鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210312011606p:plain

私は2020年の映画界を制する国の1つはコソボだと常々言っているが、2021年は正にコソボ映画界が大躍進を果たしそうだ。まず年間の長編制作数が5本ほどのこの国から既に1作がサンダンス映画祭、1作がロッテルダム映画祭に選出されるという快挙を成し遂げた。そして前者であるBlerta Basholli監督作"Hive"はサンダンスのワールドシネマ劇映画部門で監督賞と観客賞、そして最高賞の審査員大賞を獲得した。この3部門を同時制覇した作品は今作が初だそうだ。更に後者であるNorika Sefa監督作"Në kërkim të Venerës"もまたタイガーコンペティション部門において審査員特別賞を獲得した。私はFacebookで多くのコソボの映画人たちと繋がりがあるのだが、その沸き立ち様といえば喜ばしいほど活気あるものだった。ということで今回はこの2本の中から後者である"Në kërkim të Venerës"を紹介していきたいと思う。

今作の主人公はヴェネラ(Kosovare Krasniqi)という少女だ。彼女はコソボの田舎町で両親や祖父母、きょうだいらと一緒に住んでいる。3世代が同居しているゆえに家は狭苦しいものであり、彼女は息苦しさを感じている。しかしそれは物理的な問題であるだけでなく、精神的な問題でもある。あまりにも小さい村は相互監視と因習の文化に包まれ、それがヴェネラの心を追い詰めていた。

まずこの作品はヴェネラが直面する日常の抑圧を淡々と浮かびあがらせていく。家族のなかでも父親は強権的な人物であり、ヴェネラや家族の行動をその言葉と威厳でキツく縛りつけている。家から逃れたとしても、ヴェネラに注がれるのは男たちの不気味な視線だ。彼らはヴェネラ含めて女性への軽蔑、それでいて不穏な好奇心すら隠すことはなく、不愉快なニヤつきを顔に張りつけながら、ヴェネラを見据え、追い回すのだ。

そんななかで、ヴェネラはドリナ(Erjona Kakeli)という同世代の少女と出会う。ヴェネラが寡黙で内向的な性格の一方、ドリナは真逆に快活で外向的であり、1度友人関係になったとなると、彼女はヴェネラを様々な場所に連れ立っていく。こうして一緒の時間を過ごすうちに、ヴェネラは自由と友情を謳歌していき、その心は少しずつ解き放たれていく。

撮影監督のLuis Armando Arteagaによって、この情景が映しだされる際に最も際立つのは、彼女たちの友情の瑞々しさだ。村の閑散とした道を歩きながら、ヴェネラたちは他愛ない会話を繰り広げる。バーに行っては年齢をごまかして酒を飲み、その味を楽しむ。前半においてカメラに映しだされるのはヴェネラの苦虫を潰したような無表情ばかりだったが、ドリナとの邂逅によってその無表情が少しずつ綻んでいくことにも観客は気づくだろう。そこには笑顔すらも浮かびあがる。

しかし男性たちの視線はその友情にすらも介入しようとする。バーでは物珍しい少女たちに対し、彼らは一切の躊躇もなく粘りきった視線を向け、その風景がカメラに映しだされることとなる。それはまるでヴェネラたちを性的に値踏みでもしているかのようだ。だがそれより不気味なのは男たちより更に年下の、少年たちの視線である。彼らは路上で犬を燃やしたり女性を嘲笑ったりと頗る胸糞の悪い存在だが、例えドリナに注意されようと軽蔑的なニヤつきを抑えることはない。何を考えているのか分からない不気味さが彼らにはあるのだ。そしてそんな彼らのニヤつきや視線が、常にヴェネラたちに付きまとう。

今作に登場する男性たちは、女性たちに表立って暴力を振るうなどはしない。だがここにおいて最も恐ろしいのは彼らの視線そのものだ。それはヴェネラたちを軽蔑の対象として他者化していき、人間以下の地位に貶められていく。そしてこの感覚が全ての男性に共有され、いつしか村全体に満ちる不可視の抑圧となっていく。この悍ましい風景が今作には描かれているのだ。

昨今のコソボ映画は女性の抑圧というものを多く描きだしている。例えばAntoneta Kastrati"Zana"(レビュー記事)は子供を念願される女性が被る、過去の傷を源とする苦悩を描いた作品であり、先に紹介したBlerta Basholli監督作"Hive"は養蜂業を始めようとする女性が直面する差別の実態を描いた作品だ。そしてこういった作品の作り手は女性監督が多いが、彼女たちは一様にコソボに広がる家父長制を強く見据えている。この国はヨーロッパで最も若い国である一方、旧ユーゴ時代、もしくはそれ以前からの女性差別的な伝統は温存され続け、今でも残っている。コソボの女性監督たちは自身の作品によってこの実態を描きだし、痛烈に告発するのである。これこそがコソボを変える1歩目と信じながら。"Në kërkim të Venerës"も正にそういった作品なのである。

そして家父長制において家族という概念もまた重要なものだ。ヴェネラにとって家族は正に監獄のような場所だ。権威的な父を頂点として、彼が構成員全員を支配し抑圧していく。ヴェネラたちは彼に従いながら生活し、外では父の評判を貶めないように行動を制限する必要がある。だがドリナとの邂逅がヴェネラにこの馬鹿馬鹿しさを教え、いわば権威と化した父の存在から逸脱を図ろうとし、これが彼の怒りを呼ぶ。

この一方で反抗を行うようになったヴェネラにとって、自身の母はもはや憐れな存在に思える。夫に対して奴隷のように従い、臆病な素振りを見せながら逃亡することすらできない。だが権威からの反抗を考えるにあたり、ヴェネラはこれが女性同士の分断を呼ぶことにも薄っすら気づき始める。劇中にはこの憐れみを越えて、2人が共鳴しようとする瞬間もまた存在するのだ。だが抑圧された者同士ですらそう容易く繋がることはできない絶望をも、監督は描きだすのだ。この連帯もまた男性たちの視線のなかに埋没していくのである。

今作の核となる存在は間違いなくヴェネラ役を演じるKosovare Krasniqiだろう。劇中の大部分において彼女は苦い無表情を顔に浮かべているのだが、そこに彼女の諦念や絶望感が現れる一方で、ドリナや母との交流によって一瞬綻びる表情は希望の兆しをも感じさせる。だがこの世界はそんな生易しいものではないとは先述したばかりだ。現れるたび希望は潰え、全ては不穏な絶望に包まれていくかと思える。だがこれを経るにつれヴェネラの無表情から、最初はとは違う、言葉にならない感情が溢れるのに気づくはずだ。こうして彼女の強靭な存在感が"Në kërkim të Venerës"を、コソボの抑圧的な現状を見据える、苦くも力強い1作へと高めているのだ。そしてコソボ映画界の更なる躍進と発展を寿いでいる。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210312011639p:plain

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち

アゼルバイジャン、列車を待つ男~Interview with Şövkət Fikrətqızı

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225103531j:plain

さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

今回インタビューしたのはアゼルバイジャンの新鋭作家Şövkət Fikrətqızı ショフカット・フィラツグズだ。彼女の短編作品"06:45 Qatarı"を観た時には衝撃を受けた。フレーム内外が強烈に意識された冒頭から、世界が豊かに広がっていく様を私は目撃したのである。父と息子の間に横たわる精神的葛藤というある種月並みなテーマを、この監督は美しい思索へと昇華しているのだ。今作を観た時、私は早速彼女にインタビューを申し込んだ。ということでここでは作品についてと同時に、アゼルバイジャン映画についても語ってもらっている。楽しんでもらえれば幸いだ。それではどうぞ。

/////////////////////////////

済藤鉄腸:まずどうして映画監督になりたいと思ったのでしょうか? どのようにそれを成し遂げましたか?

