鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」

最近はそうでもなかったが、前はこの鉄腸マガジンで"文芸エロ映画"というジャンルを紹介していた。TSUATAYAなどのレンタル店にある外国映画の棚、その端に煽情的なタイトルの、ポルノではないけども限りなくポルノに近そうな題名の映画が多々置いてあることがある。例えば「誘う処女」「アブノーマル」「裸の診察室」などがそうだ。タイトルに惹かれ実際に観てみると、エロは少しだけで内容は映画祭でよくやってそうな文芸映画だったと落胆した人々も少なくないだろう。興味深いのはそんな作品の中には、本当に映画祭、しかもかなり著名な映画祭でプレミア上映された作品があるということだ。

例えば「欲望の航路」(レビュー記事はこちら)という作品はエロ大国フランスの格調高いエロ映画的のような売り方が成されているが、実際はフランスとギリシャを代表する若手俳優アリアーヌ・ラベドが主演で、世界的にも有名な新人監督の登竜門ロカルノ映画祭でプレミア上映、女優賞なども獲得している。「ダニエラ 17才の本能」(レビュー記事はこちら)はジャケット画像と邦題からは想像もつかないが、実際はチリに台頭するキリスト教啓蒙主義に対し反旗を翻すバイセクシャルの少女を描いた作品で、アメリカにおけるインディー映画の祭典サンダンス映画祭脚本賞を獲得しているほどの作品だ。

今挙げた作品群は2010年代に制作された、比較的最近の映画だが、昔からこうして内容や履歴を無視して、エロ要素だけを抜き取ったうえで文芸エロ映画として推されてきた作品は少なくない。今回紹介するのはそんな運命を辿った映画の1本である、ビム・ド・ラ・パラ・Jr監督作「処女シルビア・クリステル/初体験」を紹介してきたい。正直全てが酷いのだが、それに関してはおいおい説明と訂正をしていきたいと思う。

まずは普通に本編を紹介していこう。主人公はフランクとエーファという夫婦(ヒューゴ・メッツェルス&ヴィレケ・ファン・アメローイ)だ。フランクの激しい浮気性のせいで夫婦仲は最悪、救い難い倦怠が彼らの間には広がっていた。だがエーファは希望を捨てておらず、夫婦仲を再生するために様々な方法に打って出るのだった。

今作、冒頭から何とも壮絶に生命力が爆発している。フランクは助手席に愛人であるシルヴィア(シルヴィア・クリステル、彼女は主演でもなければ処女でもない)を乗せて道路を突っ走る。シルヴィアは酒をブチ込みながらオナニーまで始め、車内にはムラムラは爆裂するが、それに気を取られ車は豪快に事故をブチ起こす。だがフランクはそれすら気にせず、シルヴィアすら置いてバーへと向かう。そこからもうフランクという男の向こう見ずさが分かるだろう。

こんな男を中心として、ここから90分間銀幕をチンコとマンコがのたうち回る訳である。愛人とのセックスは勿論、夫婦仲のショック療法として妻エーファの寝取られ&フランクはクローゼットで盗み見という陰湿なプレイをかましたりと、貞操観念をいとも容易くブチ抜くエロの饗宴がかまされる訳だ。正直言えば全編エロパワーに満ち溢れているので、文芸エロ映画として売られた理由も分からなくはない。が、主人公のように喧伝されるシルヴィア・クリステルは前述の通りフランクの愛人で、端役の1人でしかない。「エマニエル夫人」フィーバーで日本に輸入されたのは想像に難くない。

だが今作は本国オランダにおいては頗る重要な作品としてシネフィルの記憶に残っている。それは何故か。これを説明するためには、今作の監督であるビム・ド・ラ・パラ・Jrを紹介していかなくてはならない。本名はPim de la Parra ピム・デ・ラ・パラ、"ビム"という表記は明確に間違いで、末尾のJrは今作限定で何故そうなのかは定かではない。彼は1940年、当時オランダの植民地だったスリナムに生まれ、オランダに移住した後に1960年からオランダ映画アカデミーで映画について学びはじめる。1963年には友人であるWim Verstappen ヴィム・フェルツァペンNikolai van der Heyde ニコライ・ファン・ダル・ヘイダGied Jaspars ヒェト・ヤスパルスらと映画批評誌Skoopを立ちあげる。

1965年にはその批評の実践とばかりに、Verstappenとともに自身の制作会社Scorpio Filmsを設立した。ここでParraは"Jongens, jongens, wat een meid""Aah... Tamara"といった短編を監督するとともに、友人Verstappenの短編"De minder gelukkige terugkeer van Joszef Katús naar het land van Rembrandt"(1966)や長編デビュー作"Drop Out"をプロデューサーとして制作する。そしてこの経験を経て、自身にとっての初長編"Bezeten - Het gat in de muur"を1969年に完成させる。医学生である主人公が借りた部屋の壁に小さな穴を見つけ、隣人のセックスを覗き見し始める……という物語で、明確にヒッチコック、特に「裏窓」に影響を受けた作品となっている。

だが今作で最も注目すべき点は共同脚本家が、何とあのマーティン・スコセッシであるということだ。この時スコセッシは初長編「ドアをノックするのは誰?」の追撮(今作は1967年に"I Call First"として完成していたものの、配給会社にセックスシーンを追加しろと要求された。そして1970年には今に知られる"Who's That Knocking at My Door"として完成を見る)を行うため、ハーヴェイ・カイテルらとオランダの首都アムステルダムに赴いた。ここでスコセッシとParraは出会い、彼は"Bezeten"に脚本家として参加したらしい。何とも奇妙な運命である。

そして1970年の第2長編"Rubia's Jungle"の後、プロデューサーとしてParraはオランダ映画史上最も議論を呼んだ作品の1本、盟友Vertsappenの長編"Blue Movie"(1971)を完成させる。今作は簡単に言えば、前科者が団地の欲求不満な人妻たちとヤリまくるという、ヒッピー時代のセックス革命を背景としたオランダ版団地妻ロマンポルノなのだが、劇場公開されたオランダ映画で初めてセックスと勃起したペニスを映した作品なのだそうだ。当初映画コミッションは上映を許可しなかったが、Vertsappenが直談判し上映を認めさせたところ、観客が雪崩込み当時最大の興行収入を叩きだし、ParraとVertsppenは時代の寵児となった。

この勢いに乗ってParraが1973年に監督した第3長編が"Frank en Eva"、つまり「処女シルビア・クリステル/初体験」という訳である。先述した内容を読めば分かる通り、今作もまたセックス革命を背景としたコメディ作品で"Blue Movie"に続いてこの傾向を突き詰めた作品だったのだ。そして彼らと並行して長編を作り始めていた新鋭監督があのポール・ヴァーホーヴェンである(日本ではハリウッド進出後に有名になった故、名前が英語読みになっているがPaul Verhoevenオランダ語ではパウル・ファルーフェンらしい)彼はParraやVertsappenに先駆け1960年代初頭から短編やTVドラマを手掛けていたが、"Blue Movie"公開と同じ1971年に初長編"Wat zien ik"を完成させた。中年娼婦2人組が仕事に愛にてんやわんやといったコメディ作品で、やはりここにもセックス革命の影響が見受けられる。そして1973年、つまり「処女シルビア・クリステル/初体験」の公開年、彼は日本でも有名な第2長編"Turks fruit"akaルトガー・ハウアー/危険な愛」を完成させた。今作もまたオランダで興行的に最も成功した映画として数えられているが、この背景にあるのは間違いなく"Blue Movie"やParraなのである。

しかしヴァーホーヴェンがここからオランダ映画界、ひいてはハリウッドでのスターダム一直線なのに反して、ParraとVertsappen、そして彼らの制作会社Scorpio Filmsは危機的な状況にあった。Verstappenは映画製作の現状に不満を抱き、当時において最大級の予算をかけた長編"Dakota"に観客が入らなかったことにも苛立つ。その一方でParraは生来の浪費癖を発揮しながら"Dakota"すらも越える予算で新作"Wan pipel"を製作(今作はとても重要な1作なので、後で詳しく解説する)、そして今作もまた興行的に失敗、これ原因でScorpio Filmsは破綻を迎えた。残されたのは借金20万ギルダ、当時のレートで約1100万円だそうだ。当然の帰結としてParraとVertsappenは袂を分かつこととなり、より大衆に寄った作品群、例えば第2次世界大戦時のオランダの田舎町を描く戦争映画"Pastorale 1943"(1978)やルトガー・ハウアーも出演の警察もの"Grijpstra & De Gier"(1979)とその続編"De ratelrat"(1987)などを製作した後、映画界から姿を消した。だが逆にParraの創作意欲は衰えることを知らなかった。80年代から90年代にかけて17本もの低予算映画を製作するなどオランダ映画界の問題児としての存在感を発揮し続けた。しかし1995年に"ジャンル映画への別れの1作"と自身で呼ぶ"De droom van een schaduw"を完成させた後には、故郷のスリナムへと戻り今に至る……

