鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Barbora Sliepková&“Čiary”/ブラチスラヴァ、線という驚異

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先日、ティム・インゴルド「ラインズ 線の文化史」という本を読んだ。人類学者である著者が楽譜や筆跡など、文字通りの線の歴史を探っていくという作品でなかなか興味深く読んだ。今後、小説執筆などにうまくこの知識を活用できないかと思っている。だがここで語りたいのはこの書籍ではない、読書の直後に「ラインズ」に直接繋がるような映画作品を観ることになったのだ。今回はそんなスロヴァキア・ドキュメンタリー界の新鋭であるBarbora Sliepková バルボラ・スリエプコヴァー監督のデビュー長編“Čiary”を紹介していこう。

今作の舞台となる場所はスロヴァキアの首都であるブラチスラヴァである。監督と撮影
Maxim Kľujev マキシム・クゥリュエフMichal Fulier ミハル・フリエルらのカメラはこの都市で流れる些細な日常というべき光景を、淡々と撮しとっていく。例えばあるマンションでは外壁を修復する工事が行われており、多くの作業員たちがここで働いている。例えばコロナ禍ゆえか閑散とした都市部を、しかし人々が気ままに歩いている。例えばブラチスラヴァでは近々市長選挙が行われるらしく、候補者の1人が投票を訴える動画を撮影している。そんな風景が現れては消えていく。

ここにおいて観客はこういった日常を密やかに垣間見るような楽しみが存在している。ある時、マンションの一室に住む女性が、外の足場を進む作業員の姿を見る。すると彼女は作業員を部屋に招き入れて、コーヒーをご馳走するのだ。しばらく細やかにお喋りをした後、作業員は感謝の言葉とともに部屋を出ていき、工事に戻っていくのだ。

この撮影によってスクリーンに提示される世界は端正なモノクロームであり、日常を描きだしているのに、どこか浮遊感のある不思議な感覚がそこには宿っている。例えるなら私たちがふとした瞬間、頭に浮かべる“ここではないどこか”にまつわる風景が、今作には広がっているといった風なのだ。

だが特に印象的なのは線というものの存在である。窓のブラインド、工事現場に組まれた足場、道路に描かれた白線、森の至るところに存在する多様なる線。日常のなかに引かれた無数の線が監督によって私たちに提示され、スクリーンにおいてそれらが鮮やかな息吹を取り戻していくのだ。これを観ながら私たちは、世界にはこんなにも多く線が存在しているのかと驚かざるを得なくなるはずだ。この映画は日常に対する私たちの目を、もっと奥底から、いわば精神的な意味で、開いてくれるのだ。

こういった意味で、私には今作が先述した「ラインズ」の映画化作品にも思えた訳だ。そして監督はブラチスラヴァという都市それ自体である。最近、私が建築・都市デザイン映画に凝りまくっているのは何度も公言しているが、その嗜好の中心を撃ち抜くような作品でもあるのだ。だが「ラインズ」の映画化のようだという理由はそれだけではない。今作の原題“Čiary”はスロヴァキア語で“複数の線”表しており、つまりは“ラインズ”という訳だ(後にこの感慨を監督本人に語ると、彼女自身は読んでいなかったらしい。なのでぜひ読んでほしい!お薦めした)

話は少し逸れるのだが、今個人的にスロヴァキア・ドキュメンタリーがアツい。世界の映画祭で俄にこの国のドキュメンタリー作品が評価され始めているのだ。例えばViera Čakányová ヴィエラ・チャカーニョヴァー“Frem”は南極を舞台とした作品なのだが、環境保護や動物観察などのテーマを内包しながら、しかし究極的には映画スタイルの探求という相当に実験的な作風をしており、以前観た時には思わず困惑させられた。今作は2020年のベルリン国際映画祭フォーラム部門に選出され話題となった。更にPeter Kerekes ペテル・ケレケス“Cenzorka”ウクライナの女性刑務所を舞台として、ここで出産を果たした女性が、母として刑務所での生活を生き抜こうとする姿を描いたドキュドラマなのだが、今作は2021年のヴェネチア国際映画祭に選出された。

このスロヴァキア・ドキュメンタリー躍進の最先端に今作の監督であるBarbora Sliepkováがいると言っても過言ではないが、注目すべきは彼女の教師こそが先述したČakányováとKerekesなのである。つまりは彼らの1世代下であるのだが、この長編デビュー作が世界でも有数のドキュメンタリー映画祭であるイフラヴァ映画祭に選出され、しかもコンペ部門で作品賞とデビュー長編賞の2冠を獲得した訳である。という訳で今後のスロヴァキア・ドキュメンタリーの動向には注視していきたい。そしてこの新しい潮流への入門作として、今作“Čiary”は正にうってつけの作品だ。何故ならここにこそブラチスラヴァとスロヴァキアの現在があるのだから。

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