ショフカット・フィラツグズ(SF):私は芸術、特に音楽に囲まれて育ちました。だから芸術の全ての側面を持ち合わせたような仕事ができるのをいつも夢見ていたんです。そうして映画監督になることを決めました。もちろんその頃は、映画製作がこんなに難しいとは思っていませんでしたが。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていましたか? 当時のアゼルバイジャンではどういった映画を観ることができましたか?

SF:監督業に興味を抱いたのは13-14歳頃です。しかし当時は監督なんてできないと思っていました。私には難しすぎると自信がなかったんです。しかし先生のおかげで自分を信じられるようになりました。観ていたのはその先生であるEldar Qliyev エルダル・グリエフRasim Ocaqov ラシム・オジャゴフの作品、それから今でも好きなジュゼッペ・トルナトーレペドロ・アルモドバルミヒャエル・ハネケラース・フォン・トリアーの作品などです。

TS:あなたの作品"06:45 Qatarı"の始まりは何でしょう? あなたの経験、アゼルバイジャンのニュース、もしくは他の何かでしょうか。

SF:私たちの大学では生徒たちは毎年試験のために映画を作るんです。なのでその年に作る映画のための脚本を友人たちと探していました。男のドラマ、もしくは女のドラマ、そんな作品を求めていました。図書館で色々と読んでいた時、コメディ作品のなかにRamiz Rövșən ラミズ・レヴシャンという小説家の作品を見つけました。この物語自体は私が撮れる、もしくは私が撮りたいスタイルの作品ではなかったんですが、そこに書いてあった1文に感銘を受けたんです。男が毎朝駅に行き"彼女"を待っているというものです。物語で男が駅に行く理由は、私の作品とは異なっています。しかしこの1文に触発され"06:45 Qatarı"の脚本を執筆した訳です。

TS:正直に言うと、冒頭を観た時に今作は傑作だと確信したんです、そしてそれは当たっていました。このシークエンスにおいて主人公が起き、立ち、歩き、正しい位置に絵画を置き直し、ドアを通じて外へ出ていきます。しかしこの静謐の風景において、突然フレーム外から女性が現れるのには驚いてしまいました。この場面で映画の世界観は息を呑むほど美しく、豊穣な形で拡大していっていたんです。ぜひこの場面についてお聞きしたい。この場面を撮影監督や俳優たちとともにどう撮影したのでしょう? どうしてこの場面を作品の冒頭に置こうと思ったのでしょう?

SF:まずあなたの素敵な言葉に感謝します。率直に言えば、この場所自体を見るまで場面がどうなるか想像もついていなかったんです。この場面は重荷が多すぎたんです。観客がクエスチョンマークを頭に浮かべる一方、何かが十全に明らかにされてなくてはならないと。この場面はとても複雑微妙な形で夫婦の関係性を表しているとも言えます。そして撮影場所を実際に見た時、私の眼前で風景が命を得て、この計画1つのみで撮影を行うのがベストだと思いました。考えを撮影監督とシェアすると、彼はそれをとても気に入ってくれて、こうやって撮影しようと決まった訳です。

TS:クレジットによると、今作はRamiz Rövșənの小説が原作だそうですね。彼の作品は私も好きです、特にHüseyn Mehdiyev ヒュセイン・メフディエフの傑作"Süd dişinin ağrısı"の脚本は素晴らしいです。しかしあなたは彼の作品とどう出会ったのでしょう。彼の作品に惹かれる最も大きな理由は何でしょう?

SF:先ほどこの質問への答えを部分的に書いてしまいましたね。Ramiz Rövșənはとても素晴らしい詩人であり小説家です。この映画の前から、彼の創造性が好きで、作品には注意深く触れていました。もちろん今作を撮影してからは更に興味を持つようになりましたね。言った通り、作品自体の原作はたった1文なんですけど(笑)

TS:そして舞台となる場所もまた今作の深みをより豊かなものにしていますね。大地を駆ける線路が傍らにある孤独な駅、この駅と共生する自然。この場所は無二の美しさと悲しみを兼ね備えているんです。この場所はどこでしょう? アゼルバイジャンにおいて有名な場所でしょうか、それともあなたの故郷であったりするのでしょうか?

SF:撮影監督と一緒に、私たちはバクーにある全ての駅や廃墟に赴きました。場所はそれ自身の物語を持っている必要があったんです。この場所を目の当たりする時、観客がそれを意識するようなものが理想でした。残念ながら良い候補地が見つからなかったので、学校が隣にある廃墟の駅で撮影することを決めました。ここは基準を満たしてはいたんですが、私も撮影監督も探していた場所ではないと思っていたんです。しかしこの場所の写真を撮った後、適当なバスに乗って線路を辿っていきました。するとまた新たな駅を見つけました。見た瞬間に、こここそが探していた場所だと確信しましたね。

TS:父と息子の関係性がいかに繊細に描かれているかにも感銘を受けました。彼らにとってパーソナルな感情と、私たちにも伝わる普遍的な感情とが混ざり合うことで、この関係性はアゼルバイジャンにおける家族を観客に考えさせるとともに、私たち自身の家族にも思いを馳せることになります。脚本を執筆する際、この関係性を描くうえで最も重要なことは一体何でしたか?

SF:今作においては観客に対して会話や際立った出来事でこの関係性を説明したくはありませんでした。小さな細部こそが必要だったんです。しかしこれらの細部は私たちそれぞれに親しみ深いものでもあるべきでした。脚本を執筆する際、そういった細部に光を当てようと努力し、少しはできたかなと思っています。

TS:前の質問に関連しますが、今作の核となる存在は父を演じる俳優Ayșad Məmmədov アイシャド・マンマドフでしょう。彼は人生や家族に対して主人公が抱える不満や深い悲しみを巧みに演じています。どうやって彼を見つけましたか? 彼をこの映画で起用した最も大きな理由は何でしょう?

SF:正直に言うと脚本が書きあがる前の最初のアイデアが思い浮かんだ時、会うことのできたただ1人の俳優がAyșad Məmmədovだったんです。彼を思い浮かべながら脚本を執筆し、彼に渡しました。もし彼がこの役を受け入れてくれなければ、今作を作ることはできなかったでしょうね。

TS:あなたがアゼルバイジャン映画界の巨匠の1人であるEldar Quliyevの生徒だとお聞きしました。このことについてぜひお聞きしたいです。教師として彼はどんな人物ですか、彼の授業に何か特別な思い出がありますか、そして彼の作品で好きな作品は何でしょう?

SF:Eldar Guliyevの作品全てに彼自身の印や感触が刻まれています。その鑑賞者としては全てが素晴らしく思えます。一方で監督としては"Girov"という作品が最も私の魂に近いですね。監督が私でも正にこの映画をこう撮ったという作品です。Eldar Quliyevはいつだって言っていました。"監督業というのは魂の行為であり、他の誰かが植えつけてくれるようなことではない。しかし私は君たちそれぞれに知性を注ぎこんでいこう"と。

TS:日本のシネフィルがアゼルバイジャン映画史について知りたいと思った時、どんな映画を彼らは観るべきでしょう? その理由も聞きたいです。

SF:個人的な私の好み、そしてお勧めしたい作品は "Bir cənub şəhərində"、"Şərikli çörək"、"Gün keçdi"、"Ölsəm bağışla"ですね。この作品群にアゼルバイジャンの文化や人の営みが見えてくるでしょう。

TS:もし1本だけ好きなアゼルバイジャン映画を選ぶなら、どれを選びますか? その理由も知りたいです。何か個人的な思い出がありますか?

