鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還

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いわゆる"放蕩息子の帰還"というべき作品は映画に限らずあらゆる芸術で何度も何度も語られているだろう。そしてそういった作品を何度も何度も私たちが楽しめるのは、文化や言語の違いがこの普遍的な物語に異なる感触を与えるからだ。今回紹介する"放蕩息子の帰還"映画はエストニアからやってきた1作、この国の新人作家Janno Jürgensによる長編デビュー作"Rain"である。

今作の主人公は12歳の少年アッツ(Marcus Borkmann)である。彼の両親であるマリュとカリュ(Laine Mägi&Rein Oja)の心は既に離れ離れであり、ゆえに家族関係もバラバラな状態が続いている。そんなある日家にやってきたのはアッツの年の離れた兄ライン(Indrek Ojari)だった。彼は家の地下室に居座り始め、その姿をアッツは遠くから眺めることになる。

アッツにとって兄はほとんど謎の存在だ。フラフラと外出するかと思えば地下室でドラムを洒脱に叩いたり、しかしいつだって酒を暴飲している。知らなかった兄の様々な側面を目の当たりにするうち、アッツは不信感と好奇心の両方を抱くことになる。しかしうまく兄と交流することがアッツにはできないのだった。そしてアッツ含め他の家族もまた奇妙な状況に追いこまれている。アッツは親友である少年ともう1人、出会ったばかりの少女に淡い思いを抱いており、これをどう表現していいか分からないでいる。母のマリュは職場の若い同僚に恋心を持っており、彼の心に少しずつ近づいていく。カリュは日々の不満を激しい賭けボクシングで発散しており、そのせいで身体はボロボロに傷ついていくのだ。

登場人物たちのどこか奇妙な境遇と性格の数々は、特にアメリカ映画的な感触を宿しているが、今作ににはどこか深い侘しさが付きまとっている。その印象を強めるのは撮影監督Erik Põllumaaが抱えるカメラに映し出されるエストニアの寒々しい風景の数々だろう。どこまでも真っ白な雪に包まれた世界は心に寒風を吹かせ、夏の海にすらもどこか冷たさを感じさせる。この凍てつきの風景はバルト海的な独特さのように思える。

そしてこの侘しさのなかで誰も彼もが孤独なのである。家族こそが彼らの居場所であるべきだと彼ら自身思っているのに、そこが居場所にならない現状に呆然とし、彼らの心は彷徨うことになってしまうのだ。そんななかでラインは謎めいた女性アレクサンドラ(Magdalena Poplawska)と出会い、急速にその仲は深まっていく。しかし彼女にはある秘密があった。

物語は丹念で、かつ繊細な筆致で以て人々の抱える孤独というものを描きだしていく。そこには私たちも時おり感じてしまうだろう、人生のままならなさというものが宿っている。何で自分はこんな目にあってる、人生こんなことになるはずじゃなかったのに。この思いは当然言葉にされることはない、みなこの思いを必死に押しとどめながら日々を生きているからだ。だが監督は物言わぬ人々の表情や挙手挙動の中にこそ静かに浮かぶ思いを、スクリーンに焼きつけていく。

これを支えるのが俳優たちの確かな演技の数々だ。特にLaine MägiRein Ojaといったエストニアの名優に囲まれながら、力強い演技を見せてくれるアッツ役のMarcus Borkmannの存在感は印象的だ。顔にいつだって不安を浮かべながらも、周りの人々の姿を観察し、自分なりに人生へと考えを巡らす。そして兄であるレインとの距離を近づけていくなかで、自分だけの答えを見つけていく。そんなアッツをBorkmannは美しく演じていく。

"Rain"が語るのは、家族という概念は不完全なものであり、ある意味で家族こそが孤独そのものからできているということだ。だがそうして虚無に陥るのは時期尚早だろう。この孤独について知ることでこそ、人と人とが分かりあえる瞬間というものが存在する。ラインはそのために家族の許へと舞い戻ったのかもしれない。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時
その405 Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難
その406 Lachezar Avramov&"A Picture with Yuki"/交わる日本とブルガリア
その407 Martin Turk&"Ne pozabi dihati"/この切なさに、息をするのを忘れないように
その408 Isabel Sandoval&"Lingua Franca"/アメリカ、希望とも絶望ともつかぬ場所
その409 Nicolás Pereda&"Fauna"/2つの物語が重なりあって
その410 Oliver Hermanus&"Moffie"/南アフリカ、その寂しげな視線
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel

Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない

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さて、最近のカザフ映画界の躍進は正に瞠目すべきものだ。詳しくはこの国期待の多産作家Adilkhan Yerzhanovを紹介する記事で説明したのでこちらを読んでほしいのだが、実はもう1人、2010年代初頭から静かに映画製作を行いながら、カザフ映画界を支えてきた映画作家がいることを、私は今の今まで知ることがなかった。それを恥ずべきことだと思う一方で、しかし彼ととうとう出会えたことへの喜びを深く噛み締めたいと思う。ということで今回紹介するのはカザフ映画界の2020年代においてもう1人の旗手となるだろう人物Farkhat Sharipovによる第5長編"18 kHz"を紹介しよう。この映画、悍ましい傑作である。

