鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

極私的ユーゴスラビア映画50選!

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Twitterで"ユーゴスラビア映画とかになると、もう何を見ていいかわからないな"という呟きを見かけた。映画批評家がそう途方に暮れるくらいなのだから、普通の映画好きはもう何が何だかという感じだろう。なので1つくらいユーゴスラビア映画を観るための指針が日本語であるべきだな、じゃあ自分で作るかと思い、作った。

範囲はセルビアボスニアクロアチアスロヴェニア北マケドニアモンテネグロコソボ。基準年数はユーゴスラビア成立の1918年から、スロヴェニア独立でユーゴが分裂した1991年まで。今まで旧ユーゴ圏出身の映画批評家映画作家にインタビューしてきてコネを作ってきた(末尾にそのインタビューを貼っておく)ので、彼らの意見を取り入れてリストを製作した。が、究極的には自分が好きなユーゴスラビア映画をブチこんだ極個人的リストという風になっている。並びも好きな順番になっている、いや実際全部好きだけども。

一見すれば分かると思うが有名作品や作家、例えばエミール・クストリツァドゥシャン・マカヴェイエフらの作品は1本も入っていない。そういう日本語で情報がすぐに入るものでこのリストを埋めたくはなかったので、意図的に入れなかった。彼らについては是非ググってください。

先にも書いたがこのリストは極個人的かつ、有名すぎるのは意図的に入れていないし、短編・ドキュメンタリー・アニメーションがほぼ入っていない、全く以て偏ったものになっている。ので"おい、これ入ってねえぞ!"と思った方は自分自身のユーゴスラビア映画リストを作って公開してほしい。リストは幾つあってもいい。このリストはあくまで踏み台であり、ここから新たな何かが生まれたら幸いである。ということでどうぞ。

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Rojet e mjegullës / Isa Qosja (1988) コソボ
チトー政権下で弾圧されるアルバニア人の苦難を、小説家の現実と幻想を通じて描き出すコソボ映画。野を駆ける炎の馬、警官の耳を喰いちぎる狂人の笑み、どこまでも荒涼たるコソボの大地。その詩情は余りにも凄絶。今作が映画史の傑作に数えられてないのは信じ難い。

"もし1作好きなコソボ映画を選ぶならIsa Qosja"Rojet e Mjegullës"ですね。検閲と権威主義にまつわる素晴らしい映画です。私の意見では今作はバルカン地域から生まれた最もオーウェル的な作品の1本であり、世界的にもっと知られているべきなんです。そして政治のための政治ではなく、80年代のユーゴスラビア社会を反映した批評としても際立っています(この国が傾き始め、民族間の緊張が高まってきた時代です)美しく設えられながらも象徴的でかつ隠喩的、そして多く超現実的なところに惹かれます。そしてその象徴主義はここで使われるに正に相応しいと思えるのは、主人公が自身の作品において正に象徴主義を使うゆえに弾圧されるからです。さらにXhevat Qurraj ジェヴァト・チュッライEnver Petrovici エンヴェル・ペトロヴィツィの目覚ましい演技も特徴的です。制作された時期を考えると、本当に大胆な映画だったと思えます"(Donart Zymberi ドナルト・ジンベリ)

Peščeni grad / Boštjan Hladnik (1963) スロヴェニア
スロヴェニアの巨匠Boštjan Hladnik ボスチャン・フラドニクの第2長編。あてどなくスロヴェニアの大地を駆け抜ける3人の男女の青春劇。スロヴェニア突然炎のごとくというべき三角関係もので、広大な自然を背景に親密な弛緩と不穏な緊張を繰り返す様が見事。ラストの寂寥感は本家越え。傑作。

Dečki / Stanko Jost (1976) スロヴェニア
寄宿学校に住む2人の恋愛を描いた、スロヴェニア初のゲイ映画。当時の東側諸国の状況を鑑みれば破格の意味を持つ作品で、確かにアマチュア的な瑕疵はかなり見て取れるものの、アンディ・ミリガンなどそういった素人映画だからこそ持つ、予期せぬ輝き、崇高さが存在。無二。

"Stanko Jost スタンコ・ヨストはアマチュアの映画製作者で、私の故郷ツェリエの出身です。彼はツェリエの劇場にアーキビストとして雇われましたが、映画にとても興味がありました。そんな中で彼はFrance Novšak フランツェ・ノシャクの小説"Dečki"と出会いました。今作は1938年に出版され、基本的にスロヴェニア初のゲイ小説とされています。Jostは今作に魅了され、映画を作ろうと決意しました。自身のお金を注ぎこみ、プロの俳優からアマチュアの友人にまで頼み、映画を完成させました。しかし最初の1作は禁止され、後のインタビューでの言葉を借りると、打ちひしがれてしまいました。3年後に自身のお金を使い、警察の監視付きで撮影を行いました(彼によると警察はただの市民で、毎日撮影に来ては万事快調かと聞いてきたそうです)映画はツェリエとリュブリャナで2回上映され、当時における最も有名な映画監督、例えばHladnikなども鑑賞したそうです。

Jost自身もゲイであり、2000年までには自身の人生に幻滅していました。なので作品の最後のコピーも焼き捨てたかったそうです。しかし幸運にもLGBT映画祭によって救い出され、デジタル化されました。そして彼はYoutubeにアップする許可も与えてくれました(残念なことに字幕はないんですが)映画は技術的に良く組み立てられた映画ではありません。Jostは自分自身で撮影しなければならず、カメラの雑音も聞こえるでしょうし、影やブームマイクがショットの中に映りこんでもいて、さらにショットや演技もぎこちないです。しかし重要なのは内容なんです。さらにJostはワンマンの創作者で、大きな決断力がありました。映画を作るために懸命に戦い続け、1970年代スクリーンに同性愛を映し出したんです。彼に対する称賛は止みません" (Jasmina Šepetavc ヤスミナ・シェペタブツ)

Белиот ѕид Beluot sid / Љупчо Билбиловски Ljupčo Bilbilovski (1978) 北マケドニア
聖人画の制作を依頼された青年と、奴隷のごとく扱われる若い尼僧の出会いが生む悲劇。マケドニア正教の噎せ返る神秘主義とその裏側にある崇高な陰惨、それらがゾッするほど軽い暴力と死によってこそ更なる聖性へ高められる。北マケドニアの揺るぎなき残酷。

Планината на гневот Planinata na gnevot / Љубиша Георгиевски Ljubiša Georgijevski (1968) 北マケドニア
社会主義の理想を胸に、集団農場化を推し進める男が直面する不信と裏切り。北マケドニアの荒涼壮大なる自然を背に、男が彷徨う受難劇へと発展する後半は正に圧巻。ヤンチョー・ミクローシュが作れなかった北マケドニアの名作。

Muke po mati / Lordan Zafranović (1975) クロアチア
猛毒を持った官能、激烈な暴力、深淵のような絶望、そういった後のLordan Zafranović ロルダン・ザフラノヴィチ作品に浮かぶ要素の数々が剥き身の形で宿ったような、彼の第2長編。母や妻に自分の強さを証明するためにボクサーとして高みに昇ろうとする男の鬼気迫る物語として秀逸であるとともに、スロヴェニアを代表する監督・撮影監督であるKarpo Godina カルポ・ゴディナの贅を尽くした撮影には恍惚。

Ples v dežju / Boštjan Hladnik (1960) スロヴェニア
"Hladnikは疑いなくスロヴェニアの映画監督で最も重要な人物の1人です。彼の"Ples v dežju"は20世紀のスロヴェニア映画で最も力強い作品の1つであり、モダニズムを私たちの映画史に導入したんです。芸術家として、彼は"恐るべき子供"というべき人物であり続けました。常にタブーを破っていき、特に60年代には彼は雄弁で議論を巻き起こす人物と見做されていました" (Petra Meterc ペトラ・メテルツ)

Мементо Memento /  Димитрие Османли Dimitrie Osmanli (1967) 北マケドニア
スコピエ地震後、再び巡り会った男女が過去と現実を彷徨う姿を描き出した北マケドニア映画。大破壊によって築かれた凄惨な廃墟の数々、そこから立ち現れる透明で儚い愛の風景。まさか北マケドニアヒロシマ・モナムールに肩を並べる作品があったとは!

Okupacija u 26 slika / Lordan Zafranović (1978) クロアチア
1941年、クロアチアの枢軸国入りによって砕け散る友情についての物語。徐々に情勢が退廃に傾いていく様が流麗なカメラワークで綴られながら、精神の歪んだ変貌や唐突で無残な虐殺が描かれていく。世界史知らなくとも厭さは凄まじく抜群。クロアチアとイタリアの微妙な関係性が背景にあったり、この映画自体がファシズムに対するチトー政権のプロパガンダ的側面があったり、内実は頗る複雑。クロアチア「ソドムの市」と呼ばれる。

Kolnati sme, Irina / Колнати сме, Ирина / Коле Ангеловски Kole Angelovski (1973) 北マケドニア
オッサンが息子の嫁に恋して悶々。そんな陳腐な物語を、北マケドニアはこうも淫靡に背徳的に崇高に描き出すかと驚かされる。秘めたる激情の重さに思わず心が揺さぶられる。北マケドニア映画史上の傑作として名高いそう。

U mreži / Bojan Stupica (1956) モンテネグロ
モンテネグロ映画史、黎明の1作。明確に当時のイタリアの通俗劇への影響が見られるも、それを咀嚼しての軽妙な喜劇的前半から、資本主義の倫理に引き裂かれる男女の友情と愛という後半の流れは滑らかで盤石。題の意は"網の中で"ですが、網が漁村の風景に根づきながら、様々な機能を見せてくれて、これも巧み。

Nočni izlet / Mirko Grobler (1961) スロヴェニア
若者たちの饗宴が常軌を逸脱する頃、それに背を向ける男、そこに身を委ねる女、それぞれが越えてはならない一線を越えてしまう……50年代の退廃を引きずりながら、狂気スレスレの若さが突き抜けてしまった後の悲壮感が壮絶。スロヴェニア太陽族映画といった趣。

Ram za sliku moje drage / Mirze Idrizovića (1968) ボスニア
ボスニアの郊外に住む少年たち、都市部から来た青年の導きで彼らは大人の階段を上る……まるで1つの映画の中にヌーヴェル・ヴァーグの心躍る軽妙さとネオリアリズモの荒涼たる現実が同時に存在しているような作風で、ボスニア映画界の豊穣さを想わされる1作。

Po isti poti se ne vračaj / Jože Babič (1965) ボスニア
出稼ぎのためスロヴェニアにやってきたボスニア人たちが直面する差別。貧しい南から裕福な北へ移民する人物への軽蔑がそこに。喧嘩の華麗な横移動撮影から脂臭い闇に紛れる汗まみれの男。同時代に日本で作られたプログラムピクチャーのような佇まいに興奮。

Žena s krajolikom / Ivica Matić (1976) ボスニア
"好きな作品はたくさんありますが、その中でも1本を選びましょう。それはIvica Matić イヴィツァ・マティチ監督の"Žena s krajolikom"です。今作の中では、芸術と自然が結い合わされています・絵画を通じて、監督は人生を描いているんです。 そして彼はIsmet Ajanović イスメット・アヤノヴィチ(ボスニアの有名な画家)の繊細な絵画を使って、風景を構成してもいます。森の管理人が風景を通じて彼の絵画を描き出す時、2つは溶け合い1つになるんです。芸術家と社会の軋轢、芸術家が自由と正義を求める姿が美しく描かれています。思い出すのはジョージアの映画監督ゲオルギー・シェンゲラーヤ「放浪の画家ピロスマニ」です。両作品とも繊細な絵画を通じて物語を語り、芸術家と社会の間に横たわる不理解を描いていますね。監督はボスニアに広がる風景を垣間見て、それを映画の枠に閉じ込めてみせました。今作は画架に立てかけられた映画なんです" (Maja Novaković マヤ・ノヴァコヴィチ)