SF:率直に言えば選ぶのは難しいです。何故なら好きな映画、好きな音楽、好きな映画監督というのは日によって、もしくは機嫌によっても変わってくるからです。少なくとも私にとってはそうですね(笑)

TS:アゼルバイジャン映画の現状はどういったものでしょう? 外側からだと良いように思えます。新しい才能が有名な映画祭に現れていますからね。例えばカンヌのTeymur Haciyev テイムル・ハジエフロカルノElvin Adigozel エルヴィン・アディゴゼルRu Hasanov ルー・ハサノフ、そしてヴェネチアHilal Baydarov ヒラル・バイダロフらです。しかし内側からだと現状はどう見えていますか?

SF:最近まで状況はあまり喜ばしいものではありませんでした。その最も大きな理由の1つが、アゼルバイジャンソ連から独立した後、全てにおいて新しい流行に乗り始めたことです。金銭的な面でも影響を受けていますね。しかし昨今、新しい映画の潮流があなたの挙げた映画作家たちの手で広がり始めています。私は年月を経れば状況は改善されると信じていますし、アゼルバイジャン映画というものをまた信頼しているんです。

TS:新しい短編や長編映画の計画はありますか? もしそうならぜひ日本の読者にお伝えください。

SF:"6.45 Qatarı"の後、2020年に別の短編を作りました。その時の撮影監督はRuslan Agəzadə、あなたも知っての通り"Balaca"の監督です。そしてMehriban Zəki メフリバン・ゼキというアゼルバイジャンで最も成功した女優の1人が出演してくれています。今は編集段階ですね。何度か編集はしたんですが、まだ求めている結果に達していないんです。それから短編の脚本執筆にも取り組んでいます。この映画は"大人になること"について作品になるでしょう。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225104448j:plain

クロアチア映画史の灼熱~Interview with Marko Njegić

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225100645p:plain

さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのはクロアチア映画批評家Marko Njegic マルコ・ニェジチである。彼は相当気合の入ったプロフィールを送ってきてくれたので、全訳しよう。

"Marko Njegicは最も活動的なクロアチア映画批評家であり、クロアチア映画批評家組合と国際映画批評家連盟(FIPRESCI)のメンバーでもある。1979年生まれ、スプリットでグラマースクールを卒業する。そしてそのまま法を学んだ後、ザグレブではジャーナリズムを学んだ。2005年からはスプリットに住み日刊紙Slobodna Dalmacijaに所属の映画批評家、コラムニスト、ジャーナリストとして活動、ヨーロッパ映画賞や映画祭などのレポートの他、レビューやエッセイ、インタビューを広く刊行している。3つの映画コラム連載を持つが、オンライン雑誌のCineMarkoでの活動が主なものだ。加えてスプリット映画祭やスプリット地中海映画祭(FMFS)にも所属する一方、Odiseja u uteruというラジオ番組にも出演、映画学や映画批評をテーマとする映画誌Hrvastski filmski ljeptopisやWebサイトPopcorn.hrにも参加している。クロアチア最初の映画誌HollywoodやSlobodna Dalmacija内の週刊文化誌Reflektorでも編集として活動している。モトヴン映画祭のFIPRESCI審査員(2010)、ここで映画批評のワークショップを開催する。その後もヴコヴァル映画祭(2012)、FreeNewWorld国際映画祭(2013)、アッヴァントゥラ映画祭(2014)、ドゥブロヴニク映画祭(2014)、ベオグラード映画祭(2016)、ダルマチア映画祭(2016)、リブルニア映画祭(2016)、ベティナ映画祭(2019, 2020)で審査員を務める。Moj-film.hr(2013)やCinestarの'You Can Become a Film Critic As Well'(2014)やスプリット芸術学校の批評家コンテストにも参加している。2014年末、自身の10年間の記事を収録した初めての著書Filmotekaを出版する。2017年と2018年にはクロアチア視聴覚センターでマイノリティ共同制作の芸術アドバイザーとして勤務、ベルリン映画祭に手掛けた3作の作品が選出される。2019年にはマルチメディア展覧会'An Hommage to Alexander F. Stasenko'が開催、この展覧会はウクライナのコサックにルーツを持つスプリットの映画作家の人生と作品に捧げられた"

ということで今回はそんな彼にクロアチア映画史の流れや、この国の偉大なる映画作家たち、そして2010年代最も存在感を発揮したクロアチア人監督Dalibor Matanić ダリボル・マタニチについてなどなど様々な事柄について聞いてみた。それではどうぞ。

//////////////////////////////

済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

マルコ・ニェギチ(MN):それは映画を愛し始めた頃からですね。映画について語るのが好きでした。高校からは何か書くのも好きだったんですが、クロアチア語と英語の宿題があったり、国語の授業で読書感想文なんかも書く必要があったので、自然とそうなりましたね。こうしている時、同じように映画を分析できたらと思ったんですが、選択授業でちょうどそんな授業があったので始めました(例えばジェームズ・キャメロン「トゥルー・ライズ」などがテーマになりました)この時期からノートに観た映画について書いたり、点数をつけ始めました。9年生頃からですね(言い換えれば高校2年生の頃でしょうか)そこから10年ほどが経ってSlobodna Dalmacijaという日刊紙でフリーランスとして執筆を始め、今でも世話になっています。それからクロアチアで最も歴史のあった映画雑誌Hollywood――今はもうありませんが――では、2003年から2006年まで編集を務めていました。最初は当然ですがより小規模な記事を書いていましたね。興行収入のレポート、今後上映される映画のプレビュー、そこから徐々に俳優や映画作家のプロファイリング記事を書き始めました。こうしてスキルを磨いた後、映画批評に移行した訳です。今でも楽しんでますね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のクロアチアではどういった映画を観ることができましたか?

MN:先にも言及しましたが、私の映画への興味は子供時代からで、その源は両親、特に父ですね。彼は頻繁に私を映画館に連れていってくれました。映画には一目惚れしましたね。80年代の重要で際立った映画の殆どを観ていると思います(例えばE.T.」「ターミネーター」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「トップガン」「レインマン)それからもっと過小評価されている作品もですね(例えばトミー・リー・ジョーンズリンダ・ハミルトンが主演しているブラックライダーなど)更に旧ユーゴスラビアにおいて映画公開は、アメリカから1年や2年遅れるのが普通でした。ですがアメリカ映画は必ず公開するほどこの国では1番の存在感だったんです。そこにフランス、イタリア、香港が続きます。その後が旧ユーゴ映画ですね。

TS:あなたが初めて観たクロアチア映画は何でしょうか? その感想もお聞きしたいです。

MN:観たのを明確に覚えている最初のクロアチア映画はAnton Vrdoljak アントン・ヴロドリャク"The Glembays"ですが、子供の頃は数えきれないほど旧ユーゴ映画を観ていましたね。例えば「パパは出張中!」"Žikina Dinastija"というコメディシリーズ、"Tesna koža""Hajde da se volimo"などで、まだまだ挙げられます。どの映画もよく覚えています、心のなかにずっと残っているんです。そうしてこういった作品群が"旧ユーゴ映画とは何か? 何がこれを大衆映画以上のものにしているのか?についての考えを、私に齎してくれたんです。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225100752p:plain

TS:あなたの意見としてクロアチア映画史において最も重要な作品は何だと思いますか? その理由もぜひお聞きしたいです。

MN:"最も重要な"というのは定義するのが難しいですが、個人的なお気に入りはNikola Tanhofer ニコラ・タンホフェル"H-8..."ですね。今作はドラマ、スリラー、ディザスター映画、ロードムービーの完璧なブレンドなんです。序盤から最後は予想できるんですが、それでも本当に緊迫感ある1作で、同時にそのサブテクストにおいて人道的で映像も美しいんです。舞台となるバスはザグレブからベオグラードへ向かう途中、逆サイドから走ってきたトラックと衝突してしまうのですが、この事件とバスの個性的な乗客たちの姿を通じて、社会そのものが交わる様を描きだしているんです。

TS:もし1本だけ好きなクロアチア映画を選ぶなら、どれになるでしょう? その理由は何でしょうか。個人的な思い出がありますか?

