鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域

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2021年、ただでさえ凄まじいルーマニア映画界が更なる躍進を遂げている。まずベルリンでRadu Jude ラドゥ・ジュデの最新作"Babardeală cu bucluc sau porno balamuc"金熊賞を獲得、カンヌには5作のルーマニア映画が出品され、ヴェネチアでは新人監督Monica Stan モニカ・スタンのデビュー長編"Imaculat"ヴェニス・デイズ部門の作品賞を獲得した。そして先日開催のサン・セバスティアン映画祭でもまたルーマニア映画コンペティション部門で作品賞を獲得してしまった。ということで今回はそんな1作、Alina Grigore アリナ・グリゴレ監督作"Blue Moon"を紹介していこう。

今作の主人公はイリーナ(Ioana Chițu ヨアナ・キツ)という少女だ。彼女はよりよい教育を受けるため、そして離れて暮らす父親の許に行くため、ブカレストへの移住ひいてはロンドンへの留学を目指していた。だが家族はそれをよく思っていない。特に彼女を庇護下に置いているいとこリヴィユ(Mircea Postelnicu ミルチャ・ポステルニク)の反感は相当なものであり、イリーナに対し暴君さながらに振舞う。反発を繰り返しながら、彼女は留学への道を探し求めるが……

今作の基調はルーマニア映画の伝統を受け継いだかのごとき手振れを伴う長回しと濃密なリアリズムである。まず冒頭に置かれた大家族の食卓場面から、この手法が顕著だ。撮影監督Adrian Pădurețu アドリアン・パドゥレツはテーブルを囲む人々をまるで招かれざる客のような視線で見つめ、それが場に波紋を齎したとでもいう風に、空気は緊迫したものとなる。和気藹藹から程遠い雰囲気のなかで、彼らは言い争いを始め、怒号と唾が飛び散りまくる。ルーマニア語の響きが持つ異様さ、暴力性を提示すると共に、このシークエンスは今作が進む未来をも仄めかすこととなる。

ある日イリーナはパーティに参加するのだったが、翌朝起きると自身の性器から血が流れているのを発見する。だが泥酔していた故にセックスをした記憶はない。彼女は自分をレイプしただろう男性トゥドル(Mircea Silaghi ミルチャ・シラギ)の許へ赴く。問い詰めるなかで、彼はブカレストに住む妻子持ちの俳優であることが分かるのだが、ここから2人の関係性は奇妙な進展を見せ始める。

イリーナの置かれた境遇は凄まじいまでの被害者という立ち位置である。家族はイリーナの留学に理解がなく"どうしてそんなことしようとするのか?ここにずっと住んでればいいのに!"と疑問を隠さない。特にリヴィユの反感は壮絶なもので、彼女が生きられるのは自分のおかげだと常に恩着せがましく迫り、反抗するなら罵詈雑言など精神的暴力も辞さない。そしてトゥドルのレイプという肉体的暴力をも被ることとなる。肉体と精神、両方の面からイリーナは窮地に追いやられ、深く憔悴していく。

だが今作はそこで終ることなく、イリーナの生存がための闘争をも描きだす。幾らリヴィユに反撃されようとも、彼女の反抗心は潰えることがない。そしてレイプ犯であるトゥドルに対しては、家族がいるのに自分とセックスした、自分をレイプしたという事実を突きつけた後、彼の罪悪感に取り入り親密な関係を築いたかと思うと、彼の住むブカレストへ行くために利用を始める。被害者であったイリーナは加害者としても振舞うこととなり、実際にある面では加害者ともなるのだ。

現代のルーマニア映画にはモラルを描きだす濃密な映画が多い。例えばCristi Puiu クリスティ・プイユの大いなる1作"Aurora"(レビュー記事)はある平凡な中年男性が殺人を犯すまでを、長大な長回しを基調とした3時間にも渡る時間の流れによって描きださんとする。そしてCorneliu Porumboiu コルネリュ・ポルンボイユの2009年の1作"Polițist adjectiv"ルーマニアEU加入前夜、マリファナの密売を行う高校生を逮捕するか否かに苦悩する警察官の姿を描いていた。ルーマニアほど、モラルにおける限りなく黒に近いグレーの、曖昧な領域を描くことの上手い国はないだろう。

監督のAlina Grigore アリナ・グリゴレは今作がデビュー作とは信じられない、稠密な緊迫感とモラルへの鬼気迫る問いをスクリーンを通じて提示するが、この新人離れした手腕は以前のキャリアによって培われたものだろう。彼女は元々俳優としての活動が主だったが、その最中の2018年にAdrian Sitaru アドリアン・シタル監督作"Ilegitim"に主演を果たすと同時に、脚本家としてもデビューを果たす。今作は自身の娘と息子が近親相姦という関係にあり、しかも娘が妊娠してしまったと知った父の苦悩を描きだすといった作品だった。シタル監督はルーマニアにおける生命倫理や職業倫理の行く末を常に見据える人物であり、彼のモラルへの洞察やその方法論を苛烈に推し進めた1作がこの"Blue Moon"と言えるかもしれない。

今作においてもう1つの核となるのがイリーナを演じるIoana Chițuだ。彼女は幼い、不安定な雰囲気を宿しながら、しかし私たちは老いそのもののような陰が顔に深く兆している様をも目撃するだろう。彼女は若さと老いの狭間に在るゆえの曖昧さを持ち、それは被害者と加害者の狭間に在ることをも象徴しているのだ。そしてこの曖昧さは不穏な方向へと突き抜けていくこととなる。

この"Blue Moon"というルーマニア映画には"iad"というルーマニア語が似合う。つまり"地獄"という意味を持つ言葉だ。徹底的に被害者として虐げられてきた女性が、この抑圧的社会で生存するがため、加害者として振舞う。そして実際に加害者ともなり、この2つの概念の狭間、凄まじく危うい領域に迷うことになる。私たちは問わざるを得なくなる、こうしてしか弱者は生きられないのか?と。そんな絶対的な絶望がここにはある。

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