最近よく特権について考える。例えば私は日本国籍を持って生まれてその意味では日本に生きる日本人であり、セクシャリティに関してはシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性ゆえ、この意味で日本においてかなりの特権を持っている。一方で自閉症スペクトラム障害と腸の難病であるクローン病を患うゆえに、健康面において私は障害者でもある。こういう風にある部分では特権を持ちながら、ある部分ではむしろ差別を被るという状況は人間に付き物だ。人は誰でも、己自身が差別する側と差別される側に引き裂かれるままに生きていく必要がある。ここにおいて特権とは何を意味するのか? これを考えるにあたって、今年最も重要な作品の1つと私が思う作品がリトアニアの新鋭Romas Zabarauskas ロマス・ザバラウスカス監督作“Advokatas”だ。
今作の主人公はマリユス(Eimutis Kvoščiauskas エイムティス・クヴォシュチャウスカス)という男性だ。彼は国際派の辣腕弁護士として、富も名声も手に入れた存在だ。同時に彼はゲイでもあり、リトアニアにおけるLGBTQが置かれる立場は楽観視できるものでもないが、彼が持つ富、そしてシスジェンダーの中年白人男性という特権を行使することで、順風満帆な日々を送っている。ある日、彼はネット上でアリ(Doğaç Yıldız ドアチュ・ユルドゥズ)という男性と知りあう。液晶越しのセックスで戯れながら、アリとの時間を楽しみながら、マリユスは彼にいつもとは違う感情を抱くことになる。
まず今作が見つめるのはマリユスという男がいかなる生き方を行ってきたかということだ。彼は自身の特権に意識的で、かつそれゆえの傲慢を隠すことがない。冒頭においてそれを象徴する場面がある。マリユスはある男性を口説き始めるのだが、ある時に彼がトランス男性と知る。そうしてやんわり見せてしまった拒絶反応を気取られ、男性は離れていくこととなる。翌日、運転中に主人公は電話越しに友人にこう言うのだ、ぼくは男よりチンコが好きなんだろうな。この無思慮の塊のような言葉はマリユスのシスジェンダーゆえの特権性と傲慢を象徴するものだろう。そしてこれはLGBTQ間の力関係に意識的でないと書けない言葉でもあり、監督自身が手掛けるこの切れ味ある脚本は今作の要ともなっていく。
マリユスはアリと関係を深めようとするのだが、ここで明かされる事実がある。彼はシリア人の難民であり、バイセクシャルでもある。そして今はセルビアの難民キャンプに居住しているというのだ。だが愛は何もかも越えるとばかりに、マリユスの心は彼へ急速に接近していくのだが、ここで愛すらも越えられない障壁が無数に存在することを、彼は思い知らされることとなる。
ここから物語は加速度的に複層性を増していく。まずマリユスはリトアニア国籍を持つリトアニア人で、アリはセルビアに辿りついたシリア人難民という埋めがたい格差が存在する。東欧においても難民問題は切迫した問題であり、シリアなど中東からの難民たちは最終的な目的地はドイツなどの西欧としていることが多いが、そこにおいてボスニアやハンガリーなどの東欧諸国が通過点となる。ここで様々な軋轢や衝突が存在する訳である。リトアニアなど北欧に程近い国々はこの問題に直接関与はしていないが、難民問題に関しては最近でもベラルーシからの難民がポーランドに押し寄せるなどがあり、地理的に肉薄したリトアニアも他人事ではいられない。こういった東欧独自の難民問題が、マリユスとアリの間には横たわっている。
そして先述したがリトアニア含めた東欧、つまりは社会主義ブロック下にあった国々において、LGBTQの人々が置かれる状況は全く芳しくない。社会主義においても彼らの権利は殆ど保証されていなかったが、ソ連崩壊と社会主義体制それ自体の崩壊の後、弾圧されていたキリスト教信仰が凄まじい勢いで復活を遂げ、その保守的な価値観が浸透することで、LGBTQ差別が表だって繰り広げられることになる。ロシアにおける法による弾圧はその一例だ。リトアニアにおいてもかなりシビアな状況が広がり、マリユスのように何の気兼ねもなくゲイであることを公言することは、悲しいことに富を持った白人中年男性の特権であると言わざるを得ない状況がある。