Jovana Lukina / Živko Nikolić (1979) モンテネグロ
"あの素晴らしい俳優Merima Isaković メリマ・イサコヴィチによるトランス的な舞踏場面は忘れられません。彼女は悲劇的な交通事故によって俳優としての未来を断たれてしまいますが。今作の意味は映画的にもメタ的な意味でも多様です。今作は男性中心主義的な世界で自身のアイデンティティーを探し求める女性の姿を描いた、極めて実験的な映像詩です。その詩情は夢のような場面の繰り返しが基となった構築に裏打ちされています。幻想的なミザンセンの中で主人公の暗いシルエットには白い光が不吉に輝きます。そしてイメージと音の反復は映画の詩的ライトモチーフとしても機能するんです。一時的なプロットでは、今作はアダムとイヴの聖書神話の再構築であると言えます。それはヨヴァナ(Merima Isaković)とルカ(Boban Petrović ボバン・ペトロヴィチ)という主人公たちによって遂行されます。そして二次的なプロットにおいて、映像的・言語学的なコードが絡みあい、女性のアイデンティティーの探求という読解が明らかになるんです" (Maja Bogojević マヤ・ボゴイェヴィチ)

Rondo / Zvonimir Berković (1966) クロアチア
"Zvonimir Berković ズヴォニミル・ベルコヴィチは死後11年が経っても未だに尊敬されている人物です。最近、クロアチア映画のオールタイムベストを決める批評家投票が行われました。彼の"Rondo"は2位であり、脚本を執筆した"H-8..."が1位になりました。トップ20位以内には"Ljubavna pisma s predumišljajem""Putovanje na mjesto nesreće"が入ってもおかしくはなかったんですが、今回は入らずでした。彼が亡くなった時、私は"追悼文"を執筆したり、繋がりのあった映画作家たちと連絡を取り思い出を語ってもらいましたね。彼がクロアチア映画やその文化一般に長きに渡る影響を与えたのは皆が賛成するところです。彼が存命の頃にインタビューできなかったのが残念でなりません。間違いないです、きっと素晴らしいものになったでしょうから。彼は間違いなくクロアチア映画において最も重要な映画作家の1人であり、監督としても脚本家としても素晴らしい存在でした。短くも偉大な歴史を作りあげたんです。クロアチアの脚本家(もしくは世界の脚本家)で"作曲の原理、特にモーツァルトの理論"を基に脚本を書きあげた人物を知りません。しかしBerkovićは書きあげてみせた、もしくは作曲してみせたんです" (Marko Njegic マルコ・ニェギチ)

Izdajnik / Kokan Rakonjac (1964) セルビア
パルチザンの男がゲシュタポに拷問を受けた後転身、裏切者として仲間たちを虐殺する姿を描き出した冷酷なるセルビア映画。ルーマニアなど同時代のパルチザン映画と空気感を共有しながら絶望の深さ、闇の黒さは凄まじい。夭逝したセルビア人作家Kokan Rakonjac コカン・ラコニャツの長編デビュー作。

H-8... / Nikola Tanhofer (1958) クロアチア
""最も重要な"というのは定義するのが難しいですが、個人的なお気に入りはNikola Tanhofer ニコラ・タンホフェル"H-8..."ですね。今作はドラマ、スリラー、ディザスター映画、ロードムービーの完璧なブレンドなんです。序盤から最後は予想できるんですが、それでも本当に緊迫感ある1作で、同時にそのサブテクストにおいて人道的で映像も美しいんです。舞台となるバスはザグレブからベオグラードへ向かう途中、逆サイドから走ってきたトラックと衝突してしまうのですが、この事件とバスの個性的な乗客たちの姿を通じて、社会そのものが交わる様を描きだしているんです" (Marko Njegic マルコ・ニェギチ)

Ovo malo duše / Ademir Kenović (1987) ボスニア
最愛の母を亡くし、悲しみに暮れる少年とその家族の行く末を描いたボスニア映画。描かれる貧困は壮絶なものでありながら、ボスニアに広がる無限の自然はとてつもなく寛大で鮮やかなまでに緑を輝かせている。この国の勇大さを静かに想わされる1作。Ademir Kenović アデミル・ケノヴィチ監督作。

Gosti iz galaksije / Dušan Vukotić (1981) クロアチア
観ました。売れない小説家の想像力が銀河から3人の宇宙人を呼び寄せてしまった!というクロアチア産SF。発展途上の演出力で以て紡がれるSFへの愛は素朴で、何だか懐かしく、その癖、後半の抹茶色の粘液交りな人体破壊の大炎上っぷりは壮絶で、腹の底から大爆笑。必見ユーゴSF。

Ne joči, Peter / France Štiglic (1964) スロヴェニア
"子供の頃に何度も観たと思い出せる作品はFrance Štiglic フランツェ・シュティグリッツによるパルチザン映画"Ne joči, Peter"(1964)です。多くのスロヴェニアもしくはユーゴスラビア映画と同じく、今作は第2次世界大戦が舞台であり、3人のパルチザンが3人の子供をドイツ兵から匿いながら安全地帯へ連れていくという内容でした。様々に物語が展開するロードムービーでした。作品がどのように戦争を描くかに興味がありましたが、同時にとても笑えるものでした。今でも多くのスロヴェニア人がそのジョークを言えるほどです。自分はエンディングも好きです。旅の途中、あるパルチザンの男性が同じくパルチザンである女性に出会い、当然のように女なのに戦争で戦っているのかとからかい、彼女の能力に疑いの目を向けます。しかし最後、皮肉にも彼女が自身の新しい司令官だったと判明するんです。パルチザンという流れにおける女性への魅力的なオマージュでもありました" (Petra Meterc ペトラ・メテルツ)

Zle pare / Velimir Stojanović (1956) モンテネグロ
ユーゴスラビアの政府要人たちとナチスドイツが、国立銀行の莫大な金をめぐり鎬を削るという1作。監督のVelimir Stojanović ヴェリミル・ストヤノヴィチユーゴスラビア映画界にネオリアリズモを齎した映画作家として有名、数々の短編ドキュメンタリー作品を制作後、1955年の"Lazni car"で長編デビューを果たす。今作は第2長編だが、1959年に38歳の若さでこの世を去った。

Posljednji podvig diverzanta Oblaka / Vatroslav Mimica (1978) クロアチア
高度経済成長中のザグレブ、ビル建設のための立ち退きを迫られた男は孤独な戦いに打って出る……立ち退きをめぐる狂騒の数々を、当時な猥雑な風景や流麗な長回しとともに描き出すクロアチア映画で、終盤の物悲しさはアメリカン・ニューシネマのよう。

Tople godine / Dragoslav Lazić (1966) セルビア
急激に移り変わる時代の流れに取り残される男女を描きだす作品で、ユーゴスラビア映画界でも早い段階でヌーヴェルヴァーグを取り入れた作品としても有名な1作。監督のDragoslav Lazić ドラゴスラフ・ラジチは60年代から活動を始めた映画作家で今作が長編デビュー作、他にも出稼ぎから戻ってきた男の苦難を描くメロドラマ"Kosava"や、公営住宅をめぐるゴタゴタからユーゴ社会を風刺する"Kante ili kese"などが有名。

Devojka sa Kosmaja / Dragovan Jovanović (1973) セルビア
ナチスドイツとパルチザンの戦いを描いたユーゴ映画は数多いも、そこで第3勢力として大セルビア主義/反共主義を標榜する極右組織チェトニックを描き出す作品はそこまで多くない。パルチザンである今作の主人公は、ナチスへの抵抗に消極的なクロアチア人やムスリムボシュニャク人をも虐殺する彼らをも相手としなくてはならない。凄まじく血腥い戦争メロドラマの名作。

Frosina Фросина / Vojislav Nanović Воислав Нановиќ (1952) 北マケドニア
北マケドニアで制作された初めての長編映画。外国に出稼ぎへと出なければならない夫を待ち続ける女性と彼女の子供たちがめぐる苦難の時を描きだした作品。漁村の素朴で親密な風景、第2次世界大戦におけるブルガリアの暴虐、虐げられながら希望を捨てないマケドニア人の魂、そういったものが力強く描かれている。

Era dhe lisi / Besim Sahatçiu (1979) コソボ
第2次世界大戦時、英雄的活躍を見せたパルチザンとして尊敬を受ける男、しかしナチスからの解放の後、ユーゴスラビアが劇的な変貌を遂げるなかで、彼は時代に取り残されていく。コソボにおける世代間の断絶を描きだした作品で、監督のBesim Sahatçiu ベシム・サハトチュは他にも工場における労働争議を描きだした"Përroi vërshues"などが有名。ドキュメンタリー作家、舞台演出家としても著名でコソボを代表する芸術家の1人として名前が挙げられる。

Kekec / Jože Gale (1951) スロヴェニア
"正確に何が最初だったかは思い出せませんが、それでも"Kekec"に間違いないでしょう。1950年代のとても人気な子供映画で、とてもスロヴェニア的(観念的とも言えるでしょう)な作品でした。舞台は山間部(初期のスロヴェニア映画は山岳地帯や登山にこだわりを持っていました。今でも山は国の象徴なんです)で、主人公はとても勇敢で善良な羊飼いの少年と彼の友人たちです。臆病だけども優しいロジュレに目の見えない彼の妹モイカです。彼女が囚われの姫君役で、恐ろしい山男ベダネツに誘拐されてしまいます。だから頭がよく勇気あるケケツが助けに行くんです。

私たちは皆この映画を観ていますし、続編もあります。何て勇気があって賢いんだ!とみながケケツに共感します。こんにちではその裏側にイデオロギーを見ることができるでしょう。スロヴェニア国民意識ジェンダーロールがいかにこの映画を形成しているのかという訳です。それでも"Kekec"スロヴェニアの皆が人生で1回は観たことのある映画です、テレビでも何度も放送していました" (Jasmina Šepetavc ヤスミナ・シェペタブツ)

Ada / Milutin Kosovac (1985) ボスニア
身勝手な夫が仕事の関係でアメリカへ行ってしまったことから、独りで息子を育てる羽目になる主人公の苦闘を描いた作品。ボスニア流メロドラマであり、サラエボの翳りある洗練が魅力的であるとともに、主演であるZoja Odak ゾヤ・オダクの頬骨の映画史を股にかける美しさに魅了される。

Poletje v školjki /  Tugo Štiglic (1985) スロヴェニア
"1番好きだったスロヴェニア映画の1つがTugo Štiglic トゥゴ・シュティグリツ"Poletje v školjki"(1985)です。トマシュという少年と彼の友達に家族、ヴェディという頼れるコンピューターをめぐる物語です。明るく、滑稽で、色彩に溢れ、夏の匂いに満ち満ちた作品でした。私が生まれた時に作られた作品で、舞台はセチョヴリェ・サリナ国立公園やピランにポルトロシュという町、そこにある牧歌的なスロヴェニアの海岸でした。今まで語った作品はとても人気なスロヴェニアの古典作品です" (Ana Šturm アナ・シュトラム)

Proka / Isa Qosja (1984) コソボ
コソボのとある村、絶望的貧困と実存主義的戦慄を乗り越えようとする男、彼に不信を抱く村民たち、そして巻き起こる悲劇を描きだした1作。リストの始めに据えた"Rojet e mjegullës"の監督であるIsa Qosja イサ・テョシャの長編デビュー作で、カンヌで賞も獲得している。しかしユーゴ崩壊と紛争が原因で映画製作を行えず、40年のキャリアで制作長編はたった4本となっている。だが間違いなく映画史に残るべき偉大な映画作家の1人だ。

Glasam za ljubav /  Toma Janić (1965) クロアチア
大人たちの欺瞞に不信感を抱く少年少女の、思春期の苦悩を描きだしたボスニア映画。時代柄、ヌーヴェルヴァーグの影響はかなり濃厚で瑞々しい青春が綴られながら、同時にその青春は灰色でもあり、サラエボに彼らの心の影がかかる様が印象的。有名小説が原作。

