆した短編"Boys Don't Cry"を撮影する予定だったんですが、コロナ禍のせいで延期になってしまいました。父もまた映画批評家で書き手でもあったので、これが血なのでしょうね。映画を学ぶことで得た機会を私はとても楽しんでいます。執筆からキュレート、映画のプログラム、イベントのマネージメントに制作……

TS:映画に興味を持った頃、どんな映画を観ていましたか? 当時ブルガリアではどんな映画を観ることができましたか?

KL:共産主義の崩壊後、私たちは自由市場経済に不安定な形で順応していくことになり、その結果20世紀の終りには映画館は個人投資家に売られ、ハイパーマーケットやビンゴホールに変わってしまいました。これは文字通り、消費主義がいかに文化を搾取するのかの比喩な訳ですね。それでも90年代には、近くの映画館で様々な映画を観ることができました。

MTVとVH1は私の世代に大きな影響を与えています(ブルガリアでは90年代中盤に利用できるようになりましたが、それは西側諸国で大いに人気を博した約10年後でした)それらは私たちの心に断片的で、時おり一方的なイメージと音の交わりにまつわる、ポストモダン的なパラダイムを植えつけました。私は最初にドライヤーが1928年に作った裁かるるジャンヌのあのクロースアップを観た時のことを覚えていますが、それが"Nothing Compares 2 U"のMVに映るシネイド・オコナーと重なったんです。

その頃、ビデオレンタル店は広く人気になっており、夏には兄と私は1日に3,4本もの映画を観ていました。父もTCMで古典映画を見せるのが好きで、Odeonという映画館に行き「暴力脱獄」を何度も何度も見せてくれました。それでいかに今作が傑作かを説明するんです。私たちが感心したのはポール・ニューマンが1日に40個もの卵を食べられることで、私たちもその記録を破ろうとしました……その後、マラソンか実験かのような映画鑑賞はソフィアの国立映画演劇アカデミーで続き、ここで教育者や同僚たちと意義ある出会いを果たしました(彼らの多くは今では有望な監督、プロデューサーです)

成長期には、多くの映画やその中のある要素が私に大きな影響を与えてくれました。ヌーヴェルヴァーグチェコスロヴァキアヌーヴェルヴァーグマルクス兄弟モンティ・パイソンドグマ95、それから理論本である"American Smart Cinema"はある時期の私にとって必要不可欠なものでした。

私はいつも生の活力や真実味に惹かれます。例えばアニエス・ヴァルダ「冬の旅」ケリー・ライヒャルト「ウェンディ&ルーシー」アンドレア・アーノルド"WASP"ゲイリー・オールドマンの監督デビュー作「ニル・バイ・マウス」などの作品です。それからある種の賢さ、冷たい皮肉、ドス黒いユーモアに惹かれます。それはアキ・カウリスマキの初期作品だったり、パヴェル・パヴリフコスキ"Dostoevsky's Travels"ですね。不可欠なのは才能ある映画作家が私たちの存在や行動について大切なことを語る時の力量です。それゆえに私のオールタイム・ベストはマイク・リー「ネイキッド」なのでしょう。

TS:初めて観たブルガリア映画は何でしょう? そのご感想は?

KL:初めてのブルガリア映画は正確には思い出せません。しかしPetar Popzlatev ペタル・ポプズラテフ"The Countess"を観た時の興奮を覚えています。それは父が少し出演していたからだけでなく、内容が衝撃的だったんです。観たのは1989年に上映されてから数年が経った後です。1989年というのは私が生まれた年であり、社会主義政権が崩壊し、待望されていた民主主義が東欧に現れた年でもあります。

"The Countess"は政権の制約に抑圧され、自然に持てるべき機会を失った世代についての物語です。ドラッグを以て反抗する主人公シビラの姿は、個と全体主義の闘争の比喩でもあります。最後、板塀もない精神病院の閉ざされた扉の前に立つ彼女の姿が映し出されます。このイメージは独立性の欠如と、社会主義の社会における自律を露にしています。この時代においては、反体制的な行動は残酷なまでに抑圧されたんです。

今作はKrassimir Krumov クラシミル・クルモフ"Exitus"Ivan Cherkelov イヴァン・チェルケロフ"Pieces of Love"Ludmil Todorov ルドミル・トドロフ"Running Dogs"などと並んで、80年代の終りに現れたブルガリア映画の"新たなる波"に属しています。これらのデビュー長編は社会主義政権の裏側を露にしています。80年代後半における静かな反抗は登場人物の行動に滲んでいます。彼らは己の意思で周縁化されるの好み、"内なる移民"(Krumovの言葉です)であろうとします。なぜならそれが政権がもたらす偽のルールやモラルに対抗して、真実味ある存在であれる唯一の方法だからです。

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"The Countess"

TS:ブルガリア映画の最も際立った特徴とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。では、ブルガリア映画の場合はどうでしょう?

KL:冷戦下におけるいわゆる文化の前線のおかげで、政権は自由で知的、現代的な作品を作ることに興味を持っていました。そしてそういった映画は東側ブロックの外側で上映され、称賛されました。これによって、芸術的な誠実さと社会主義的リアリズムという陳腐な文句を無視する勇気を持った作品が生まれました。例えばMetody Andonov メトディ・アンドノフ"The Goat Horn""The White Room"Binka Jelyazkova ビンカ・ジェリャズコヴァ"We were young""The big night bathe"Edward Zahariev エドワルド・ザハリエフ"If the Train isn't Coming""Counting on the wild rabbits"Georgi Stoyanov ゲオルギ・ストヤノフ"The Penleve case"Borislav Sharaliev ボリス・シャラリエフ"A shooting day"Grisha Ostrovski グリシャ・オストロフスキTodor Stoyanov トドル・ストヤノフ"A detour"Hristo Piskov フリスト・ピスコフIrina Aktacsheva イリナ・アクタクシェヴァ"Monday Morning"Hristo Piskov フリスト・ピスコフ"Avellanche"Rangel Valchanov ランゲル・ヴァルチャノフ"On the Small Island""The Unknown Soldier's Patent Leather Shoes"Lydimil Staykov リュディミル・スタイコフ"Illusion"Georgi Dulgerov ゲオルギ・ドゥルゲロフ"Avantage"Ivan Pavlov イヴァン・パブロフ"Miracle on a mass scale"、そして80年代後半のいわゆる"新たなる波"です。これらはブルガリア映画の発達に大きな影響を与え、その顔が作られるのを助けました。しかしこれらは例外であって、退屈で灰色の、体制順応的でイデオロギーに即した大量生産も存在していました。例外的作品は散発的に可能だった訳です。同時に検閲されたり、製作を止められたり、お蔵入りになった作品もありますし、プレミアを延期されたり、作者に制作の禁止が言い渡された場合もあります(時おりその状態が数十年続くことにもなりました)この複雑な"熱く冷たい"ゲームにおいて作り手は権威との戦いを余儀なくされ、芸術的活力を犠牲にしました。おそらくブルガリア映画界における多くの傑作映画が作られることすらなくなったこともあるでしょう。そして作り手は、いわゆるイソピア語や寓意に長けることになり、検閲を通り抜けるために微妙で多層的な映画を作るようになりました。

より少なく専門化された観客によって共産主義下のドキュメンタリー映画は社会的・政治的批評においてより先鋭で勇気あるものとなりました。素晴らしい芸術的作品は多く、それらは70、80年代の周縁化された奇妙な人々を描いていました。代表的な人物はOscar Kristanov オスカル・クリスタノフ("The Eternal Musician")、Milan Ognianov ミラン・オクニアノフ("Everest - Joy and Sorrow")、Zdravko Dragnev ズドラヴコ・ドラグネフ("Short Autobiography")、Jacky Stoev ジャッキー・ストロエフ("Counted Days")、Nokolay Volev ニコライ・ヴォレフ("House 8")、Anri Kulev アンリ・クレフ("I Dream Music")がいます。それから私たちにはアニメーションの素晴らしい伝統があります。いわゆる"ブルガリア・アニメーション学校"が国際的名声を獲得した最たる瞬間は1985年にSlav Bakalov スラフ・バカロフRumen Petkov ルーメン・ペトコフ"Marriage"カンヌ国際映画祭で短編パルムドールを獲得した時でしょう。