舞台は90年代のカザフスタン、サンジャルとジャガ(Musakhan Zhumakhanov&Alibek Adiken)という青年たちはいつも2人でつるみながら、無為な生活を送っていた。家庭にも学校にも心安らぐような居場所はなく、かといって2人で過ごす時間にも淀んだ空気が流れている。そんな彼らが求めているのは完全なる自由だった。

まず今作はサンジャルたちの日常を描きだしていく。盗み出したものを団地の真ん中で闇業者に売りつける、"立ち入り禁止"という看板が設置されたドアを強引に突破する、そうして辿りついた場所で肩を並べながらぼうっと時間を無駄にする。その風景の数々にはどこか胸を締めつけるような遣るせなさや人生への幻滅が付きまとう。

だがある日、彼らはある出来事に遭遇する。団地で少年が飛び降り自殺するという悲劇が起こるのだが、彼の遺留品であるウォークマンを盗みだした2人はその中にマリファナが隠されていることに気づく。それが相当の上物だと分かった時、ジャガはここ一帯のチンピラを束ねる若者マックスと接触するのだが、この出会いが2人をドラッグという自由、そして闇の世界へと導くことになる。

Sharipov監督の演出、そしてその眼差しは果てしないまでに凍えている。撮影監督Alexander Plotnikovとともに彼が構築する世界は、常に灰燼の色彩に包まれており、骨にまで打ち響くような凍てに支配されている。世界は頗る窮屈でサンジャルたちが俯きがちにその世界を彷徨う姿には、閉所恐怖症的な息苦しさだけが感じられるのだ。

90年代のカザフスタンの状況はソ連から独立したばかりゆえに不安定であり、ゆえに若者たちはドラッグへと走り未曽有の事態が広がっていたそうだ。そんな90年代という享楽の地獄にサンジャルたちは頭を突っ込み、その脳髄はドラッグで塗り潰されてしまう。その状況下において、例えば「トレイン・スポッティング」の代表的な曲として有名なUnderworld"Born Slippy"が流れるなか、錠剤を含んでハイになったサンジャルの狂った踊りには一種のカタルシスがある。だがそれは一過性のものでしかない。実際には存在するのは破滅へと続く淀んだ快楽であり、その道筋を監督は静かに見据えるのだ。

当然、サンジャルとジャガは快楽に身を委ねながらドン詰まりへと堕ちていく。ジャガが極端なまでにドラッグへ溺れる一方、サンジャルはマックスの女である少女(Kamila Fun-So)に惹かれていき、今まで感じたことのない肉欲に突き動かされることになる。それはともすれば細胞が煮え滾るような熱狂的な演出を以て描くこともできるだろうが、筆致は徹底的に乾いている。私はここに例えば2010年代におけるアルバニア映画の傑作"Pharmakon"を想起するのだが、この深淵にも似た乾きは時代の空気なのかもしれない。

だがある事件が起こった瞬間から、サンジャルの人生は完全に悪夢へと変貌してしまう。悍ましい光景を目撃し恐怖に震えるも、ふと目覚めてそれはただの悪夢だったように思える。だがそれが現実だと発覚し呆然としているとまたベッドの上で目覚めるのだ。これが何度も反復されるうち、何が夢で何が現実か、サンジャルも観客もハッキリと分からなくなる。夢オチというのは禁じ手として扱われがちだが、今作のように執拗なまでに繰り返されるとそれは吐き気を催す異様さとして効果的に際立つことになる。こうして映画は迷宮的な混沌へと変貌を遂げるのだ。

序盤において"18 kHz"は灰燼色の青春を徹底した冷ややかさで描きだしていた。だがある時点から描かれるのは、もはや後戻りできない場所まで来てしまった、人生が完膚なきまでに破壊されてしまった2人の悲壮な姿だ。そこには何者の言葉も共感も否定する全き絶望が広がっている。私たちはその凄まじさにただただ立ち去るしかないのだ。

"18 kHz"は映画史にも稀なるドス黒い虚無を我々に提示する壮絶なる1作だ。だが絶望の先にこそ新たなる希望は広がるのかもしれない。何故ならこの絶望を提示したFarkhat Sharipovという映画作家は、カザフスタン映画界の大いなる2020年代を牽引する1人だと運命づけられたからだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
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Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在

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皆さんはキリスト教におけるConfirmation Campというものを知っているだろうか。このキャンプは思春期のキリスト教徒たちが集まり、信徒である大人たちの導きに従いながら信仰について考えるイベントである。彼らは数日間共同生活を行いながら聖書を読解したり、劇を上演したりするのである。今回紹介するフィンランドの新鋭Ulla Heikkiläによるデビュー長編"Eden"は、このConfirmation Campを通じてフィンランドに生きる若者たちの現在を描きだす試みに満ちた1作である。

アリーサ(Aamu Milonoff)は真面目一辺倒であり、キリスト教に対しても皮肉な視線を向け、信仰を持てないでいる。イェンナ(Linnea Skog)は流行の最先端に敏感な少女で信仰などどうでもいいと思っており、ここに来た目的も祖母からお金がもらえるからという浅いものだ。パヌ(Bruno Baer)は臆病な少年であり、このキャンプで自分を変えようと決意している。そんな少年少女たちが"Eden"の主人公である。