MN:今回はより新しい作品を選びましょう。2003年制作のArsen Antun Ostojić アルセン・アントゥン・オストイチ"Ta divna splitska noć"ですね。今作はとても個人的な理由で私の思い出に残っているんです。今作を観たのはザグレブなんですが、この時私はHollywoodの編集として働くためスプリットから引っ越してきたばかりでした。私の故郷で撮られた本作は見覚えのある場所や、いわゆる"スプリット魂"というものを捉えており、私にとって郷愁のトリガーともなったんです。しかしそれを措いても、素晴らしい演技や美しいモノクロ撮影で巧みに紡がれたこの"Ta divna splitska noć"は間違いなく21世紀において最も優れたクロアチア映画の1本なんです。

TS:クロアチア国外において、最も有名なクロアチア人作家の1人は間違いなくZvonimir Berković ズヴォニミル・ベルコヴィチでしょう。彼のデビュー長編"Rondo"が愛の爽やかな心理と哲学を、軽妙ながら深遠なスタイルで描く一方、例えば"Putovanje na mjesto nesreće"などは愛が生み出す深い傷を解剖するような1作で深く感銘を受けました。しかし現在、彼や彼の作品はクロアチアの人々にどのように評価されていますか? ぜひその作品へのあなたの正直な意見や思い出などもお聞きしたいです。

MN:Zvonimir Berkovićは死後11年が経っても未だに尊敬されている人物です。最近、クロアチア映画のオールタイムベストを決める批評家投票が行われました。彼の"Rondo"は2位であり、脚本を執筆した"H-8..."が1位になりました。トップ20位以内には"Ljubavna pisma s predumišljajem""Putovanje na mjesto nesreće"が入ってもおかしくはなかったんですが、今回は入らずでした。彼が亡くなった時、私は"追悼文"を執筆したり、繋がりのあった映画作家たちと連絡を取り思い出を語ってもらいましたね。彼がクロアチア映画やその文化一般に長きに渡る影響を与えたのは皆が賛成するところです。彼が存命の頃にインタビューできなかったのが残念でなりません。間違いないです、きっと素晴らしいものになったでしょうから。彼は間違いなくクロアチア映画において最も重要な映画作家の1人であり、監督としても脚本家としても素晴らしい存在でした。短くも偉大な歴史を作りあげたんです。クロアチアの脚本家(もしくは世界の脚本家)で"作曲の原理、特にモーツァルトの理論"を基に脚本を書きあげた人物を知りません。しかしBerkovićは書きあげてみせた、もしくは作曲してみせたんです。

TS:そして私が好きなクロアチアの作家の1人はAnte Peterlić アンテ・ペテルリチです。彼のデビュー長編"Slucajni zivot"は自由なスタイルと美しい魂によってクロアチア映画史の傑作の1本に数えられていますね。しかし興味深いことに、彼はクロアチアで際立った映画批評家であった一方、監督作はこの1本しか残していませんえ。そこで聞きたいのはクロアチアの映画産業における彼の人生、そして"Slucajni zivot"が今のクロアチアでどのように受容されているかです。そして映画批評家としての彼の仕事はクロアチア、もしくは旧ユーゴ圏でどれほど有名なのでしょうか?

MN:そうですね、彼がもう何度かだけでもカメラの裏側へ行ってくれなかったことは残念でなりません。しかし彼が"Slučajni život"を監督したのは正に偶然のことで、先述したクロアチア映画の批評家投票で今作は19位になりました。Peterlićは映画批評における伝説ですが、それ以上にクロアチアにおける映画学の父であり、著者としても編集者として映画理論や映画史にまつわる多数の本を編纂し、更には大学教授でもあったんです。人々にとっても、私にとっても彼の存在は愛おしい思い出であるんですが、それは彼がTV番組"3,2,1... Go!"の司会者でもあり、世界的に有名な映画作家、例えばオーソン・ウェルズなどがクロアチアに来た際はインタビューを行っていたんです。若い映画批評家として、私の著書がPeterlićの最後の本の1つである"The Early Work"が出版された会社から発刊されたことを誇りに思っていますね。"The Early Work"は彼の人生や仕事を発見したいという映画好きには心からお勧めしたい本です。

TS:そして2010年代においてクロアチア映画界で最も重要な存在はDalibor Matanić ダリボル・マタニチでしょう。2000年代に"Fine mrtve djevojke""Kino Lika"といった作品でキャリアを築いた後、2015年にはカンヌでプレミア上映された「灼熱」("Zvizdan")で名声を博し、今作は後に日本を含めた世界各地で配給されることとなりました。Nicola TanhoferLordan Zafranović ロルダン・ザフラノヴィチをも越えて、彼は日本で最も有名なクロアチア人監督であるでしょう。しかし本当に知りたいのはクロアチアの人々が彼や彼の作品をどう思っているかです? 「灼熱」クロアチアでも実際に議論を巻き起こしたのでしょうか?

MN:Dado(Matanićのニックネーム)は現代的で今に通じるトピック、挑発性と公共性に通じており、俳優たちを見つけ出す能力も優れています。彼はその作品を観るために人々が映画館に集まるとそんな人物なんです。「灼熱」はシリアスなドラマながら観客からの人気も素晴らしかったです。より議論を呼んだ作品は"Kino Lika"でしたね。Matanićと彼の作品は観客と批評家の間で評価が真っ二つに割れますが、好きか嫌いかに関わらず、2000年以降彼が最も多産で活動的なクロアチアの映画監督であることは認めざるを得ません。彼はある計画から次の計画へ簡単に飛躍してみせ、例えばクロアチア映画には珍しいホラー映画("Ćaća" "Egzorcizam")なども含めどんなジャンルにも臆さない、驚くほど勤勉な映画作家であるんです。2010年、私は彼を2000年代に最も印象を残したクロアチアの映画監督と評しましたが、2010年代も正にトップで在り続けたんです。Matanićは何度も話題にあげたクロアチア映画ベスト20において既にその作品が挙がる、2000年以降の若い作家の1人です。ちなみに他の2人はTomislav Radić トミスラフ・ラディチ("Što je Iva snimila 21. listopada 2003.")とOgnjen Sviličić オグニェン・スヴィリチチ("Oprosti za kung fu")です。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225100921p:plain

TS:2010年代も1年前に終りを告げました。そこで聞きたいのは2010年代最も重要なクロアチア映画は何かということです。例えばDalibor Matanić「灼熱」Hana Jušić ハナ・ユシチ「私に構わないで」("Ne gledaj mi u pijat")やIgor Bezinović イゴール・ベジノヴィチ"Kratki izlet"などがありますが、あなたのご意見はどういったものでしょう?

MN:"Ne gledaj mi u pijat""Kratki izlet"も好きで評価していますが、やはり1作選ぶなら「灼熱」が2010年代で最も重要なクロアチア映画でしょう。今作でMatanićは監督としての手腕を最大限に発揮し、完璧な画角の移り変わりによって映画の思考をローカルに展開しながら、普遍的な感触も宿らせることに成功しています、また逆も然りです。現地の人々にとって際立ったテーマ(90年代にユーゴスラビアが崩壊した後の紛争)と世界の観客にとって際立った美学的選択、そして3つの物語が描かれるという魅力的な語りを今作は持ち合わせています。もし俳優たちがクロアチア語を喋らなければ、カンヌのような規模の大きい映画祭で上映されるヨーロッパ映画の1本と勘違いされたでしょうし、実際今作はカンヌで上映されることになったんです。

TS:現在のクロアチア映画の状況はどういったものでしょう。外側からだと状況は良いものに思えます。多くの新しい才能が世界の有名な映画祭に現れていますからね。例えばロッテルダムIgor Bezinović、タリンのJure Pavlović ユレ・パヴロヴィチヴェネチアHana Jušićらです。しかし内側からだとその状況はどう見えてくるでしょう?