と、最後の部分をはしょってしまったがParraの映画史における異端性、重要性はここにある。先述したが彼はスリナムという国で生まれた、スリナム系オランダ人である。だがそもそもの話、スリナムという国名を聞いたことがない人物もそう少なくないだろう。スリナム共和国南アメリカ大陸の北東部に位置し、南にブラジル、西に――おそらくシネフィルにはガイアナ人民寺院の悲劇」で有名な――ガイアナ共和国と国境を接する国だ。以前はオランダ領ギニアと呼ばれ、17世紀からオランダに植民地として支配されていたが、1954年に自治権を獲得した後、1975年には完全な独立を果たした。故にラテンアメリカで唯一オランダ語公用語であったり、黒人奴隷や移住してきたアジア系住民の文化が混ざり合った無二の文化を持っていたりと、かなり興味深い歴史がこの国には広がっている。そんなスリナムにParraは生まれた訳である。

Parraは1976年に"Wan pipel"という長編を監督したと先述したが、今作はスリナム独立後、現地の人々を俳優やスタッフとして起用して作られた、言うなれば初めてのスリナム映画なのだ。オランダに留学したアフリカ系スリナム人の主人公が、母の死をきっかけに恋人を残して故郷へと戻ることになる。彼はそこでインド系スリナム人の女性と出会い恋に落ちるが、アフリカ系とインド系の文化的衝突がその愛を邪魔し、更には彼を追ってやってきた恋人の存在は宗主国オランダの存在とも重なり、主人公はアイデンティティの危機に陥る。そんなスリナムの文化の複雑さを反映した物語となっているが、それもあってかオランダでの興行は散々なものだったという。

この後Parraは約20年間オランダで映画を作り続けた訳だが先述の"De droom van een schaduw"を製作した後、彼は故郷のスリナムに移住する。ここで彼はスリナム映画アカデミーの設立に携わり、スリナム映画界の前進に貢献する。そして2007年には引退状態から脱し、彼にとってもう1本のスリナム映画"Het geheim van de Saramacca rivier"を完成させた。若い夫婦が危機的な関係性を建て直そうと奔走する作品はスリナム映画アカデミーによる制作映画第1作という記念すべき作品ともなっている。奇妙にも「処女シルビア・クリステル/初体験」と似た質感を持っていたりもする。この後Parraはスリナムで悠々自適な隠居生活を送っているという。81歳で未だ存命である。ちなみに2021年のアカデミー賞国際長編賞において、スリナムは初めて代表を選出した(Ivan Tai-Apin監督作"Wiren")という記念すべき事件が起こったが、これもParraの尽力が無かったら起こっていなかったかもしれない。

さて「処女シルビア・クリステル/初体験」に戻ろう。今作は、実は日本にPim de la Parraというオランダ映画界の重鎮を紹介していたという意味で超重要な作品だ。それもシルヴィア・クリステル「エマニエル夫人」バブルで奇跡的に日本紹介が成された訳だが(もしかするとこの解説で初めてクリステルがオランダ人と知った人も少なくないのではないか)これ以降、1985年の"オランダ・ニューシネマの波"やロボコップ公開からのヴァーホーヴェンのオランダ時代の作品ビデオ発売、オランダ映画祭の開催などなど徐々に日本でオランダ映画受容が進んでいく。

だが2010年代に入って、まるで「処女シルビア・クリステル/初体験」さながら、俄かに文芸エロ映画として日本へ秘密裏に紹介されることが増えた。その先鞭を切ったのが「裸の診察室」("Brownian Movement", 2010)である。医師である女性が結婚生活への不満から患者とのセックスを繰り返すといった作品だが、今作は今や「さよなら、トニ・エルドマン」で日本でも有名なザンドラ・フュラーが主演で、トロントとベルリンで上映されている。監督のNanouk Leopold ナヌーク・レオポルドは2001年頃から長編を製作し始め、今作が評判となり最も有名なオランダ人監督の1人となる。私が最もその作品を愛するオランダ人監督でもある。作品自体も傑作なのでぜひ観てほしい。

そして次は「アブノーマル」("Hemel", 2012)である。父親とのトラウマから年上の男性とのセックスを繰り返す女性を描いた作品で、今作もまたベルリン国際映画祭で上映されている。監督のSacha Polak サーシャ・ポラックはオランダで期待される新鋭の1人で、2019年には"Dirty God"英語圏進出も果たしており、世界に広く知名度がある。ここに続くのが「誘う処女」("Supernova", 2014)だ。今作もオランダ期待の新人の1作としてベルリン国際映画祭に選出されている。ベルリンに評価されるほどの作品がこんな奇妙な邦題で日本に紹介され、そのポテンシャルを見過ごされたままレンタル店の棚に埋もれているのだ。

という訳で「処女シルビア・クリステル/初体験」オランダ映画史における重要作というだけでなく、日本におけるオランダ映画受容においても色々とさきがけていた1作なのだ。こういう風に未だ埋もれている作品は多いと思うゆえに、今後もディグっていきたいと思う。

Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来

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ウクライナ・クリミア侵攻をきっかけとして、旧ソ連諸国においてロシアへの危機感が再燃している。その中の1国であるリトアニアは脅威に備えて徴兵制を設置、若い男性たちに兵役を課している。そして義務ではないが、少数の女性たちが志願兵として兵役を行っているという現実もある。そんな普段は注目されない女性たちの選択を描きだしたドキュメンタリー作品がMarija Stonytė マリヤ・ストニテー監督のデビュー長編"Gentle Soldiers"だ。

今作の主人公は兵役に志願した3人の女性である。彼女たちは20代になったばかりであるが兵士となることを選び、9ヵ月の訓練を受けることになる。そのなかで身体や精神を厳しく鍛錬され、男性兵士や同じ境遇の女性兵士たちと寝食を共に過ごしながら、リトアニアの現状や自身の人生について思索を重ねていくこととなる。

まず目にとまるのが女性兵士たちの体躯の小ささだ。髪を刈りあげた男性兵士たちが濃緑の軍服を身に纏い整列するなかに彼女たちも紛れこんでいるのだが、彼らに比べるとその身体は小さく脆いものに見えてならない。その中の1人ががらんどうになった廊下を歩く場面があるのだが、またそのちっぽけさが際立つ。それは彼女たちの心細さも現しているのかもしれない。

そして訓練が開始される。例えば銃器などの重装備を身に纏いながら広野を動きまわったり、泥の溝に身体を埋めて匍匐前進で前へ前へと進んでいく。この過酷な訓練の数々が連なる毎日を、兵士たちは過ごさなくてはならない。並大抵の精神では太刀打ちできないだろうと思わされる。痛みと汗がここには刻まれている。

撮影監督Vytautas Plukas ヴィタウタス・プルカスのカメラは3人の女性兵士に静かに寄り沿っていく。訓練を受ける、輸送トラックに座り仲間たちと談笑する、同じ女性兵士たちと親密な時間を過ごす。そういった風景に現れる彼女たちの表情を見据えていくのだ。そこに何か個人的な思考や解釈は介在することがない。観客はそれぞれにこの表情の数々を見つめ、それぞれに考えを深めていくことになるだろう。

そして時折、カメラは兵士の1人1人と対面して、彼女たちの言葉に耳を傾ける。彼女たちは現状への苦悩や人生にまつわる想いを語っていく。その胸中には様々な感情が去来しているのが、彼女たちの言葉からは推し量られるだろう。彼女たちを取り巻く風景と言葉、これがありのまま示されることで私たちを思考へ誘うのだ。

訓練が繰り広げられるにつれて、兵士たちの絆は密なものになっていく。女性たちも同僚たちとともに兵士の勇猛さ雄々しさを湛えるような歌を響かせることになる。それは軍隊というマチズモの機構へと彼女が取りこまれていっているようで、モヤモヤした微妙な思いが込みあげてくるのもまた事実だ。こういった側面も作品には現れる。

そのなかで今も私の心に強く残っているのは映画の冒頭だ。1人の女性兵士が自分の身体ほど大きい銃器を構えながら、叢のなかで標的を伺っている。その強く引き締められた視線や横顔は、しかし未だ幼いもののように思われる。これと同時にカメラは銃身を這っている1匹の小さな小さなテントウムシを捉える。彼女の緊張など露知らずに、ただ平和にテントウムシは銃の上を歩いている。これが、何か世界の残酷を何より豊かに、壮絶に語っているのではないかと思われて、今でも私の心から離れないのだ。

"Gentle Soldiers"リトアニアの危うい現状を女性兵士たちの視点から描きだしていく意欲作だ。そして9ヵ月の訓練が終ったとしても、それは何かの始まりや終りを意味する訳ではない、人生は続いていく。女性たちはそれぞれの日常に戻りスーパーマーケットで働いたり、束の間の休みを過ごすことになる。その一方でロシアという脅威も未だに存在し続け、脅威への不安もまた消えることがない。ここで描かれた出来事が現在進行形であることを観客は終盤においてまざまざと見せつけられることになるのだ。

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その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること

Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること

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レバノン映画はいつであってもその激動の歴史を見据え、傑作を生みだしてきた。例えばMaroun Bagdadi マルーン・バグダディ"Les petites guerres""Hors la vie"などレバノン内戦をテーマとした作品を作り続けたし、日本でも著名なNadine Labaki ナディーン・ラバキー「キャラメル」「存在のない子供たち」などでレバノンの現在を深く見据え続けている。今回はそんな映画作家の系譜に連なるレバノンの新たな才能Chloé Mazlo クロエ・マズロによるデビュー長編"Sous le ciel d'Alice"を紹介していこう。

50年代初頭、今作の主人公であるアリス(Alba Rohrwacher アルバ・ロルヴァケル)はスイスの山間部に住んでいたが、その閉塞した状況に嫌気が差していた。心機一転、彼女が新天地として選んだ場所が中東に位置するレバノンだった。アリスは新たな人生を始めるが、その時に出会ったのがジョゼフ(Wajdi Mouawad ワジディ・ムアワッド)という風変わりな科学者だった。

今作の演出はおもちゃ箱をひっくり返したかのような極彩色の奇想に満ち溢れている。アリスの人生を描くにあたり、アニメーターでもある監督は可愛らしいストップモーションを駆使すると共に、印象派を思わす絵画を書割としてレバノンのめくるめく街並みを描きだす。この愛おしい、まるでお伽噺に出てくるような世界のなかで、アリスはその生命を輝かせるのだ。

この演出法を観ながら想起したのはエリック・ロメール「聖杯伝説」だった。奇妙なまでに簡略化されたセットに放りこまれた登場人物たち、彼らが過剰なまでに演技がかった挙動で伝説を語る様が、アリスたちの人生に重なるのだ。センスの先鋭かつ豊穣な芸術家が、全身全霊を懸けて創りあげた学芸会といった雰囲気を2作は共有しているのだ(鑑賞後に、監督とFacebookで話したが実際「聖杯伝説」は参考にした作品の1つだという)

ジョゼフと時間をともに過ごし相思相愛となったアリスは2人の部屋を借り、娘であるモナ(Isabelle Zighondi イサベル・ジゴンディ)を生み、レバノンという大地にその魂を深く埋めることになる。優しい家族と陽気な親戚たちに囲まれて、アリスは幸福な時間を過ごすのだったが、それは長くは続かなかった。レバノン内戦が始まったのだ。

私たちはアリスたちの幸せが少しずつ崩壊していく様を目撃することになるだろう。ニュースでは不穏な破壊と死の報が伝えられる一方で、路上には布をかけられた死骸の数々が横たわっている。布に蟠る血の赤色は、かつて彼らが生きていたという悲壮な証だ。アリスはこの突然訪れた過酷な現実がすぐに過ぎ去ることを願い、アパートの1室で密やかに生活を続けながら、むしろ状況は悪化の一歩を辿る。Mazlo自身とYacine Badday ヤシーン・バッダイによる脚本はこの風景を丹念に描きだしている。

序盤においては監督の出自が存分に発揮された、現実を軽やかに越える色とりどりの演出が私たちの瞳を楽しませてくれるが、物語が展開するにつれその彩りは影を潜めることになる。この内戦状態において安心できる場所は自身の部屋しかないが、これが徐々に息苦しい監獄へと変わっていくことになる。この現実を反映して監督の演出もまた閉所恐怖症的なものとなり、アリスやジョゼフの身体を圧迫し、観客の心をも圧し潰していくことになるのだ。

そして内戦が激化するにつれて、皆がこの国に生きることの意味を考えざるを得なくなる。アリスの親戚たちは已むなくレバノンからの脱出を選び、それぞれ異なる国へと赴く。アリスは彼らの背中を見据え、また会える日を願いながら、自身の部屋へと戻ることになる。だが彼女やジョゼフはレバノンから出ていくことを選ばない。何故、彼女たちはレバノンに残り続けるのか?

今作の核はアリスとジョゼフを演じる2人の俳優だろう。まずジョゼフを演じるWajdi Mouawadレバノン系カナダ人の劇作家であり、日本ではドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作「灼熱の魂」の原作者として有名だが、ここでは俳優として印象的な演技を魅せてくれる。ジョゼフは人づきあいを得意としない科学者だが、その才能を惜しみなく宇宙探索のためのロケット制作に注ぎこむ。彼にとってはこれがレバノンで生き続ける理由の1つであり、国の未来を信じ、そしてアリスとの明るい未来を信じている。

そしてアリスを演じるアルバ・ロルヴァケル、ヨーロッパを股にかけ活躍するイタリアの名俳優だが、ここでは流暢にフランス語を操りながらアリスの人生を体現していく。最初は水色のドレスを纏う夢見心地の少女、家族を想いながら幸福を噛みしめる中年女性を経て、死に満ちたこの国に生きることの意味について苦悩を続けるレバノン人。こうして様々な表情を見せるアリスをロルヴァケルは力強く演じてみせるのだ。

今作において監督が深く見据えているのはレバノン内戦が齎したあまりにも残酷な傷だ。私たちはベイルートの町が死によって浸食され、アリスたちの心が少しずつ殺されていく痛ましい現実を見ることとなる。だがその壮絶の真っただ中を進み続ける幾多の生の根底には、それでも故郷を愛するのだという強靭な意志が存在している。だからこそ今作に現れる生は小さくも、力強い輝きを放っているのだ。

"Sous le ciel d'Alice"レバノンへの大いなる愛を、アニメーションと実写の融合を基とした独創的な様式によって美しく描きだした1作だ。現在、レバノンは甚大な被害を与えた爆破事故などで危うい状況に陥っている。だがここに描かれる愛を原動力として、レバノンの人々は再び前に進んでいくだろう。描かれる風景は心引き裂かれるような物であっても、今作にはそれを突き抜けるだろう希望が存在しているのだ。

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Noah Buschel ノア・ブシェルのプロフィールと作品に関してはこちら参照。

済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思ったのでしょう? どうやってそれを成し遂げましたか?

ノア・ブシェル(NB):私は映画にこそ左右されるんです。映画は私に沢山のことを教えてくれたと同時に、私が持つ妄想の数々を強靭なものにもしてしまいました。盤石で永遠に続き、誰とも乖離した自己を持つことができるという妄想です。ある時点から、唯一性という観点に由来する映画を作りたいという興味が膨れあがっていったんです。もしくは唯一性という感覚が滲み渡っていたんです。登場人物は全員1つの身体と1つの精神を共有する訳です。言うは易し行うは難し、ですが。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていましたか? 当時において最も思い出深い映画体験は何でしたか?

NB:小さいときにTVで「波止場」で観たのは頗る衝撃的な経験でしたね。映画において全ての登場人物が明白に1つの身体を持つということの素晴らしい例でしょう。その後、Ziegfeld Theaterに兄弟と一緒にシン・レッド・ラインを観たのも覚えています。この映画も相互関連性にまつわる作品でしょう。それからやはり兄弟と二番館で「こわれゆく女」を観ましたが、これも心を揺るがす経験でした。さらに19th street theaterに独りで宮崎駿千と千尋の神隠しを観に行った経験は正に人生を変えるものでした。しかし心を開いてくれた映画と同時に、心を閉ざすような作品も100はありましたね。

TS:映画監督であると同時に、あなたはPat Enkyo O'Hara パット・エンキョ・オハラの許で禅の修行を行っていましたね。この記事によると映画監督・脚本家として鍛錬を積むと同時に、禅とその文化からも様々なことを学んでいたと。そこで聞きたいのはこの禅が映画製作や映画体験に影響を与えたかということです。

NB:私は禅についてまだ殆ど知りません。ただ足を組んで、1日に最低数時間を座布団の上で過ごしているというだけなんです。これは日々のメンテナンスのようなものであり、私にとっては歯を磨くことと同じなんです。

TS:あなたの作品に関する質問に入っていきましょう。あなたが2003年に制作したデビュー長編"Bringing Rain"は胸を打つ荒涼とした青春映画、目覚ましい群像劇として展開していきます。今作を観た時深く驚いてしまったのは、この映画が私の若さに対する深淵のような感情を、そして未来への幻滅を映しだしているようだったからです。そして一切の陳腐な救済が存在しないことも印象的でした。この映画がとても好きなんです。今振り返って、あなた自身はこの映画をどう見ますか? 今でも心に残っている映画製作に関する個人的な思い出はありますか?