今作は彼ら高校生たちのキャンプにおける生活を群像劇的に描きだしていく。監督の演出はともすれば軽薄と取られかねない軽やかさを伴っている。冒頭、煌めくようなドリームポップを背景として、キャンプの準備を行う少年少女の姿が綴られる。この光景はアメリカのインディーバンドによる新曲のMVと言われても違和感が殆どない訳である。

そして先述通り、キャンプではキリスト教にまつわる授業や催しが行われる。教師たちによる聖書の読解、聖書に書いてある言葉にまつわる議論、聖書で起こった出来事を体験するイベントなどなど。正直この描写の数々はあまりにもキリスト教的というか宗教的なので、私含めて無宗教者の人々は何か違和感を覚えるかもしれない。私の場合は宗教という概念が全く理解できないし、根本のところで毛嫌いしているので、拒否感すらも感じられた。

この一方で監督は個々の少年少女たちの性格を掘りさげていく。アリーサはキャンプでの活動を通じて、むしろ信仰への懐疑が深まっていくのを感じている。そしてパヌは偶然出会った1人の少年に曖昧な感情を抱くことになる。更に教師陣にも焦点が当てられ、特に印象的なのはティーナ(Satu Tuuli Karhu)という若い女性だ。彼女は特に信仰に厚い司祭で熱心に授業を行うのだが、そう簡単に信じようとしない彼らに不満と焦燥を抱くことになる。

最初、私はこの映画が一時期アメリカで流行を遂げたキリスト教啓蒙映画の流れに属する作品ではないかと思った。これは困難に直面した主人公が、キリスト教に心を救われ、信仰を獲得する様を娯楽映画の体裁で描きだす作品群のことで、キリスト教徒から金を巻き上げられるゆえに一時期量産された映画ジャンルだった。ゆえに胡散臭いことこの上なく、今作にもその匂いをわずかに感じたのだが、物語が展開するにつれこの考えは誤りだったと気づくことになる。

監督の眼差しはキリスト教の信仰を観客に押しつけるものではない。しかし信仰について思索を重ねる登場人物たちを揶揄するものでもない。誰の考えをも等しく描きだし、誰の考えにも等しく寄り添いながら、彼らの思考や感情の流れを虚飾を交えることなく観客に提示する。そんな優しさと大らかさにも似たバランス感覚が今作には広がっているのである。

"Eden"を観ながら思い出していた作品がStephen Cohn監督作"Henry Gamble's Birthday Party"(レビュー記事)だ。この作品はアメリカで精力を拡大するキリスト教福音派の1つであるメガチャーチを信仰する共同体を舞台に、ヘンリー・ギャンブルという青年の誕生日を祝うため集まった人々の姿を描いた群像劇である。今作もまたメガチャーチを批判するものではなく、彼らをニュースなどにおけるスティグマ化から解き放ち、彼ら1人1人の考え方の流れやその違いを描きだした、とても優しい1作で深い感動を抱いたことを覚えている。

この"Eden"もまたそんな感動を宿した1作だ。少年少女たちが抱く信仰への様々な思い、それは深い懐疑であったり無条件の信頼であったりするが、監督はこの全てを抱き、肯定していく。そして彼女のヒューマニズムが今作を巧みな形で群像の青春映画へと昇華していくのである。これこそが芸術に求められる多様性であるのではないか、私にはそう思われる。"Eden"フィンランドにおける旧来の伝統的信仰と現代のフィンランドに生きる若者たちの人生が交わりあう様を繊細に描きだす作品だ。私はHeikkilä監督の大いなるヒューマニズムをぜひとも寿ぎたい。

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Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ

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最近、LGBTQである人々や発達障害を持つ人々が、それを公にしたうえで俳優として活躍する機会が少しずつ多くなってきている。だが一方で身体に障害を持つ人々、例えば車椅子ユーザーや脳性マヒ患者など、その当事者が俳優として活躍している例は余りに少ない。精神以上に身体に差異がある人々を、マジョリティがどう扱っていいか分からない、そしてそういった人々の声を映画に取り入れる勇気を持つ映画監督がいない、これはその証左なのかもしれない。そんな中で身体障害者たちとともに歩み、その声を聞くことで映画を作る芸術家も確かに存在する。今回紹介するのはそんな芸術家の1人である、スペイン出身の映画監督Jo Solによる第4長編"Armugan"だ。

今作の主人公はアルムガン(Íñigo Martínez)という中年男性だ。彼は身体に障害を抱えながらも、山奥で静かで平和な暮らしを送っている。まず"Armugan"はそんな彼の日常生活を映しだしていく。朝早く起床し、食事を行った後には、家の外で育てている羊たちと戯れながら時間を過ごす。その光景には心洗われるような牧歌性が宿っているのだ。

しかしある理由で麓の人々から助けを請われた時、彼は友人であるアンヘル(Gonzalo Cunill)のサポートで山を下りていく。アルムガンが行うのは病に苦しむ人々に安らぎを齎すことだ。ある意味で安楽死のように見えるが、彼自身はそれ以上の神秘的な力により人々を苦しみから解放し、死へと誘う行為だと自覚している。そして1人の生の終りを見届けた後、アルムガンはアンヘルの背中に乗り、自身の住まいへと帰っていく。