MN:最近まで状況は良かったんですが、コロナウイルスのせいで状況は悪くなってしまいました。それでもこれはこの国以外でもそうでしょう、クロアチアより発展した国も例外ではないと思われます。そんな中で「灼熱」の続編である"Zora"がタリン・ブラックナイツ映画祭でプレミア上映されましたが、クロアチアでのプレミアが決まっていないのがこの状況を象徴しているでしょう。シリアスなドラマとしては「灼熱」は40000人を動員する大ヒットを遂げたので、ハリウッドの人々が大作公開を延期してより売れる時期に公開日を移そうとするのと同じようなことを、今作のプロデューサーもしている訳ですね。

TS:あなたにとって、2020年代にビッグになると思われるクロアチア映画界の新しい才能は誰でしょう? 例えば私としては暴力の詩情という意味でTin Žanić ティン・ジャニチを、信じられないほど笑えるほどアニメーションのスタイルという意味でIvana Pipal イヴァナ・ピパルを挙げたいです。

MN:私も彼らには尊敬を抱いています。私が希望を抱いている映画作家Hana Jušić、Sonja Tarokić ソーニャ・タロキチ、Barbara Vekarić バルバラ・ヴェカリチ、Hani Domazet ハニ・ドマゼト、Jure Pavlović、Josip Lukić ヨシップ・ルキチ、Igor Jelinović イゴール・イェリノヴィチ、Mladen Stanić ムラデン・スタニチ、Rino Barbir リノ・バルビル、Andrija Mardešić アンドリヤ・マルデシチ、Marko Jukić マルコ・ユキチといった人物です。彼らが長編デビュー作や次回作を完成させ、2020年代を彩ってくれることを願います。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210225101113p:plain

Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210223102949p:plain

さて、世界中の誰もがこのコロナ禍によって未曽有の状況に追いこまれている。容易く人とは会えなくなり、部屋に閉じこもらざるを得ない閉塞した状況は一体いつまで続くのだろうか。そんな苦悩を抱えている人々は今回紹介する映画を観るべきではないかもしれない。何故ならブラジル映画界の新鋭Iuli Gerbaseによるデビュー長編"A nuvem rosa"は否応なしに私たちの現実と共鳴し、その陰鬱たる未来を見据えた映画だからだ。

主人公は2人の男女ジョヴァンナとヤゴ(Renata de Lélis&Eduardo Mendonça)だ。彼女たちは人目を盗んで情事に耽っていたのだが、あくる朝桃色の雲が都市を満たし始め、部屋に閉じこもらざるを得なくなる。ニュースによれば雲は人体に頗る有害であり、これが消えるまでは外出は許可されていないという。そういった事情で、ジョヴァンナたちはしばらく寝食を共にすることとなる。

まず描かれるのは2人の新しい生活の風景だ。最初、彼女たちはこの奇妙な状況を楽しむ素振りすら見せる。2人だけの空間で食事を楽しみ、ヨガで身体の疲れを癒していき、そしてソファーの上でセックスをしながら互いの肌に触れあう。しばらくの間この緩やかな風景の数々はユートピア的光景にすら見えるかもしれない。

だが時が経つにつれて状況は刻一刻と変貌を遂げていく。なし崩しの生活を送っていたジョヴァンナはなし崩しに妊娠をし、中絶も不可能ゆえになし崩しに出産をし、息子であるリドを加えて、ジョヴァンナとヤゴはなし崩し的に家族という関係性に陥ることとなる。

このいつの間にかなし崩し的に進んでいく時間というものが"A nuvem rosa"という映画の鍵かもしれない。そのあまりの呆気なさに、ある者はどんな状況にも順応してしまう人間の強かさを見るかもしれないし、ある者は1つの異常事態によって失われてしまった喜び――例えば誰かに会いにいくこと、どこか遠い場所へ旅すること――への郷愁を見出すかもしれない。

絶妙な演出の数々もそういった観客の思索を深く刺激していく。撮影監督であるBruno Polidoroが捉える風景には常に桃色の影が付きまとい、それは登場人物によって脅威でありながらも、観客の網膜にとってはある種の詩情として揺蕩っていく。より重要なのはVicente Morenoによる編集であり、彼によって紡がれる断片的な時の流れは不気味な省略へと変貌していき、ジョヴァンナとヤゴの時間は恐ろしいほど速く過ぎ去っていってしまう。生の享楽、家族という関係性への遭難、子供の急速な成長、そして少しずつ迫る死の存在。この残酷な流れがいとも容易くここでは提示されるのだ。

Polidoroの編集が象徴しているが、今作の強みはこの終らない閉塞を10年20年単位で描きだしていることだろう。最近コロナ禍に直接対峙した作品が多く現れているが、それらがかなり小局的な視点からその閉塞感を描いている一方で、今作はもっと長いスパンを以て極限状況における人間心理の推移を描きだしているのだ。おそらくこれは今作がコロナ禍とは全く関係ない状況から作られたから成し遂げられたのもあるだろう。映画の冒頭に"今作の脚本は2017年に執筆され、撮影は2019年に行われました。ゆえに現在の状況と重なる点があるのは全く偶然です"という字幕が現れる。現在正に起こっていることに対して、10年20年後の未来を射程に入れながら物語を紡ぐというのはとても困難なことだろう。今ここに危機的状況があるのに、そのずっと先を見据えろというのも酷な話だ。その限界を"A nuvem rosa"は作り手自身が全く関知しないところで乗り越えており、全くの偶然からコロナ禍の現状とその遠い未来までもを何より奇妙に反映する作品となってしまったのだ。

前述したが、この作品の予期せぬ側面ゆえにコロナ禍における未来に懸念を抱いている人々は今作を観るべきではないと感じさせる。今作には観ながら"もしこのコロナ禍がこのままずっと続くとしたら……"と考えさせ、人々を際限ない憂鬱と恐怖へと追いこんでいく恐るべき力が確かに存在しているからだ。

今作はほぼカップル役のRenata de LélisEduardo Mendonçaの2人芝居から構成されている。どちらの演技も素晴らしいの一言だが、更に際立っているのはジョヴァンナ役のLélisの存在感だ。この状況の中で彼女の考えは様々に変化していく。最初は子供を持つなど最低だと切り捨てていたのに、なし崩し的に妊娠と出産を経験させられ、母として息子を育てざるを得なくなる。そしていつ終わるとも知れぬ閉塞の中で現実を直視することも不可能になっていき、VRの世界へ逃げこみ始める。この劇的な考えの変貌の流れへ、Lélisは確かな演技力を以て迫真性を与える。これが私たちの人生への思索を更に深いものとしてくれるのだ。

"A nuvem rosa"は偶然によって、壮絶なまでにコロナウイルスによって歪められたこの現代と共鳴することとなってしまった映画だ。現実と芸術というものは相互関係にあり、いつであっても互いに絶え間ない影響を与え続けるが、この芸術作品はその影響下すら越えて、突き抜けたのだ。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210223102648p:plain

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後

オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」

最近はそうでもなかったが、前はこの鉄腸マガジンで"文芸エロ映画"というジャンルを紹介していた。TSUATAYAなどのレンタル店にある外国映画の棚、その端に煽情的なタイトルの、ポルノではないけども限りなくポルノに近そうな題名の映画が多々置いてあることがある。例えば「誘う処女」「アブノーマル」「裸の診察室」などがそうだ。タイトルに惹かれ実際に観てみると、エロは少しだけで内容は映画祭でよくやってそうな文芸映画だったと落胆した人々も少なくないだろう。興味深いのはそんな作品の中には、本当に映画祭、しかもかなり著名な映画祭でプレミア上映された作品があるということだ。