Njeriu prej dheu / Agim Sopi (1984) コソボ
コソボ移民である男が最後に願ったのは、故郷の大地に骨を埋めること。どこに住もうと付き纏うのは酸鼻に耐えぬ貧困と荒涼、そんなコソボ人という受難の中で、それでもそこに土に根づく深い尊厳が立ち現われてくる。コソボ映画史に屹立する1作。

Исправи се, Делфина Ispravi se, Delfina / Александар Ђурчинов Aleksandar Đurčinov (1977) 北マケドニア
英国の海峡を泳いで制覇しようとする女性水泳選手の苦闘を描きだした、当時のユーゴスラビアではかなり珍しいスポーツ映画。何といっても主演を演じるNeda Arnerić ネダ・アルネリチの存在感が抜群で、ユーゴスラビア映画におけるセックスシンボルとして途方もない人気を誇っており、完全にそれにあやかった1作でもある。

Operacija Cartier/ Miran Zupanič (1991) スロヴェニア
ナターシャ・キンスキー沼に沈む男たちの悲喜交々を描くコメディ。注目は今作がスロヴェニア独立前後に製作された作品の1本で、資本主義やらセレブリティ文化など西側の論理流入スロヴェニアの劇的変化に直結みたいな印象が付き纏う。ここで幻視される未来は頗る暗澹。

Jad Јад / Кирил Ценевски Kiril Cenevski (1975) 北マケドニア
11世紀の終り、スラブ民族キリスト教徒の暴虐に晒されながら生存の苦闘を続ける。バルカン半島におけるスラブ人の受難を描きだした歴史大作で、監督はおそらく北マケドニア映画界で最も尊敬される映画作家として有名、1971年制作の"Црно семе"ギリシャにおけるマケドニア人虐殺を描きだした作品で、北マケドニア映画史上の傑作と数えられている(が、個人的にはこの映画の方が好きなのでこっちをリストに入れた) 

Slucajni zivot / Ante Peterlić (1968) クロアチア
"私が好きなクロアチアの作家の1人はAnte Peterlić アンテ・ペテルリチです。彼のデビュー長編"Slucajni zivot"は自由なスタイルと美しい魂によってクロアチア映画史の傑作の1本に数えられていますね。しかし興味深いことに、彼はクロアチアで際立った映画批評家であった一方、監督作はこの1本しか残していませんえ。そこで聞きたいのはクロアチアの映画産業における彼の人生、そして"Slucajni zivot"が今のクロアチアでどのように受容されているかです。そして映画批評家としての彼の仕事はクロアチア、もしくは旧ユーゴ圏でどれほど有名なのでしょうか?

そうですね、彼がもう何度かだけでもカメラの裏側へ行ってくれなかったことは残念でなりません。しかし彼が"Slučajni život"を監督したのは正に偶然のことで、先述したクロアチア映画の批評家投票で今作は19位になりました。Peterlićは映画批評における伝説ですが、それ以上にクロアチアにおける映画学の父であり、著者としても編集者として映画理論や映画史にまつわる多数の本を編纂し、更には大学教授でもあったんです。人々にとっても、私にとっても彼の存在は愛おしい思い出であるんですが、それは彼がTV番組"3,2,1... Go!"の司会者でもあり、世界的に有名な映画作家、例えばオーソン・ウェルズなどがクロアチアに来た際はインタビューを行っていたんです。若い映画批評家として、私の著書がPeterlićの最後の本の1つである"The Early Work"が出版された会社から発刊されたことを誇りに思っていますね。"The Early Work"は彼の人生や仕事を発見したいという映画好きには心からお勧めしたい本です  (Marko Njegic マルコ・ニェギチ)

Kompozicija / Vjekoslav Nakić (1970) クロアチア
"彼の作品は素晴らしいものです。それが好きなのは作品たちが、かつてのユーゴスラビアに伝わった素朴派絵画――そして映画も――の重要な伝統を呼び起こすからです。ここにおいて、この映画作家は世界を"ありのまま"受け止めようとし、この受容は彼の子供時代(そしてそこに宿る構成物全てです。原始的な古代の知識、自身が育った環境、家族もしくは文化的な繋がり、大地やそれが生じる背景……)を直接的な源とする感性によって裏付けられています。私は彼の映画が注目すべき理論的概念(実際、彼の作品群は技術研究所から生まれています)から生まれているところが好きなんです。しかしそこには献身的な無邪気さも存在しています。これこそ私にとって最良の映画なんです。そして私は世界が知識に向かず、攻撃的で持続的な既知に向いている今、もうそんな映画は生まれないのではと恐れています。今や到達ではなく、それは征服なんです。

Nakicの作品に偶然出会ったのは課題に取り組んでいた時です、本当ですよ。私は2015年のプラヴォ・リュドスキ映画祭(サラエボの人権映画祭です)の公式日刊紙において編集者としての責任がありました。私たちが編集チームとして成した重要な決意の1つが異なるセクションに分けてニュースレターを組織することで、内容やページに宿る声に多様性を確約することでした。ニュースレターの第2版において、私はちょうど町にいたVjekoslav Nakic(コーヒーショップにいたんです。本当です、作り話ではないです)にインタビューすることになりました。彼の作品の注目すべきレトロスペクティブについて聞くとともに、彼の同僚たちが1960年代70年代のユーゴスラビアでかつて作った、いわゆる素人映画の潮流について聞きたかったんです(私の好きな映画はKokan Rakonjac コカン・ラコニャツの無名な映画"Suze"(1964)です)ここで私は彼の作品を発見しました。その全てが驚くことに編集技師である彼の息子によってYoutubeに無料でアップされていたんです。そしてインタビューの準備として作品を観た訳です。その美学は偶然の出会いという意識的な耕作から生まれていました。つまり"出くわす"、"偶然出会う"、対象に"誤って"辿りつくというものでした。それに対しては普通ではない関心があてがわれ、宇宙的な重要性で満たされていました" (Anuj Malhotra アヌジュ・マリョトラ)

Valter brani Sarajevo / Hajrudin Šiba Krvavac (1972) ボスニア
"Hajrudin Šiba Krvavac ハイルディン・シバ・クルヴァヴァツ監督作"Valter brani Sarajevo"(1972)はユーゴスラビアで最も観られた作品です。中国でも社会主義の宣伝によって広く観られました。統計では1億人もの人が今作を観たという結果が出ており、今日でもその人気は留まるところを知りません。今作は第2次世界大戦中、ドイツ人に占領されたサラエボで活躍した実在のパルチザンValter Perić ヴァルテル・ペリッチを描いています" (Ines Mrenica イネス・ムレニツァ)

Crne ptice / Eduard Galić (1967) クロアチア
強制収容所から決死の逃走を図るパルチザンたちの姿を描きだした作品、逃げれども逃げれどもナチス以上に超越的な何かに常に監視されているような演出が印象的。監督のEduard Galić エドゥアルド・ガリクロアチア映画界を代表する存在の1人、50年間のキャリアがあり、今でも現役で映画製作を行う大重鎮。

Ritam zločina / Zoran Tadić (1981) クロアチア
土地開発が加速度的に進むザグレブ、立ち退きを求められている教師は、成り行きからある男と同居することになる。彼は統計学を至上の学問と信じ、これによって犯罪を予知できると教師に語るのだが……善悪の彼岸をめぐるクロアチア産犯罪映画、原作はこの国を代表する小説家Pavao Pavličić パヴァオ・パウリチチの短編作品。

Na svoji zemlji / France Štiglic (1948) スロヴェニア
"(スロヴェニア映画史において最も重要な作品として)私は"Na svoji zemlji"を挙げたいですね。今作はスロヴェニア映画においてはじめてのトーキー映画と見做されています。この映画を作るため、先駆者たちはどのように映画を作るか学んでいったんです。最近リストアされたのですが、私はリュブリャナのCongress Squareで行われた野外上映で観ました。今でも観られる価値のある作品ですね。2019年にはŠtiglicの生誕100周年であり、疑いなくスロヴェニア映画史で最も重要な人物として祝福されました" (Ana Šturm アナ・シュトラム)

Tko pjeva zlo ne misli / Krešo Golik (1970) クロアチア
母親がチョビ髭紳士と不倫のような違うような、そんな少年の1週間を描く1作。誰も彼もが能天気な歌を響かせ、不倫劇も何だか楽天的。ザグレブの極彩色が人々を包みこみ、ユーゴ時代にもクロアチアの魂が紡がれる。国民皆に愛される的なコメディでなかなか楽しい。

Iskušavanje đavola / Živko Nikolić (1989) モンテネグロ
"Nikolicの官能性と女性の性への傾倒はとても型破りなものです。彼の作品の官能性は権威や古い存在、家父長制、マチズモなどへの反抗であり戦いであるんです。時おり官能性の利用が成功していない時もありますが、愛と性を固定観念と神話の破壊に駆使するのは彼のトレードマークです。それがモンテネグロ社会の伝統主義に対する反乱であり、皮肉的な態度なんです"(Zerina Ćatović ゼリナ・チャトヴィチ)

Dječak je išao za suncem / Branislav Bastać (1982) モンテネグロ
"Bastaćはモンテネグロで初めてのプロの映画監督と見做されており、彼の作品群、特にドキュメンタリー作品(50本以上の作品に数本の長編があります)は歴史的な現実に関する素晴らしい証言となっています。彼の作品はユーゴスラビア国外で様々な賞を獲得しています(彼の初のドキュメンタリー"Crne marame"は1958年フランスでジャン・ヴィゴ賞を獲得しました)彼は時代に先駆けて映画を作ってきましたが、依頼された作品に関しても、繊細にプロパガンダを避けながら、人々の物語を語ってきました。そして人々の人生、心理模様、伝統に関する親密な肖像画を記してきたんです。あなたが“Dječak je išao za suncem"を気に入ってくれて嬉しいです! この作品は感動的で魅惑的な映像美であり、今にも普遍的に響く稀な信頼性があります。他の不当に無視された映画作家と同様に、Bastaćもモンテネグロシネマテークのおかげで、より一貫した形で再評価が始まっています" (Maja Bogojević マヤ・ボゴイェヴィチ)

Vrane / Gordan Mihić & Ljubiša Kozomara (1969) セルビア
貧困によって追い詰められたボクサーは、同じ状況にある隣人たちと手を組み一発逆転を狙う……MihićもKozomaraも本国では脚本家としての方が有名、両者でユーゴ映画トップ10的な企画には必ず選出されるŽivojin Pavlović ジヴォイン・パヴロヴィチ監督作"Kad budem mrtav i beo"を手掛けている。更に後者はクストリツァの「ジプシーのとき」「黒猫、白猫」なども執筆している。

Opatica i komesar / Gojko Sipovac (1968) ボスニア
"私の好きなボスニア映画の1本はGojko Sipovac ゴイコ・シポヴァツ"Opatica i komesar"です。人間心理への鋭い洞察に驚かされました。そこで聞きたいのは、ボスニアでこの作品と監督はどのように受容されているのでしょう?

Gojko SipovacHjrudin Krvavac ヒュルディン・クルヴァヴァツとともにオムニバス作品"Vrtlog"でデビューを果たし、先述の"Valter brani Sarajevo"では助監督も務めていました。人間心理という面であなたの言葉は正しいと思いますし、本作は私にイングマール・ベルイマンの作品を彷彿とさせます。登場人物たちの欲望は悲劇で終るのが常なんです"

Gjurmë të bardha / Ekrem Kryeziu (1980) コソボ
コソボの雪深い山奥で暮らす村民たちの人生が交錯する姿を描き出した作品。どこまでも純粋な白の広がる険々たる山の連なりを背景として、大木をチェーンソーで伐採する男たち。コソボの鷹揚たる大地、豊饒たる文化、そういったものが勇壮に刻み付けられており力強い。

Nacionalna klasa / Goran Marković (1979) セルビア
ラニミル・ミトロイチ、通称"フロイド"と呼ばれる新進気鋭のレーサー、その華麗にして泥臭い、栄光への1週間を描きだしたセルビア産レース・コメディ。主演のDragan Nikolić ドラガン・ニコリチセルビアで最も愛される俳優の1人で、切手に肖像画が載るほどの人物。

Македонска крвава свадба Makedonska krvava svadba / Трајче Попов Trajče Popov (1967) 北マケドニア
オスマン帝国支配下におけるマケドニア、スヴェタという1人の女性がトルコ人によって拉致され、結婚とイスラム教への改宗を強制される。彼女はそれに抵抗し続け、マケドニア人もまたトルコ人の暴虐に対して反旗を翻す。原作はマケドニア文学の重要作と呼ばれるVoydan Chernodrinski ヴォイダン・チェルノドリンスキ著の同名戯曲、今作もマケドニアの魂を描きだした作品として今でも親しまれている。

Rojet e mjegullës / Isa Qosja (1988) コソボ
Beluot sid / Белиот ѕид Љупчо Билбиловски/ Ljupčo Bilbilovski (1978) 北マケドニア
Dečki / Stanko Jost (1976) スロヴェニア
Планината на гневот / Planinata na gnevot Љубиша Георгиевски Ljubiša Georgijevski (1968) 北マケドニア
Muke po mati / Lordan Zafranović (1975) クロアチア
Ples v dežju / Boštjan Hladnik (1960) スロヴェニア
Мементо / Memento Димитрие Османли/ Dimitrie Osmanli (1967) 北マケドニア
Okupacija u 26 slika / Lordan Zafranović (1978) クロアチア
Колнати сме, Ирина / Kolnati sme, Irina / Коле Ангеловски Kole Angelovski (1973) 北マケドニア
U mreži / Bojan Stupica (1956) モンテネグロ
Nočni izlet / Mirko Grobler (1961) スロヴェニア
Ram za sliku moje drage / Mirze Idrizovića (1968) ボスニア
Po isti poti se ne vračaj / Jože Babič (1965) ボスニア
Žena s krajolikom / Ivica Matić (1976) ボスニア
Jovana Lukina / Živko Nikolić (1979) モンテネグロ
Rondo / Zvonimir Berković (1966) クロアチア
Izdajnik / Kokan Rakonjac (1964) セルビア
H-8... / Nikola Tanhofer (1958) クロアチア
Ovo malo duše / Ademir Kenović (1987) ボスニア
Gosti iz galaksije / Dušan Vukotić (1981) クロアチア
Ne joči, Peter / France Štiglic (1964) スロヴェニア
Zle pare / Velimir Stojanović (1956) モンテネグロ
Posljednji podvig diverzanta Oblaka / Vatroslav Mimica (1978) クロアチア
Devojka sa Kosmaja / Dragovan Jovanović (1973) セルビア
Tople godine / Dragoslav Lazić (1966) セルビア
Frosina / Фросина Vojislav Nanović / Воислав Нановиќ (1952) 北マケドニア
Era dhe lisi / Besim Sahatçiu (1979) コソボ
Kekec / Jože Gale (1951) スロヴェニア
Ada / Milutin Kosovac (1985) ボスニア
Poletje v školjki /  Tugo Štiglic (1985) スロヴェニア
Proka / Isa Qosja (1984) コソボ
Njeriu prej dheu / Agim Sopi (1984) コソボ
Исправи се, Делфина Ispravi se, Delfina / Александар Ђурчинов Aleksandar Đurčinov (1977) 北マケドニア
Operacija Cartier/ Miran Zupanič (1991) スロヴェニア
Jad Јад / Кирил Ценевски Kiril Cenevski (1975) 北マケドニア
Slucajni zivot / Ante Peterlić (1968) クロアチア
Kompozicija / Vjekoslav Nakić (1970) クロアチア
Valter brani Sarajevo / Hajrudin Šiba Krvavac (1972) ボスニア
Na svoji zemlji / France Štiglic (1948) スロヴェニア
Crne ptice / Eduard Galić (1967) クロアチア
Ritam zločina / Zoran Tadić (1981) クロアチア
Tko pjeva zlo ne misli / Krešo Golik (1970) クロアチア
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スロヴェニア
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コソボ
コソボ、羽音に乱されて~Interview with Donart Zymberi - 鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

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善き人であらんとする意志「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」

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“何で裸足なの?”とクワイエット・プレイス 破られた沈黙」を観た人々が言っているのを、驚くほど頻繁にTwitter上で見た。もしこれを監督に実際尋ねたとしたなら、観客が理解できるにしろできないにしろ、彼は即答するだろうという妙な確信がある。そういう個人的な論理でこそ今作はできているのだと思える。個人的というのは得てして無駄であり、今作を無駄ばかりと思う人は多いだろう。だが、だからこそ私には切り捨てられないものがここには余りに多かった。とても豊かな映画だ。

今作を観るというのは、誰かの沈思黙考を90分端から眺めるような経験だった。眺められるその思惟とは、このクソッタレな世界でどうすれば善き人であれるのか、そのために何を切り捨てなくてはならないのかという残酷な妥協への問いなのだ。クラシンスキーのこの思考の流れに、私たちは静寂のなかで触れることになる。すこぶるシビアなものだ。

今作を観ながら浮かんだ言葉が“優等生的”というものだった。少しこれについて説明させてほしい。優等生的という言葉はいつも悪口だ。無駄、切り捨て、妥協。そういうものを胡散臭い欠点と見なし“優等生的”という言葉を使って批判する。しかし私にとって優等生的な映画というのは、善くあろうとする意思の下、そのため何かを切り捨てるシビアな妥協を繰り返す、極個人的な論理に裏打ちされた残酷な映画であり、今作は正にそれだと。私が優等生的と思う作品は、最近のものであると「透明人間」「プロミシング・ヤング・ウーマン」に、それから今作だ。私が思うに、残酷を積極的に謳う作品よりも、こういった作品にこそ見過ごせない、割りきれない残酷さというを感じ、“いや、それでいいのか?”と観客が思うことが多く、そうしてこの作品群が何かを覆い隠してると見なす、拒否感を抱く場合が多いのではと思える。だがそれこそが優等生的の核で、かけがえがない。

語り手としてのクラシンスキーは観客それぞれに読み取らせるタイプであり、物語自体はシンプルを好みながら、作劇自体は無駄に丁寧であり、それが泥臭いという印象にまで至る。この続編では前作でギミックを全て明かしているゆえ、手数で勝負するという選択をしているので、よりいっそう泥臭さを感じさせるかもしれない。これを洒落臭いと。しかしそこで彼は、泥にまみれた裸足をてらいなく提示することになる。この泥臭さが生への誠実さで、そこから私の言う優等生的に至るのだと。

そしてもう1つ重要な要素がある。今の時代の作品として、マジョリティが自身の無徴性を有徴性に押し上げながら、相対的に自身の存在や特権性について内省するものに、私は心惹かれる。この文脈で、私には今作が白人映画であり、健常者映画であると思え、とても興味深く感じる。今作のノア・ジュープキリアン・マーフィは完全足手まといな存在であり、特に前者においてそれが一種の聖書的な受難にすら思える過剰さがある。こういった類いの内容を物語の中核に据えると、得てして自己犠牲やナルシシズムに堕していくが、今作でそれはあくまで並列される要素の1つと控えめに語られる。この要素をナルシシズムの域には行かせない。

さらに興味深いのは、前作においてはミリセント・シモンズのキャラが聴覚障害者なのに意味があり、功罪半ばとしてギミックの一部として機能していた。今作においてもある程度はそう機能しながらも、それ以上にジュープとマーフィーが白人健常者男性であること、少なくともあの位置に配されたことにこそ意味がある。この世界で抑圧者である白人が善き人であるには?という問いが裏にはある。このマジョリティの無徴性の逆転が興味深い。そして先述した控えめさが、アメリカの白人健常者男性というマジョリティのジョン・クラシンスキーが出す、善き人であるために何を成すべきか?への現状での答えだと。

おそらくクラシンスキーは今後一生善き人にはなれないのではないかと思う。だが善き人になろうという努力を今後一生忘れることはないだろうという確信がある。生きるということは結果でなく、過程なのだ。少なくとも今作からはそう感じた。明らかに続編への橋渡しといった切れ味鋭すぎる唐突なラストも、それが問いの終りのなさを示している。こういったクラシンスキーの真摯な加害者意識、そしてこれを生きることに違和なく馴染ませる手捌き、全く見事だ。

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暴力映画、暴力についての映画「Mr. ノーバディ」

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いくら理由をつけたとしても、結局、究極的にはただ暴力が振るいたいだけ。それでも知りたい、なぜ自分は暴力に惹かれるのか、なぜ社会に暴力は存るのか。「Mr. ノーバディ」はある映画監督が暴力について理解しようと試みる、その終ることなき過程なのだと私は受けとった。飽くなき行動=知性の映画なのだと。

例えば生命倫理、例えばポリティカル・コレクトネス、ここにおいては暴力が個や社会へいかに作用するかという世界そのもののシステム、そういったものに対して思考を止めることのない映画作家の暴力映画は、ある一線を越えた時に暴力についての映画ともなる。ベン・ウィートリーS. クレイグ・ザラーが持つ暴力への深い知性をイリヤ・ナイシュラーも共有しているのだ。

アメリカにおいて1910-1920年代のサイレント期、暴力は行動と感情と思考が三位一体で存在する、もっと剥き身のものではなかったか。例えばキング・ヴィダー「廣野に叫ぶ」“Wild Oranges”アラン・ドワン"The Half-Breed"ロイス・ウェバー「暗中鬼」ヘンリー・キング乗合馬車ジョセフ・フォン・スターンバーグ「救ひを求むる人々」を観れば分かるはずだ。しかし時期が進むにつれそれがどんどん空中分解していってしまう。その形態は、40-50年代におけるリチャード・フライシャーアンソニー・マンといったB級映画職人による、以前の剥き身的な感触を語りの経済性に奉仕させる速さばかり先立った安い暴力、90年代におけるクエンティン・タランティーノ以降の美学化された軽薄な暴力など色々ある。私がこれを挙げたのは特に唾棄すべきと思うから以上に、前者が行動の過剰、後者が感情の過剰を象徴しているように思われるからだ。そしてそこには思考が欠けている。

この文脈において、私がスティーブン・ソダーバーグエージェント・マロリーに感動を覚えたのは、描かれる暴力に思考を取り戻そうとする意志を感じたからだ。シャンタル・アケルマンによる映画史上の傑作「ジャンヌ・ディエルマン」の方法論、つまりは徹底してミニマルかつ即物的な眼差しを援用しながら、今作はアクション映画であると同時に、アクションについての映画でもあろうとしていた。そしてエージェント・マロリーの後に、例えばベン・ウィートリーはもはやアンチ・ガンアクションの域にあったフリー・ファイヤー(詳しくはこの記事を)を製作し、S. クレイグ・ザラーは、ブレッソンのような崇高さによって暴力映画と暴力についての映画が共存するような作品を作り続けている。

そして暴力についての映画、その最前線にある映画がイリヤ・ナイシュラーによる「Mr. ノーバディ」だと、私は思ったのだった。暴力についての映画は、暴力を振るうという行動そのものが、暴力について洞察する思考それ自体でも有りうる、行動がそのまま知性足りうるのだ。そんな即物的な知が、今作にはあるのである。ナイシュラーの出身国であるロシアを含めて、東欧映画を多く観てきて思うのは、サイレント時代のアメリカ映画、それが持っていた剥き身の暴力というものがが今もそこに存在しているのでは?ということだ(「異端の鳥」みたいなのとは少し違う)ロシア人のナイシュラーがこれをハリウッドの中心に持ってきて、重心をずらすような作品を製作したと。

今作の暴力で印象に残るのは暴力そのものというよりも、暴力の余波や事後の方のように思える。例えばボコボコにした相手が血で窒息する時に主人公がかます、首にストローをブッ刺すという相当な荒療治。例えばチンピラの1人が主人公を命からがら捕縛した後、助手席で首に刺さったナイフを引っこ抜くという妙な光景。そして主人公を演じるボブ・オデンカーク、暴力を受けた時の動作、傷ついた肉体を引きずる遅さ、それに関して相当力を入れて演技していることが分かる。これこそが重要なのだ。

しかしここで描かれるのは、暴力による肉体への余波だけでなく、精神への余波もある。バスで大乱闘を起こした後、主人公と妻という個と個の関係性が変貌する。その次にラスボスの暴力によって、犯罪組織そのもののパワーバランスが変貌する、この個と個の関係性、組織もしくは共同体への暴力の余波が並列に置かれることで、その大いなる作用の可動領域が明らかになる。そして暴力の最中、オデンカークがふと我に帰ったかのように自分の暴力の理由を説明しようとする。彼はある程度それを筋道立てて理路整然と説明することができる。しかしカメラは、実のところ自分でもいまいち理解できていないような、そんな途方に暮れた感覚に打ちひしがれる彼の姿をも映し出す。これは何か作り手自身の、暴力を理解しようとする過程がそのまま現れたような誠実さ、それと表裏一体の切実さをも感じさせると。

こうして暴力そのものを描きながら暴力について思考し、時には言葉によってその思考を深めようとする。この何かを理解しようとする過程、結果ではなく、あくまでも飽くなき過程というものを、ゴロンと剥き身で提示する今作は本当に知的な暴力映画であり、暴力についての映画だと断言できる、感動的までに。知性と思考の塊のような映画を観ると本当に嬉しくなるものだ。こちらとしても思考をグングンと刺激される感覚がある。暴力においてはウィートリーやザラー、ナイシュラー、性においてはアラン・ギロディ、彼らの製作するような知の映画をもっと観たいと思える。いや、本当に素晴らしかった。

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"他者"とともに生きるということ~Interview with Marieke Elzerman

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

今回インタビューしたのはオランダの新鋭映画作家Marieke Elzerman マリーケ・エルゼルマンだ。彼女の短編作品"Kom hier"は今年観た作品でも随一の作品だ。ペットシェルターで働く女性の日常、そこに現れるのはペットと共に生きる、誰かと共に生きる、つまりは自分とは違う他者と生きていくことへの苦悩。そのなかで2人の女性の視線がぎこちなく交錯し、"それでも"という想いに手が繋がれる。本当に真摯な、真摯な愛の映画だった。今作に感動した私は早速監督にコンタクトを取り、インタビューを敢行した。作品について以外にもベルギーの映画学校KASKでの経験やヴェルナー・ヘルツォークとの邂逅などなど様々なことについて聞いてみた。ということで、どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どうやってそれを成し遂げましたか?

マリーケ・エルゼルマン(ME):それはまず子供時代の夢でした。父は毎週土曜日にいつも映画館に連れていってくれて、なので映画を作るという考えにとても興奮していたんです。しかし高校時代にはその夢も忘れ、経済学の分野で何かしたいと思っていました。しかし高校最後の年、アンネ・フランクの住んだ家で映画を撮るという計画に参加しました。彼女の日記を題材に何か短いビデオ作品を作らなくてはいけなかったんです。それが何かを撮影し、編集した初めての経験です。こうしてこの経験に恋に落ちて、映画を学ぼうと決めた訳です!

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のオランダではどういった作品を観ることができましたか?

ME:10代の頃は娯楽映画の方が好きでしたが、とても印象に残ったインディーズ映画もあります。例えばデボラ・グラニックウィンターズ・ボーンが鮮明に覚えていますね。しかしKASKでの最初の年、私は多くの映画作家を発見しました。シャンタル・アケルマンケリー・ライヒャルトJohan van der Keuken ヨハン・ファン・デル・クーケンなどです。

TS:あなたの作品"kom hier"の始まりは何でしょう? あなた自身の経験、オランダやベルギーで流れたニュース、もしくは他の出来事でしょうか?

ME:様々な要素が組み合わさっていますね……まず私は2人の女性の友情にまつわる映画が作りたかったんです。私自身の経験に基づいた、1人がもう1人に近づいていきながら、彼女はそれから恥ずかしげに離れていくとそんな風な作品です。それでいて直感的に最初からドッグ・シェルターの存在も念頭にありました。なのでまず久し振り再会した女性たちの物語を執筆したんですが、オーステンデでシェルターを見つけそこの人々と交流した後、2人の女性の物語もかなり変わっていきました。人々と交わした会話の幾つかは直接脚本に入れてもあります。そしてKoen(シェルターに勤める人物で、映画にもほぼ本人役で出演)の授業も友情というテーマに影響を与えましたね。

TS:"Kom hier"は人間と動物の間の、難しくも重要な関係性を描いていますね。他者と生きることはいつだって難しいことですが、動物と生きることは人間と生きることとはまた異なるもので、それが今作は胸を打つ美しい方法で描かれています。この人間と動物の関係性を描くうえで最も不可欠だったことは何でしょう? そして動物たちと映画を製作するにあたって最も挑戦的なことは何だったでしょう?

ME:私にとって興味深かったことはKoenが犬を育てることを教える上でのその視点です。犬に服従を求めるのではなく、彼らが例え自分の言いなりにならず反抗してきても、その安心を保証するべきだと彼は主張します。

そこで私は関係性におけるコントロールの必要性について何度も考えてしまいました。犬をコントロールする必要性と直面することは頻繁にあります。例えば"こっち来い!"と叫ぶと……犬はいつだってあなたの元にやってくる。そんな関係性の中に、私が人々と気づく関係性との相似を見つけたんです。誰かにもっと近づきたい、かつこの絆をある種コントロールしたいという複雑さです。しかしそれは不可能です、関係性がいかに発展していくかをコントロールするのは不可能なんです。美しいと私が思ったのは最良のことは何かを求めるのではなく、他者に温もりと安心感を与えることだというコーンの教えです。そうすることで絆は独りでに成長していくと。

動物と撮影するうえでのチャレンジは……これに関してはKoenの多くを負っていますね、彼が多くの面でサポートしてくれました。それからエーファとクララは彼の愛犬であり、とても特別な絆がありました。クララから神経質な演技を引き出すのを、とても容易にしてくれました。

TS:今作で印象的だったものの1つはオーステンデをめぐる映画のロケーション。寒々しくも寛容な雰囲気が主人公であるサムや動物たちを包む一方で、そこには困難な現実もまた存在しています。それでもサムと彼女の新しい友人が夜に親密な会話を繰り広げる場面は美しく、心温まるものでした。この場所のどこに最も惹かれましたか? どうやってこの場所を見つけたのでしょう?

ME:その言葉に感謝します! そう感じてくれたことは私にとっても幸せで、正にオーステンデ、特にシェルターでそんな感覚を味わったからです。オーステンデでライターズ・レジデンシーに参加していた時にシェルターへ訪れました。暖かな環境と過酷な現実という二面性はとても強く、そこに深く惹かれたんです。

シェルターの人々は毎日見捨てられ、虐待された動物たちにまつわる残酷な現実と直面することとなります。しかし同僚たちの間、彼らと動物たちの間には温もりが存在していて、これがこの場所を安心感に溢れる場所へと変えてくれていました。

TS:そして私が感銘を受けたのはあなたが描き出していた、2人の女性の間で紡がれる繊細な関係性です。まず彼女らの視線が部屋のなかで交錯しあい、それからある種のぎこちなさと共に彼女たちは会話をすることになります。そして彼女たちの誠実な言葉やその手が互いに触れあうことで、他者と生きることの幸せが現れる、これを目の当たりにしていると涙が込みあげてきました。この関係性や登場人物たちの性格を描くにあたって、最も重要なことは一体何でしたか?

ME:彼女たちの出会いを描くのは興奮するものでした。この場面はつまり私たちが誰かに初めて出会い、その人を知っていく瞬間の数々であるからです。しかしキャラクターの形を成していくこと、彼女たちの言葉とその関係性を探し求めることは難しかったです。そして今作の大部分は私のシェルターでの出会いに影響を受けています。ブリュッセルに住んでいた私はここで新しい世界に触れた訳です。ある時そこでボランティアをしている若い女性と会話をしました。彼女は私に友人は沢山いるかと尋ねてきたのですが、その瞬間に何かとても感銘を受けたんです。それから台詞の幾つかは過去に私が実際経験した友人関係を基にしています。そして私としてはキャラクターやその心理模様、背景などをデザインしようとは思いませんでした、その行為には力が沸きあがることがなかったんです。私がしようとしたのはむしろ彼女たちが直面する状況について、そこにおいて彼女たちが互いとどう交流するのかについて考えることでした。

TS:前の質問に関連して、その関係性の感動的な繊細さを支えているのは2人の俳優Loes SwaenepoelAnna Franziska Jägerに他ならないでしょう。彼女たちは心に眠る言葉にならない感情の数々を絶妙な形で捉えているんです。どのように彼女たちと出会いましたか? 今作で彼女たちを起用しようと思った最も大きな理由は何でしょう?

ME:LoesとAnna Franziskaは2人とも私と同じKASKに在学しながら、演技を学んでいました。ある舞台劇でAnnaの演技を観て、脚本すらまだ書けていない今作の制作初期には既に連絡を取っていました。制作過程の間何度も会って彼女のキャラクターについて話しあいましたね。とても豊かな経験でした。

Loesと会ったのは撮影2か月前です。まず私はシェルターのあるボランティアの方を起用したく、実際にサムというキャラクターは彼女や彼女と交わした会話を基に作りあげました。しかし最終的に彼女がやりたくないと言ったので、ギリギリになってキャスティングを始めたんです。Loesと会ったのは本当に素晴らしい経験でした。リハーサルは1回だけでしたが、映画について話していると私たちは同じ場所に立っていると思えたんです。このおかげでセットでも共同は簡単で、テイクを沢山重ねることもありませんでした。彼女らと仕事をすることを選んだのは、彼女たちの生命力が私には美しく見えて、良い化学反応が生まれるだろうと感じたからです。

TS:そして今作の核はあなたが身体の動きをいかに捉えているかでしょう。特に最後の場面における主人公たちの手は印象的です。彼女たちの手は凪の陽光のなかで舞い踊りながら、他者と生きることの難しさ、そしてその美しさを観客に語ります。"Kom hier"においてあなたが捉える手はそれ自体が希望であるのです。そこで聞きたいのは撮影監督であるFrank Schulte フランク・スフルテとともに身振り手振りを捉える、特に最後の場面を撮影するうえで、最も重要であったことは何かということです。

ME:フランクとの共同作業はとても円滑なもので、ここから多くのことを学びました。彼は当初ドキュメンタリーを撮っていて、最適なアングルを迅速に見つけることができる人物でした。それが6日間という短い期間の、シェルターという環境での撮影にはうってつけでした。例えば映画冒頭の影は脚本に書いてあったものではないです。私たちは同時にこれを見出してカメラに捉えた訳ですが、こういう協同が仕事のやり方として素晴らしかったんです。最後の場面はリハーサルなしで撮影しました、後々後悔はしましたが……それでも有難いことにKoenがいてくれて、俳優たちがいかに手を動かせばいいかを指南してくれたんです。なので撮影リストなどは作らず、ただ公園を動きまわり、陽が落ちる前に様々な風景を撮影しました。この場面の編集には長い時間をかけましたね。例えばサムの笑顔もまた脚本には書かれておらず、動きを演じるなかでのアドリブだったんです。彼女たちの演技、Koenの指南、そしてFrankの撮影は私が執筆した脚本よりもその場面を豊かなものにしてくれました。深く感謝しています。

TS:あなたはベルギーのヘントにあるKASKという美術学校で監督業を学んでいたと聞きました。まず他の学校ではなく、何故KASKを選んだかお尋ねしたいです。それからKASKでの経験はどうでしたか、あなた以外は誰も体験したことがないのではと思える個人的な思い出はありますか?

ME:アムステルダム映画アカデミーにも挑戦したんですが、試験に合格できなかったんです。なのでベルギーの映画学校を探していました。KASKに入学できて嬉しかったです! ドキュメンタリーを監督するかフィクションを監督するか、どちらかを選ぶ必要がないのが気に入っています。最初の2年間はとても忙しく、撮影や編集をたくさんこなしました。映画製作の合間に個人指導を受けたのは最高の経験でしたね……ここでは映画製作の過程にこそ強く焦点が当てられていて、映画学校の授業としてここがKASKの大きな独自性だと思いました。最高にクールだった思い出の1つはKASKの同級生たちと一緒に、ロッテルダム映画祭でアピチャッポン・ウィーラセタクンに会ったことです。私たちは円になって座り、人生と映画について語りあいました……本当に魔術的な経験でした!

TS:Festival Scope(批評家や配給会社など映画のプロ用の会員制映画配信サイト)に書いてあるあなたのプロフィールのなかに、興味深い記述を見つけました。"彼女はヴェルナー・ヘルツォークの監修で短編'Moises y el pajaro'(2018)を製作した" ヴェルナー・ヘルツォーク! あまりに素晴らしい経験のように思えますが、この経験についてぜひお聞きしたい。ヘルツォークの監修とはどういったものでしたか? あなたに助言してくれる人物がヘルツォークというのはどういう気分でしたか?

ME:はは、それはもうあまりに素晴らしかったです! 私は48人の若い映画作家がペルーのジャングルへ赴くというプログラムに参加し、そこで2週間映画製作をすると共にヘルツォークがガイド役を務めてくれた訳です。とても高額で疑念も持っていたのですけど、人生を変えるような、心温まる経験となりました。ヘルツォークはとても付き合いやすい人物でした。彼の妻と弟も一緒で、私たちは皆で時間を過ごしたんです。最初、私はとてもシャイになっていました。ジャングルで撮影をする時、ヘルツォークが来て私のことを見るんです。少し経つとその場から去るんですが、次の日に編集をしていると彼が現れてこう言いました。「昨日君が撮影しているのを見た時、心が沈んでしまったよ。私たちは映画の作り手であって、ゴミの収集者じゃない!」と。彼は、私が見境もなく多くのものを撮影しすぎていると言いたかったのでしょう。私はとても神経質になってしまいましたが、フッテージの残りを見た後、彼は興奮して今日中に映画を仕上げなさいと私を勇気づけてくれました。夜に映画を披露すると、彼は私を誇りに思うと言ってくれただけでなく、昼食に誘わってくれました! もう心が喜びで叫んでいました。それから授業における最高の経験は、とても迅速に映画を作ることができたことです。映画製作ではたくさんの人とミーティングを行い、様々な場所で撮影を行う必要があります。こうして本物の出会いに多く恵まれ、彼らと絆を紡ぎ、自分の物語を見つけ出せたという経験は本当に素晴らしいものでした。そして私は"Kom hier"の制作に挑戦していった訳です。

TS:何か新しい短編、もしくは長編を作る予定はありますか? もしそうなら、ぜひ日本の読者に教えてください。

ME:今はスペインのサン・セバスチャンにあるElías Querejeta Zine Eskolaという映画学校で学んでいます。ここも素晴らしい学校です! KASKと少し似ており、映画製作の過程にこそ重きを置いているんです。今制作している短編は、サン・セバスティアンでクリスマスに使われる大きな人形、それを修復したり、造型したり、専用の服を作ったりする人々にまつわる作品です。これはこの都市において長きに渡る伝統で、中央広場に多くの人形たちが飾られるんです。とても興味深い形で装飾が成されていて、そこに深く魅了されたんです。人形の腕や服を修復するワークショップを訪問したのですが、人々が修復や、それこそ創造を行う姿には豊かなケアの精神と繊細さが宿っており、本当に美しかった。この風景を映画として捉えられることに興奮しています。そして今作は"Kom hier"におけるシェルターと同じく、実践される場所こそが始まりなのだと言えると思います!

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ジャック・ニコルソン&"Drive, He Said"/アメリカ、70年代の始まり

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さて、Jack Nicholson ジャック・ニコルソンである。俳優としての彼を知らない映画好きはいないだろうが、では作り手としての彼はどうだろう。Roger Corman ロジャー・コーマンの下で多くの作品に出演していた彼は60年代から脚本も書き始めるのだが、ここにおいて先日亡くなったMonte Hellman モンテ・ヘルマンの存在は重要だった。彼とタッグを組んだ作品のなかで、フィリピンで撮影した異形のスリラー"Flight to Fury"(1964)と「旋風の中に馬を進めろ」/ "Ride in the Whirlwind" (1966)は出演とともに脚本執筆も行っている。この後もヒッピー文化を存分に取り入れた「白昼の幻想」/ "The Trip" (1967)や「ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!」/ "HEAD"(1968)などの脚本を執筆するが、ここでニコルソンはとうとう監督業へ乗り出すことになる。そして1971年に完成させた長編デビュー作こそが"Drive, he Said"だった。

今作の主人公ヘクター(William Tepper ウィリアム・テッパー)は将来を嘱望されるバスケ選手であり試合での活躍も目覚ましく、大学だけでなく地域でも有名な存在だった。しかし彼自身は何か満たされない思いを抱えている。その虚無を向ける相手は、教授であるリチャード(Robert Towne ロバート・タウン)の妻オリーヴ(Karen Black カレン・ブラック)であり、彼女との不倫愛に慰めを見出していた。

今作の語りはかなり断片的なものであり、まるで光の激しい明滅のようにイメージが浮かんでは消えるという形で物語が展開していく。編集には4人もの技師が携わっており、Terence Malick テレンス・マリック作品も斯くやという錯乱した様相を呈しているが、この混乱ぶりが独特の語りに影響しているというのは確かだろう。

ニコルソンが今作によって捉えようとしているものの1つはアメリカに広がる時代の潮流だ。いわゆるカウンターカルチャー全盛の70年代前半の空気感が、これでもかと濃厚なのだ。例えば冒頭、ヘクターが参加する試合の途中、いきなり左翼のゲリラ劇団が闖入を果たし演説を繰り広げる。その後も血気盛んな若者たちが騒動を繰り返し、大学のキャンパス内には妙な不穏の雰囲気で充満している。ヘクター自身はそれから距離を取ろうとしているが。

そしてベトナム戦争の影もまた濃密なものだ。大学生たちは戦地に送られるのを恐怖しながら日々を過ごしているが、ヘクターのルームメイトであるガブリエル(Michael Margotta マイケル・マーゴッタ)もその1人だ。ゲリラ劇団に所属する急進的な左翼として、やたらめったら権威に楯つき、徴兵に対しても拒否を貫きながら、この行為が彼を窮地に追いつめていく。

こうして時代の空気感を鮮烈に捉えるため、ニコルソンと撮影監督Bill Butler ビル・バトラーは、ロケ地のオレゴン大学周辺でゲリラ撮影を多く行ったという。例えば構内で勃発した大学生たちの抗議デモに巡りあうとそれを撮影、物語内に組みこんだ。さらに登場人物の1人が全裸でキャンパス内を走る場面は、大学当局の許可を一切取らずに無断で撮影したらしい。だからこその爆発的な生々しさが今作には宿っている。

だがこの横溢する生命力そのものの生々しさは、若者たちが抱く淀んだ鬱屈すらも暴きだしていく。行動自体は派手で暴力にすら近づくことも多々ありながら、彼らが紡ぐ言葉の数々は驚くほど内省的で、絶望に満ちている。分かるか、社会は病に冒されてる、世界は病に冒されてる、今や全部がそんなことになってるんだ。そしてヘクターもこんな本音を吐露する、何だか僕自身がバラバラになってる気分なんだ……

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今作の原作はJeremy Larner ジェレミー・ラーナーという人物が1964年に執筆した同名の長編小説であり、これが彼にとってのデビュー長編でもあったという。映画化にあたってラーナー自身とニコルソンが、執筆当時よりカウンターカルチャーの隆盛が決定的となった時代風潮を反映しながら脚本を執筆したが、ノンクレジットで実は執筆に参加していたらしい人物にあのテレンス・マリックがいたらしい。先に"編集4人ってマリック作品かよ!"とツッコミを入れたが、本当に関わっていたらしいのは驚きだ。ここにマリック作品の源流を恣意的にしろ見出す試みも面白いかもしれない。

主演のウィリアム・テッパーは激動のカウンターカルチャー全盛時代にアメリカの若者たちが抱く虚無を静かに体現している。彼はその狂騒とは距離を置いて、粛々とバスケに専心していながら、それにすらも徐々に熱意を失い、生きる意味すらも見失う。オリーヴとの不倫関係に虚無の慰めを求めながらも、彼女が妊娠してしまったことから事態は更に泥沼化していき、それでもヘクターは全てをどこか他人事のように処理していく。

だがヘクターよりも物語で際立つ真の主役と呼べる存在はガブリエルの方かもしれない。徴兵忌避のために彼が選んだ手段は狂人を演じることだ。徴兵検査の際に兵士たちをとことんまでおちょくり、精神鑑定で徴兵不適合とされるよう画策する。だがこの演技はいつしか日常にまで及び、演技であった筈の狂気に彼はどんどん呑みこまれていく。彼は正に時代の犠牲者だ、そしてヘクターはそんなガブリエルの姿を傍らで眺めていることしかできない。

"Drive, He Said"は70年代の始まりにアメリカに広がっていた若者たちの虚無と不安、それが致命的な狂気へと繋がっていく様を独特の形で捉えた注目すべき1作だ。最後の最後、虚無に支配されていたヘクターは心の底からの叫び声をあげながら、それはもう遅すぎる。

この作品は1971年にカンヌ国際映画祭でプレミア上映されたが、相当なブーイングを喰らったそうだ。アメリカの批評家陣も酷評の嵐で今作を迎えたそうだが、その中で擁護の論陣を張ったのがRoger Ebert ロジャー・イーバートPauline Kael ポーリーン・ケイルという人物らだった。だが彼らの言葉が評価と注目に繋がるのは、2010年にCriterionがアメリカン・ニューシネマの一翼を担ったBBS Productions特集の1本として、今作のソフトを発売する時まで待たなくてはならない。ニコルソンも俳優としてはアメリカ映画界の頂点へと君臨することとなる一方、監督としては今後、異色西部劇ゴーイング・サウス」/ "Goin' South"(1978)と、俳優としての代表作、その自作自演の続編である黄昏のチャイナタウン」/"The Two Jakes" (1990)のたった2本しか制作していない。

実は今作を観たきっかけは前の記事で書き記した、謎の映画作家Henry Jaglom ヘンリー・ジャグロム(彼の長編デビュー作"A Safe Place"のレビュー記事)が俳優として出演しているからだったのだが、結局誰がジャグロムだったのかよく分からないままに終わってしまった。そこは悲しいところである。

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ヘンリー・ジャグロム&"A Safe Place"/あの時、私は空を飛んでいた……

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"天才? 詐欺師? 誇大妄想狂? 異端者? ある者たちからは映画の天才、フェミニストアメリカ映画界の純なる異端者と呼ばれる一方、ある者たちからは覗き魔で誇大妄想狂の'世界サイテーの監督'と侮られる。そんな中でこの男は執拗に、執拗なまでに人生と芸術の間に引かれた線を曖昧にし、グチャグチャにしていくのだ" ―― ドキュメンタリー"Who is Henry Jaglom?"のあらすじより抜粋。

Henry Jaglom ヘンリー・ジャグロムという名前に聞き覚えがある人が日本にどれほどいるだろうか。重度のシネフィルを含めても100人は居ないのではないかと邪推してしまうが、斯く言う私も少し前までその名前を全く知らなかった。知ったきっかけは、ひょんなことからJack Nicholson ジャック・ニコルソンの初監督作"Drive, He Said"について調べた時だ。このジャグロムという男はそこに俳優として参加していたが、映画監督でもあるそうで、更に長編デビュー作"A Safe Place""Drive, He Said"とともにCriterionから発売されていることを知り、興味が湧いた。ということで早速今作を観たのだが、本当に度肝を抜かれてしまった。そしてヘンリー・ジャグロムという知られざる映画作家について知りたいと、そう思ったのだ。ということで今回から少しずつ彼の作品を紹介していきたいと思う。

とはいえまずはジャグロムの経歴についてザッと紹介していこう。ジャグロムは1936年、ロンドンのユダヤ人家庭に生まれた。ナチスドイツの侵攻をきっかけに家族とともに英国を離れ、アメリカに移り住んだジャグロムは演技に目覚め、NYのアクターズ・スタジオLee Strasberg リー・ストラスバーグの教えを受ける。しばらくはオフ・ブロードウェイの舞台に立つとともに戯曲の執筆や舞台の演出もこなすが、60年代中盤に転機が起きる。映画スタジオであるコロンビア・ピクチャーズに所属しギジェットは15歳」/ "Gidget"「いたずら天使」/ "The Flying Nun"といったTVドラマの端役を得たり、先日亡くなったRichard Rush リチャード・ラッシュジャック・ニコルソンの嵐の青春」/ "Psych-Out" (1968)や、Boris Sagal ボリス・シーガル空爆特攻隊」/ "The Thousand Plane Raid" (1969)といった作品に出演する。

ここで彼は2人の重要人物と出会う。1人目がジャック・ニコルソンだ。先述の「嵐の青春」でも共演を果たしている彼らは相当意気投合したと思え、ニコルソンはジャグロムを自身の監督デビュー作"Drive, He Said"に起用、逆にジャグロムはニコルソンを自身の監督デビュー作"A Safe Place"に起用する(後者においてニコルソンはギャラの代わりにカラーテレビ一式を買ってもらったらしい)

もう1人がBert Schneider バート・シュナイダーだ。彼の父Abraham Schneider エイブラハム・シュナイダーはコロンビア・ピクチャーズの重鎮であり、そのツテでコロンビアのTV部門であるScreen Gemsに勤務していたが、父とコロンビアの後ろ盾を借りながら、後にアメリカン・ニューシネマの時代の立役者となる映画作家Bob Rafelson ボブ・ラフェルソンとともに制作会社Raybert Productions(後にStephen Blauner スティーヴン・ブローナーが加入しBBS Productionsとなる)を立ち上げる。ここで彼らはTV番組「ザ・モンキーズ・ショー」/ "The Monkees Show"を製作、オーディションで選ばれたメンバーで結成のモンキーズアメリカを風靡することになる。この成功をきっかけに彼らは悲願だった映画製作に乗り出し、シュナイダーが制作、ラフェルソンが監督として「ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!」/ "HEAD" (1969)を完成させる。ここで脚本を担当したのが件のニコルソンで、この繋がりからジャグロムはシュナイダーらと関係を深める。

彼らが制作した作品は錚々たるものだ。イージー・ライダー」/ "Easy Rider" (1969)や「ファイブ・イージー・ピーセス」/ "Five Easy Pieces" (1970)、ラスト・ショー」/ "The Last Picture Show" (1971)などアメリカン・ニューシネマの一時代を築いた作品ばかりである。だが1971年には更に2本の、日本での知名度は低いながらも重要作を製作しており、それが"Drive, He Said""A Safe Place"だった訳である。

"A Safe Place"の制作に目を向けていこう。そもそもジャグロムが俳優から映画作家に転身しようと思ったのはFederico Fellini フェデリコ・フェリーニ8 1/2を観たことだったという。彼はインタビューでこんな言葉を残している。

"この映画は私のアイデンティティを変えてしまいました。そして気づいたのは私のやりたいことは映画を作ることだったということです。どんな映画を作りたいのか、私自身の人生です。ある程度までですけどね"

そしてジャグロムはイージー・ライダーの編集作業に参加するなどして制作経験を積んだ後、彼は"A Safe Place"に着手する。彼が題材として選んだのは自身が60年代に執筆した同名戯曲(この時に主役を演じていたのが「ファイブ・イージー・ピーセズ」にも出演していたKaren Black カレン・ブラック)だった。幸運だったのは、ジャグロムはある大物俳優を作品に起用できたことだ。それがOrson Welles オーソン・ウェルズである。かつては天才の名を恣にしながらも、徐々にその傲慢さを疎まれアメリカでは映画制作すら叶わない状況にあり、同時にアメリカン・ニューシネマ世代の若者たちからも旧時代の遺物として扱われていた。そんな彼をジャグロムは起用、そして彼らの友情は1985年のウェルズの死まで続く。ちなみに彼らは定期的に食事を共にし、特に1983年から1985年までは毎週ハリウッドのレストランMa Maisonで食事会を行っていたそうだが、自伝を執筆するためその時交わした会話をテープレコーダーに録音していたのだという。これが後の2013年にジャグロムと、日本でもその著作を基にしたドキュメンタリー作品イージー・ライダーレイジング・ブル」/ "Easy Riders, Raging Bulls" (2003)が有名なPeter Biskind ピーター・ビスキンド共同編著の"My Lunches With Orson"として結実する。いや、長々と制作裏について語りすぎたかもしれない。ここからは映画のレビューに入っていこう。

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子供の頃に空を飛ぶ夢を見たことがないだろうか。窓枠に座って、木の枝まで登ってから、屋根から星を眺めながら、手を伸ばして身体を宙に委ねるのだ。そして鳥のように羽ばたいて自由に空を飛んでいく。実際人間にそんなことできないとしても、夢のなかでなら全てが可能だ、私たちだって飛べるのだ。大人になってから、そんな夢を、そんな子供時代を懐かしく思ったことは? あの時代に戻りたいと思ったことは? そしてもしかしたらあの日夢見ていたことが、もしかしたら現実だと思ったことは?……

"A Safe Place"の主人公はノア(Tuesday Weld チューズデイ・ウェルド)という女性だ。奇抜な恰好をして、同じような風貌の若者たちとマリファナ片手に共同生活を行う、そんな典型的なヒッピーといった風の女性だ。だが彼女は満たされない虚無感を抱えている、彼女は今は失われてしまった"心安らげる場所"を探し続けている、そして本当はそれがどこにあるのだかも分かっている。

今作において際立つのは極端なまでの語りの断片性である。ノアが部屋で仲間たちとくつろぐ、窓から見知らぬ老人がマジックを披露する姿を眺める、ニューヨークの街並を彷徨いながら会話を繰り広げられる。そういった風景の数々がバラバラに引き裂かれて、一貫性というものを拒否しながら浮かんでは消えていく。そしてある人物が喋っている場面に、何故だか全く別の場所にいる、話とも関係ない人物たちが見ている風景が、まるでサブリミナル映像さながら瞬間的に挿入される。その錯綜ぶりは、わざと観客を混乱させたいがためすら思える。こうして私たちは極彩色の万華鏡を覗き込んでいるような錯覚に陥る。

こういった意味でPieter Bergema ピーテル・ベルヘマが手掛けた編集は凄まじく支離滅裂なのだが、これは全く意図的なものだろう。今作は例えばジャック・ニコルソンの嵐の青春」イージー・ライダーなどLSD的な錯乱を映画文法として組み込んだ作品の意志を継いでいる。特に後者の影響は大きい。繰り返しになるが、2作はボブ・ラフェルソンバート・シュナイダーが設立した制作会社BBS Productionsの作品であり、更に監督のジャグロムは編集アシスタントをしていた。監督とベルヘマはこの編集法を継承し、今作を作りあげた訳である。

ノアの前には2人の青年が現れる。フレッド(Phil Proctor フィル・プロクター)は眼鏡が特徴的な真面目青年であり、ぎこちない愛の言葉で以てノアと交流を深めていく。一方でミッチ(ジャック・ニコルソン)はプレイボーイといった洒脱な男であり、すぐさまノアの懐に滑りこみ肌を重ねるようになる。ノアはこの2人のあわいを妖精さながら自由に行きかう。だがそこに"心安らげる場所"はない。ある時、ノアはフレッドに語る。子供の頃、私は空を飛んでいたの、本当に空を飛んでいた。それはただの勘違いだよ、フレッドは彼女の言葉をこともなく否定する。ノアは必死に言い返しながら、フレッドが彼女を信じることはない。

もう1人重要な人物がいる。彼女が窓から見かけた老マジシャン(オーソン・ウェルズ)だ。そのマジックに惹かれたノアは彼と交流を始め、様々な事柄について会話を重ねていく。披露されるマジックのこと、子供時代のこと、いつか見た夢のこと、そして自分が空を本当に飛んでいたこと。はたから見れば、彼との会話にこそノアは心地よさや暖かさというものを最も感じているように思われる。その時に浮かべるノアの笑顔が最も柔らかなものに思われる。

ここでジャグロムが見据えるのはノアの内面そのものだ。彼女は今の自分の話よりも、自身の子供時代の話を誰に対しても繰り返す。この反復が仄めかすのはノアの心がもはや今にはないということだ。彼女はもはや失われてしまった過去への郷愁に浸っている、もしくは支配されている。そして"心安らげる場所"とはこの過去でしかないことを知っているのだ。

この思いを最も色濃く反映するのが劇中で流れる音楽の数々だ。例えばFred Astaire フレッド・アステア歌唱の"I'm Old-Fashioned"Dina Shore ダイナ・ショア版の"Someone to Watch Over Me"など特に40-50年代の楽曲が多用される。中でもCharles Trenet シャルル・トレネ"La Mer"は印象的な冒頭を含め、全編通じて何度も何度も流れる。その反復と甘やかな響きはノアが抱く郷愁そのものだ。彼女はそこから逃れられないし、逃れようともしない。

"心安らげる場所"が過去でしかないのなら、そこへ行くには何をすればいいのか、誰もが分かっているだろう。根づいた今という時間から生を断ち切るには死しかない。だからこそ郷愁は暖かな陽射しの下で死への欲望、自らを殺す欲望へと変貌していく。今作は死の匂いを濃厚に帯び始めるのだ。そしてこの衝動に少しずつ突き動かされていくのはノアだけではない。他の登場人物たちもまた死に惹きつけられ、ある者は友人たちの前で涙を流しながら、自殺に魅入られる自分を語るのだ。

今作では俳優たちもまた支離滅裂なまでに特徴的な演出に負けない演技を魅せてくれる。まず途方もなく鷹揚たる存在感を発揮するのが老マジシャン役のオーソン・ウェルズだ。ハッキリ言うが私は俳優としての彼はまったく評価していない。特にリチャード・フライシャー「強迫/ロープ殺人事件」/ "Compulsion" (1959)といった作品の彼には落胆しかなかった。だが今作で俳優としてのウェルズを初めて良いと思った。マジシャンという彼のもう1つの顔は何度も映画に現れてきたが、ここに映る髭面の壮大な巨体は威厳よりも、全てを抱擁する優しさを湛えている。それでいて彼が披露するマジックはノアを過去へ、郷愁へ、死へ更に深く誘うもので在り得る。これはウェルズの佇まいがあまりにも優しすぎるからだ、誰かが死を求める思いすらも肯定してしまうかのように。

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だが最も印象的なのはチューズデイ・ウェルドに他ならない。妖精さながら街を自由に彷徨いながらも、その実"心安らげる場所"=死を求め、それでも躊躇いを放棄できないでいる。身振り、視線、笑顔、その全てが仄かに儚げな輝きを放ち、それこそ次の瞬間に自殺でもしてしまうのでは?という思いに観客は駆られるが、死ぬことはない、死ぬことはできない。ウェルドが体現するこの危うさは俳優として神懸かり的なもので、間違いなく正に今作の要だ。個人的に彼女の最高傑作は1972年制作の"Play It As It Lays"だと思っていたが、今作はそれを越える作品と思えた。

スタッフたちについても少し書いていこう。撮影監督のRichard C. Kratina リチャード・C・クラティナある愛の詩」/ "Love Story" (1970)や「生き残るヤツ」/ "Born to Win" (1971)などを手掛けた人物だが、今作の詩情の核たる編集をその美麗な映像で支えている。プロダクション・デザインは先述の制作バート・シュナイダーの弟であるHarold Schneider ハロルド・シュナイダーが担当している。衣装のBarbara Flood バーバラ・フラッドはジャグロムの友人の1人で、今後も様々な形で彼の作品に関わっていく。

だが最も興味深いキャリアを持つ人物は編集のピーテル・ベルヘマだ。彼は1932年生まれのオランダ人で、20代でアメリカ移住後に「コンバット!」などのドラマ作品にエキストラとして出演している。この後、彼は"A Safe Place"に編集として参加し偉大な結果を残してくれるが、この後には2本の作品しか残していない一方で、この2本が頗る注目に値する。1本目の"Max Havelaar of de koffieveilingen der Nederlandsche handelsmaatschappij" (1976)は題名からして物々しいが、それに負けない3時間もの長さを持つオランダ映画だ。オランダ占領下のインドネシアに派遣された1人の軍人が、会心の後にインドネシアのため立ちあがるという物語で、ムルタトゥーリという小説家によって書かれた同名長編を原作としている(「マックス・ハーフェラール―もしくはオランダ商事会社のコーヒー競売」という邦題で翻訳も発売)そして監督のFons Rademakers フォンス・ラデマーカースは戦後オランダ映画の基礎を築いた最も有名なオランダ人監督の1人であり、彼が制作した最大規模の1作がこの"Max Havelaar"だ。そんな"A Safe Place"の真逆にあるような大作をベルヘマは2作目として担当した(Victorine H. van den Heuvel ヴィクトリーネ・H・ファン・デン・ウーフェルと共同)訳でその経緯に興味がつきないが、英語もしくは彼の母語であるオランダ語でも情報が全くない。

そして2作目はある意味で更に奇妙だ。1986年制作の「ザ★ジャスティス/復讐の銃弾」 / "Instant Justice" (1986)はスペインへ妹に会いにやってきた海軍兵士がその死を知り復讐を始めるというあらすじ、主演はMichael Paré マイケル・パレと一見凡庸なアメリカ産B級アクションに見える。だが注目すべき今作がジブラルタル映画だということだ。イベリア半島の南東端に位置するイギリスの海外領土で、未だにイギリスとスペイン間で領土問題として論争されるという複雑な地域がその資本で、しかも初めて作った作品のが本作なのだ。そんな映画史の影に隠れた特異点にベルヘマは編集として、更にはプロデューサーとしても関わっているのだ。だがこれ以後彼の消息は全く不明で、本当に謎ばかりが残る経歴と言わざるを得ない。少しこの謎すぎる人物にアツくなりすぎただろうか、本筋に戻ろう。

実際、私はこの作品を観た時、本当に衝撃を受けてしまった。映画批評家として数多くの映画を観てきた自覚はありながら、何かこんなにも切ない映画が存在すること、本当に衝撃的だったのだ、ほんの数時間前までこの映画の存在を知らなかったことも含めて。呆然としながら、こんな映画が存在してしまっているという奇跡はあまりに残酷すぎる、そう思えた。そこで冒頭の風景が頭に浮かぶ。老マジシャンがノアに語るのは自身が見た夢についてだ。夢のなかで彼は眠り、夢を見ている。夢を見る夢を見る夢を見る夢を……その様は無限の迷宮のなかでどこへも辿り着けない切なさがあり、ノアは正にそこにいる、そこから突き抜ける唯一の手段として自殺が存在するのだ。この映画は恐ろしい、これを観終わった後本当に自殺する人間が現れるのではないかと私は本気で感じるのだ。それほど今作の強度が凄まじいということだが、ならこんな映画が本当に、本当に存在していいのか? 私にはまだ分からない。

あの時、私は空を飛べた、本当に空を飛んでいたんだ。失われた子供時代への郷愁に囚われ心は今にいないのに、どうして"私"は今を生きているの。消えよう、消えていこう、心安らげる場所へ……

1971年に"A Safe Place"は完成し、ニューヨーク映画祭でプレミア上映が成された訳だが、その前衛的な作風からそこでの評価は絶賛と非難に激しく二分されたという。批評家たちの多くは非難する一方で、熱狂的なファンも存在し、その中の1人があの小説家Anaïs Nin アナイス・ニンだった。このレビュー記事において彼女はこう書き記している。

"'A Safe Place'が語るのは、夢を共有することのできない私たち自身の無能さが孤独を生み出すということだ。この作品を理解できない人々は自分自身、そして他者さえも非存在の安全地帯へと追いこんでいくだろう。ここにおいて本物のマジシャンはヘンリー・ジャグロムだ。何故なら彼こそが、私たちの空想を初めてフィルムの上に解き放ってくれたのだから"

相当な絶賛ぶりである。そして彼女はアメリカ各地の大学で女性学の講義を行う際、今作の16mmフィルムを担いでいき生徒たちに見せていたという逸話もある。そんな熱狂も虚しく、"A Safe Place"は他のアメリカン・ニューシネマ作品のように注目を浴びることはなく歴史の埃に埋もれることになった。だがジャグロムは全くへこたれることなく映画製作を続け、40年間で20本以上の作品を製作することになる。更に2010年代に差し掛かる頃、とうとう"A Safe Place"は映画史の闇から救いあげられ、Criterionからソフトが発売されるという名誉に浴することになった。ということで今回からヘンリー・ジャグロムというアメリカの知られざる映画監督についてしばらく追っていきたい。ぜひこれからも記事を読んでくれれば幸いである。

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Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!

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現在、カザフスタン映画界がアツいというのはこの鉄腸マガジンで何度も書いている。この前もまだ詳細は書けないのだが、カザフスタンの友人から"新作ができたから、意見を聞きたい"と作品を送られ、これがまた素晴らしかった。今作が映画祭でプレミアを迎える際にはぜひ特集したいと思っているが、その数日後にまた異なる魅力を誇るカザフ映画、しかも血みどろの不謹慎コメディ映画を観てしまい、私のなかのカザフ映画界への信頼が更なるものとなったんだった。ということで今回はカザフ映画界期待の星たる新人Ernar Nurgalievによる1作"Sweetie, You Won't Believe It"/ "Жаным, ты не поверишь!"を紹介していこう。

今作の主人公はダス(Erkebulan Dairov)という男性だ。彼の妻ジャンナ(Asel Kaliyeva)は出産を間近に控えているが、毎日毎日彼女に赤ちゃんの名前候補のセンスや自身の優柔不断ぶりを壮絶に詰られるなど、パッとしない日々を送っている。とうとう不満が爆発したダスは出産予定日に友人たち(Rustem Zhany-Amanov&Azamat Marklenov)と釣りに行くという暴挙へ出ることとなるが……

まず監督が描きだすのは人生の分岐点に差し掛かった男の惨めさだ。ダスの現状はいわゆるかかあ天下、妻の尻に敷かれるという典型であり、妻によって常に精神をボコ殴りにされている。代わりに女性店員や銀行員には居丈高な態度を取り"クソ女……クソ女……"と吐き捨てることも辞さない。ダスの日常を小気味よく描いた冒頭5分だけでも、その惨めさが濃厚に伝わってくる、苦笑するしかないだろう。

紆余曲折があった後、ダスが友人たちと釣りに勤しむのだが、そこで最悪の出来事に遭遇してしまう。ギャング集団が、ショットガンで男の頭を吹っ飛ばす凄惨な殺人現場を目撃してしまったのだ。ダスたちは逃走、そしてギャング集団はもちろん猛追、奇妙な逃避行が繰り広げられるが、その彼方から眺めるのは謎の禿頭男だった。

ここから作品に本格的にギアが入り、私たちの網膜にブチ撒けられるのは血みどろの笑いの数々だ。ひょんなことから耳たぶがブチ切れるわ、ショットガンで脳髄が爆裂するわ、他にも様々な肉体の部位が吹き飛びまくり、血飛沫が炸裂していく。監督は血潮に飢えたグロ映画愛好家の勘所を的確に刺激していきながら、肉片まみれの物語を紡いでいく。

そしてそこには下衆のユーモアも欠かせない。友人の1人は警察官なのだが同時にダッチワイフ狂いの童貞でもあり、勝手に持参してきた2体の人形がダスたちにひと悶着を齎したりする。おしっこ関連で相当馬鹿なことやらかす下りもあり、血肉ブチ撒けに並んで排泄物ネタが大好きな私としては爆笑するとともに心が温まるような思いだった。こういった血と下衆のユーモアを原動力として、今作は不謹慎を邁進していく。

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だがこの作品が他のジャンル映画と一線を画するのは演出の息を呑む洗練だ。例えばAzamat Dulatovの担当する撮影は技術への理解に裏打ちされた気品が存在している。主人公たちが歩く様を鷹揚に捉える優雅な横移動撮影、即物的なショックからは一歩引いた、惨々たる世界そのものを映すロングショットの多用が頗る目立つのだ。ホラーなどのジャンル映画は幾らかの軽薄は許されるだろうが、今作はその常道も進む一方で、こうした演出によって逸脱する瞬間が多くある。だからこその別種の強度がここには宿っている。

こうした洗練の撮影と先述の不謹慎なユーモアの数々はある種水と油と同じ関係性にあるとも思われながら、今作において2つの間に均衡を齎しているのが監督自身が手掛ける熟練の編集だ。後者がブチ撒ける瞬間的な快楽に耽溺することなく、かといって前者が陥りがちな見てくれだけが良い怠惰な美しさに埋没することもなく、そのあわいの滑らかなリズムを彼の編集は紡ぎだしているのだ。

そしてこの均衡は常に緊張感を孕んでいる。互いが互いを濃密さにおいて凌駕しようと虎視眈々と機会を伺っているのだ。不謹慎なユーモアは、後半において登場人物たちの強烈な自我を膨張させていく。主人公ら3馬鹿集団はその馬鹿っぷりを更に加速させ、徐々に素性が明かされていく謎の禿頭男はその超人的な能力で映画を引っかき回す。特に印象的なのはギャング集団の1人でトレインスポッティングのベグビーにも似たチンピラだ。常にショットガンを携帯する乱射魔で劇中通じて人間を肉塊に変えていくが、妙に仁義に厚いところもあり、その人情が血糊の量を増幅させていく。

この一方で撮影と編集も練度を増していく。どの場面も捨てがたいが、特に印象的なのは禿頭男とダッチワイフ狂いの家屋でのかくれんぼだ。画面を一見だけするなら"いや、普通バレてるだろ"という露骨な白けが充満しながら、作り手らの視線は先鋭だ。キャラの距離感や奥行きに対する計算を綿密に組み立てながら、この白けをスリリングな潜み笑いへと昇華していく。そして緩急自在の編集が笑いから更に進んだ驚きすらも観客に齎すのだ。このシークエンスの画面構成や編集リズムの素晴らしさだけでも今作には観る価値がある。

この映画はいわゆる犯罪コメディやホラーコメディと表現できる1作だ。だが演出を見ていって分かるのは、作り手側の映画史への深い造詣だ。前述のジャンル映画の流れを学び汲んでいくだけでも、面白い作品はできるだろうが、その埒外にある映画を観てその技術を吸収し取り入れる、これがジャンル映画を更に深化させることもある。笑う者もいるだろうが、今作において語りに厭味なく嵌った華麗な横移動撮影を観るたび、私は長きに渡るこの撮影法の歴史に思いを馳せた。そういった映画史の蓄積を今作には感じたのだ。

"Sweetie, You Won't Believe It"はホラーコメディ、そしてジャンル映画の持つ喜びをトコトン突き詰めた破格の1作だ。シッチェス映画祭でも絶賛された今作とその監督Ernar Nurgaliev2020年代のジャンル映画界に現れた輝く彗星だ、きっと未来を更に血みどろ肉塊まみれにしてくれるに違いない。

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