NB:チャールズ・ブコウスキーはこう書いています。"魂が掠れていくごとに、形式が現れる"と。"Bringing Rain"において私は映画製作の形式や技術をあまり知らず、そこには魂だけがありました。今作は寄宿舎学校を舞台としたメロドラマという体裁を借りた、インドラの網にまつわる映画なんです。私にとって最新作である"The Man in the Woods"は同じく寄宿舎学校が舞台ですが、多くの技術と設えられた形式が存在します。つまりこれが未来に繋がった訳です。"The Man in the Woods""Bringing Rain"は2つのブックエンドなんです。今、私は監督として燃え尽きている状況で、作品はその念に由来するものであり、万人受けからより遠ざかっています。配給会社の人々はこの作品群を間違って宣伝する方法すら分からなくなっています。ゆえに主流のTVや映画スターを使って映画を作る行為自体がもうすぐ終わると感じます。他の映画作家のために脚本を書くということはあるでしょうが、監督としてはいわゆる実験映画と人々が言う作品を作るようになるでしょう。

TS:第2長編"Neal Cassady"に関連して、あなたのアメリカ文学への考えをお聞きしたいです。あなたのアメリカ文学への志向は、ジャック・ケルアックデニス・ジョンソン――後述しますがあなたは彼の作品を映画化する計画を立てているそうですね――切実な騒々しさや無限の荒野の彷徨い人たちを向いているという印象を受けます。しかしあなたが実際に心惹かれるアメリカ文学というのは一体何でしょう? その理由もお聞きしたいです。

NB:自分がどんなアメリカ文学に惹かれるかというのは分かっていません。ですが読むのは殆どがアメリカ人作家の作品です。Maxine Hong Kingston マキシーン・ホン・キングストンRudy Wurlitzer ルディ・ワーリッツァーGloria Naylor グロリア・ネイラーDavid Goodis デイビッド・グーディスMichael Herr マイケル・ハー……おそらくこれは私が他の言語を知らないからで、翻訳小説を読むのも避けているからです。そして英国の小説家に関しても殆ど無知です。それでも宮沢賢治の作品は全て読んでいます。

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TS:それでも"Neal Cassady"は正確に言えばジャック・ケルアック「路上にて」を含め、どんなアメリカ文学も基にはなっていません。しかし今作は「路上にて」ディーン・モリアーティのモデルとなったNeal Cassady ニール・キャサディの人生を通じ、アメリカ文学の裏側にある複雑な現実を描きだしています。あなたは何故、もしくはどのようにNeal Cassadyの人生に惹かれたのでしょう? 彼の人生のなかにあなたは何を目撃したのでしょう。

NB:"Neal Cassady"ですか……あの映画は内容に見合う予算がなく、しかしそうであるべきだったとも思います。私は人間がいかにペルソナというものに囚われるかに興味がありました。私にとって今作はCassady自身についての物語ではないんです。つまり私は彼らを公平に扱うということがなかった。そしてIFCは酷な形で短くカットしたバージョンをリリースし、最近になって弁護士のおかげでやっとそれが撤廃されたところです。

TS:第3長編の"The Missing Person"に行きましょう。今作で最も印象的だったのは、いつだって壮大なマイケル・シャノンとの信じられない共同制作と、彼からいかに深遠な感情を引き出し得たかです。シャノンの煌びやかなフィルモグラフィにおいても、"The Missing Person"は甚だしいほどユニークで、深く感動的な存在感を放っています。マイケル・シャノンとの仕事はどうでしたか? 彼と再びタッグを組む予定はありますか? もしそうなら今度は彼にどういった役を演じて欲しいですか?

NB:私が思うに"The Missing Person"においてシャノンは殆どの部分でありのままでいたんです。思いやりを持ち、繊細な人物であり続けたんと。彼は美しいまでに控えめな人でした。映画を押し進めてくれたのは彼なんです。

素晴らしい俳優たちと関わりながら監督をする以上のことはありません。イーサン・ホークやリザ・ウェイル、ポール・ジアマッティやポール・スパークス、ジェーン・アレクサンダー……彼らに冷静かつ集中していられる環境を与えながら、もし安全圏に逃げ込もうとしたら少し小突いてやるといった風です。全ての俳優には安全圏というものがあり、もしそこから演技をするというなら、その演技はもう既に少し古びてしまっているんです。私はまたこの言葉に戻るべきでしょう。"魂が掠れるごとに、形式が現れる"と。

TS:そしてあなたの最も感動的な長編"Sparrows Dance"については、あの重要なシーンに関する質問をしたくて堪りません。あの引きこもりの主人公と彼女の想い人が部屋でダンスをするのをカメラが映し出す時、それがセットだったと明かされます。それはまるでヒッチコックのあの言葉、"たかが映画じゃないか"を彷彿とさせながら"確かにたかが映画だ、だが映画こそが人生を救う、映画が私たちに幸福を齎してくれるんじゃないか!"と言いたくなります。この興奮と感動をどう言葉で表現できるでしょう? 少なくとも私にはできません。しかしぜひともこの場面についてお聞きしたいです。この場面はどのように思いついたのでしょう? この信じられないような場面を俳優のMarin Ireland マリン・アイアランドPaul Sparks ポール・スパークスとともにいかに組み立てていったんでしょう?

NB:このショットでは特殊効果が使われる予定でした。主人公のアパートメントの背景に抽象的なVFXで都市の風景を使おうとしていました。しかしスタッフが設置した照明やバーバンクの倉庫が見えるこのショットを見た時、思ったんです――"ああ、これだ。何でそこに何か付け加えて風景を偽る必要がある? ありのままにしない理由があるのか?"と。

TS:あなたの作品における俳優たちに話を移しましょう。作品のレギュラー俳優でも特にマリン・アイアランドユル・バスケスが好きです。アイアランドが例えば"Sparrows Dance""Glass Chin"といった作品でまるでミューズさながら多様に光り輝く一方で、バスケスの存在は"Glass Chin""The Phenom"において作品を魅力的なまでに引き締め、力強いものにしてくれます。この2人の名優とどのように出会ったんでしょう? 彼らと頻繁に仕事をする最も大きな理由は一体なんでしょう?

NB:マリン・アイアランドユル・バスケスと頻繁に仕事をする理由は彼らを愛しているからです。そして映画監督という存在がその作品において同じ俳優と仕事を続けることにいつも素晴らしさを感じます。私たちが生きているのは、多くのインディーズ映画が実際はハリウッドの代理店によって制作されているとそんな時代です。ある種の決まったレパートリーを持つ一座を抱えるというのは、機械的な雰囲気を避ける効果があります。私は厳密なまでにプロフェッショナルな雰囲気を湛えた映画というものを作りたいと思ったことはありません。家族のような存在と映画を作ると、その作品にはホームムービー的な感触が宿ります。もし映画がただ滑らかでプロフェッショナルのものであるなら、私にとってそこに無邪気な何かが見えることはありません。そして付け加えるべきなのは、私は最も仕事がしやすい人物という訳ではなく、作品もそうではないことです。何度も仕事をしている俳優たちは出世階段をとんとんと登っていくような人物ではありません。多くの俳優たちが何か少しだけ異なることをしてから、隠れてその反応を見守るなんてことをしていて、あなたもそれを見たことがあるでしょう。ユルやマリンのような俳優はそれ以上の存在で、恐れなど持っていません。彼ら自身が芸術家なんです。これは彼らと一緒に一か月間電車に乗るだとかそういう次元の話ではなく、信念にまつわる話しなんです。

TS:あなたが今のアメリカを捉えようと試みる際、例えば"The Missing Person""Glass Chin"、"The Phenom"といった作品群は全くアメリカ的な心理模様への深遠なる旅路ともなります。時にあなたは歴史的イベントを物語に織りこみ("The Missing Person")、時にあなたはレナ・ダナム"Girls"ウータン・クランソニー・リストンといった固有名詞を多く投入する("Glass Chin")こととなります。こういった手捌きに触れる時に感じるのは"ああ今自分はアメリカ映画を観ている。今自分はアメリカを目撃している"ということです。そこで聞きたいのは作品においてアメリカの現実やアメリカそれ自体を描きだそうとする時、最も重要なことは何なのか?ということです。

NB:そうですね、アメリカにおいて私たちは転落や挫折をうまくすることができません。思うにアメリカと日本はここが共通していると思います。挫折は私たちの社会において悪しき何かとなってしまいました。挫折などするべきではないということです。このテーマは私の作品に多く見られるでしょう。挫折によって苦悩する人々、挫折は過程の一部として健康的であると感じていない人々。西側の人間として、私たちは成功を追い立てられながら成長していきます。成功と失敗の二項対立の中で生きている時、その人生はいつだって他人からの承認に頼る極度に敏感なものになってしまいます。それに加え、私たちが考える成功という概念が今より歪んだものになってきています。もっと存在するべき、もっと観られるべき、もっと所有するべき……これこそが私たちにとっての悲劇なんです。

スタイルとして、私はクラシックなアメリカに惹かれます。ダイナーや野球、ジャズや煙草、コカコーラにボクシング、バーに車……これはいわば図像学的な夢の風景であり、時に戯れることもあれば、時に覆すべき時もある。そして時には時代考証よりも人工的な細工によってこそ現実に近づける時もあります。私の映画には1970年代のアメリカ的スタイルというものは存在せず、代わりに50年代、もしくは60年代序盤のスタイルがあります。私にとってこの年代にはある種時代を超越したものが存在しているんです。時代ものを作るとしても、その時代よりもその超越性を探し出そうという興味の方が大きい。そしてその時に現代を表現するものに関して言及することはありますが、それはこの超越性をより高めるための演出なんです。

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TS:そしてあなたの映画がいかに万華鏡的にジャンルを越えていくかにも感銘を受けます。"Bringing Rain"は荒涼とした青春もの、"The Missing Person"はハメットやチャンドラーを彷彿とさせる探偵もの、"Sparrows Dance"は古典的ななロマンス、"Glass Chin"はやはりノワールですが「ボディ&ソウル」「罠」といったボクシング・ノワール、そして"The Phenom"はスポーツものの皮を被った心理スリラーといった風です。フィルモグラフィを通じて、あなたのテーマや演出の選択はカメレオンのように自由自在です。この作品群のなかに、何らかの嗜好や一貫した傾向があると自分で感じますか? ジャンルには意識的でしょうか? 映画製作のために物語を選ぶ際、最も不可欠な要素は何でしょう?