こうしてアルムガンの日常の合間には、彼が行う儀式を描く場面が挿入される訳だが、ここで重要視されるのは身体的感覚だ。最も印象的な場面は、アルムガンが病の者の足の裏をマッサージする場面だ。彼は小さな指を足の固い皮膚に押し当てて、優しく解きほぐそうとする。この風景が親密さを以て描かれるのだ。その時、私たちは自身の足の裏に彼の指の感触を味わうかもしれない。

そしてこの親密な眼差しはアルムガン自身の身体へも注がれる。彼は障害ゆえに着替えにすらもかなりの困難を伴う。そんな彼の着替えをカメラが見据えるといった瞬間が何度か存在する。大きな労力を割きながら、彼はズボンを何とか腰へと引きあげていく。この困難にアルムガンは毎日直面するのだ。白黒映像も相まって、その視線は最初冷えたもののように思われる。だが奥には大切な人が日々に苦闘する姿を見つめる友人のような、温もりある親愛があることにも気づくだろう。

Jo Solは2000年代から長編を製作し始めた人物であるが、ブレイクを果たしたのは2016年に制作した第3長編"Vivir y otras ficciones"からだ。ここで監督は様々な障害を持つ人々を俳優として起用し、新たな映画言語を探求していた。ここではその試みが深化している訳である。ただ無関心に生きていては、私たち健常者は身体障害者がいかに身体を動かし生きているかについて知ることはできない。この知られざる彼らの身体性をSol監督はレンズに真摯に焼きつけていくことで、映画に新たな、鮮やかなる意味を宿そうと試みているのだ。

さらにSol監督はこの親密さをアルムガンとアンケルという男性同士の関係性にも適用する。彼らは互いを労わり、特にアンケルは無私の献身を以てアルムガンに寄り添うように見える。男性同士が互いの精神と肉体をケアし、柔らかな絆を紡ぎだすという光景を描きだした作品はそう多くない。だがいわゆる有害な男性性が1つの明確なテーマとして描かれ始めたテン年代、その応答として男性同士のケアを描く作品も増えてきたように思える。この"Armugan"は正にその系譜に位置する作品だ。

それを象徴する場面がある。アルムガンとアンケルがその剥き出しになった肉体を川の冷水に沈みこませ、互いに抱きあうのだ。彼らはまるで互いが信頼できる唯一の相手とでもいう風に、切実な表情を浮かべて無言で抱擁を続ける。この静謐は男性たちに互いを労わることの意味を強く問いかけるものだ。

しかし彼らの関係性にも危機が訪れることになる。実はアンケルはアルムガンの持つ神秘的な力に魅了され、自分でもその力を身につけようと試みていた。そんな中でオクタビア(Núria Prims)という女性が自分の息子を楽にして欲しいとアルムガンの許へやってくる。しかし子供に力を使うことに抵抗感を抱く彼は依頼を断るが、アンケルは自身の力を使って欲しいとオクタビアに接触を図る。

このアンケルの裏切りとも言える行為によって、アルムガンは打ちひしがれ、孤独な精神世界へと埋没していく。ここで監督はその親密な視線を彼の肉体から、精神へと向けることとなる。映像はリアリズムから詩的断片性を湛えはじめ、彼の網膜に映る映像と心に去来する映像が交わり、そこにはアルムガンの思索的な言葉が重なる。死と生を語るうえで、肉体と精神そのどちらかを欠くことはできないのだ。ここでSol監督はこの瞬くような霊的映像詩を紡ぐことによって、観客をそれぞれの洞察へ導くのだ。"Armugan"はこうして身体と精神の関係性を通じて、死と生を描きだそうとする。その様に障害者の声をめぐる新たな映画言語が織りこまれ、観客を新たな世界へ導くのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その408 Isabel Sandoval&"Lingua Franca"/アメリカ、希望とも絶望ともつかぬ場所
その409 Nicolás Pereda&"Fauna"/2つの物語が重なりあって
その410 Oliver Hermanus&"Moffie"/南アフリカ、その寂しげな視線
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ

Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う

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ギレルモ・デル・トロといえばメキシコ映画時代の寵児に押しあげた映画作家の1人だが、彼の作りだすモンスター映画は「クロノス」のように悍ましいスリルを喚起するものもあればシェイプ・オブ・ウォーターのように切ない共感を呼ぶものもある。だがこの怪物を主体とした映画はメキシコ映画において異端かと言えば、そうではない。デル・トロより遥か昔からモンスター映画の伝統はこの国に存在し、デル・トロの後にも確かに新たな継承者が現れている。今回紹介するのはそんなメキシコ映画Alejandro Guzman Alvarez監督作"Estanislao"だ。

主人公はマテオ(Raúl Briones)という中年男性だ。彼は15年ぶりに故郷に戻ってきて、この地にしばらく腰を据えることになる。そうして再会を果たした相手が彼の父親であるオルランド(José Concepción Macías)だ。父は酒浸りの生活を送っており、ゆえにマテオは距離を置いていたのだが、それでも父が住みこみで働く繊維工場で共に時間を過ごすことを決める。

一見すると今作は何とも平凡で典型的な芸術映画といった風だ。モノクロ撮影で父と息子の話を描きだせば小津だか何やらだかという浅はかな思惑が煤けて見えてくるような雰囲気が満ち満ちている。ゆえに序盤には目を惹く場面はほとんどないと言える。

だが物語が進むにつれて、今作の全貌が少しずつ明らかになっていく。工場で時間を過ごすうち、マテオは建物内に何か不気味な存在の気配を感じることとなる。壁には奇妙な影が映り、吐き気を催すような音が空気と彼の鼓膜を震わせる。だがそれが姿を完全に現すことはなく、マテオの神経は徐々に擦り減っていく。

こうして今作は奇妙なモンスター映画へと変貌を遂げることになる。かつてロジャー・コーマンは低予算ゆえのモンスターの廉い造型を隠すため、その姿を小出しにしながら観客の興奮を煽るというハッタリを開発し、これが一種の伝統として受け継がれていくことになる。そして監督もこれを律儀に引き継ぎながら、観客の恐怖と好奇心を刺激していく。

ここで際立つのが音響の数々だ。まるで生肉を喰らうような粘々した音が延々と闇に響き続ける様は、マテオと観客の神経を不穏に逆撫でしていく。それが登場人物たちの立てる妙に不愉快な生活音と重なりあうことで、鼓膜が徐々に粘液に侵食されていくような感覚を私たちは味わうことになるのだ。

ここで少しメキシコ映画史をモンスターという点から振り返ろう。この国におけるホラー映画の始まりはRamón Peónが1933年に制作した"La llorona"と言われているが、ここに既に怪物的な風貌を持った泣く女ラ・ジョローナが現れる。そしてメキシコ映画黎明期のパイオニアであるJuan Bustillo Oroもホラー作品を多く制作しており、中でも1950年に監督した"El hombre sin rostro"はメキシコ版透明人間といった趣で、その恐ろしさが際立つ。60年代はChano Uruetaによる、青いマスクを被ったナチョリブレが活躍するBlue Demonシリーズが話題になり、ここには狼男やサタンといった怪物が登場した。

こういったモンスター映画を観て育ち、長じては映画作家となったギレルモ・デル・トロがこの国に怪物たちの伝統を復興させる訳だが、最近では例えばアマ・エスカランテがその邦題も「触手」という作品で、性的倒錯に狂った触手の怪物を出している。そしてこの連綿と続く伝統へと新たに手を伸ばした存在がこのAlejandro Guzman Alvarezという訳である。

だが今作は文芸映画でもあり、ゆえに当然モンスターはモンスター以上に一種の比喩として機能することになる。ここにおいてモンスターはマテオの過去、もしくは彼の家族そのものに思える。父と再び交流しようと思いたったきっかけは母の死であり、彼は徐々に怪物の残す影や音のなかに彼女との思い出を見出すことになる。それは恐怖のように彼を苛む一方で、時おり驚くべき安らぎをも齎すこととなる。こうしてマテオは自身の過去を見据えざるを得なくなるのだ。

ここにおいてモンスターは恐怖であり安らぎである、過去であり未来である、そんな矛盾を宿した二極的な存在として工場を彷徨い続ける。この怪物のなかで意味が揺蕩うことで、物語は更なる捻じれを見せて、複雑さを増していくのだ。こうして"Estanislao"は普遍的な父と息子、そして家族をめぐる物語と、メキシコ映画の伝統としてのモンスター映画を融合させた野心的な1作である。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時
その405 Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難
その406 Lachezar Avramov&"A Picture with Yuki"/交わる日本とブルガリア
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母と娘、カタルーニャとギリシャ~Interview with Jaume Claret Muxart

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて、今回インタビューしたのはカタルーニャの新鋭映画作家Jaume Claret Muxart ジャウメ・クラレ・ムシャルトである。サン・セバスチャン国際映画祭でプレミア上映された短編作品"Ella i jo"は母と娘の関係性を描いた作品だ。バルセロナに住む母、ギリシャに家族とともに移住した娘、彼女たちの関係性はその距離もあり微妙なものとなっていた。彼女たちは画家であり、自身のアトリエで黙々と絵を製作し続けるが、その過程で二人は互いの思いを知ることになる。繊細な筆致で語られる本作は驚くほど美しい作品であり、一瞬で私は魅入られてしまった。という訳で今回はそんな彼にインタビューを敢行、映画監督への道の始まり、絵画制作や母と娘の関係性を映画として捉えること、カタルーニャ映画界の現在などについて直撃した。それではどうぞ。

////////////////////////////////////////

済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になろうと思いましたか? どのようにしてそれを成し遂げましたか?

ジャウメ・クラレ・ムシャルト(JM):まずこのインタビューの機会をくれて感謝します。演劇を通じて、映画館へ行き始めたのは13歳の時です。子供時代は演劇のクラスに通っていて、村で開かれるステージの舞台裏も覗いていました。ある時に映画に出演したのですが、映画の製作裏を見た時、恋に落ちてしまった訳です。私が出演した映画と今自分が作っている作品は全く違うのが実情ですが。そしてたくさんの映画を観て、いわゆるシネフィルとなりました。同時に、真剣に映画を作りはじめ、愛する映画作家たちから受け取った感情、それに似た何かを人々に届けたいと思っています。

TS:映画に興味を持ちはじめた頃、どういった映画を観ていましたか?

JM:私に大きな影響を与えた映画作家が1人います、リチャード・リンクレイターです。若い頃、彼とは異なる映画作家の作品を観て今でも好きではいるんですが、リンクレイターは今でも私にとって巨匠であり続けているんです。それから他にも私を驚かせる鍵のような映画もあります、それはアルフレッド・ヒッチコック「裏窓」ですね。さらにある時から私は映画祭へ行き、映画のレビューを書きはじめたんですが、家族と共に行った映画祭がロカルノ映画祭で、それ以前と以後に分かれるほどの衝撃を受けました。ジョアン・ペドロ・ロドリゲス、Milagros Mumenthaler ミラグロス・ムメンサレル、Radu Jude ラドゥ・ジュデ、マティアス・ピニェイロといった映画作家の作品を観て、しかもピニェイロは最近まで私の教師でもあったんです、はは。それからケリー・ライヒャルト、ミア・ハンセン=ラブ、クレール・ドゥニホウ・シャオシェンなど……

TS:あなたの短編作品"Ella i jo"の始まりは何でしょう? あなた自身のご経験、カタルーニャでのニュース、もしくは他の事象でしょうか?

JM:今作の始まりを幾つか挙げましょう。祖母が亡くなった後、家賃の高騰により手離さざるを得なくなった家(バルセロナにあり、ここに祖父母が住んでいました)さらに、それゆえの映画を通じて家を取り戻す必要性、永遠を得るための行動、バルセロナの祖母がギリシャに住む彼女の娘に宛てた手紙の数々、私の祖母(Roser Agell ロセル・アジェユ)とおば(Paulina Muxart パウリーナ・ムシャルト)の描いた絵画……

TS:OPシークエンスが示唆するように、今作の核は2人の画家Roser AgellPaulina Muxart Agellの作品でしょう。ぜひ日本の読者に彼女たちについて教えてください。映画を観る間、その作品へのあなたの大いなる愛を感じました。どのように彼女たちの絵画と出会ったのでしょう? この美しい映画にこれらの作品を選んだ最も大きな理由は何でしょう?

JM:先述した通り、この2人の画家は私の祖母とおばなんです。特に最近彼女たちの繊細な作品がより深く好きになっていっており、映画を通じて広く世界に知られるようにする必要を感じました。この作品群は私の祖父Jaume Muxart ジャウメ・ムシャルトの作品に比べると知名度が低く、彼の作品も好きではあるんですが、2人の作品は性差別のせいで影に追いやられていると感じていました。

TS:劇中、あなたは主人公ジェンマが自身の芸術を作るプロセスを、繊細で緻密な形で描きだしています。ミニマルなリアリズムを伴ったあなたの視線を通じ、ジェンマの真剣な姿勢、その作品にも滲む彼女の手や息遣いの複雑微妙な動きが捉えられており、これらが作品の静かな力を更に高めています。そこで聞きたいのは、この芸術製作のプロセスを描くにおいて最も重要なことは何であったかということです。

JM:静寂、もっと正確に言えば集中です。そして動きつづける身体を見つめること、踊るように(まるで床に絵画を描くように)動く身体とフレーミングの身振りとの間に関係性を作り出すことの快楽です。しかしとりわけ重要なのは、伝達です。ジェンマは彼女の息子に人生の生き方、表現の方法を伝達します。そして息子は何かを尋ねながらも催眠にかかったように彼の母を見つめます。それが静寂なんです。

TS:私が感銘を受けたのは映画が宿す複雑な雰囲気です。今作を観ている時、時おり私は昼間の微睡みのような心地よい眠気を感じました。しかし時おりピンと張りつめたピアノ線のように濃密な緊張をも感じました。私にとってこの"Ella i jo"はこの絶妙なまでに矛盾した感情を基としており、そしてこれは芸術製作の表と裏、そして母と娘の複雑な関係性を表現しているんです。撮影監督であるMarina Palacio マリナ・パラシオとともに、あなたはどのようにこの雰囲気を構築しましたか?

JM:あなたのその言葉に深く感謝します。それこそが私たちが達成したかったものであり、あなたがこのように感じてくれたことは素晴らしいことです。しかし思うにこの雰囲気の構築は編集と、ショットの間に漂う時間によって行われたと思います。1つのイメージを他のイメージ、また他のイメージと繋げることはモンタージュであると言えます。そしてこれを行ったのはMarinaと私でしょう。光と色彩という雰囲気の鍵になるものに関して、とても美しい仕事は成されました。そしてMarinaとBernat Bonaventura ベルナ・ボナベントゥラ(もう1人の撮影監督です)とともに、私たちはショットに入りこむだろう太陽の動きを計算し、待ちつづけた後、フィルターをかけて光を動かしました。そして夜の場面ではランプのバルブで光を操作し、明度を調節したんです。

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TS:そしてもちろん、今作の最も印象深い要素の1つは母と娘の関係性です。謎めいて且つ興味深いことに、母親であるケラルトの声を電話から聞く時、カメラがそれを映していないにも関わらず私たちは娘であるジェンマの複雑な表情を見出だします。そしてジェンマが作品を作る時、ケラルトが自身の娘を労る姿が浮かびあがるんです。つまり、観客は深い想いとともにジェンマのなかにケラルトを見て、ケラルトのなかにジェンマを見るんです。この母と娘の豊穣な関係性を描きだす時、最も不可欠だったことは何でしょう?

JM:ジェンマのなかにいるケラルトの心の間に在ること、ケラルトのなかにいるケラルトの心の間にあること、2人の想いを感じることです。撮影の前に仕上げた脚本は純粋に皮膚感覚で書かれたものです。それが撮影中に発展していく様は魅力的なものでした。カメラのバイザーを通じて2人の顔を眺めることができました。しかし編集においては難しいものでした。幾つかの要素を排除し、他の要素がいるべき空間と瞬間を探す必要があったんです。

TS:前の質問と関係するのですが、この関係性は2人の素晴らしい俳優Anna Muxart Agell アンナ・ムシャルト・アジェユMariona Martín マリオナ・マルティンに支えられていますね。この映画を観たなら彼女たちの優雅で洗練された存在感に魅了されざるを得ないでしょう。彼女たちについてぜひ日本の読者に教えてください。どのようのこの才能と出会ったんでしょう?  名字からしてAnnaさんはPaulina Muxart Agellの親戚か何かでしょうか。

JM:彼女たちが素晴らしい俳優であることには同意します。Anna Muxart Agellは私の母親でPaulina Muxart Agellの妹です。自分の母を撮影するというのは信じられないような経験でしたよ。彼女を撮影している時、母でなく確かに俳優の魂を見ました。それでより彼女を尊敬するようになったんです。映画を観るとその時のことが思い出されます。そしてMariona Martínは私の友人で、私が通っていた高校で国語の教師をしていたんです。子供、彼女の息子、カップル、彼女のパートナー。全ての役をその家族が演じたんです、はは。

TS:少しネタバレになりますが、最後の場面に流れる曲について話しましょう。ケラルトが聞くギリシャ語の曲は彼女の娘への思いと恋慕に溢れた心へと私たちを導き、そして観客は自分自身の家族との思い出にも浸ることとなるんです。この曲についてもっと深く知りたいです。ギリシャでは有名な曲なのですか、何があなたにとって最も魅力的でしたか?

JM:この曲は脚本にはありませんでした。Marinaと照明を設置していた際、食事のためにおばがNikos Mamagakis ニコス・ママガキスという作曲家のレコードを流したんです。このレコードは古いギリシャ映画のサウンドトラック今でもそのタイトルは分からないんですが、この曲が突然流れてきてMarinaと思わず顔を見合わせてしまいました。「この曲こそ最後にふさわしい」と。このアルバムはおばがパートナーであるおじとギリシャに住んでいる時に買ったものでした。

TS:日本のシネフィルがカタルーニャ映画史に興味を持った時、どの映画を観るべきですか? その理由もお聞きしたいです。

もし1本だけ好きなカタルーニャ映画を選ぶなら、どの映画を選びますか? そしてその理由は何ですか。個人的な思い出がありますか?

JM:これに答えるのは難しいですね。なので2つの質問をまとめて、私の好きな映画監督について語りましょう。Marc Recha マルク・レシャは素晴らしい監督ですが、今は少々忘れられています。特に"Dies d'agost"(2006)と"Pau i el seu germà"(2001)がいいですね。友人たちと話す時、この監督の汚名を晴らそうと試みています。彼の作品において詩的とは政治的であるんです。そして物語を好みながら、標準化されたやり方でそれを語るということはしません。さらに彼は撮影監督のHélène Couvert エレーヌ・クヴェールとともに、とても小規模な制作体制が撮影を行っていました。それから今重要な映画作家Meritxell Colell Aparicio メリチェル・コレル・アパリシオです。彼女の作品"Con el Viento" (「フェイシング・ザ・ウィンド」2018)と"Transoceánicas"(「海を渡る映像書簡」2020)はとても美しい作品で、後者はなら国際映画祭でプレミア上映されました。そして忘れてはならないのがNúria Aidelman ヌリア・アイデルマンLaia Colell ライア・コレユという人物が経営する組織A bao a quの"Cinema en Curs"というプロジェクトです。映画作家たちが映画制作のクラスへ赴き、6歳から18歳までの生徒たちが作る映画に参加するんです。諏訪敦彦が日本で同じようなことを行っていると聞いています(おそらく"こども映画教室"のこと)

TS:カタルーニャ映画の現状はどういったものでしょう? 外側からだと状況は徐々に良くなっているように思えます。新しい才能が有名映画祭から現れていますからね。例えばロンドンのBelén Funes ベレン・フネスやベルリンのElena Martin エレナ・マルティンDiana Toucedo ディアナ・トゥセドゥらです。しかし内側から見ると、状況はどのように見えますか?

JM:あなたの言うことは正しいです。カタルーニャには素晴らしい映画作家がたくさんいます。しかし一方で私たちの映画は、ただ物語と標準化された語りの構成にだけ注視することに舵を切っているように思われます。そしてもう一方で、私たちにはより多くのインディペンデントな制作者が必要なんです。 Luis Miñarro ルイス・ミニャロはそんな人物の1人でした。私たちが必要なのは映画に投資する金であり、そうして危険を冒し、失敗し、新しい個人的なやり方を見つけ出していけるんです。やはり危険を冒すことが必要なんですよ。失敗と新たな方法のためには補助金が必要なんです。そして普通ではない、しかし詩的で今日的な第1長編というものを作る必要があるんです。そうすれば大衆も喜ぶでしょう。

TS:何か新しい短編か長編の計画はありますか? もしそうなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。

JM:はい、今は初長編である"Estrany Riu"("奇妙な川")の脚本執筆に取り組んでいます。Elías Querejeta Zine Eskola(EQZE)という組織のサポートを受けています。この作品は普通ではない映画ですよ、はは。意図的な形で普通でなく、そして大胆な映画なんです。ドナウ川を舞台として、2人の兄弟の関係性とともに、彼らの家族とドナウ川において円環が綴られる様を描いています。ロマンティックな映画ですが、セクシュアリティと兄弟の絆の間にある、タブーを破るような関係性をも描いています。一方で今回の"Ella i jo"から始まった3部作の2本目である短編を製作しています。家族という関係性、仕事、そして3世代の流れを描いた1作です。この2本目はラジオを主題とした作品ですが、俳優は"Ella i jo"と同じになるでしょう。

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Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話

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さて、ドミニカ共和国である。映画的な意味でこの国の影はかなり薄いと言わざるを得ない。だが確かに新たなる才能が現れている喜ばしい現実を無視するべきではないだろう。例えばLaura Amelia GuzmánIsrael Cárdenasの監督コンビは"Dólares de arena"(レビュー記事)や"La fiera y la fiesta"といった作品で、ヨーロッパなどの諸外国によって眼差されるドミニカ共和国の現在を描きだしている。そしてNelson Carlo de Los Santos Arias"Cocote"(レビュー記事)という傑作によって、リベンジスリラーという枠組みを利用しながらドミニカ共和国という国家それ自体を描かんとしており、その壮大な野心に驚かされた私は2010年代ベストの1本として今作を挙げている。そして今回紹介するのは彼ら新鋭に追随する、2020年代の最初にして、もしかするなら最大になるかもしれないドミニカ共和国映画の傑作、Alfonso Morgan-Terreroのデビュー長編"Verde"を紹介していこう。

今作の主人公はこの国に生きる3人の若者たち(Luis Ernesto&Contreras Batista&Andres Peralta Gomez)だ。彼らはある秘密を抱えながら、日常を過ごしていた。その秘密とは町の権力者が所有する金鉱に押し入り、資源を強奪して大きな金を手にしていたのだ。今はまだバレてはいないようであり、彼らは比較的楽天的に日々を生きていた。

まず"Verde"はこの3人の日常を描きだしていく。寝室で着替えをしながら父親と他愛ない会話をする、清潔な飲み水の運搬という仕事を淡々とこなす、極彩色のネオンに包まれたクラブで女性たちと踊りに耽る、闇と橙色の灯が交錯する通りを彷徨う。そういった日常の風景の数々が、断片的な素描として立ち現れていくのである。

だがその日常の連なりを映像詩に高めていくのは撮影監督であるKevin Xian Ming Yuだ。彼の空間の広がりに対する意識は先鋭なものであり、その盤石な視線で以て目睫に広がる風景の数々を鮮やかにレンズへと捉えていく。この明晰さは日常のディテールを豊かに浮かびあがらせ、私たちをドミニカ共和国の今へと詩的な形で誘うのだ。

そんな中で金鉱の主である権力者が強奪の犯人を3人であると特定し、その代償を払わせようと彼らの家族を脅迫することとなる。こうして家族もろとも3人は危機的状況へと追いこまれることになるが、この最中に悲劇が起こってしまう。

と、一応あらすじを上述してはいるのだが、今作はおそらく意図的に物語が極度に捉えづらい構成となっている。基本的にこの作品は日常や些末なディテールを淡々と積み重ねていく語りであり、明確なプロットが存在しない。重要な事件である金鉱強奪もただ言葉で語られるのみで直截は描写されない。そして監督は編集を担当するElliot Farinaroとともに幾度となく省略を行うことで、観客を五里霧中の感覚に迷いこませるのだ。

この作劇を思わせぶりと取る者も多いかもしれないが、巧みなのはこの感覚がドミニカ共和国の宗教的な文化に直接接続される点だ。劇中ではこの国のキリスト教信仰を背景とした民話が語られたり、実際に教会――と言うには小さく、猥雑な空間だが――が現れ、主人公たちが祈りを捧げる場面がある。この要素が頻出することで、私たちはスクリーンの裏側で不可視の何かが蠢くのを感じるだろう。これが語りの断片性や省略と重なりあうことで、超越的な雰囲気へと繋がるのである。

そして観客は気づくだろう、この映画によってAlfonso Morgan-Terreroという映画作家ドミニカ共和国に新たな神話を紡ごうとしていると。登場人物たちがめぐる不条理な生と死の旅路は、繰り返される異様なる省略の数々によって論理や現実を越えた何かへと昇華されていくことになる。それこそが超越的なる神話なのだ。

"Verde"ドミニカ共和国でこそ語られうる、死生をめぐる神話を紡ぎしていく無限の野心に満ちた映画だ。この驚異の連続に、私たちはAlfonso Morgan-Terreroという新鋭が未来に必ずや輝きを誇ることを確信するだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史