例えば「欲望の航路」(レビュー記事はこちら)という作品はエロ大国フランスの格調高いエロ映画的のような売り方が成されているが、実際はフランスとギリシャを代表する若手俳優アリアーヌ・ラベドが主演で、世界的にも有名な新人監督の登竜門ロカルノ映画祭でプレミア上映、女優賞なども獲得している。「ダニエラ 17才の本能」(レビュー記事はこちら)はジャケット画像と邦題からは想像もつかないが、実際はチリに台頭するキリスト教啓蒙主義に対し反旗を翻すバイセクシャルの少女を描いた作品で、アメリカにおけるインディー映画の祭典サンダンス映画祭脚本賞を獲得しているほどの作品だ。

今挙げた作品群は2010年代に制作された、比較的最近の映画だが、昔からこうして内容や履歴を無視して、エロ要素だけを抜き取ったうえで文芸エロ映画として推されてきた作品は少なくない。今回紹介するのはそんな運命を辿った映画の1本である、ビム・ド・ラ・パラ・Jr監督作「処女シルビア・クリステル/初体験」を紹介してきたい。正直全てが酷いのだが、それに関してはおいおい説明と訂正をしていきたいと思う。

まずは普通に本編を紹介していこう。主人公はフランクとエーファという夫婦(ヒューゴ・メッツェルス&ヴィレケ・ファン・アメローイ)だ。フランクの激しい浮気性のせいで夫婦仲は最悪、救い難い倦怠が彼らの間には広がっていた。だがエーファは希望を捨てておらず、夫婦仲を再生するために様々な方法に打って出るのだった。

今作、冒頭から何とも壮絶に生命力が爆発している。フランクは助手席に愛人であるシルヴィア(シルヴィア・クリステル、彼女は主演でもなければ処女でもない)を乗せて道路を突っ走る。シルヴィアは酒をブチ込みながらオナニーまで始め、車内にはムラムラは爆裂するが、それに気を取られ車は豪快に事故をブチ起こす。だがフランクはそれすら気にせず、シルヴィアすら置いてバーへと向かう。そこからもうフランクという男の向こう見ずさが分かるだろう。

こんな男を中心として、ここから90分間銀幕をチンコとマンコがのたうち回る訳である。愛人とのセックスは勿論、夫婦仲のショック療法として妻エーファの寝取られ&フランクはクローゼットで盗み見という陰湿なプレイをかましたりと、貞操観念をいとも容易くブチ抜くエロの饗宴がかまされる訳だ。正直言えば全編エロパワーに満ち溢れているので、文芸エロ映画として売られた理由も分からなくはない。が、主人公のように喧伝されるシルヴィア・クリステルは前述の通りフランクの愛人で、端役の1人でしかない。「エマニエル夫人」フィーバーで日本に輸入されたのは想像に難くない。

だが今作は本国オランダにおいては頗る重要な作品としてシネフィルの記憶に残っている。それは何故か。これを説明するためには、今作の監督であるビム・ド・ラ・パラ・Jrを紹介していかなくてはならない。本名はPim de la Parra ピム・デ・ラ・パラ、"ビム"という表記は明確に間違いで、末尾のJrは今作限定で何故そうなのかは定かではない。彼は1940年、当時オランダの植民地だったスリナムに生まれ、オランダに移住した後に1960年からオランダ映画アカデミーで映画について学びはじめる。1963年には友人であるWim Verstappen ヴィム・フェルツァペンNikolai van der Heyde ニコライ・ファン・ダル・ヘイダGied Jaspars ヒェト・ヤスパルスらと映画批評誌Skoopを立ちあげる。

1965年にはその批評の実践とばかりに、Verstappenとともに自身の制作会社Scorpio Filmsを設立した。ここでParraは"Jongens, jongens, wat een meid""Aah... Tamara"といった短編を監督するとともに、友人Verstappenの短編"De minder gelukkige terugkeer van Joszef Katús naar het land van Rembrandt"(1966)や長編デビュー作"Drop Out"をプロデューサーとして制作する。そしてこの経験を経て、自身にとっての初長編"Bezeten - Het gat in de muur"を1969年に完成させる。医学生である主人公が借りた部屋の壁に小さな穴を見つけ、隣人のセックスを覗き見し始める……という物語で、明確にヒッチコック、特に「裏窓」に影響を受けた作品となっている。

だが今作で最も注目すべき点は共同脚本家が、何とあのマーティン・スコセッシであるということだ。この時スコセッシは初長編「ドアをノックするのは誰?」の追撮(今作は1967年に"I Call First"として完成していたものの、配給会社にセックスシーンを追加しろと要求された。そして1970年には今に知られる"Who's That Knocking at My Door"として完成を見る)を行うため、ハーヴェイ・カイテルらとオランダの首都アムステルダムに赴いた。ここでスコセッシとParraは出会い、彼は"Bezeten"に脚本家として参加したらしい。何とも奇妙な運命である。

そして1970年の第2長編"Rubia's Jungle"の後、プロデューサーとしてParraはオランダ映画史上最も議論を呼んだ作品の1本、盟友Vertsappenの長編"Blue Movie"(1971)を完成させる。今作は簡単に言えば、前科者が団地の欲求不満な人妻たちとヤリまくるという、ヒッピー時代のセックス革命を背景としたオランダ版団地妻ロマンポルノなのだが、劇場公開されたオランダ映画で初めてセックスと勃起したペニスを映した作品なのだそうだ。当初映画コミッションは上映を許可しなかったが、Vertsappenが直談判し上映を認めさせたところ、観客が雪崩込み当時最大の興行収入を叩きだし、ParraとVertsppenは時代の寵児となった。

この勢いに乗ってParraが1973年に監督した第3長編が"Frank en Eva"、つまり「処女シルビア・クリステル/初体験」という訳である。先述した内容を読めば分かる通り、今作もまたセックス革命を背景としたコメディ作品で"Blue Movie"に続いてこの傾向を突き詰めた作品だったのだ。そして彼らと並行して長編を作り始めていた新鋭監督があのポール・ヴァーホーヴェンである(日本ではハリウッド進出後に有名になった故、名前が英語読みになっているがPaul Verhoevenオランダ語ではパウル・ファルーフェンらしい)彼はParraやVertsappenに先駆け1960年代初頭から短編やTVドラマを手掛けていたが、"Blue Movie"公開と同じ1971年に初長編"Wat zien ik"を完成させた。中年娼婦2人組が仕事に愛にてんやわんやといったコメディ作品で、やはりここにもセックス革命の影響が見受けられる。そして1973年、つまり「処女シルビア・クリステル/初体験」の公開年、彼は日本でも有名な第2長編"Turks fruit"akaルトガー・ハウアー/危険な愛」を完成させた。今作もまたオランダで興行的に最も成功した映画として数えられているが、この背景にあるのは間違いなく"Blue Movie"やParraなのである。

しかしヴァーホーヴェンがここからオランダ映画界、ひいてはハリウッドでのスターダム一直線なのに反して、ParraとVertsappen、そして彼らの制作会社Scorpio Filmsは危機的な状況にあった。Verstappenは映画製作の現状に不満を抱き、当時において最大級の予算をかけた長編"Dakota"に観客が入らなかったことにも苛立つ。その一方でParraは生来の浪費癖を発揮しながら"Dakota"すらも越える予算で新作"Wan pipel"を製作(今作はとても重要な1作なので、後で詳しく解説する)、そして今作もまた興行的に失敗、これ原因でScorpio Filmsは破綻を迎えた。残されたのは借金20万ギルダ、当時のレートで約1100万円だそうだ。当然の帰結としてParraとVertsappenは袂を分かつこととなり、より大衆に寄った作品群、例えば第2次世界大戦時のオランダの田舎町を描く戦争映画"Pastorale 1943"(1978)やルトガー・ハウアーも出演の警察もの"Grijpstra & De Gier"(1979)とその続編"De ratelrat"(1987)などを製作した後、映画界から姿を消した。だが逆にParraの創作意欲は衰えることを知らなかった。80年代から90年代にかけて17本もの低予算映画を製作するなどオランダ映画界の問題児としての存在感を発揮し続けた。しかし1995年に"ジャンル映画への別れの1作"と自身で呼ぶ"De droom van een schaduw"を完成させた後には、故郷のスリナムへと戻り今に至る……