NB:ジャンルとは私たち皆が共有するしきたりです。私にとって、これらのしきたりは地盤となってくれる意味で有益なものなんです。そして映画が完全な非現実性へ傾かないようにしてくれる多様なお約束というものも存在しています。つまり私がどんなジャンルを作っていようとも、それは漫画として描かれる小さな詩のようになります。漫画として描かれる小さな詩、私自身作品をこう表現しています。辰巳ヨシヒロの劇画とある種似通ったものなんです。

TS:あなたの撮影スタイルにも興味があります。作品を通じて、ショットの長さは徐々に長く長くなってきていますね。いわゆる長回しというのはとても興味深いスタイルです。何故なら表面上それは現実を指向していますが、それが長くなるにつれ、むしろ非現実に近づいていくんです。言い換えれば、長回しは瞬きといった人間の生理現象を越えることで現実味やリアリズムを超越し、映画的な形で超現実性へと肉薄していくんです。この衝撃を伴った超現実性はあなたの作品でも観られます。例えば"Glass Chin"における主人公と敵対者の会話、シャワー内での主人公と恋人の会話という連なった2つの場面などです。作品を通じてどのようにこの撮影スタイルを築いた、もしくはそこに到達したのでしょう? 他の映画作家や映画作品からのレファレンスや影響はありますか?

NB:18日や21日で映画を作る場合、早く早く撮影する必要があります。そこで撮影日をもっと実践的なものにする(照明のセットにかける時間を短くするなどです)ためにショットが長くなるというのが部分的な理由です。そしてセーフティ・ネットとして代わりとなるショットは要らないなと感じた時にもやります。さらにカットや編集が多くなると俳優を見据えるのに邪魔になります。あなたが言及した場面において、私は舞台を観劇するようにビリー・クラダップを見据えたかったんです。ショットがしばらく持続すると、フレーム内にエネルギーが満ち始めます。こうして異なるやり方で時間と戯れることもできます。そしてもしそのショットが唯一撮影したものなら、本物の後押しとなってくれるんです。時の流れをありのままにし、そこで実践するしかないんです。

ここ西側諸国においては時間をありのまま流れるようにするというのが、時間を切り捨てることと混同されています。しかしこのあるがままの姿勢が、執着したり圧迫したりしないまま、何かと共にあることを私たちに許すんです。映画を作ることはあるがままであることの過程なんです。脚本やストーリーボードなど準備は全て揃っており、どう進むべきかは熟知している。それでもこれを手放し、理知的な思考やファンタジーを適用できない場所へ自分を突き動かさなくてならないんです。

映画作家に関しては頗る普通の感傷しか持っていませんが、小津安二郎はあるがままである勇気を私にくれる意味で確実に影響を受けています。

TS:これは最後になりますが、あなたの最新の計画についてお聞きしたいです。あなたはデニス・ジョンソンドッペルゲンガーポルターガイストクリストファー・アボット主演で映画化しようとしていると聞きました。ジョンソンの作品の中でも、このエルヴィス・プレスリー陰謀論にまつわるとてもアメリカ的な1作を選んだのは何故でしょう、もしくは作品の方があなたを選んだのでしょうか? (これは些細なことかもしれませんがこのニュースを聞いた時"Glass Chin"で素晴らしい演技を見せてくれたビリー・クラダップマイケル・シャノンジーザス・サン」の映画版に出ていたことを思い出しました。彼らにこの計画やジョンソンへの愛を語りましたか?)

NB:これについて話したのはユル・バスケスクリス・アボットだけです。デニス・ジョンソン……"Train Dreams"はオールタイムベストの1作です。彼の作品は私にとって大きなインスピレーションとなっていて、そういった人物は多いことでしょう。この短編に惹かれた理由は、あなたのジャンルに関する問いにも関わってくると思えます。これはいわゆる探偵ものです。ある詩人がエルヴィスにまつわる事件を解明しようとする。しかしジョンソンはこの探偵ものというジャンルを使い、ユング的な影、輪廻転生、永遠、自殺、9/11、精神疾患、80年代のニューヨーク、兄弟の絆、そして喪失など様々なことを描こうとしている。テーマが本当に広範で、だからこそ胸を引き裂くような作品となっているんです。そして今作は内面と外面が1つになった物語でもあるんです。何物もあなたの外には存在しない。世界全ては心以外の何物でもないんです。

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アゼルバイジャン、ある1人の女性~Interview with Tahmina Rafaella

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

今回インタビューしたのはTahmina Rafaella タフミナ・ラファエッラだ。彼女はまず俳優として活動した後、2020年に"Qadın"("ある女性")で監督デビューを果たす。現代のアゼルバイジャン・バクーを舞台として、1人の女性が妻・母・娘など様々な役割を果たしながら、自分を探し求める姿を描きだした1作である。アゼルバイジャン映画には珍しい女性監督による女性主人公の映画(しかも監督が主演も兼任している)という訳で、ぜひともインタビューしてみたかったが、これが実現したのである。今回はアゼルバイジャンにおける女性の権利の現状、その演出の数々、そしてもちろんアゼルバイジャン映画史に関する質問をぶつけてみた。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか?

タフミナ・ラファエッラ(TR):いつだって物語というものを語ってみたかったんです。最初は演技を通じて、しかし時が経つにつれ私自身の物語を創造したいと思えました。私たちの文化や社会が描かれていない、多くの人々がアゼルバイジャンを知らない、だからまだまだ多くの物語、特に女性たちの物語が語られる必要があると感じたんです。私はいつも人々の人生における経験、そして何がその人物を形成したのかに興味を抱いてきたんです。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういう映画を観ていましたか? 当時のアゼルバイジャンではどういった映画を観ることができましたか?

TR:映画に興味を持ち始めた頃は主に古典作品を観ていました。13歳の頃ですね。インターネットに時間を費やし読書をして、そして古典映画について学んでいた訳です。海賊版のDVDを売っていたお店にも行って、それを買っていました(当時はそういった海賊版しか売られていなかったんです)時々は監督に着目して、彼らの作品を全部観てから、また興味を持った監督の作品を観るなんてことをしていました。

TS:あなたの作品"Qadın"の始まりは一体何でしょう? 自身の経験、アゼルバイジャンにおけるニュース、もしくは他の何かでしょうか?

TR:思うに始まりはアゼルバイジャン映画における女性表象、そして女性たちをめぐる正確な描写の欠如ですね。男女の不平等に関するアゼルバイジャンの毎日のニュース、称えられることもなく相応な信頼も得られることのない女性たちとの私自身の個人的な経験が混ざりあっているんです。

TS:映画に関する詳細な質問に入る前に、アゼルバイジャンにおける女性と女性たちの権利の現状についてお聞きしたいです。世界ではこれに関して様々な状況が広がっています。例えばポーランドでは中絶が禁止されようとしており人々がこの決定を覆そうと活動しています。一方でアルゼンチンでは中絶が合法化され、性教育の拡充も約束されました。他の国々と比べて、アゼルバイジャンにおいて女性の権利はどういったものとなっているでしょう?

TR:はい、世界が多くの意味で未だに進歩していない様を目撃するのは悲しいことです。幸運なことにアゼルバイジャンで中絶は合法ですが、今日でも女性たちは多くの問題に直面しています。この国において家庭内暴力は多くの人々に見過ごされている大きな問題です。社会はこの問題を深く見据えようとしないんです。政府で働く人間の中には性差別的な宣言を垂れ流すようなプラットフォームを持つ人物もいて、それが閉鎖される気配もありません。もちろん男女平等のために戦う活動家もいますが、もっと政府が公式レベルで取り組む必要があるんです。殆どの人々がムスリム国家で初めて女性に参政権を与えたのはアゼルバイジャンだと誇らしげでいますが、家庭内暴力や社会的抑圧、強制的結婚などそういった女性が日常において直面する苦難については忘れてしまうんです。もし胎児が女の子だと分かると中絶を選ぶという、いわゆる性選択的中絶の問題もあります。殆どが農村地域で起こっているのですが深刻に対処されるべき主要な問題の1つであり、適切な教育が行われるべきなんです。

TS:作品の重要な要素の1つは複雑なリアリズムを湛えた撮影です。表面上はシンプルなものに見えますが、その静かな激しさは主人公であるレイリが持つ複雑微妙な感情をより際立たせ、印象的なとします。撮影監督Daniel Quliyev ダニエル・グリイェフとともに、どのようにこの極めて現実味のあるスタイルを構築していったのでしょう? これに関してあなたはダルデンヌ兄弟の作品が好きであるとお聞きしました。彼らの作品に影響を受けているなどはありますか? もしそうなら、どのようなものでしょう?