だが今作で驚くべきは、そこで絶望に陥ることなく、現実的な解決方法を模索し続けるその誠実さだ。傲慢な既得権益の権化といった風なマリユスだが、弁護士としての理知を働かせ、それを幾つもの行動に移していく。セルビアの難民キャンプへと赴き、アリが置かれる立場について聞き取り調査を行っていくのは勿論だが、難民について知るにあたって、マリユスはNGO団体や難民を支援するアクティビストの許へと、直接話を聞きにいくのだ。この描写が何度もあり、そこで疑問やアリを救う糸口について根気強く尋ねていく。映画に限らず何らかの物語において、こういった難民問題などを感情的行動によって解決しようとしたり、実際解決されたりといった展開をよく見るが、こうしてNGO団体やアクティビストにこそ頼り、現実的な解決法を模索するという展開は正直初めて観たかもしれない。監督のZabarauskasもまたリトアニアのLGBTQの権利のため働くアクティビストでもあるそうで、この地味ながら、だからこそ大切な過程にまつわる描写は、そんな彼こそ入れられる描写であると私には思えた。
この過程のなかでマリユスの心は少しずつ変わっていく。弁護士かつ白人ゲイ男性である自分、シリア難民であるアラブ系のバイ男性であるアリ。2人の関係性には白人特権と倫理的な不均衡がまずもって必ず存在してしまう。以前から特権自体は意識しながらも、マリユスは軽薄な形でしかこれを考えていなかった。しかしアリへの愛が芽生え、彼を助けたいと思った時から特権性を、そしてこれに否応なく内在してしまうだろう加害性を自己反省し、少しずつ解体していくのだ。
今作はこうして高度なまでに社会的、政治的な要素が関わってきながらも、同時にロマンス映画としても珠玉の出来を誇っている。この状況ゆえに稀にしか会えない2人であり、表だって2人きりでも会えないが、キャンプの片隅で密やかに、互いに触れあい、愛を囁きあう。それでも障壁によって本当の意味で心は触れあわない、どちらももう1歩というものを踏みだすことができない。そのもどかしさには胸が締めつけられながら、私が本当に心打たれたのは、2人がキスするまでの本当に、本当に長きに渡る時間だ。今のロマンス映画というのはむしろキスをしてからが始まりだ、そういう流れを感じないだろうか。キスの後、それはかなりの確率で恋人同士になった後にこそ愛の難しさ、面白さが出るとでもいう風だ。別にこれが悪いと言っている訳ではないが、恋愛というものを描く速度があまりに速すぎると思う時があるのだ(例外はディズニー映画くらいだろうか?)
そんな中で今作でマリユスとアリがキスするのは……いや、ネタバレなので言いはしないが、そこまでが本当に長い。だがそのキスまでの流れにこそ、世界情勢を多分に反映した障壁を乗り越えていく過程にこそ、複雑で豊かなロマンスが存在しうるのだと監督は信じているのだ。この語りの真摯さはちょっと類を見ないもので、私はただただ素晴らしいとしか言えなかった。
富も名声も手に入れた白人シスゲイ男性であるマリユス、激動のシリアから逃れて難民となったアラブ系のバイ男性であるアリ。アリへの愛を貫こうとするマリユスに立ち塞がるのは難民の現実、何より彼自身の特権性と独善性。それでもマリユスはNGO団体やアクティビストの言葉に学んでいき、愛する人と対話を繰り返し、差別と苦難の先へ手を伸ばす。"Advokatas"は世界に満ちる悲しみと残酷を相手取り繰り広げられる、珠玉のゲイロマンスだ。故に彼らが最後に行う選択、これは本当にずっと、ずっと考えていくしかないものだろう。だがだからこそ、この作品は今作られなければならなかった誠実さについての映画となったと、私は言いたい。
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