と、最後の部分をはしょってしまったがParraの映画史における異端性、重要性はここにある。先述したが彼はスリナムという国で生まれた、スリナム系オランダ人である。だがそもそもの話、スリナムという国名を聞いたことがない人物もそう少なくないだろう。スリナム共和国南アメリカ大陸の北東部に位置し、南にブラジル、西に――おそらくシネフィルにはガイアナ人民寺院の悲劇」で有名な――ガイアナ共和国と国境を接する国だ。以前はオランダ領ギニアと呼ばれ、17世紀からオランダに植民地として支配されていたが、1954年に自治権を獲得した後、1975年には完全な独立を果たした。故にラテンアメリカで唯一オランダ語公用語であったり、黒人奴隷や移住してきたアジア系住民の文化が混ざり合った無二の文化を持っていたりと、かなり興味深い歴史がこの国には広がっている。そんなスリナムにParraは生まれた訳である。

Parraは1976年に"Wan pipel"という長編を監督したと先述したが、今作はスリナム独立後、現地の人々を俳優やスタッフとして起用して作られた、言うなれば初めてのスリナム映画なのだ。オランダに留学したアフリカ系スリナム人の主人公が、母の死をきっかけに恋人を残して故郷へと戻ることになる。彼はそこでインド系スリナム人の女性と出会い恋に落ちるが、アフリカ系とインド系の文化的衝突がその愛を邪魔し、更には彼を追ってやってきた恋人の存在は宗主国オランダの存在とも重なり、主人公はアイデンティティの危機に陥る。そんなスリナムの文化の複雑さを反映した物語となっているが、それもあってかオランダでの興行は散々なものだったという。

この後Parraは約20年間オランダで映画を作り続けた訳だが先述の"De droom van een schaduw"を製作した後、彼は故郷のスリナムに移住する。ここで彼はスリナム映画アカデミーの設立に携わり、スリナム映画界の前進に貢献する。そして2007年には引退状態から脱し、彼にとってもう1本のスリナム映画"Het geheim van de Saramacca rivier"を完成させた。若い夫婦が危機的な関係性を建て直そうと奔走する作品はスリナム映画アカデミーによる制作映画第1作という記念すべき作品ともなっている。奇妙にも「処女シルビア・クリステル/初体験」と似た質感を持っていたりもする。この後Parraはスリナムで悠々自適な隠居生活を送っているという。81歳で未だ存命である。ちなみに2021年のアカデミー賞国際長編賞において、スリナムは初めて代表を選出した(Ivan Tai-Apin監督作"Wiren")という記念すべき事件が起こったが、これもParraの尽力が無かったら起こっていなかったかもしれない。

さて「処女シルビア・クリステル/初体験」に戻ろう。今作は、実は日本にPim de la Parraというオランダ映画界の重鎮を紹介していたという意味で超重要な作品だ。それもシルヴィア・クリステル「エマニエル夫人」バブルで奇跡的に日本紹介が成された訳だが(もしかするとこの解説で初めてクリステルがオランダ人と知った人も少なくないのではないか)これ以降、1985年の"オランダ・ニューシネマの波"やロボコップ公開からのヴァーホーヴェンのオランダ時代の作品ビデオ発売、オランダ映画祭の開催などなど徐々に日本でオランダ映画受容が進んでいく。

だが2010年代に入って、まるで「処女シルビア・クリステル/初体験」さながら、俄かに文芸エロ映画として日本へ秘密裏に紹介されることが増えた。その先鞭を切ったのが「裸の診察室」("Brownian Movement", 2010)である。医師である女性が結婚生活への不満から患者とのセックスを繰り返すといった作品だが、今作は今や「さよなら、トニ・エルドマン」で日本でも有名なザンドラ・フュラーが主演で、トロントとベルリンで上映されている。監督のNanouk Leopold ナヌーク・レオポルドは2001年頃から長編を製作し始め、今作が評判となり最も有名なオランダ人監督の1人となる。私が最もその作品を愛するオランダ人監督でもある。作品自体も傑作なのでぜひ観てほしい。

そして次は「アブノーマル」("Hemel", 2012)である。父親とのトラウマから年上の男性とのセックスを繰り返す女性を描いた作品で、今作もまたベルリン国際映画祭で上映されている。監督のSacha Polak サーシャ・ポラックはオランダで期待される新鋭の1人で、2019年には"Dirty God"英語圏進出も果たしており、世界に広く知名度がある。ここに続くのが「誘う処女」("Supernova", 2014)だ。今作もオランダ期待の新人の1作としてベルリン国際映画祭に選出されている。ベルリンに評価されるほどの作品がこんな奇妙な邦題で日本に紹介され、そのポテンシャルを見過ごされたままレンタル店の棚に埋もれているのだ。

という訳で「処女シルビア・クリステル/初体験」オランダ映画史における重要作というだけでなく、日本におけるオランダ映画受容においても色々とさきがけていた1作なのだ。こういう風に未だ埋もれている作品は多いと思うゆえに、今後もディグっていきたいと思う。

Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210201170313p:plain

ウクライナ・クリミア侵攻をきっかけとして、旧ソ連諸国においてロシアへの危機感が再燃している。その中の1国であるリトアニアは脅威に備えて徴兵制を設置、若い男性たちに兵役を課している。そして義務ではないが、少数の女性たちが志願兵として兵役を行っているという現実もある。そんな普段は注目されない女性たちの選択を描きだしたドキュメンタリー作品がMarija Stonytė マリヤ・ストニテー監督のデビュー長編"Gentle Soldiers"だ。

今作の主人公は兵役に志願した3人の女性である。彼女たちは20代になったばかりであるが兵士となることを選び、9ヵ月の訓練を受けることになる。そのなかで身体や精神を厳しく鍛錬され、男性兵士や同じ境遇の女性兵士たちと寝食を共に過ごしながら、リトアニアの現状や自身の人生について思索を重ねていくこととなる。

まず目にとまるのが女性兵士たちの体躯の小ささだ。髪を刈りあげた男性兵士たちが濃緑の軍服を身に纏い整列するなかに彼女たちも紛れこんでいるのだが、彼らに比べるとその身体は小さく脆いものに見えてならない。その中の1人ががらんどうになった廊下を歩く場面があるのだが、またそのちっぽけさが際立つ。それは彼女たちの心細さも現しているのかもしれない。

そして訓練が開始される。例えば銃器などの重装備を身に纏いながら広野を動きまわったり、泥の溝に身体を埋めて匍匐前進で前へ前へと進んでいく。この過酷な訓練の数々が連なる毎日を、兵士たちは過ごさなくてはならない。並大抵の精神では太刀打ちできないだろうと思わされる。痛みと汗がここには刻まれている。

撮影監督Vytautas Plukas ヴィタウタス・プルカスのカメラは3人の女性兵士に静かに寄り沿っていく。訓練を受ける、輸送トラックに座り仲間たちと談笑する、同じ女性兵士たちと親密な時間を過ごす。そういった風景に現れる彼女たちの表情を見据えていくのだ。そこに何か個人的な思考や解釈は介在することがない。観客はそれぞれにこの表情の数々を見つめ、それぞれに考えを深めていくことになるだろう。