TR:私はこの作品を日常という現実を反映したものにしたいと思っていました。1人の女性、その人生のたった1日がその他大勢を代表するようなものにしたかったんです。Danielには最初から、長回しを盛りこみながらも映画的な完璧さは求めない、観客が演劇的すぎるとかリハーサルをしすぎと思わないようにしたいと話していました。ダルデンヌ兄弟の作品は確かに好きです。私にとって彼らは"芸術性"を求めない映画製作というものの素晴らしい美を体現しているんです。彼らは現実に根づいた問題と対峙するリアルな人々を描いていて、それを通じて私たちの心から人間性を引き上げてくれるんです。その作品はいわゆる社会的リアリズムというスタイルで作られていながら、人間の内面性にまつわる詩情や思索にも満たされています。それらに触発され、私も自分の周りにこそある物語を描くことに興味を持ったんです。遠くに興味深い物語を探す必要はありません、そういった物語は私たちの周りに、私たちが出会っていく人々のなかにこそあるんです。

TS:そして物語において主人公の役割が多様に変わっていく様に感銘を受けました。レイリは母、妻、娘としての人生を生き、時にはその全てでもあるんです。この役割から役割への頻繁な移動は映画の核でもあります。社会における女性の役割という現象を脚本として描くにあたって、最も重要なことは一体何でしたか?

TR:世紀を通じて女性たちは誰かをケアするということをしなければなりませんでした。伝統的に彼女たちは自分の子供を、自分の夫を、そして自分の家をケアし、両親が自身を世話できなくなった時には彼らをもケアしてきたんです。その上多くの女性たちは男性がそうするように仕事もこなしてきたんです。物事は変わり、伝統的な役割も変わってきましたが、一般的に女性たちはやはり多くのケアを担わねばならず、そうすることを未だ期待されるんです。"こんなに多くのことをしてくれて、もっと女性たちに感謝するべきだ"と思ってくれる人も少ないでしょう。

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TS:この映画において登場人物たちは共存する3つの言語を自由に使いますね。ロシア語とアゼルバイジャン語、そして英語です。この言語の共存は現代アゼルバイジャンにおける現実を反映しているようにも思われました。これについては個人的に話しましたが、日本の読者にもこの言語的共存に関して詳しく説明して頂けないでしょうか? アゼルバイジャンではこの3つの言語がどのように使われているのか、アゼルバイジャン人はこの言語をどう使っているのか?

TR:ソ連崩壊前、この国の人々、特に首都バクーに住んでいた人々はロシア語を喋っていました。私の両親も学校に行ったり、他人と喋ったりする時にはこの言語を使っていた訳です。今日に至るまでロシア語が使用される学校も存在していますが、今はこれに関して否定的な風潮があります。ソ連崩壊後、この国から植民地としての過去にまつわる遺物を消し去ろうという大きな動きがあり、ロシア語もその遺物に含まれていました。私たちの美しいアゼルバイジャン語に関して感傷や誇りを抱き、この言語を使って文化的財産を発展させていきたいという欲望も理解できます。しかしながら、ロシア語を私たちの日常から根本的に失くしてしまうという過激な選択はこの言語を喋りながら生きてきて、アゼルバイジャン語を流暢には喋れるようになるための機会を与えられなかった人々への共感に欠けています。ここで起こっているのはロシア語話者とアゼルバイジャン語話者の交わりです。殆どの人々はどちらも喋れますが、両親が家でどちらを話していたかによって、その人の中でどちらがより強い言語となるかは変わってきます。そして両方の話者のグループにおいて差別や偏見があり、これが人々を分断するんです。

TS:あなたは主演俳優としても監督としても素晴らしかったです。俳優として言葉にならない不満を抱えた女性の複雑な感情を見事に体現していましたし、監督としては自身を含む俳優たちから日常に根づいた深いフィーリングを引き出していました。俳優と監督どちらも務めるうえで最も難しいこと、そして最も興味深いことは一体なんでしたか?

TR:ありがとうございます! 最も難しかったことは両方を同時にコントロールすることでした。俳優としては自分を役に埋没させたいのに、一転して監督という役割も果たさなくていけない時にそれは難しいんです。2つの役割を行きかうのは、特にスタッフが多くない時には簡単ではありません。

TS:この映画においてKomança コマンチャという楽器が印象的に表れますね。レイリは家族にまつわる騒動の最中にこの楽器を演奏し、これが彼女を落ち着かせるようです。そしてその音はエンドクレジットにおいても現れ、まるで地から天へ逆さまに流れる神々しい雷のような響きは映画の余韻を高めてくれます。とても美しいものです。ここで聞きたいのは映画の中でこの楽器を使おうと思った理由、そしてKomançaとその音のどこが最も魅力的でしょうか?

TR:Kemançaはこの国が持つ美しい楽器です。あなたの言う通り音色はこの地において神々しく独特なものなんです。曲を演奏できるほど上手くなくとも音は詩的に響いてくれます。私としてはこの楽器を国を代表するものとして使うのと同時に、音を作品に取りいれたかった訳です。いつだってこの楽器を愛してますから。

TS:もしシネフィルがアゼルバイジャン映画史を知りたいと思った時、どういった作品を観るべきでしょう? その理由もお聞きしたいです。

もし1本だけお気に入りのアゼルバイジャン映画を選ぶなら、どれを選びますか? その理由もぜひ知りたいです。何か個人的な思い出がありますか?

TR:もし最初から始めたいというなら、映画史を下っていくべきでしょう。ソ連時代の映画を観るのは楽しいですし、独特の"味"もあります。もし現代の作品を観たいなら、私が観た作品の中からだとElçin Musaoğlu エルチン・ムサオグル"Nabat"をお勧めします。今年は何人かの映画作家の作品が映画祭でお披露目され、好評を受けていますが、私はまだ観れていませんね。

TS:アゼルバイジャン映画の現状はどういったものでしょう? 外側からだとそれは良いもののように思えます。有名な映画祭に新しい才能が続々現れていますからね。例えばカンヌのTeymur Haciyev テイムル・ハジイェフロカルノElvin Adigozel エルヴィン・アディゴゼルRu Hasanov ルー・ハサノフ、そしてヴェネチアHilal Baydarv ヒラル・バイダロフです。しかし内側からだと現状はどう見えているでしょう?

TR:確実に良くなっています! 若く新鮮な声の数々がもう既に語られたものでなく、自分たちが作りたい映画を製作しているんです。私たちの多くは困難な形でインディペンデントな映画製作を行っており、それはこの国において芸術映画へのファンディングが広く行われていないからというのもあります。しかしこの国の映画作家が将来を何を成し遂げるかを考えるのは興奮します。今という時代に、映画作家たちは伝統を打ち壊し、自身の声や視点を世に問いているんです。

TS:新しい短編か長編を作る計画はありますか? もしそうなら、日本の読者に紹介をお願いします。

TR:今は長編映画に取り組んでいます。2度目のナゴルノ・カラバフ紛争が行われている最中、子供の養育権を得ようと苦闘する若い女性にまつわる物語です。興味のある要素の数々を組み合わせたもので、これを私たちの社会に問うのは重要だと感じています。

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HuyungとNawi Ismailの間に:モンタージュ~Written by Umi Lestari

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想像してみてほしい。あなたは探偵で、最小限の情報を頼りにある依頼の証拠を探している。そして突然、素朴だが重要な証拠を見つける。まあ……これが探偵ごっこというものだ。研究の際、私はいつもこういうことをしている。私たちが触れられるものから周囲のゴシップまで、データを総体的な形で探し求める。見つけた物象を恣意的に繋げ、衝動的に行動する時もある。例えば私がNawi Ismail ナウィ・イスマイルの作品に降伏した時、Dr. Huyung ドクトル・フユンの作品「天と地の間に」("Frieda", 1950)と再会することとなった。この邂逅から、Nawi Ismailに関する美学的旅路の図式は瞬間にダイレクトなものになった。その作品を探求し、研究を深めていきたいという熱狂を探しあてたかのような気分になったのだ。

「天と地の間に」アーカイブとフィルムの数々はKultursinemaによって、2017年のArkipel映画祭で披露された。偶然のせいでそこに参加することは叶わなかった。しかし今、幸運は私の側にいる! Dr. Huyungの作品群がジョグジャカルタにやってきたのだ。Kultursinemaによる展覧会は2017年の4月3日から7日にKedai Kebun Forumで行われる。この展覧会は拡大していく映画の可能性を探求するためのものであり、ここではDr. Huyungの作品が上映されるだけではなく、植民地時代の映像から1963年にインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)のドキュメンタリーまで様々なアーカイヴが上映される。そしてポスターや雑誌のレビュー、制作現場の写真から作品に関する論文が動くイメージの数々と一緒に展示されるのだ。この展示会という炎によって、観客として私たちは映画を観にいくという文化がインドネシアでいかに培われたかの見取り図について知ることになるだろう。

「天と地の間に」とDr. Huyungについて

「天と地の間に」の物語はオランダ人の祖先を持つ女性のロマンスとそのスパイ行為を軸に展開していく。フリーダとインドネシア人のアビディンは長い間離れ離れだった。インドネシアが独立を果たした後、そんな新しい国家で彼らは再会を果たす。そのメッセージは明白なものだ。ナショナリズムというものはインドネシアを自身のアイデンティティにしようとする個人個人の自発的な性質によって形を得ていくということだ。これがフリーダというスパイによって表現される。オランダの植民地主義が栄光を誇っていた時、フリーダは過去に囚われないことを選択する。最後には天と地の間に留まることなく、インドネシアに生きることを決めるのだ。

「天と地の間に」の物語は現在のジャワにおける芸術の地図を鑑みると、頗る今日的なものだ。舞台はジャカルタとバンドン、そしてジョグジャカルタだ。私たちはFTV(テレビ放送用に制作された映画)に当然親しんでいる訳だが、そこではバンドンやジョグジャカルタといった都市は、首都ジャカルタの喧騒から逃れて束の間の静寂を求める人々のための心地よい場所として仮定されていた。しかし「天と地の間」においてそういったレクリエーション的な側面は描かれない。登場人物たちがジョグジャカルタやバンドンへ出発する姿は、自身の内面世界における危機への答えでもある。アビディンの妻は最初夫の活動家としての行動に疑問を抱くが、ジョグジャカルタにおいて彼女は戦争における食糧配給をサポートするために女性たちの軍隊へと加入することになる。そしてフリーダはバンドンに行くことで、自分のこの2本の足で立つことがどういったものかを経験するのだ。他方で彼女はアビディンとロビジンという人物がそれぞれの方法で独立を維持しようとする様と、彼らの自発的な姿勢に感銘を受けることになる。町から旅立つことで登場人物たちのナショナリズムへの意識はどんどん強靭なものとなっていくのである。

映画を製作する前、Dr. Huyungもしくは日夏英太郎は日本のプロパガンダ組織である日本映画社からの任務を携えてインドネシアへやってきた。HuyungはJavanese Eiga Koshaに加わり1942年から45年までの間、インドネシアの現状を映したフッテージ映像を編集していた。独立後、HuyungはBerita Film Indonesia(BFI)に参加し政治家スカルノヒジュラに従ってジョグジャカルタへ移住した。そして写真という芸術分野において、インドネシアにはIPPHOSという組織があった。BFIとIPPHOSは愛を目的として活動した一種の共同体であり、彼らこそが革命の間に独立の理念を支えたのだと想像することもできる。この2つのグループは実際にインドネシアの革命が世界的に知られるようになった時、解散することになる。

ジョグジャカルタにおいて、Huyungは"Stiching Hiburan Mataram"という作品を作った。HuyungとBFIはジョグジャカルタの難民キャンプに腰を据えることとなったのだが、BFIの代表として彼は現地を記録するだけでなく、映画製作を学ぶためのグループも設立した。そこで教えたのは、ドラマや映画の製作は例え戦争の最中においても真剣なものでなくてはならないという原理についてだった。教師はDr. HuyungAndjar Asmara アンジャル・アスマラGayus Siagian ガユス・シアジヤンといった人物、そして生徒にはDjadoeg Djajakusuma ジャドゥク・ジャヤクスマSuryo Sumanto スリョ・スマントSoemardjono スマルジョノUsmar Ismail ウスマル・イスマイルといった人物がいました。もしインドネシア映画の歴史が人種的アイデンティティを抜きにして綴られるなら、Huyungはインドネシア映画界において間違いなく重要な人物だ。

HuyungとNawiの間に

HuyungとNawiを繋げるものは一体何か? モンタージュ! 1973年にNawi Ismailが記した短いプロフィールによると、彼は編集補や脚本補として日本映画社で働いていたという。そこで彼はHuyungと仕事をしていたのだ! もっと詳細なアーカイヴを探すとNawiがHuyungの相棒であったことも分かる。Usmal Ismailがインドネシア映画の父として"Stiching Hiburan Mataram"の制作に関する短期授業を行うずっと前に、Nwiはモンタージュの技術を彼から学んでいたのだ。

ではモンタージュとは一体何か? これは画の数々を1つのシークエンスへと仕立て上げる技術のことだ。これらのイメージが最後には観客へ何かを表現するのである。その最も初期の例がこれだ。最初の画はあなた自身、2つ目の画はあなたの友人、そして3つ目の画はまぜご飯だ。この3つの画が1つのシークエンスになった時、観客はあなたとその友人がまぜご飯を食べていると知覚するだろう。この"モンタージュ"という言葉はロシアの映画作家・理論家であるセルゲイ・エイゼンシュタインによって紹介された。今私たちはデジタル映画など人気のメディアにおいても様々なモンタージュを見つけることができるだろう。

私は常にNawiがインディペンデントな学び手だと主張してきた。独学で映画製作を学んだと。オランダの植民地支配下において、Java Industrial Film(The Teng Chun テ・テン・クヌが設立した映画製作会社)やStandard Filmといった場所でアシスタントやエキストラとして働きながら映画製作について学んだ訳である。そしてこの時代に彼は映画のエコシステムに関する知識を得たり、パフォーミング・アート出身の芸術家たちと出会ったのだ。しかしHuyungと仕事を共にするうち、彼はイメージを重ねていく自身の能力を開花させたのである。Nawiは極めて独特な映画監督だ。Usmar IsmailAsrul Sani アスルル・サニなど文学やパフォーミング・アートの分野から現れた映画監督とは違う。Nawiは映画学校の同窓生であるDr. Huyungから直接英が製作を学んだ、正に映画という分野から現れた映画監督なのである。

さよなら、アビディン……
さよなら、フリーダ……
なぜさよならと言うの、こんにちわと私は言うよ……

実際私は諦めてしまっていた。Nawi Ismailの作品への好奇心を抑えてしまったのだ。ここから前に進んで、研究の主題を他の何かに変えたかったのだ! しかし「天と地の間に」のクレジットにNawi Ismailの名前が載っているのを発見した時、思わず興奮していた。私とNawiはまるでフリーダとアビディンのようだった!

とにかく……前の記事で仄めかしたようにNawi Ismailの重要なものだ。彼はただの画だけでも私たちを笑わすことができる。NawiのコメディはNya Abbas Akup ニャ・アッバス・アクプといった、知的なユーモアを殊更強調する人物の作品とは違う。NawiのコメディはErnest Prakasa エルネスト・プラカサといった低い階級の人々を嘲笑うしかできない人物の作品とは違う。Nawiがシステムを描きだす重要なコメディを作れるのはDr. Huyungに学んだからだ。「天と地の間に」について、私たちは今作と当時の映画の数々が異なることが分かるだろう。だから……そう……モンタージュ理論を学び終えた人々を馬鹿にするのは止めよう。いつかモンタージュはコメディ文化と融合し、伝統的なパフォーミング・アートから離れるだろう。笑いがあなたの息の根を止める!

私が感じるのはNawiとHuyungはイメージの速度を編みこむ上での近似性だ。ジャンルは異なりながら、イメージの移ろいは等しく滑らかなものであり、カウントも正しい。今から説明する場面を通じて、NawiとDr. Huyungのモンタージュを比較することもできるだろう。1つ目は"Benyamin Biang Kerok"において登場人物のペンギがドアを開けるとバケツが落ちてくる場面、2つ目は"Benyamin Tukang Ngibul"において登場人物ベニが靴を投げた後に不幸に見舞われる場面だ。そして「天と地の間に」において、ある人物がロビジンを訪ねてドアを叩いたのを、自分を呼ぶものと勘違いするのである。

原文:Between Huyung and Nawi Ismail: Montage | Umi Lestari

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彼女の息子によるCristiana Nicolae~Written by Radu Nicolae

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いつものようにルーマニア映画について調べていた時、Cristiana Nicolae クリスティアナ・ニコラエを見つけた。彼女は共産主義時代のルーマニアで活躍した数少ない女性監督でありながら、例えばルーマニア映画界のアントニオーニと呼ばれたMalvina Urșianu マルヴィナ・ウルシアヌや長編1本のみを残して忽然と消え去りカルト的な人気を博すAda Pistiner アダ・ピスティネルらに比べると話題に上がることは殆どないし、故に映画作家として語られることも少ない。しかしそういった隠れた映画作家にこそ私は興味を持つのである。分からないことに関してはそれを知ってそうな人物に聞くのが早いと、Facebookルーマニアの人々に彼女について尋ね、ともすれば鉄腸マガジン用の記事を書いてもらおうと思ったのだが、まさかの人物が私に接触してきた。Radu Nicolae ラドゥ・ニコラエCristiana Nicolaeの息子である。という訳で彼にCristiana Nicolaeを日本に紹介する記事を書いてもらうことを依頼し、彼の執筆してくれたルーマニア語の記事をここに訳出する。日本の映画好きにもぜひCrisitana Nicolaeという作家を知っていただければ幸いである。

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春のある晴れた朝、1人の若いスチュワーデスCristiana Nicolaeが旅から帰ってきて、食事をするために帰宅した。その巨大な邸宅はブカレストの中心に位置していた。彼女の姉妹であるLuli ルリに迎えられ、彼女たちはテーブルを囲んで議論を始めようとしていた。そして議論を戦わせた後、Luliが言った。「知ってるでしょ、私の友達のMircea Veroiu ミルチャ・ヴェロイユが映画を監督してるって自慢してきて、その傲慢さに頭おかしくなりそう。だからあなたも映画監督になってみてよ、だってそしたら彼が自慢してきても『私の妹も監督やってるし』って言えるし、そしたら自慢も終わるだろうしね」と。

「映画監督って何?」と聞いたのはCristianaだ。「知らない」と静かにLuliが言う。「でも必要なのは一般的な文化の知識だけ、それならあなたも十分に持ってるでしょ」

Cristianaは姉をおちょくるため試験を受けた。しかし最後のテストの前、彼女は仕事に出かけてしまった。別にその大学に受かりたい気はなかったからだ。だけども旅から帰ってくると空港には映画監督のIulian Mihu ユリアン・ミフがいた。試験をちゃんと受けるよう説得するため大学からやってきたのだ。Cristianaはそれを拒んでしまう。こうしてあのMircea Veroiuがその年に監督科の生徒になった訳である。

1年後、パリへの飛行の最中、彼女はIulian Mihuの付き添いでやってきた映画監督Liviu Ciulei リヴィユ・チュレイと俳優のGina Patrichi ジーナ・パトリキと出会うことになる。Ginaと知り合った後、Cristianaは再びMihuと言葉を交わす。彼はこう尋ねてくる。「大学に戻る気はないか?」と。Cristianaはやはり断ってしまう。「まあいい、全てをいったん戻してみようじゃないか」

そんな会話の後、初めて大学に挑戦した時と同じ衝動を彼女は感じ、2度目の試験に挑戦してみる。今回は最終試練もキチンと行い、そこで彼女は映画監督という仕事に恋した訳である。

彼女にとって初めての長編映画"Întoarcerea lui Magellan"("マジェランの帰還")だった。第2次世界大戦下における愛を描きだす作品だ。自分をマジェランと呼ぶ若い女性が1人の若者に救いようもないほど深く恋に落ちてしまう。この最愛の人と近くにいるために、マジェランは男と行動を共にし、最後には殺されてしまう。続編として"Zidul"("壁")という作品があるが、Crisitina Nicolaeは監督でもなければ脚本を執筆してもいない。当時こういったことが良くあった訳である。

人間性を揺るがすような歴史的出来事に左右される恋人たちというテーマは、ギリシャ神話において英雄たちが自身の運命と対峙する様に共鳴し、例えば「ドクトル・ジバゴといった作品にも同じような趣向が見られる。そしてこのテーマは次回作で更に深まっていくのだ。

"Rîul care urcă muntele"("山を登る川")はやはり第2次世界大戦時を舞台とした、エモーションに満ちた作品であり、タトラ山脈を進撃するルーマニア軍が起こす波紋に揺れ動く2人の若者を描いている。この歴史的出来事が2人の心を近づけながら、最後には暴力的な形でその関係性を引き裂くのである。人間的な行動への柔らかな眼差しによって、今作は国のために戦おうとする青年の熱意、ある種の頑なさで恋人を探し求める女性の姿――これはルーマニア文化における女性のパーソナリティなのだ――を綴っていく。加えて今作は第2次世界大戦が市井の人々にとってどういう意味を持っていたのかに関する人間心理のフレスコをも作りだしているのである。そしてこの"Rîul care urcă muntele"は俳優Cartrinel Dumitrescu カトリネル・ドゥミトレスクのデビュー映画でもあった。

そして"Cumpăna"(分水嶺)である。今作はいわゆる刑事もので激しい吹雪で孤絶したコテージを舞台としている。共産時代のルーマニアでは頗る珍しい設定だが、実際に在り得る、現実味があるという意味では完璧なものだ。描かれるのは労働者の所有する金が強奪される様だ(当時労働者のための銀行振替など存在しない、あるのは現金だけだったのだ)

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次回作"Stele de iarna"("冬の星々")には多くの感情的な変化がある。というのも今作はルーマニアに実在したレーサー、エンジニアでありながら速さに情熱を持ち、ルーマニアのレースカーでは西欧に太刀打ちできないと悟った人物Horst Graef ホルスト・グラエフの人生を基にした作品なのである。こういった訳で彼は新たな車を見つけ出す、それがボブスレーだった。彼はレースカーの部品を大量に使って、自分で空気力学的に優れたボブスレーの雛形を発明してしまう訳だ。そして現代においてはこれが世界中に広まることとなる。しかし彼の両親はそれを知らない。設計図は全てビデオ映像を通じて、ルーマニアボブスレー連合に売り飛ばされてしまった、そんな都市伝説も存在する。

この映画の後、Cristiana Nicolaeは劇的な転回を果たして、子供たちのための映画を作り始める。"Racheta albă"("白いラケット")は1話55分で全9話のドラマシリーズであり、並行して"De dragul tău, Anca"("君のために、アンカ")という映画も制作した。今作は子供映画として見做されているが、実際には彼女が若い頃に深く慕っていた友人Anca Bursan アンカ・ブルサンに捧げられるオマージュでもあった。主人公は体制に反旗を翻すようなヒーローであるボーイッシュな少女アンカであり、ドレスよりもサッカーに惹かれ、喧嘩の際に少年たちに守られるということもない。今作は比喩としての、社会に押しつけられた規範に反した考え方を厭わない人間の孤高さなのである。

"De dragul tău, Anca"は世界の数々の映画祭で上映されることになった(シカゴやジッフォーニ・ヴァッレ・ピアーナなど)そして今作に続いて"Al patrulea gard lângă debarcader"("埠頭近くの4つ目の柵")を製作、高校を卒業しようとする4人の若者が砂浜で過ごす1日を描きだした美しい物語だ。映画は現代的な映画言語を持っており、今日的なものだ。2人の若者は話すことすらないまま、遠くから見つめあうだけで恋に落ちる瞬間というものを体感する。そして高校最後の日、彼らは砂浜でデートをするのだ。今作は2人の少年少女や彼の親友、そして彼女の甥といった登場人物たちへ優しさの溢れた視線を注いでおり、ルーマニアで興行的成功を収めた。

そしてすぐさま次回作である"Recital în gradina cu pitici"("小人たちの庭でリサイタル")を製作、再び子供たちを描きだす1作であり、しかし今回物語の中心となるのは若いバイオリニストの少女であり、彼女は芸術の名の許に様々な犠牲を強いられることになるのだ。

これらの映画を製作した後、Cristiana Nicolaeは膨大な予算と政治的な後ろ盾を獲得し"Hanul dintre dealuri"("丘の間の宿")を監督する。今作は歴史映画という体を持ちながらも、反共産主義的な力強いメッセージを持っていた。劇作家であるI.L. Caragiale ヨン・ルカ・カラジャーレの、しかしあまり知名度のなかった中編小説を原作とした本作はある若い貴族の従属的なスピーチから始まる。彼は1848年にルーマニアで起こった革命後すぐ、金のために結婚をしたという訳だ。脚本は学校卒業後から執筆していたもので、映画自体もCristiana Nicolaeという人物の魂を表現している。物語としては、この若い貴族が結婚のために義父の邸宅へと赴く姿がまず描かれる。道の途中、夜に休息を取るため彼は宿に泊まることにする。しかし彼は宿の主人に恋に落ちてしまい、もうどこへも行かないと決意してしまう。しかし将軍でもあった未来の義父は処刑された革命分子から奪った富で財を成した人物であり、彼の反抗を、そして彼の結婚が潰え貴族の地位を獲得できるチャンスが無くなろうとしていることを受け入れようとはしなかった。この光景は秘密警察セクリターテの行った行為にも共鳴するし、以前共産主義者たちが貴族たちを追放し土地を奪った行為とも重なる。若い貴族は魔術に操られるかのように行動していく。これはルーマニアに実際存在したプロパガンダにも通ずるもので、政治犯はその存在自体を隠匿されていた。

そしてこの宿主は革命分子の妻であったが、彼は主人公の義父に殺害されていたという事実が明かされる。故に義父はこの騒動を宿の主人を殺すことで終らせてたかったのだ。

こうして今作にもCristiana Nicolae作品の主要テーマが浮かびあがってくる。例えば"De dragul tău, Anca"にも表れるような抑圧的なシステムとの闘い、そして"Întoarcerea lui Magellan""Rîul care urcă muntele"にも表れた、大きな歴史的出来事に引き裂かれる愛、そして踏みにじられる市井の人々の人生。

今作のエンディングはハッピーエンドと言えるようなものではない。宿は収奪された後に将軍の兵士によって燃やされ、最後には消えてなくなってしまう。若い貴族だけが反抗し兵士たちのリーダーと戦うが、行動が遅すぎたし力も及ばなかった。それでも"Întoarcerea lui Magellan""Rîul care urcă muntele"がそうだったように、最後の場面は若い貴族と宿の主人が何とか再会し一緒に逃げていく風景が想像されるようなものとなっている(彼らが抱きあう姿が燃える宿に置かれた鏡に映るのだ。しかし最後にはその鏡も焼き尽くされ、あれが幻影だったのかそうではないのか定かでなくなる)これが観客に想像の余地を与え、2人の間の愛は救われたと信じさせるのである。

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