90年代初期、以前に残っていた映画産業の基盤は破壊され、全面的アプローチと許容に欠けたものに取って代わられてしまいました。それに加えて、過渡期における不安定な経済的・政治的状況、そして経験の欠如が映画産業を崩壊させました。1本のブルガリア映画も上映されない時期が何年もあったんです。この時期、多くの映画作家たちは道に迷い、社会主義時代には際立っていた作家たちも他の作品を全く作れなくなりました。それにも関わらず何本かの素晴らしい作品が存在しています。例えば女性監督による2本の薄暗くも力強い作品、Eldora Traykova エルドラ・トレイコヴァ"Neon Tales"(1992年にクレルモン=フェラン映画祭で賞を獲得しました)と、Boryana Puncheva ボリャナ・プンチェヴァ"Genko"(1994)です。題材は全く違うのにも関わらず、2作はある程度まで、不安に満ち悲観主義的な前触れを描いています。政治的・経済的不安定が周縁に生きる人々やグループに与える影響が描かれているんです。感情的に努力をしすぎな面があるも、力強い作品群もあります。表現主義的な"Canary Season"(1993)、Ilian Simeonov イリアン・シメオノフ監督の議論を巻きおこした"Border"(1994)です。これらは以前の政権を批判し、その非人道性を冷酷で直接的な形で描きだしました。

世紀の変わり目、ブルガリア映画界では心機一転の経過とともに、様々なフィクション映画が成功を遂げました。それらは世界とブルガリアにおける生き方の視点にあるダイナミクスを描いていました(Iglika Trifonova イグリカ・トリフォノヴァ"Letter to America"Zornitsa Sophia ゾルニツァ・ソフィア"Mila from Mars"Georgi Dulgerov ゲオルギ・ドゥルゲロフ"Lady Zee"などです)同じ時期には芸術的で挑発的、最新のドキュメンタリー作品が成功していました。生で活力に溢れたSvetoslav Draganov スヴェトスラフ・ドラガノフ"Life is Wonderful, Isn't It?"(2001年のライプツィヒドキュメンタリー映画祭で賞を獲得しました)、Andrey Paunov アンドレイ・パウノフのエキセントリックな"Georgi and the Butterflies"(2004年のIDFAで銀の狼賞を獲得しました)、それからBoris Despodov ボリス・デスポドフの不条理な"Coridor 8"(2008年のHot Docsで賞を獲得)などです。さらにKamen Kalev カメン・カレフの真実味ある力強いデビュー長編ソフィアの夜明け(2009年のカンヌに出品されました)はブルガリア映画における、将来性に満ちた新しい時代の始まりを告げました。

TS:ブルガリア映画史において最も重要な映画は一体何でしょう? その理由は?

KL:"The Goat Hoan"や他のブルガリア映画の傑作については前述しましたね。それらに共通するのは力強いイメージ、確固たる動き、表現主義的な映画言語などです。これらは詩的で寓話的、複雑な映画作品の例であり、社会主義的な規範や共産主義デマゴギーへの複雑微妙な反抗でもありました。

しかし、勿論のこと、権威に不都合だった最も勇気ある作品の中のいくつかは検閲を受けたり、上映を禁止されました。その"逮捕された"作品の1つが監督コンビHristo PiskovIrina Aktashevaによる素晴らしい作品"Monday Morning"です。今作は1966年に制作されましたが、上映されたのは1988年でした。それもそのはずで、今作はヌーヴェルヴァーグの手法で以て精巧に作られており、政権の偽善的で皮肉的な表情を暴き出しているんです。主人公であるトニ(Pepa Nikolova ペパ・ニコロヴァ)はドナウ川の小さな町でインターンをすることになります。彼女は猥褻で、社会主義的な倫理に反する腐敗を疑われるんです。実際に当時、"軽薄な美徳を持つ女性"はキャンプから排除されていたんです。それでもトニは改心するための機会を与えられ、そこでヨルダンという男性に出会います。彼はトニに恋に落ち、彼女を自身が働く建設現場に連れていきますが、そこのチームは男性だけで構成されていました。しかしすぐに彼女はメンバーの間に波紋を巻き起こすんです。偽善とデマゴギーに彼女は憤り、静かで控えめな人生における労働者-母-主婦という役割からの自由を選ぶんです。彼女の解放感に溢れた行動と柔軟なバイタリティは、社会主義の世界において到底受け入れられるものではありませんでしたが、監督たちはこれによって勇気あるフェミニスト的主張を行ったんです。

TS:もし1本好きなブルガリア映画を選ぶなら、どれになるでしょう? その理由もお聞きしたいです。個人的な思い出などがあるんでしょうか?

KL:好きな映画は優に10本以上は思いつくし、それでも足りないとは思わされますが、今挙げたい作品はKonstantin Bojanov コンスタンティン・ボジャノフ"Ave"(2011年にカンヌで上映されました)です。10代の少女アヴェ(Anjela Nedyalkova アンイェラ・ネジャルコヴァ)は痛いくらい軽薄で魅力的、まるで妖精のようでした。自分自身から逃れるため、彼女は薬物中毒である弟と会うという最後の希望を抱きながら、旅を始めます。そしてその希望はすぐにファンタジーや虚言症、アイデンティティーを変えたいという欲望と交わりあいます。道の途中、彼女はカメン(Ovanes Torosian オヴァネス・トロシアン)という少年と出会うのですが、彼は自殺した友人の葬式に出るためルセへと向かっていたのでした。"Ave"は小規模ながら柔らかく私的な映画であり、エゴを消し去りたいという欲望や消失、そして成長を描いています。語りは寂れた道路沿いに緩やかに進行していき、若い俳優たちはヒッチハイクをする時、ホテルの部屋の明るい中間色の中に立ち尽くす時、何の変哲もない駅で迷った時、打ち捨てられた港で互いを知ろうとする時、喜ばしいほど豊かに登場人物の不安に満ちた、感情的な揺れを体現しています。映画は登場人物の内面のリズムを追っていきますが、ゆっくりとした繊細な形で、その雰囲気は陽気で生命力に溢れたものから、絶望と柔らかな憂鬱を纏ったものへ変わっていきます。ショットの1つ1つが動く絵画のようであり、その中で上質な物語のドラマツルギーが展開していくんです。この映画が大好きです。デニス・ホッパー「アウト・オブ・ブルー」を彷彿とさせます。

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"Ave"

TS:Vulo Radev ヴロ・ラデフMetodi Andonov メトディ・アンドノフ、彼らの作品"The Peach Thief""The Goat Hoan"は私たちにブルガリア文化の豊かさや複雑さを教えてくれます。しかし実際に彼らはブルガリアでどのように評価されているのでしょう?

KL:両作ともブルガリアでは重要な立ち位置にあります。2作はVulo RadevMetodi Andonovによって精巧に監督されており、巨大なスター俳優も出演しています。"The Peach Thief"にはNevena Kokanova ネヴァナ・コカノヴァRade Markovic ラデ・マルコヴィチ"The Goat Hoan"にはKatya Paskaleva カーチャ・パスカレヴァAnton Gorchev アントン・ゴルチェフが出演しています。監督は2人とも力強い表現主義的なイメージを達成しています。つまりは確固たる素朴さと意味論的な複雑さのコンビネーションです。ある地域(バルカン半島)の原型的な態度や習慣を描くとともに、動きの1つ1つを普遍的意味を持つ儀式へと変えようと試みていました。

"The Peach Thief"は力強く組みあげられた劇的なラブストーリーと登場人物たちの解決しがたい衝突を描きだした傑作です。"The Goat Hoan"は語りのミニマルさ、衝撃的なイメージ、猛烈な沈黙、象徴的な力強い物語、神話的な要素、そして高い真実味によって、私たちの映画史において最も素晴らしい映画だと数えられています。今作のように、剥き出しの不可欠さと生の美によって人生を描き出した抜本的映画は他にありません。しかしMilko Lazarov ミルコ・ラザロフ"Aga"の登場で、その状況も変わりました。

TS:ブルガリア映画において印象的なことの1つは、いわゆる子供映画の豊穣さ、素晴らしさです。例えば"Knight without Armour"や、Mormarevi モルマレヴィ兄弟による"Hedgehogs are Born without Spines""With Children at the Seaside"などに魅了されてきました。他の東欧諸国に比べて、ブルガリアの子供映画は数が多くクオリティも高いのには、何か理由があるのですか?

KL:私たちには子供映画の素晴らしい伝統がありますが、これはそれは国のポリシーとして若者たちを芸術、特に映画で教育しようというものがあったからです。そして多くの映画作家たちはこのジャンルの映画を作るのを好んだのですが、それは子供映画は彼らにとっては比較的安全地帯であり、罰されたり映画製作を禁止されたりする危険なしに、子供たちの物語を通じて婉曲的な形で、現代に広がる生活について描く試みができたからです。しかし実際には子供映画は、特に現実について真実味を以て描きたい場合、扱いがとても難しいものでした。それでも幸運なことに、私たちには素晴らしい脚本家たち、例えばValeri Petrov ヴァレリ・ペトロフやMormareviらがいました。彼らは比喩的な物語を作りあげ、親の狭量さというものをめぐる衝突を描きました。そして賢く力ある監督たち、子供たちを演出し、彼らの視点から真実味を以て世界を再構築する才能を持った人々によって、これらの映画は古典となりました。

他の国に比べ、現代ブルガリア映画において傑出している点はいかに女性監督が多いかです。私でも10人は軽く名前を挙げられます。例えばMaya Vitkova マヤ・ヴィトコヴァKristina Grozeva クリスティナ・グロゼヴァSvetla Tsotsorkova スヴェトラ・ツォツォルコヴァNadejda Koseva ナデジュダ・コセヴァRalitza Petrova ラリツァ・ペトコヴァSimona Kostova シモナ・コストヴァらです。なぜブルガリアにはこんなにも女性監督が多いと思いますか?

KL:共産政権の公式的なイデオロギーとして、女性の解放と平等な権利を活発に促進するというものがあり、これは私たちの社会の家父長的な魂(こんにちでも頗る強烈なものです)によって潰えましたが、それが女性と、いわゆる二重の重荷(女性は男性と同じように働きながら、家を守り子供を世話するべきという考えです)という矛盾した状況を作り出しました。芸術の分野で才能ある女性が常に多くいたのは、思うにこれが考えられる理由の1つでしょう。例えば舞台のJulia Ognyanova ジュリア・オグニャノヴァ、ファイン・アートのLika Yanko リカ・ヤンコ、建築のStefka Georgieva ステフカ・ゲオルギエヴァ、オペラのRaina Kabaivanska ライナ・カバイヴァンスカGena Dimitrova ゲナ・ディミトロヴァなどがいます。映画界は制作過程で多くの精神的・身体的な苦境がある意味で、伝統的に"男の"職業として見られてきましたが、多くの女性監督がいました。何人かは男性のパートナー(それは公私に渡ります)と一緒に制作を行っています。この長く続く実りある伝統の例としてはBinka JelyazkovaHristo GanevHristo PiskovIrina Aktashevaが過去にいました。現在はKristina GrozevaPetar Valchanov ペタル・ヴァルチャノフSvetla TsotsorkovaSvetoslav Ovcharov スヴェトスラフ・オヴチャロフがいます。

全体主義政権の崩壊後、現在でも社会の自由化が進んでいますが、そこで女性たちは全身のための強い基盤を持っており、さらに芸術は公共において最もリベラルな分野の1つであることも相まって、多くの女性がこの分野に自己実現を見出すのは自然なことでした。幸運なことにとても多くの新鋭女性作家がここ10年で現れており、独自のビジョンや異なる芸術的アプローチによって私たちの映画を豊かにしてくれています。

TS:2010年代も数か月前に幕を閉じました。そこで聞きたいのは、2010年代において最も重要なブルガリア映画は何かということです。例えばRalitza Petrova"Godless"Emil Christov エミル・クリストフ"The Color of the Chameleon"Ilian Metev イリアン・メテフ"3/4"などがありますが、あなたのご意見は?

KL:私の意見として、ここ10年では2作の規格外に力強く、芸術的な意味でとても野心のある作品がありました。"Godless"(2016年にロカルノ映画祭で金豹賞を獲りました)と"Aga"(2018年にベルリンで上映されました)です。これらはスタイル的に異なり、まるで白と黒という風にムードも違います。しかし両作とも無邪気さの喪失と私たちの知る文明の終りを描いています。"Godless"において、Ralitsa Petrova人間性の完全なる腐敗を描き、Milko Lazarovは地球で最後の純粋な場所が殲滅される様を描いています。両監督共に赦しや贖いなどの根本的なモラルや倫理的なカテゴリーを描いています。

これらの映画とともに私が挙げたいのは、才能ある監督コンビKristina GrozevaPetar Valchanovの作品群です。思うに彼らは"新たなブルガリア映画"のバックボーンとなっています。真実への鋭い感覚、人生における不条理と矛盾を見出す技術は彼らの悲喜劇的な作品全てに沁みわたっています。最も新しい作品"The Father"(2019年のカルロヴィ・ヴァリ映画祭で作品賞を獲得)は、彼らの構想するブルガリア社会3部作の1本ではありません(2014年の「ザ・レッスン 女教師の代償」と2016年の「ヤンコの腕時計」はすでに完成済み、そして3作目の"Triumph"はプレプロ中です)が、似たような自発性と真実性を共有しています。"全ての映画作家が3作の長編を作った後に自身の作家性を刻みつけられるとは言えない。しかしブルガリアの脚本・製作・監督コンビはその数少ない例外だ"と、世界プレミア後にJessica Kiang ジェシカ・キャンはVarietyに書いています。卓越した物語、軽やかな雰囲気、機知に富んだ会話、そして滑稽な瞬間の数々によって"The Father"は家族の再会についてのここ数年で最も理知的なコメディの1つと言えるでしょう。今作はアレクサンダー・ペインネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅マーレン・アデ「ありがとう、トニ・エルドマン」の系譜にあります。

新しい10年の始まりはコロナウイルスによって遅延してしまいました。それでもAndrey Paunov アンドレイ・パウノフKamen Kalev カメン・カレフDrago Sholev ドラゴ・ショレフSvestoslav Draganov スヴェストラフ・ドラガノフPavel Vesnakov パヴェル・ヴェスナコフの今年お披露目される予定の最新作を観るのは楽しみです。

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"3/4"

TS:ブルガリア映画の現状はどのようなものでしょう? 外側から見ると状況は良いように思えます。新しい才能がとても有名な映画祭に次々と現れているからです。例えばロカルノMina Mileva ミナ・ミレヴァVesela Kazakova ヴェセラ・カザコヴァサン・セバスティアンSvetla TsotsorkovaトロントIlian Metevなどです。しかし内側から見ると、現状はどのように見えるでしょう?

ここ10年、新しいブルガリア映画(30代から50代の映画作家によって製作された作品群です)はいくつかの最も特権的な国際映画祭において成功してきました。例えばカンヌ、ベルリン、ヴェネチアロカルノトロント、サンダンス、IDFA、HotDocs、カルロヴィ・ヴァリ、サラエボ、東京、EFAなどです。新しい世代はブルガリアの映画産業に新たな美的価値観とクオリティ高い制作スタンダードをもたらしました。こういった映画作家は自身に満ち溢れており、現代社会における主だった不安や危機を描く気概があります。テーマの多様性やスタイルやアプローチの相違に関わらず、彼らは自身の作品において芸術的な勇気、誠実さ、健康さを目指しているんです。

既に言及したKamen Kalev, Milko Lazarov, Ralitsa Petrova, Petar ValcthanovKristina Grozevaらに加えて、この世代における他の重要な映画監督を挙げるならそれはIlian metevでしょう。彼はラディカルなデビュー長編"Sofia’s last ambulance"(2012年にカンヌで上映)で名を上げ、更に初の劇長編"3/4"(2017年のロカルノで上映)でその成功を乗り越えました。今作は繊細で即興的、芸術的な形で、機能不全家族を描いています。繊細さや詩的感触を持つ作品にはKonstantin BojanovLybomir MladenovSvetla Tsotsorkova ("Thirst"は2015年に、"Sister"は2019年にサン・セバスチャンワルシャワコットブスで上映)らの監督作があります。それらは小規模ながら人間心理を描き出した作品となっています。そしてTsotsorkovaは共同脚本家のSvetoslav Ovcharovとともに、人間の本能や登場人物たちの本質的な揺れを描いた素朴な物語を作りあげています。"Dreissig"(2019年にロッテルダムとベルリンで上映)は力強いチェーホフ的な物語で、ベルリンに生きる30代のヒップスターたちと、彼らの抱くくすんで頑強な存在論的虚無と説明できない哀しみを描いています。Tonislav Hristov トニスラフ・フリストフ"The Magic Life of V"(2019年にサンダンスとベルリンで上映)は若いフィンランド人女性を描いた繊細な作品で、彼女の子供時代のトラウマ的な出来事をロールプレイを通じて見据えています。

複雑で綿密に演出されたNadejda Koseva監督作"Irina"(2018年にワルシャワと香港で上映)と、超現実的で衝撃的、視覚的に印象深いMaya Vitkova監督作"Viktoria"(2014年にサンダンスで上映)は両作ともに、主演女優――Martina Apostolova マルティナ・アポストロヴァIremna Chichikova イレムナ・チチコヴァ――による規格外の演技によって際立っています。知的で複層的、社会政治的な喜劇であるMina MilevaVesela Kazakova監督作"Cat in the Wall"(2019年にロカルノで上映)と、洗練されて皮肉的なDrago Sholev監督作"Shelter"(2010年にサン・セバスチャンで上映)はどちらも世界の狭量さを黒いユーモアで描いています。Stephan Komandarev ステファン・コマンダレフ"Directions"(2017年にカンヌで上映)と"Rounds"(2019年にサラエボで上映)は尖鋭な社会批判に溢れています。

しかし現在のところ、若い映画作家たちの芸術的な可能性は十分に開花していないように思われます。質の悪い練習、ロビー活動、行政システムにおける亀裂の数々などによって監督たちは、映画製作に関する時代遅れのビジョンや以前の平凡な映画の歴史(映画祭と興行収入における失敗です)を押しつけられることが多々あります。疑問の余地あるクオリティの計画への国の助成金を獲得するためです。同時に、膨大な実例の1つとして、Ralitsa Petrovaは世界的な成功を収めた監督であることは否定しがたいですが、第2長編のための予算が獲得できないんです。何て馬鹿げてるんでしょう!

TS:それからブルガリアの映画批評の現状はどうでしょうか。外側からだと、その批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?

KL:ここ30年のブルガリアにおいて、人文学の分野は周縁化され、十分に賃金を与えられていない。しかし最悪なのは批評家の声が観客に届かないことです。観客は考えずにファストフード的な娯楽を消費したいからであるとともに、批評家の活動が時代遅れな故でもあります。世界は凄まじい速度で絶えず変わりつづけており、メディアもそれに合わせ変化しているんです。近頃、紙媒体はとても圧縮されています。利益がますます得られなくなってきているからです。それが贅沢になってきている訳ですね。なので映画批評も時とともに変化し、視覚的でデジタルなものになってきています。ビデオエッセイやポッドキャストにおいて高いレベルの批評が行われている素晴らしい例も存在します。思うにブルガリアの映画批評はもっと柔軟になり、新しい形態に順応していくべきです。それはもちろん批評を意味あるコンテンツで満たすためです。

TS:あなたはブルガリアの映画雑誌Kinoの編集者だとお聞きしました。日本の読者にKinoについて説明していただけませんか? ブルガリアの映画批評においてどういった機能を果たしているんでしょう?

KL:Kino Magazineはブルガリア映画監督組合による発行の隔月誌で、ブルガリアにおいて最も古い映画芸術専門の雑誌(1946年創刊です)であり、現在は唯一の存在でもあります。不幸なことに、私たちのメディアにおいて文化や芸術に関する空間は日に日に縮小しています。ゆえにKino Magazineで働けることはいつだって特権に思えます。思うにもっと良くなる可能性はあります。目を大きく開いて世界的な映画の潮流を観察し、新鮮な考えを持つ新しい批評家たちと共同していけばいいんです。

TS:ブルガリアの批評家の中で、世界のシネフィルに読まれたり、翻訳されたりするべき人物は誰でしょう?

KL:ブルガリア映画批評家によるブルガリア映画についての論考集が近々発売されるのは素晴らしいことです。しかし特別に注目されるべき研究は2つほどあります。1つは天才的な、素晴らしい筆致を誇る歴史的な研究書"Poetics of Bulgarian Cinema"です。この本は映画作家で研究者でもあるKrassimir Krumov-Grec クラシミル・クルモフ=グレクによって書かれました。本書において彼はブルガリア映画におけるある規範、原型、汎用コードを細かく調査しています。もう1作はIngeborg Bratoeva-Darakchieva インゲボルグ・ブラトエヴァ=ダラクエヴァ"Bulgarian cinema – from Kalin the Eagle to Mission London"です。ここでは、重要で高度に徹底した批評的分析によって、現代ブルガリア映画において周縁に置かれる登場人物たちの表象と利用法について興味深い点を示してくれます。

TS:ブルガリアの映画批評の未来についてどうお考えですか? 未来は明るいでしょうか、それとも暗いでしょうか?

KL:現在世代間には大きなギャップがあり、不幸なことに若く活動的で才能ある批評家というのはそう多くはありません。こんな状況に陥ったのには多くの理由がありますが、最も残酷な理由は芸術や文化についてのジャーナリズムが、過剰なレーティングや売れ筋の名の下に破壊されてしまったことです。

Yoana Pavlova ヨアナ・パヴロヴァMariana Hristova マリアナ・フリストヴァYordan Todorv ヨルダン・トドロフといった才能ある若い同僚たちはここ10年で外国に移住してしまいました。しかし幸運なのは、彼らの何人かは今でもブルガリアの雑誌に批評を執筆してくれることです。一方で、ロンドンで研究を続けていたSavina Petkova サヴィナ・ペトコヴァといった若い才能も現れ始めています。素晴らしいのはブルガリア科学アカデミー芸術学院が若い批評家や研究者を育てることで、このギャップを埋めようとしていることです。なので将来、ブルガリアの映画批評はもっと柔軟になり、高いプロ意識も優れた先輩批評家によって培われていくでしょう。

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"Godless"

モンテネグロ映画史の、この美しさ~Interview with Maja Bogojević

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのは旧ユーゴ圏の小国モンテネグロを拠点に活動する映画批評家Maja Bogojević マヤ・ボゴイェヴィチである。彼女は批評家として活躍するとともに、大学で映画理論についての教鞭を取り、更にはモンテネグロ初の映画雑誌Camera Lucidaの編集者としても活動するなどしている。実は私も今回知り合ったことが縁で、Camera Lucidaに大林宣彦の追悼記事を寄稿したりと、とてもいい経験をさせてもらった。モンテネグロの映画雑誌に寄稿した日本人評論家なんて私だけじゃないだろうか。という訳で今回はモンテネグロ映画史、この国で最も偉大な映画作家Živko Nikolić ジヴコ・ニコリッチ、期待の新鋭作家たちなどについて聞いてみた。モンテネグロ映画史に関する情報は貴重だと思うので、ぜひインタビューを読んでほしい。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか?

マヤ・ボゴイェヴィチ(MB):映画批評家になるというのは全くプロとしての計画ではありませんでした。思うに生きるには何かへの愛や情熱が必要ですが、ユーゴスラビア(昔も今も、最も尊敬される国の1つです)で過ごした10代の頃は芸術に埋没していました。TVでは素晴らしい映画が放映され、古典映画も上映され、さらにはユーゴの著名な批評家たちが映画を紹介してくれたりしました。これが当時、私だけでなく文化に興味のあるユーゴスラビア人にとっての映画教育だった訳です。実際誰もが文化に興味があり、暗黙の了解として映画は欠かせない公共の文化でした。なぜならその頃、社会的・経済的格差というものは存在せず、人々には文化や芸術を楽しむたっぷりの時間があったんです。こんにちでは、猛烈なリベラル資本主義が幅を利かせていますが。"Kino Kultura"という映画館(当時はCapital Titogradと呼ばれていました)はチケット代がとても安く(ユーゴスラビアの全ての文化施設においてチケット代は非営利的なものでした)年齢による制限もなかったんです(幸か不幸か、保護者の監督も必要なかったんです)なので学校の前や後にマチネ上映(チケット代は今の値段だと1ユーロでした)に行って、上映後は延々と喋りつづけました。映画館にはカフェがあって、そこで皆が集まり映画やその他の芸術、政治について話し合ったものです。モンテネグロにはその頃カフェやレストラン、クラブが多くなかったので、映画館にいる時が最も興奮しました。

そして言語学を学ぶ者として(ベルギーのブリュッセルで英語とスペイン語を学んでいました)、自分が観た映画の短いレビューを執筆するようになりました。それが更に濃密なものとなったのは、初期のパイオニア的な映画批評家のほとんどは言語を学ぶ人々であったことを知った時です(口語や映像、文学や舞台、ビジュアル・アートなど)ロンドンで修士号を取ろうとしていた頃、ロシア・ソ連のフォーマリズムに親しむことになりました(それに携わるほとんどの人々が言語学者や文学・舞台批評家、構造主義の先駆者たちでした)それからアンドレ・バザンやフランスのヌーヴェルヴァーグ、イタリアのネオリアリズモ、ハリウッドの黄金時代について知りました。そうして映画史・映画理論が自分のなかで回りだしたんです。思うに映画は私にとって最初の、最も長きに渡る愛でした。映画を作りたいとはまだ思ったことはありませんが、それに携わる人々と関わるのは大きな楽しみです。私としては独りで書く時間が好きなので、映画批評家になったんだと思います。

TS:初めて観たモンテネグロ映画は何ですか? その感想はどのようなものでしたか?

MB:面白いのは、実際私にとって初めてのモンテネグロ映画が何かわからないからです。当時のユーゴスラビアでは1つの国営スタジオ、他の地域からやってきた監督や脚本家、ユーゴ中から集まった俳優など、今で言う"共同制作"がメインだったからです。それに私が観ていたのを思い出せるのはゴダール映画、フランソワ・トリュフォー突然炎のごとくアラン・レネヒロシマ・モナムールなどで、私に大きな影響を与えてくれました。それから黒澤明羅生門小津安二郎「一人息子」東京物語などなど、こういった作品が私を作ってくれたんです。しかし18歳の時、ブリュッセルŽivko Nikolić"Lepota poroka"を観ました。私の外交官である父がブリュッセルで100本のユーゴスラビア映画上映を計画し、その1本が本作だったんです。Cinéma Vendômeという映画館で開催されていたので、大学の友人たちを誘って観にいきました。スタッフもそこにいました。ですが映画への反応は苛烈なものでした。"どうして女性をあんなにも酷く描写できるの? モンテネグロでは女性はあんな風に扱われるの?(田舎の男が女性を惨たらしく殺害する場面を観て)"などです。ショックを受けて、どう答えていいかも分かりませんでした。それから何年も経ってからやっとŽivko Nikolićの天才性が分かることになります。

TS:モンテネグロ映画の最も際立った特徴とは何でしょう? フランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。ではモンテネグロ映画の場合はどうでしょう?

MB:これに答えるのは難しいですね。なぜなら(ユーゴスラビア崩壊後の)モンテネグロ映画は未だ建設途中で、表現の道筋を探しています。忘れるべきではないのが、ユーゴスラビアが存在した頃、モンテネグロ映画作家たちはアンソロジー的な作品を作ってきましたが、私たち――少なくとも、私は――それをモンテネグロ映画とは見做していません(Veljko Bulajić ヴェイコ・ブライッチDušan Vukotić ドゥシャン・ヴコティッチ(彼は1961年"Surogat"という作品でアカデミー賞を獲得しました)Krsto Papić クルスト・パピッチBranko Baletić ブランコ・バレティチMiša Radivojević ミシャ・ラデイヴォイェヴィチRatko Đurović ラトコ・ジュロヴィッチŽivko Nikolićらです)内戦後のモンテネグロは、他の旧ユーゴ諸国と同じように、製作資金に苦労しました。実際、私たちはゼロから始める必要があったんです。映画の組合などは内戦や"移行期間"に破壊され、消え去りました。しかし今は新しい世代の若い映画作家たちがいて、映画祭でも活躍を収めています。彼らは信頼できる表現と声を探し求めつづけているんです。

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"Jovana Lukina"

TS:モンテネグロ映画史において最も重要な映画は何だと思いますか? そしてそれは何故でしょう?

MB:1つの作品に絞るのは難しいですが、1人の監督には絞りましょう。それはŽivko Nikolićです。彼の作品は全てが素晴らしいものです。他のユーゴスラビア映画には見られないものですが、彼の視点の独創性はそのジェンダー描写にあります。それは家父長制的構造からの直接的生産物として描かれるんです。それは社会的・経済的な権力の関係性だけでなく、そういった支配と従属の構造に対する批評でもあります。準備や距離感ある技術なしに、彼は家父長的構造を開示し、対峙するんです。作品群の悲劇てな結末に関する彼自身のコメントによると、歴史的苦悩は女性と男性両方に科せられるのであり、全てのジェンダーが家父長制の社会的被害者であると表現されるんです。

TS;1作だけ好きなモンテネグロ映画を選ぶとすると、それはどれになるでしょう? その理由は何ですか、個人的な思い出などがありますか?

MB:もし1本選ぶとするなら"Jovana Lukina"(1979, Živko Nikolić)です。インタビューによれば監督自身の最も好きな作品でもあります。あの素晴らしい俳優Merima Isaković メリマ・イサコヴィチによるトランス的な舞踏場面は忘れられません。彼女は悲劇的な交通事故によって俳優としての未来を断たれてしまいますが。今作の意味は映画的にもメタ的な意味でも多様です。今作は男性中心主義的な世界で自身のアイデンティティーを探し求める女性の姿を描いた、極めて実験的な映像詩です。その詩情は夢のような場面の繰り返しが基となった構築に裏打ちされています。幻想的なミザンセンの中で主人公の暗いシルエットには白い光が不吉に輝きます。そしてイメージと音の反復は映画の詩的ライトモチーフとしても機能するんです。一時的なプロットでは、今作はアダムとイヴの聖書神話の再構築であると言えます。それはヨヴァナ(Merima Isaković)とルカ(Boban Petrović ボバン・ペトロヴィチ)という主人公たちによって遂行されます。そして二次的なプロットにおいて、映像的・言語学的なコードが絡みあい、女性のアイデンティティーの探求という読解が明らかになるんです。

TS:モンテネグロ国外において、世界のシネフィルに最も有名なモンテネグロ人作家はŽivko Nikolićでしょう。彼の作品"Jovana lukina""U ime naroda"はとても力強く奇妙な傑作であり、モンテネグロの文化がいかに豊かかを教えてくれます。しかし実際モンテネグロではどのように評価されていますか?

MB:上の答えも参考にしてください。

彼は2001年に貧困のなかで亡くなりました。彼のコメディ番組"Djenka"はテレビで未だに延々と放映されつづけていますが、晩年彼は地方のスーパーマーケットで食品部門のマネージャーをしていたそうです。つまり彼は評価されず、モンテネグロ人からも文化的な組合からも忘れられてきた訳です。彼はモンテネグロひいてはユーゴスラビアにおいて最も議論を呼んだ監督であり、ジャーナリストからはあまり地方色が強すぎるし、モンテネグロ人にしか理解できないほど難解だと非難されました。そしてモンテネグロ人からは故郷に関する反愛国的な描写を非難されたんです。しかし彼の芸術的誠実さは時を経て、モンテネグロの"集団心理"を暴き再構築していきました。Mate Jelušić マテ・イェルシッチBožena Jelušić ボジェナ・イェルシッチによって、彼の作品に関する本"Iskusavanje filma"(2006)が執筆されましたし、私が設立した短命の映画祭MOFFEMでは彼の名が冠された賞が若い映画作家に贈られていました(

そして、コロナ禍におけるロックダウンのおかげか、そのせいか、モンテネグロシネマテークがRTCGというテレビの公共放送とともにモンテネグロ映画のプログラムを組み、そこではŽivko Nikolićに対するオマージュも捧げられています。そうして観客たちが再び彼の作品に親しみはじめたんです。

TS;私の好きなモンテネグロ映画の1つはBranislav Bastać ブラニスラフ・バスタッチ"Dječak je išao za suncem"です。今作は思春期の哀しみと喜びを深い郷愁や息を呑む美とともに描きだしています。しかし、今作と監督は今モンテネグロでどのように評価されているんでしょうか?

MB:Bastaćはモンテネグロで初めてのプロの映画監督と見做されており、彼の作品群、特にドキュメンタリー作品(50本以上の作品に数本の長編があります)は歴史的な現実に関する素晴らしい証言となっています。彼の作品はユーゴスラビア国外で様々な賞を獲得しています(彼の初のドキュメンタリー"Crne marame"は1958年フランスでジャン・ヴィゴ賞を獲得しました)彼は時代に先駆けて映画を作ってきましたが、依頼された作品に関しても、繊細にプロパガンダを避けながら、人々の物語を語ってきました。そして人々の人生、心理模様、伝統に関する親密な肖像画を記してきたんです。

あなたが“Dječak je išao za suncem"を気に入ってくれて嬉しいです! この作品は感動的で魅惑的な映像美であり、今にも普遍的に響く稀な信頼性があります。他の不当に無視された映画作家と同様に、Bastaćもモンテネグロシネマテークのおかげで、より一貫した形で再評価が始まっています。

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"Igla ispod praga"

TS:モンテネグロの映画批評の現状はどういったものでしょう? 外側からだと、その批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えているのでしょう?

MB:先にも短く記した多くの異なる理由で、モンテネグロの映画批評は映画製作と同じく膠着状態に陥っています。つまり世界の映画について書くばかりで、モンテネグロ産の映画について書くことがあまりない状態にあります。そして忘れてはならないのが、モンテネグロでも世界中でも、特にこんにちにおいては映画批評だけで生計を立てられるのは稀であることです。私たちは(そもそも小国であるモンテネグロには映画批評家は数えるほどしかいませんが)他の職業や文化的な活動に就くことで、生計を立てています。例えば私の場合は20年間、大学教授(映画理論を教えていました)として勤務し、今ではフリーランスの翻訳家として生計を立てています。それから普通もしくは頻繁に、映画のレビューや批評は文学者や詩人、文芸/舞台/ビジュアル・アーツの批評家によって、さらに社会学者や哲学者、ジャーナリストによって書かれています。なのでモンテネグロにおける"プロの"映画批評家については語りません。もう1つの問題は、他の分野の批評とは違い、Camera Lucidaが発刊されるまで、モンテネグロには映画誌が存在しなかったんです。だから努力している映画批評家たちは、大衆に向けた日刊紙以外で自身の作品を発表することができませんでした。

Aleksandar Bečanović アレクサンダル・ベチャノヴィチは脚本家・詩人でもあり、その作品は多くのヨーロッパの言語に翻訳されてきたんですが、彼はモンテネグロにおいて唯一の一貫した映画批評家・理論家であり、自身の批評を新聞に掲載してきました。それから映画作家の百科事典を含めた多くの作品の作家でもあります。

TS:あなたはCamera Lucidaという映画誌の創刊者・編集長だそうですね。日本の読者にこの雑誌について説明してくれませんか? モンテネグロの映画産業においてどういった機能を果たしているのでしょう?

MB:Camera Lucidaはモンテネグロの初めての映画誌であり、初めてのオンライン雑誌です。私や世界の映画批評家によって運営されており、"視覚芸術の政治"や映画の批評的読解に取りくみ、広範囲に渡る映画の話題や理論的な発達をカバーしています。多言語雑誌であ、デザイナーや編集者である私を含め、寄稿者たちはボランティアです。Camera Lucidaは映画の知識、映画機関、制作の境界線に挑戦し、支配的な理論、業界のコンセプトや信条を解体していき、多言語主義、多様性、多文化主義を促進していこうと試みています。

その題名が指している通り、ロラン・バルトに影響を受けていますが、Camera Lucidaの目的は映画の意味を突きつめることです。バルトの仮定への類推によって、止まらないイメージの時代において、情報は氾濫し、娯楽への欲望は留まるところを知りません。私たちは皆、ニュースやイメージへの瞬間の反応(そして快楽!)を経験するよう期待されているんです。Camera Lucidaはテキストの縫合を開き、明らかにし、解明し、映画作家が意図的、もしくは無意識的に明示し隠すものを白日の下に曝すのです。そしてRonald Bergan ロナルド・バーガン言うところの"映画を読解するための適切な道具"、"全ての批評家が知るべき"ものを批評家たちに与え、同時に映画批評の役割を問おうとしているんです。

TS;2010年代も数か月前に終わりました。そこで聞きたいのは2010年代に最も重要なモンテネグロ映画は何かということです。例えばIvan Marinović イヴァン・マリノヴィチ"Igla ispod praga"Ivan Salatić イヴァン・サラティチ"Ti imaš noć"Marija Perović マリヤ・ペロヴィチ"Grudi"などがあります。しかしあなたの意見はどのようなものでしょう?

モンテネグロ映画界において最も注目すべき新しい才能は誰でしょう? 例えば外側からだと、荒涼としながらも美しいリアリズムという意味でDušan Kasalica ドゥシャン・カサリツァと、深いヒューマニズムという意味でSenad Šahmanović セナド・シャフマノヴィチを挙げたいと思います。あなたのご意見は?

MB:この2問には同時に答えましょう。若い世代の映画作家にはDušan KasalicaNemanja Bečanović ネマニャ・ベチャノヴィチBranislav Milatović ブラニスラフ・ミラトヴィチ(彼らは皆映画学校での私の生徒です)、Ivan Marinović イヴァン・マリノヴィチSenad ŠahmanovićMarija Perović マリヤ・ペロヴィチJelena-Lela Milošević イェレナ=レラ・ミロシェヴィチNikola Vukčević ニコラ・ヴクチェヴィチAndro Martinović アンドロ・マルティノヴィチIvan SalatićIvan Bakrac イヴァン・バカラなどがいます。モンテネグロ映画は世界的に認められ、多くの作家が映画祭で賞を獲得し、新たな作品を製作しようという段階にあります。彼らの新作を観るのが待ちきれません。コロナ禍が彼らの作品にそこまで深刻に影響しないことを祈ります。

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"Ti imaš noć"

Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難

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第2次世界大戦後にユーゴスラビアが成立した時、コソボ一帯はアルバニア人が多かったゆえに、セルビア自治州となった。それからアルバニア人たちは幾度となく独立運動を行い、2008年にはとうとう独立を獲得することになるが、そこまでには険しい道を歩まねばならなかった。

特に90年代はコソボにとって冬の時代だった。90年代前半には独立の機運が再び高まりながら、セルビアスロボダン・ミロシェビッチ大統領によって自治権が大きく制限される。そうしてコソボ解放軍の活動がきっかけで紛争へと大きく傾くのだが、今回紹介する作品は、その扮装前夜である1992年のコソボを描いた、Ismet Sijarina監督作"Nëntor i ftohtë"だ。

今作の主人公はプリシュティナに住むアルバニア人男性ファディル(Kushtrim Hoxha)だ。彼はセルビア人の元で建築士として働きながら、家族を支える日々を送っていた。だがセルビアコソボ自治権を大きく制限したことで、放送局など様々な施設が閉鎖され、仕事をするにも不利益を被る書類にサインを行わなければならなくなる。彼の周囲のアルバニア人たちはセルビア人たちに抵抗し、次々と仕事を辞めていくのだが、ファディルは家族のため仕事を続けることを決意する。

今作の演出は徹底したリアリズムである。90年代の寒々しく鬱屈した空気に満ちたコソボにおいて、ファディルが細々と日常を生きようとする様を淡々と描きだしていく。リビングで家族と団欒をする姿、ギターで清冽な音色を響かせる様、オフィスで孤独に仕事を続ける様。そういった些細な光景の数々が静かに綴られていくのだ。

仲間が次々辞めるなか、ファディルは家族のため仕事をするが、それはセルビア人に魂を売った、コソボにとっての裏切者になったことを意味する。彼は常にアルバニア人の群衆から卵を投げられ、時には暴力の餌食ともなる。子供たちも学校で"裏切者の子供"と虐めを受けることになり、ファディルは日に日に追いつめられていく。

コソボ映画界の規模はとても小さいものだ。周囲の東欧諸国は映画の年間製作本数が10, 20本というのは珍しくないが、コソボはそれ以下である。国自体が若く小さいこともあって、それは仕方がないことだが、その小ささゆえか、現代のコソボ映画は短くも濃密な歴史を登場人物の半径5mの視点から描きだすミニマルな作品が多い。

そして私がコソボ映画に触れる時、いつも驚かされるのは、そんな逆境のなかでも、いやだからこそか、鋭く深く人間を見据える稀有な観察眼が存在していることである。この先鋭な観察眼が徹底したリアリズムと組みあわさることによって、コソボ映画にしか作りだせない密な雰囲気が現れるのである。

その人間味を象徴する存在が、主人公のファディルを演じるKushtrim Hoxhaの存在感である。彼は全くもって、うだつのあがらない中年男性であるが、この作品においては常に名誉か家族を選ぶか社会に試されることになる。あまり内面については吐露することはなくとも、疲労感の濃厚な表情からは彼の名状しがたいまでに複雑な懊悩が滲みわたる。

"Nëntor i ftohtë"は90年代前半に広がっていたコソボの苦難の歴史を、1人の中年男性の視点から描きだした寒々しくも濃密な作品だ。この作品を通じて、私たちは知られざる小国の知られざる歴史を知ることともなるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制
その398 Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ
その399 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その400 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時
その405 Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難

Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛

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山はルーマニア人にとって心の故郷である。私の友人である20代の女性も、小さな頃には裸足で山を駆けまわっていたそうである。悲しいがルーマニアは貧しい小国で、地方にはリソースが少ないので、ブカレストやクルジュ=ナポカなどの都市に移住する者が多いが、最後には心は山へと帰っていくのである。今回紹介するのはそんな思いが濃厚に反映された作品、Andrei Cătălin Băleanu監督のデビュー長編"Muntele ascuns"である。

今作の主人公はペトル(Horațiu Mălăele)という眼鏡の青年だ。彼は両親の離婚とそれによる不在によって傷つき、傷心の日々を送っていた。だがある日、彼は一念発起し、母が現在住んでいる山岳地帯のペトリマヌへと赴く。そして彼はここに位置する鉱山で働き、生計を立てることを決意したのだった。

最初、ペトルは優男ということで同じ鉱山の労働者たちから馬鹿にされてしまうのだが、持ち前の頑固さを以て彼らの信頼を少しずつ獲得していく。鉱山での生活は疲労困憊にさせられることばかりであったが、労働者たちに囲まれながら生活を続けることで、ペトルは家族の暖かみを知っていく。

都市生活で疲れた心が、自然に溢れた田舎での暮らしによって少しずつ癒されていく。そんな田舎幻想に裏打ちされた芸術作品は古今東西多く存在するが、最初"Muntele ascuns"は正にそんなジャンル映画の1作のように思われる。ここで描かれる田舎町は都市部に比べてもちろん不便ではありながら、自然が輝き、人々の繋がりもとても密なものだ。つまりは都市で生活している人々が忘れてしまったものが、そこには存在しているといった風である。

そして今作で特筆すべきなのは、70年代におけるルーマニアの鉱山生活が活写されていることである。鉱山での採掘作業はドス黒い闇のなかで行われる、すこぶる危険なものでありながら、炭鉱の人々はそれを苦にしてはいない。仕事が終われば賃金をもらい、仲間同士で酒を酌みかわすのである。古きよき関係性という奴である。Băleanuはペトルを中心に群像劇的な様式で鉱員たちの生活ぶりも描きだすことで、その雰囲気を豊かに浮かびあがらせる。

だが70年代が過ぎ去ると、こういった古きよき情景も徐々に姿を消しはじめる。特に共産主義政権崩壊後の90年代は不景気によって鉱山の閉山が連なり、鉱員たちの仕事が無くなっていく。そんな労働者たちは、政府によって反体制デモを潰す作業員として雇われるなどもはや古きよき情景など存在する余地もなくなるのだ。この危機的な状況は、後にLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ"Prea târziu"という作品で描くことになるが、それに関しては今作についてのブログ記事をどうぞ。

さらに、この"Muntele ascuns"もただ郷愁一辺倒に陥ることはなく、今後の未来を予感させるような世知辛い展開へと舵を切っていくことになる。鉱山における中間管理職の悲哀、凄惨な事故によって失われていく命、仕事の微妙さを反映して不安定なる夫婦の関係性などなど負の側面も丹念に描かれている。こうして全編に満ちるのは、全てがいつかは消え果ててしまうのではないかという曖昧な哀しみなのである。そしてそれは遠くない過去に結実してしまう。

"Muntele ascuns"は鉱山に広がる労働者たちの生活を通じて、失われゆくものへの哀愁を描きだした作品だ。ラストにはBăleanu監督が託した精いっぱいの希望が宿っている。が、今作後に起きた鉱山の閉山や労働者たちの搾取を考えると、色々な意味でより濃厚で物悲しい郷愁に襲われる類の映画でもあるのである。

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さて次に紹介するのはBăleanu監督の2作目であり、悲しいことに最終作でもある"E atât de aproape fericirea"である。"Muntele ascuns"を観た人は驚くかもしれないが、今作はブカレストというルーマニアで最も巨大な都市を背景とした愛の物語である。

今作の主人公はパウル(Albert Kitzl)という青年である。彼は労働者として工場で働きながら、将来は大学へ行き、勉学に励むことを夢見ていた。そんなある日、彼はクリスティーナ(Diana Lupescu)という同年代の女性に出会い、すぐさま恋に落ちる。そして急速に距離を深めて、恋人同士になるのだったが……

まず今作はパウルの日常の風景を豊かに綴っていく。今作での工場での勤務風景はとても溌溂としたものであり、ここには夢と友情がある!とばかりに明るい光景が描かれる。そこは共産主義政権のプロパガンダのようだが、観ながらなかなか心が躍らされるのもまた事実である。

そしてRadu Goldișの手掛ける音楽がなかなかに瀟洒で、刺激的なものだ。まず冒頭、ブカレストの街が切りとられていく中で、彼のファンク音楽が流れるのだが、それによってブカレストは当時パリやベルリンを越えて最もお洒落だった都市のように見えてくる。さらにその音楽が工場勤務中に流れると、工場はまるでディスコである。ここには希望がある!といった風に。

こうして本作は都市に生きることの楽しさを鮮やかに描いていくのである。前作"Muntele ascuns"は都市生活に疲れた主人公が、田舎の炭鉱での生活に癒されていく様を描きだしたが、今作は真逆である。むしろ都市部にこそ生の歓びはあると高らかに語るのである。

その後、物語はパウルとクリスティーナのロマンスに移行していくが、この様が何と甘いことか。崖に立つパウルと、安らかに流れる波の上に立つクリスティーナ、彼らは名前を呼びあい、急速に惹かれあう。このロマンティックな名前の交錯を皮切りに、彼らの距離は急速に近づいていくのだ。

しかしその愛には問題があった。パウルは労働者階級に属する人物であるが、クリスティーナの家庭は中産階級に属しており、つまりここには階級差が存在しているのだ。そんな中で彼らは結婚を決めるのだが、当然クリスティーナの両親はそれに猛烈に反対する。そして2人は駆け落ちを決意するのだった。

今作にはチャウシェスク政権がドン詰まりに陥る前の、自由の気風が溢れている。描かれる全てが瑞々しい感触を湛えているのだ。とはいえ描かれる内容は思い通りにならない愛の行く末についてだ。愛しても階級差という差がつきまとい、愛しても不満と不安とともにすれ違う日々が続く。こうして今作はブカレストという巨大都市を背景に、共産主義の時代の愛の構図を描きだしているのだ。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?
その56 Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景

Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時

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小児性愛は欧米においては絶対的なタブーであるだろう。それ故にこれを描きだした芸術作品というのはあまりに少ないし、これから新しい作品が作られることもほとんどないだろう。そんな中で、ドイツからこの社会的タブーを描きだそうとする映画が現れた。それがSavaş Ceviz監督による初の劇長編"Kopfplatzen"だ。

今作の主人公であるマルクス(Max Riemelt)は29歳の建築士であり、順風満帆な日々を送っている。だが彼には誰にも言うことのできない秘密があった。彼は子供に性的な欲望を抱く小児性愛者なのだ。マルクスはこの秘密をひた隠しにしながら、平凡な幸福を壊さないように生きつづける。

今作はそんなマルクスの日常を静かに見据える。仕事場などでは頼れる同僚としてみなに愛され、家族からも深い愛情を受けている。だが路上で少年を見かけると、心の底に隠した欲望が首をもたげ、時にはマスターベーションを行わなければ逃れられないほど、心を掻き乱されてしまう。そんな子供に性的に惹かれる自分をマルクスは呪いながら、彼らを求めることを止めることができない。

Cevizと撮影監督Anne Bolickの眼差しは徹底して観察的なものである。マルクスの一挙手一投足に凍てついた視線を投げかけつづけ、彼の行動が起こす小さな波紋を映しとっていく。ジムで鍛える、街を歩く、バスに乗る、家族と会う。そんな他愛ない日常の光景にも確かに濃厚な影が存在しているのだ。

そんな中でマルクスの住むマンションにジェシカ(Isabell Gerschke)というシングルマザーが引っ越してくる。彼女の荷物運びを手伝ったことで彼らは仲良くなり、急速に交流を深めていく。だがマルクスの視線が注がれる先はジェシカの息子である少年アルトゥル(Oskar Netzel)だった。

ここから本作はマルクスの欲望が絶望的な形で発露を遂げていく様を描きだす。彼はジェシカと距離を近づけていくたび、暖かな幸福の感触を知る。彼はこの幸福を大事にしようとしながら、アルトゥルへの欲望は加速度的に膨れあがっていく。彼の身体を性的に眼差し、闇のなかでマスターベーションを行う。その様には狂気にも似た悲痛な叫びが宿っている。

こうして壮絶な自己反省、欲望への敗北が繰り返される訳だが、この核となるのがマルクスを演じる俳優Max Riemeltの存在感だ。彼はあまり表情を露にすることはないが、すこぶる微妙な表情の移りかわりにマルクスの痛みが哀しいまでの豊かさで以て現れる。小児性愛者という難しい役柄を、Riemeltは丹念に魂をこめながら演じているのだ。

ところで、小児性愛とは病であるだろうか? 今作に出てくる医師はそれを否定する。小児性愛性的指向の1つであり、治すことのできる類の概念ではない。ケアをしながら一生付きあいつづける必要のあるものだ。そう医師はマルクスに説く。"治らない"という言葉に激昂するマルクスだが、医師は根気強くその意味を説く。本作の特筆すべき点は、こうした医療的な対話をも積みかさねていくことで、小児性愛の脱スティグマ化をも行っていることだ。

そして今作が最も私の心を震わせた点は、例えばルーマニアの反哲学者シオランが説くような"この世に生まれ落ちたことの絶望"を壮絶な形で描きだしていることだ。そしてこの絶望はマルクスの懊悩によって更なる深みへと至る。その絶望とは"私が生きることは誰かを傷つけることを運命づけられている"というものである。

私は小児性愛者ではないにしても、この絶望については常に考えてきた。例えば私が男性として生まれ生きるならば、それは女性やその他の性別にある人々を抑圧することに繋がる。例えば私が日本人として生まれ生きるならば、それは在日韓国人やその他の外国人らを抑圧することに繋がる。私たちは生まれながらにして、誰かを抑圧し差別することを運命づけられている。それを理解するべきだろう。

マルクスもまたそんな存在だ。小児性愛者として生まれた彼は、生きるだけで子供たちに欲望を向けることになり、例え実際に傷害行為を行わなかったとしても、彼らを傷つけることを運命づけられている。監督はこの小児性愛者特有の痛みを、監督は普遍的な苦しみにも重ねながら、凄まじい密度で以て描きだしているのである。

それでもマルクスはこの深い絶望を乗り越えて、生きようとする。その様は私の心を深く震わせるのである。今作の最後はいわゆるオープン・エンディングではあるが、私はマルクスが死ではなく、生きることでもって絶望の先に行くことを願っている。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
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その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
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Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景

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ゼロ年代より以前、女性監督というものは極端に少なかった。だがその映画産業の規模に比べて、ルーマニアには割かし多くの女性監督がいた。外国人の私ですら4人も名前を挙げられる。子供映画の名手Elisabeta Boștan エリサベタ・ボシュタン、アントニオーニの後継者Malvina Urșianu マルヴィナ・ウルシアヌルーマニアの職人監督Cristiana Nicolae クリスティアナ・ニコラエ、そしてもう1人がたった1本の長編を残して映画界から姿を消したAda Pistiner アダ・ピスティネルである。今回はそんなPistiner唯一の長編映画"Stop cadru la masă"を紹介していこう。

今作の主人公は中年男性フィリップ(Aleksandr Kalyagin)である。彼は建築士として名を馳せ、娘のドリナ(Estera Neacsu)や妻のクララ(Dorina Lazăr)に囲まれて幸せな家族生活を送っていた。だがその裏側で彼は自分よりもずっと若い、デザイナーの女性ヌサ(Anda Călugăreanu)と不倫をしていた。彼は自分の素顔を隠しながら、そんな二重生活を送っていたのだ。

Pistiner監督はドキュメンタリー畑出身ゆえに、その演出はリアリズムを指向したものである。虚飾などは一切なしに、彼女は家庭生活の平凡さやブカレストに広がる日常を淡々と描きだしていく。その淡々さが静かに積みかさなっていくことで、80年代のルーマニアに広がっていた真実性が立ちあらわれてくるのである。

フィリップは秘密が妻にバレそうになるのも気にせず、二重生活を享受する。時には仕事の合間に、近くの砂浜へと赴き、寝転がりながらヌサと愛を語りあうのである。その果てに彼はとうとうヌサとの同棲を決め、クララたち家族を捨ててしまうのだった。そんな状況に追いこまれたクララは独りで娘のドリナを育てることを決意するのだが、その道は険しいものだった。

その意味でフィリップは第1の、クララは第2の主人公と言えるが、第3の主人公はブカレストという都市それ自体であるだろう。撮影監督のAnghel Deccaはこの魅力的な都市の光景を豊かに切りとっていく。人々がひしめく色とりどりの市場、古さと新しさが共存する瀟洒な通り、どこか心地よく弛緩した雰囲気の漂う砂浜。そういったものが印象的に切りとられているのである。

80年代はルーマニアにおいてはチャウシェスク政権の末期であり、貧困が国全体に蔓延していた。それを反映してか、映画自体もかなり規模が縮小していく(もしくは反体制的な作家は追放されるか検閲の犠牲になる)印象であり、今作もそういう意味では登場人物の半径5mだけを描く小さな映画だという印象を受ける。

それをカバーしているのが脚本である。今作はルーマニアの家庭生活、特にインテリ層の日常の風景を描きだそうと試みている。知識階級の独善的な自由さ、その裏側で犠牲になる女性、そういった現実が綿密に書きこまれているのだ。さらにそこに絡みあってくるのが男女の機微というものである。妻がいながら若い女性を愛してしまう男性の身勝手さ、その身勝手さに翻弄されながらそれを受けいれてしまう社会的抑圧に押しつぶされる女性の心……

今作の脚本を執筆しているȘtefan Iureș共産主義下のルーマニアにおいて、社会主義リアリズムの旗手として名を馳せた詩人、小説家である。そして今作は彼の長編小説"Plexul solar"を映画用にIureș自身が脚色したものだ。ちなみに映画に関わったのはこれ1本だけである。

そして注目すべきなのは今作でフィリップを演じているのはロシア人俳優のAleksandr Kalyaginである点だ。この頃ルーマニアソ連の関係性は特に良くはなかったが、どういう訳か彼は他のルーマニア人俳優を差しおいて主演の座に就いている。別にルーマニア語が喋れる訳でもなく、俳優のMarin Moraruが吹替を担当している。とはいえ、中途半端にハゲた何とも哀愁ある風体は今作で味のある雰囲気を醸しだしている。こんなうだつのあがらない風貌の中年男が不倫して家族に迷惑をかけているというのも、なかなかにリアルでそれは万国共通のものかと思わされる。

"Stop cadru la masă"とは日本語で"食卓のスナップ写真"である。それが意味している通り、今作は共産主義末期のルーマニアにおける家族の行く末の瞬間瞬間を切りとっていった魅力的な作品である。監督のPistinerがこれ1本だけを残して、ひっそりと映画界から姿を消したというのは何とも寂しいところである。

最後に少しだけAda Pistinerの経歴を紹介していこう。Pistinerは1938年3月14日に地方都市の1つヤシで生まれた。ブカレスト大学では哲学を、I.L.カラジャーレ演劇映画大学では映画製作を学んだ。そしてドキュメンタリー作家として"Muzeul Storck""O echipă de tineri și ceilalți"などを製作、話題となる。そして1982年には"Stop cadru la masă"を完成させ、批評的に大きな成功を収める。しかしこの頃活躍できた女性作家は限られており、彼女は道を閉ざされてしまう。そして1986年から89年までイスラエルに亡命していたが、ルーマニア革命後、故郷に戻ってくることになる。そしてドキュメンタリー作品"Protecția cui?""Un an ceva mai lung""Performance""Contemporani în București"などを残すのだが、大きな結果を残すことはできず、今に至っている。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
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その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
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その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?