そして時折、カメラは兵士の1人1人と対面して、彼女たちの言葉に耳を傾ける。彼女たちは現状への苦悩や人生にまつわる想いを語っていく。その胸中には様々な感情が去来しているのが、彼女たちの言葉からは推し量られるだろう。彼女たちを取り巻く風景と言葉、これがありのまま示されることで私たちを思考へ誘うのだ。

訓練が繰り広げられるにつれて、兵士たちの絆は密なものになっていく。女性たちも同僚たちとともに兵士の勇猛さ雄々しさを湛えるような歌を響かせることになる。それは軍隊というマチズモの機構へと彼女が取りこまれていっているようで、モヤモヤした微妙な思いが込みあげてくるのもまた事実だ。こういった側面も作品には現れる。

そのなかで今も私の心に強く残っているのは映画の冒頭だ。1人の女性兵士が自分の身体ほど大きい銃器を構えながら、叢のなかで標的を伺っている。その強く引き締められた視線や横顔は、しかし未だ幼いもののように思われる。これと同時にカメラは銃身を這っている1匹の小さな小さなテントウムシを捉える。彼女の緊張など露知らずに、ただ平和にテントウムシは銃の上を歩いている。これが、何か世界の残酷を何より豊かに、壮絶に語っているのではないかと思われて、今でも私の心から離れないのだ。

"Gentle Soldiers"リトアニアの危うい現状を女性兵士たちの視点から描きだしていく意欲作だ。そして9ヵ月の訓練が終ったとしても、それは何かの始まりや終りを意味する訳ではない、人生は続いていく。女性たちはそれぞれの日常に戻りスーパーマーケットで働いたり、束の間の休みを過ごすことになる。その一方でロシアという脅威も未だに存在し続け、脅威への不安もまた消えることがない。ここで描かれた出来事が現在進行形であることを観客は終盤においてまざまざと見せつけられることになるのだ。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210201170431p:plain

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること

Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210201165124p:plain

レバノン映画はいつであってもその激動の歴史を見据え、傑作を生みだしてきた。例えばMaroun Bagdadi マルーン・バグダディ"Les petites guerres""Hors la vie"などレバノン内戦をテーマとした作品を作り続けたし、日本でも著名なNadine Labaki ナディーン・ラバキー「キャラメル」「存在のない子供たち」などでレバノンの現在を深く見据え続けている。今回はそんな映画作家の系譜に連なるレバノンの新たな才能Chloé Mazlo クロエ・マズロによるデビュー長編"Sous le ciel d'Alice"を紹介していこう。

50年代初頭、今作の主人公であるアリス(Alba Rohrwacher アルバ・ロルヴァケル)はスイスの山間部に住んでいたが、その閉塞した状況に嫌気が差していた。心機一転、彼女が新天地として選んだ場所が中東に位置するレバノンだった。アリスは新たな人生を始めるが、その時に出会ったのがジョゼフ(Wajdi Mouawad ワジディ・ムアワッド)という風変わりな科学者だった。

今作の演出はおもちゃ箱をひっくり返したかのような極彩色の奇想に満ち溢れている。アリスの人生を描くにあたり、アニメーターでもある監督は可愛らしいストップモーションを駆使すると共に、印象派を思わす絵画を書割としてレバノンのめくるめく街並みを描きだす。この愛おしい、まるでお伽噺に出てくるような世界のなかで、アリスはその生命を輝かせるのだ。

この演出法を観ながら想起したのはエリック・ロメール「聖杯伝説」だった。奇妙なまでに簡略化されたセットに放りこまれた登場人物たち、彼らが過剰なまでに演技がかった挙動で伝説を語る様が、アリスたちの人生に重なるのだ。センスの先鋭かつ豊穣な芸術家が、全身全霊を懸けて創りあげた学芸会といった雰囲気を2作は共有しているのだ(鑑賞後に、監督とFacebookで話したが実際「聖杯伝説」は参考にした作品の1つだという)

ジョゼフと時間をともに過ごし相思相愛となったアリスは2人の部屋を借り、娘であるモナ(Isabelle Zighondi イサベル・ジゴンディ)を生み、レバノンという大地にその魂を深く埋めることになる。優しい家族と陽気な親戚たちに囲まれて、アリスは幸福な時間を過ごすのだったが、それは長くは続かなかった。レバノン内戦が始まったのだ。

私たちはアリスたちの幸せが少しずつ崩壊していく様を目撃することになるだろう。ニュースでは不穏な破壊と死の報が伝えられる一方で、路上には布をかけられた死骸の数々が横たわっている。布に蟠る血の赤色は、かつて彼らが生きていたという悲壮な証だ。アリスはこの突然訪れた過酷な現実がすぐに過ぎ去ることを願い、アパートの1室で密やかに生活を続けながら、むしろ状況は悪化の一歩を辿る。Mazlo自身とYacine Badday ヤシーン・バッダイによる脚本はこの風景を丹念に描きだしている。

序盤においては監督の出自が存分に発揮された、現実を軽やかに越える色とりどりの演出が私たちの瞳を楽しませてくれるが、物語が展開するにつれその彩りは影を潜めることになる。この内戦状態において安心できる場所は自身の部屋しかないが、これが徐々に息苦しい監獄へと変わっていくことになる。この現実を反映して監督の演出もまた閉所恐怖症的なものとなり、アリスやジョゼフの身体を圧迫し、観客の心をも圧し潰していくことになるのだ。

そして内戦が激化するにつれて、皆がこの国に生きることの意味を考えざるを得なくなる。アリスの親戚たちは已むなくレバノンからの脱出を選び、それぞれ異なる国へと赴く。アリスは彼らの背中を見据え、また会える日を願いながら、自身の部屋へと戻ることになる。だが彼女やジョゼフはレバノンから出ていくことを選ばない。何故、彼女たちはレバノンに残り続けるのか?

今作の核はアリスとジョゼフを演じる2人の俳優だろう。まずジョゼフを演じるWajdi Mouawadレバノン系カナダ人の劇作家であり、日本ではドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作「灼熱の魂」の原作者として有名だが、ここでは俳優として印象的な演技を魅せてくれる。ジョゼフは人づきあいを得意としない科学者だが、その才能を惜しみなく宇宙探索のためのロケット制作に注ぎこむ。彼にとってはこれがレバノンで生き続ける理由の1つであり、国の未来を信じ、そしてアリスとの明るい未来を信じている。

そしてアリスを演じるアルバ・ロルヴァケル、ヨーロッパを股にかけ活躍するイタリアの名俳優だが、ここでは流暢にフランス語を操りながらアリスの人生を体現していく。最初は水色のドレスを纏う夢見心地の少女、家族を想いながら幸福を噛みしめる中年女性を経て、死に満ちたこの国に生きることの意味について苦悩を続けるレバノン人。こうして様々な表情を見せるアリスをロルヴァケルは力強く演じてみせるのだ。

今作において監督が深く見据えているのはレバノン内戦が齎したあまりにも残酷な傷だ。私たちはベイルートの町が死によって浸食され、アリスたちの心が少しずつ殺されていく痛ましい現実を見ることとなる。だがその壮絶の真っただ中を進み続ける幾多の生の根底には、それでも故郷を愛するのだという強靭な意志が存在している。だからこそ今作に現れる生は小さくも、力強い輝きを放っているのだ。

"Sous le ciel d'Alice"レバノンへの大いなる愛を、アニメーションと実写の融合を基とした独創的な様式によって美しく描きだした1作だ。現在、レバノンは甚大な被害を与えた爆破事故などで危うい状況に陥っている。だがここに描かれる愛を原動力として、レバノンの人々は再び前に進んでいくだろう。描かれる風景は心引き裂かれるような物であっても、今作にはそれを突き抜けるだろう希望が存在しているのだ。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20210201165530p:plain

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること