鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Barbora Sliepková&“Čiary”/ブラチスラヴァ、線という驚異

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先日、ティム・インゴルド「ラインズ 線の文化史」という本を読んだ。人類学者である著者が楽譜や筆跡など、文字通りの線の歴史を探っていくという作品でなかなか興味深く読んだ。今後、小説執筆などにうまくこの知識を活用できないかと思っている。だがここで語りたいのはこの書籍ではない、読書の直後に「ラインズ」に直接繋がるような映画作品を観ることになったのだ。今回はそんなスロヴァキア・ドキュメンタリー界の新鋭であるBarbora Sliepková バルボラ・スリエプコヴァー監督のデビュー長編“Čiary”を紹介していこう。

今作の舞台となる場所はスロヴァキアの首都であるブラチスラヴァである。監督と撮影
Maxim Kľujev マキシム・クゥリュエフMichal Fulier ミハル・フリエルらのカメラはこの都市で流れる些細な日常というべき光景を、淡々と撮しとっていく。例えばあるマンションでは外壁を修復する工事が行われており、多くの作業員たちがここで働いている。例えばコロナ禍ゆえか閑散とした都市部を、しかし人々が気ままに歩いている。例えばブラチスラヴァでは近々市長選挙が行われるらしく、候補者の1人が投票を訴える動画を撮影している。そんな風景が現れては消えていく。

ここにおいて観客はこういった日常を密やかに垣間見るような楽しみが存在している。ある時、マンションの一室に住む女性が、外の足場を進む作業員の姿を見る。すると彼女は作業員を部屋に招き入れて、コーヒーをご馳走するのだ。しばらく細やかにお喋りをした後、作業員は感謝の言葉とともに部屋を出ていき、工事に戻っていくのだ。

この撮影によってスクリーンに提示される世界は端正なモノクロームであり、日常を描きだしているのに、どこか浮遊感のある不思議な感覚がそこには宿っている。例えるなら私たちがふとした瞬間、頭に浮かべる“ここではないどこか”にまつわる風景が、今作には広がっているといった風なのだ。

だが特に印象的なのは線というものの存在である。窓のブラインド、工事現場に組まれた足場、道路に描かれた白線、森の至るところに存在する多様なる線。日常のなかに引かれた無数の線が監督によって私たちに提示され、スクリーンにおいてそれらが鮮やかな息吹を取り戻していくのだ。これを観ながら私たちは、世界にはこんなにも多く線が存在しているのかと驚かざるを得なくなるはずだ。この映画は日常に対する私たちの目を、もっと奥底から、いわば精神的な意味で、開いてくれるのだ。

こういった意味で、私には今作が先述した「ラインズ」の映画化作品にも思えた訳だ。そして監督はブラチスラヴァという都市それ自体である。最近、私が建築・都市デザイン映画に凝りまくっているのは何度も公言しているが、その嗜好の中心を撃ち抜くような作品でもあるのだ。だが「ラインズ」の映画化のようだという理由はそれだけではない。今作の原題“Čiary”はスロヴァキア語で“複数の線”表しており、つまりは“ラインズ”という訳だ(後にこの感慨を監督本人に語ると、彼女自身は読んでいなかったらしい。なのでぜひ読んでほしい!お薦めした)

話は少し逸れるのだが、今個人的にスロヴァキア・ドキュメンタリーがアツい。世界の映画祭で俄にこの国のドキュメンタリー作品が評価され始めているのだ。例えばViera Čakányová ヴィエラ・チャカーニョヴァー“Frem”は南極を舞台とした作品なのだが、環境保護や動物観察などのテーマを内包しながら、しかし究極的には映画スタイルの探求という相当に実験的な作風をしており、以前観た時には思わず困惑させられた。今作は2020年のベルリン国際映画祭フォーラム部門に選出され話題となった。更にPeter Kerekes ペテル・ケレケス“Cenzorka”ウクライナの女性刑務所を舞台として、ここで出産を果たした女性が、母として刑務所での生活を生き抜こうとする姿を描いたドキュドラマなのだが、今作は2021年のヴェネチア国際映画祭に選出された。

このスロヴァキア・ドキュメンタリー躍進の最先端に今作の監督であるBarbora Sliepkováがいると言っても過言ではないが、注目すべきは彼女の教師こそが先述したČakányováとKerekesなのである。つまりは彼らの1世代下であるのだが、この長編デビュー作が世界でも有数のドキュメンタリー映画祭であるイフラヴァ映画祭に選出され、しかもコンペ部門で作品賞とデビュー長編賞の2冠を獲得した訳である。という訳で今後のスロヴァキア・ドキュメンタリーの動向には注視していきたい。そしてこの新しい潮流への入門作として、今作“Čiary”は正にうってつけの作品だ。何故ならここにこそブラチスラヴァとスロヴァキアの現在があるのだから。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独
その454 Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築
その455 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域
その456 Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!
その457 Ekaterina Selenkina&“Detours”/モスクワ、都市生活者の孤独
その458 Barbora Sliepková&“Čiary”/ブラチスラヴァ、線という驚異

Ekaterina Selenkina&“Detours”/モスクワ、都市生活者の孤独

最近、私が建築や都市デザインにまつわる映画に興味があるのは、直近の記事を読んでくれたりTwitterを見てくれている方ならご存知だろうと思う。クローン病と診断された後に開き直って大量の本を読み始めたのだが、そこで最も惹かれたものの1つが建築と都市デザインだった訳だ。今はこれを映画批評や小説にどう組みこむかというのを自身の命題にしている。そしてこの建築学的な視点から見て面白い映画というのも探しているのだが、今回紹介するのは正にそんな観点から頗る興味深い1作である、ロシア映画界の新星Ekaterina Selenkina エカテリーナ・セレンキナによるデビュー長編“Detours”だ。

今作の主人公はデニスという青年で、普段彼はペットブリーダーとして活動しているのだが、裏の顔もまた存在している。彼はいわゆる深層ウェブを通じた麻薬密売に関わっているのだ。彼は売人として指示を受けるとモスクワへと赴き、その都市の間隙に麻薬を置いていき、売買を行う。まず描かれるのはそんな彼の日常だ。まずGoogleマップで都市を探索、取引に使えそうな場所のスクリーンショットを次々と撮影し、メモを取る。話をつけた後には取引場所へ向かい、何食わぬ顔で麻薬を置いていくと、そそくさとその場を去っていく。この繰り返しだ。

Alexey Kurbatovのカメラはそんなデニスの姿を常に観察し続ける。クロースアップはほぼ使われず、風景において彼や他の人間が細い線として現れるほどの距離感を保ち、かつカメラ自体は一切動かさないままだ。このロングショット主体の定点撮影を長回しで行うことによって、ある種の監視カメラ的な触感をもKurbatovによるショットの数々は獲得していく。

ここにおいて本当の主人公はデニスではなくモスクワの建築、もしくは建築空間そのものと言えるかもしれない。武骨なコンクリートに包まれた団地の群れ、昼の微睡みを思わす光と影の交錯によって浮かびあがる建物の出入口、闇のなかで微かな街頭だけが歩く頼りとなる道路、団地の横に存在している開かれた草むら、青年たちが遊び場とする朽ち果てた廃墟。そういった風景の数々が長回しのなかに浮かんでは消えていくが、際立つのは人間よりも建築なのだ。

そしてこのイメージは不気味なほどに冷えているものだ。もしくは観察という行為に在るべき明晰性が宿っているとも言えるかもしれない。私が思うに、デジタル撮影が主流になった今において、フィルム撮影が対比的に獲得したものとして、まるで粒子がうごめく故の摩擦から生じるとでもいう風な熱もしくは暖かさ、それから曖昧さがある。こういった後天的性質は、例えば現在との対立物としての過去、さらに郷愁を抱くような幻想を描くことに利用されることがある(例えば2021年の作品ではワイルド・スピード JET BREAK」がこの手法で主人公ドンの過去を描いていた)だがここにそういった暖かみや郷愁は微塵も存在せず、あるのは観察という行為に根づく冷えた明晰だけだ、まるでモスクワの大気の凍てがそのままテクスチャーとして現れたといった風に。

同時にこのイメージと争うように存在するものが音響だ。作品世界においては日常音というべきものが氾濫し、大きな存在を持つ。例えば風の音、例えばどこからか聞こえる特売品の宣伝、例えば高速道路で渋滞に嵌まった乗用車の音、例えば建物を背景として写真を撮る女性たちの談笑。これらは本当に何の変哲もない音のように思える。だが上述した不気味なイメージとの相乗効果で、どこか現実離れした厭に気味の悪い響きを持っていく。このように今作においてはイメージと音の間に常に緊張感が存在しているのだ。Selenkina監督はこの緊張を巧みに操っていくことによって、観客の視覚や聴覚をここから逸らせなくなるようにしていく。

そしてこの緊張は徐々に人間と建築、さらに人間と都市の不穏なる関係性にも繋がっていく。デニスは密売人としてモスクワを暗躍していくが、それは危ない橋を渡るようなものだ。何者かから逃走せざるを得ない場面や、駅での持ち物検査に引っ掛かり警備員によって厳重な身体検査が行われる場面も存在する。ここにおいても実際に際立つのはデニスら人間でなく、彼が走り抜ける道路、彼が尋問を受ける狭苦しい部屋なのだ。建築は、都市は常にデニスを監視している。

今作に濃厚なのが都市生活者の孤独というべき荒涼たる感覚だ。デニスの精神は疲弊していき、売人稼業を放棄したいと願いながら、元締めによって引き留められた挙げ句、泥沼の状況に陥っていく。彼は都市という名の、回り道によってのみ構成され目的地の存在しない迷宮を彷徨い、そして最後には埋没を遂げていくしかない。“Detours”を観ながら、これがモスクワという都市における現実だと思うかもしれない。だが気づくのは、極限まで状況を削ぎ落とされた語りのなかで、今作は概念としての都市、その寓話でも有りうると。この一見して矛盾と思える2つを、Selenkinaは不穏なまでの鮮やかさで交わらせ、そしてこの“Detours”として私たちに提示するのだ。

ブリュノ・デュモンの"France"を観て、共感について考える

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ブリュノ・デュモンの"France"を観た。最初はすわコメディ版「ハデウェイヒ」か?と思ったが、最終的にはそれ以上の作品に思えた。ある人間存在の精神というものが一線を越える。これはデュモン映画のお約束だが、今回はふてぶてしさとグチャグチャさを行きかうレア・セドゥの顔面を通じて描き、その果てに現れるのは"白人の業"としか言い様のない代物だった。よくもまあ、こうも共感と反感を反復横跳びする、底知れない、薄気味悪いコメディ、白人映画が作れるわと思わず関心してしまった。

だがその薄気味悪さすらも越えて、最後にはそれでも生きていかなくてはならない人間への葬送曲として響くのが感動的だ。デュモンにしろ、ミヒャエル・ハネケにしろ、その直弟子ミシェル・フランコにしろ、彼らの作品を観ると"原罪を背負ってでも、お前は生きていけ!"と背中を蹴り飛ばされるような気分になる。そうして生きていこうとすら思える、悲愴な勇気をもらえる。本当にかけがえがない。

そして今作を観て思い出したのは、ある日本の批評家がカラックスの"Annette"を絶賛して"共感を拒む"みたいなことを言っていたことだ。全く安易でぬるいことだと思った。以前私はTwitterにこういう風なことを書いた。つまり、共感という言葉はその可能性が十分に探求されないまま批判されているとしか思われない。例えばブレイディみかこのようにシンパシーじゃなくエンパシーという風に、みだりに外来語を借用するのは頂けない(そもそも息子を自分の芸術のダシにする態度には吐き気を催すが)もっと善き方悪しき方、双方における共感の可能性をもっと見据えるべきだ。悪役と単純に見做す風潮には乗れない。

こういう意味で"共感を拒む"みたいな言葉が誉め言葉として扱われるのは、あまりにぬるいことだ。共感という概念への、安易で無思慮な考えが露になっている。人だとか、外界だとかと繋がりを絶つ、つまり断絶というのは、破壊と同じだ。簡単すぎるのだ。この断絶や破壊が現実だと冷笑主義虚無主義に陥る芸術家や批評家を、私は唾棄する。そしてそこから逃げることなく、何度裏切られようと繋がりを探求することが今は重要なのだと、私は思い始めている。共感という概念はその縁になる。

共感、ナイーブ、甘い。そういった人間の弱さを示す言葉たちが、一種の悪として扱われることには反対したいし、凄まじく危険なものだ。優等生的という言葉もそうなのだが、私はこういった言葉にこそ、繋がりを求める人間の弱さの複雑微妙さを見てしまうのだ。受けいれるべきしなやかさ、豊かさとして改めて使いたいし、解釈したい。これらを否定するのは、自己責任を要求し、強さに与しなければ、与できなければ生きる価値はないと弱者を切り捨てる社会へのケツ舐めでしかないのだ。ある芸術を"共感を拒む"という言葉で称賛することは、結局ここに繋がってくる。

そしてここからは"France"を観た時にまた更に考えたことである。しばらく繰り返しになるが、共感を拒んだり、共感を悪者にするのは全く簡単だ。だが人間はどうしても何かに共感してしまうし、共感を求めることが悪であるべきでない。だから私は"共感できないからこれは良くない"という芸術への感想と、それに対する"それはおかしい"という反論において、むしろ後者の方にこそ胡散臭さを覚える。何故ならこれを悪と、おかしいと見做すのは己の弱さを否定してしまう、強さへの傾倒を生んでしまうことだと思うからだ。だから共感を否定せず、しかしそれを御すること、共感への知を深めること。これがまた重要となってくる。

その意味でデュモンの"France"は示唆的だった。レア・セドゥの演じるフランスほど、共感と反感の両方を交互に、極端な劇的さで感じさせる人物は少ない。TVの人気司会者として栄華を誇り、やらせも辞さない傲慢さを持ちながら、交通事故を起こした際には本気で動揺し、被害者やその家族と交流する中で己を反省し、司会者も止めるほどになる。だが周囲の無思慮な反応の数々に悪い意味で吹っ切れ、司会者へ復帰した後には更なる傲慢を見せる。戦地で炎上する乗用車の前で、彼女は笑顔を浮かべながら、腰を振って楽しそうに踊る。本気で不愉快になった瞬間だ。それでいて様々な感情的修羅場をくぐりぬけた後、とある地方のロケ地を訪問中に、ふと立ち止まってどうということのない風景を見ながら「ああ、何かきれいだな」と彼女が思わず言ってしまった時、私は本当に深い共感を覚えた。適当に道を散歩している時、夕日を見て何となくきれいだなあと思ってしまう瞬間、それを私は思い出してしまったからだ。

先ほども書いたが、この"France"という作品は白人の業を描いた、薄気味悪い映画だ。それなのに私はレア・セドゥ演じるフランスに私は反感だけでなく、共感すらも抱いた。そして気づいたのは私は芸術家として、この共感と反感の危うい狭間にこそ近づきたいということだった。人間とは誰しも完璧な共感の対象、完璧な反感の対象とはなり得ない。人生においてこれは混じりあう。だが人生を芸術として描こうとすると、どこか一部分を切り取らざるを得ず、描かれるのは人間であるのに、完璧な共感の対象、完璧な反感の対象に堕してしまう。だが芸術家としてそここそ避けなければならないものだ。何故なら2つの狭間、そこにこそ人間存在という糞便が現れるのだから。ゆえに私はカラックス"Annette"の安易な共感の放棄よりも、デュモンの"France"のこの突き詰められた糞を推す。

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ドイツ・建築・演劇・映画~Interview with Hannah Dörr

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ということで"2020年代、未来の巨匠との対話"のコーナーである。今回インタビューした新人作家はドイツ映画界から現れた新鋭Hannah Dörr ハンナ・デールだ。彼女のデビュー長編"Das Massaker von Anröchte"は、アンレヒテというドイツの地方都市で巻き起こった虐殺事件を追って、2人の男が実存主義的恐怖へと迷いこむシュールなコメディだ。その奇妙なユーモア感覚に惹かれ得る一方、私が最も感銘を受けたのは今作における建築や空間というものの存在感だ。という訳でそこを中心に今作に着いてインタビューしてみた。そして彼女、ドイツ演劇界においても重要な人物で、インタビューにはドイツ演劇の今すらも浮かびあがるものとなっている。ということで、早速どうぞ。

vimeo.com

済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

ハンナ・デール(HD):映画監督になりたいということは実はなかったんです。映画を作りたいとはいつも思いながら、監督(director)というより自分は映画の作り手(filmmaker)だなと感じていました……それからヴィジュアル的芸術を作りたいという思いがまずありましたね。12歳か13歳の時、父と一緒にビデオ制作のワークショップへ行ったのを覚えています。そしてアメリカン・ビューティーを観て初めてこう思ったんですよね――ああ、映画も芸術でありえるんだ!と。これが興味深かった訳です。学校では親友の1人がVolksbühne Berlinという劇場で活動するP14という劇団に通っていました。私も一緒になって舞台製作を映したビデオ・インスタレーションを撮影することになったんです。その結果ベルリンでファイン・アートを学ぶと決意したんですが、しばらくして映画が学びたいと思い、ケルンのメディアアート・アカデミー(KHM)に通い始めました。その時からは基本的に、映画監督と舞台製作専門の映像アーティストの間を行ったり来たりしていますね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていましたか?

HD:私にとってまず重要な映画はこの作品たちですね。サム・メンデスアメリカン・ビューティーペドロ・アルモドバルバッド・エデュケーションオスカー・レーラー「壁のあと」です。それからファスビンダーベルリン・アレクサンダー広場です。観たのは私が10代だった2013-2015年頃だったと思います。私を震わせるのは、強い自我を持った主人公たちが自身の生き方を模索し、自身の運命を決める姿なんです。ですが今はそこまで重要ではなくなりました。ここ10年私と共にあると思える作品はたった2作です。オーソン・ウェルズ「審判」ピエル・パオロ・パゾリーニ「大きな鳥と小さな鳥」です。

TS:あなたのデビュー長編"Das Massaker von Anröchte"の始まりは一体何でしょう? あなたの経験、ドイツのニュース、もしくは別の何かでしょうか?

HD:今作の始まりは原作者であるWolfram Lotz ヴォルフラム・ラッツとのインタビューで、ここで彼は脚本を渡してくれたんでした。2つ目の始まりはある日立ち寄ったオーバーハウゼンという都市とこのルール地方に一目惚れしてしまって、ここで彼の脚本を映画化しようと決意した訳ですね。

TS:まず冒頭の場面から今作に心を掴まれてしまいました。カメラはアンレヒテの風景を映し出します。陰鬱で荒涼たる色彩に包まれながら、同時に美しく鮮烈なものです。ここで観客は思うでしょう、これが題名にあるアンレヒテなんだな!と。そしてこの都市は映画にとって重要な役割を果たします。まずこれについてお聞きしたいです。このロケーションをどのように見つけましたか? アンレヒテの何に最も心惹かれたのですか?

HD:実は映画で"実際の"アンレヒテは一切映っていないんです。実際はただLotzが書いた脚本のタイトルにその名前が残っているだけなんです。アンレヒテは私たちが撮影を行った場所、例えばオーバーハウゼンやグラートベック(Gladbeck)、ボーフム(Bochum)やヴィッテン(Witten)など基本的にルール地方の都市なんですが、そこから100kmほぼ東にあります。小さなカメラを持って約500もの家の興味深いファサードを撮影し、それを映画に組みこもうと訳ですね。それから撮影監督のJesse Mazuch ジェシー・マツッフと一緒に、実際にどれを映画に入れるか、建築のドラマツルギーという風にどんな順番で組み入れるかを決めました。しかしこれは明確にしておきましょう。アンレヒテは私たちにとっていつだって虚構の町であったんです。西ドイツのとある小さな町の象徴であり、自然に存在する町とは違う訳です。

TS:そしてこの冒頭は陰鬱な美だけに終わりません。街並みのモンタージュの後、スクリーンに現れるのは再びタイトルが示唆する虐殺です。何か不穏なことが起きているという恐怖と、どこか現実離れしたユーモアの間にあるこの場面は悍ましいほど印象に残るもので、観客をあなたが作りあげる奇妙な世界へと導いてくれます。私にとって特に不可欠と思えたのはあなたが行った編集の独特のリズム感です。監督として、そして編集として、この冒頭をどのように構成していったのでしょう?

HD:では……まず監督として。私たちにはスタントに使える馬もいなければ、"実際に"虐殺を行える訳でもないので、その虐殺の平凡さに着目しようとしました(何故なら恐怖というものは多くが恐ろしいほど平凡で、スクリーンで描かれるよりも冷ややかなものです)そしてこの不条理を見せるにあたって、奇妙なユーモアというものこそ上手く機能してほしいと思っていました。しかし編集としてこれは認めざるを得ません。撮影の休止中(コロナ禍のドイツでロックダウンが起こり、撮影を中断せざるを得なかったんです)私はJuli Schulz ユーリ・シュルツというメイクアップ・アーティストと出会い、あるTV番組のため彼と血まみれになる場面を前もって撮影しました。その時私は、冒頭を観ても観客は虐殺が起こったと分からないのではと不安になりました。なので虐殺を可能な限り平凡に描きながら、その残虐性を仄めかすようにもしました。

TS:驚いたのは今作の原作が、Wolfram Lotzという今世界で最も実力ある劇作家の作品であるということです。私も彼の作品、特に"Die lächerliche Finsternis"が好きですね。あなたがどうやって彼の作品や彼自身に出会ったか気になります。彼の作品を映画化しようと思った最も大きな理由は何でしょう? どれほどチャレンジングでしたか?

HD:元々彼とその作品の大ファンでした。特に"Unmögliches Theater"("不可能演劇について")という彼のマニフェストは忘れ難いもので、これに関して2017年にインタビューを行いました。"不可能演劇"というテーゼ、どういった意味に"不可能演劇"という言葉が適用されるべきなのかについて尋ねたんです。このインタビューの終りに、彼が脚本を渡してくれました。もう既に脚本として完成していたので、私が"脚色"する必要もありませんでしたね。最もチャレンジングだったのはここに執筆された、頗る複雑微妙でかつ正確なユーモアというものをどうスクリーンに移し替えるかということでした。最終的に上手く機能してくれたようで嬉しいです、少なくとも映画を観て観客は笑ってくれていました。

TS:そして印象的な要素の1つとして、あなたじしんの巧みな編集で培われた、シュールな笑いで満ちた奇妙な空気感です。撮影監督Jesse Mazuch イェッセ・マツッフによって固定されたカメラは静かに登場人物や空間を見据えますが、より重要なのは、カメラが細心の注意を払いながら時間の流れそのものをも捉えていることです。そしてこの流れのなかで、人物による表情や言葉の不器用さが笑いの化学反応を生みだすんです。ここでお聞きしたいのは、このユーモアを編集する際に最も重要なことは何だったのかということです。

HD:思うにこれは極個人的な観点から語るしかありません。編集の間、私は何度も笑ってしまって、それが編集過程におけるたった1つの道標だったんです。人々の不器用さ、居たたまれない状況、そのなかの沈黙、呻き、そして全てがバラバラになってしまう中で尊厳は保とうとする試み、こういったものをを見るのが好きなんです。Jesse Mazuchと俳優のHendrik Arnst ヘンドリク・アルンスト、Julian Sark ユリアン・ザルク、そして私。この4人は似たようなユーモア感覚を持っていて、信じられないほど笑えたあの脚本を読む時、同じようなトーンを思い浮かべていた訳です。そしておそらく私たちは互いを信頼していて、こうしてこのシュールなユーモアが道を見出したんです。Jesseと私でHendrikとJulianのための舞台を作りあげ、脚本を熟知した彼らはそこで素晴らしいコンビネーションを見せてくれた。そして更に良いものを作ってくれたんです。

TS:私が感銘を受けたのはあなたの空間や建築への意識がいかに鋭いかというものです。先述した冒頭の場面が象徴していますが、建築を通じてアンレヒテという町は捜査官コンカとヴァルターに次ぐ第3の主人公ともなっていますね。市役所の廊下、グラフィティで埋め尽くされた家の壁、ホテルの食堂。こうした建築空間があなたの演出によって印象的なイメージへと昇華され、その空間は登場人物たちによって活き活きと生きられています。今作を観た際、この監督は過去に建築を学んだのだなと思ってしまいました。これについては個人的に話しましたが、この建築に関する演出についてもう1度お聞きしたいです。オーソン・ウェルズの言葉についてぜひお聞かせ下さい。

HD:まずこれを言うべきでしょう。建築について学んではいませんが、いつも建築に魅了されてきたんです。新しいプロジェクトを始める時、いつも考えるのは物語が展開する部屋、そして世界についてなんです。私にとって部屋は物語の状況を考えるうえで不可欠で、人間同士の関係性を規定するものなんです。とても素朴に聞こえるでしょうが、俳優がある場面、例えばロブシーンなどを撮影する際、部屋が小さいか大きいかで相当な違いが現れます。故に私にとってオーソン・ウェルズのある言葉がとても重要になってくるんです。彼はいつもまず部屋に照明を当て(本質的な建築のルールに従って、です)俳優をそこに入らせ、特定の光を当てるんです。そこでウェルズは言います。スクリーンにおいて、そこには部屋と俳優だけが在る、そして部屋を照らさなければ俳優に次のチャンスはないと。この言葉は全く正しいと私にも思えます。部屋はそれ自身特有の雰囲気を、そして歴史を持つんです。過去、戦争、建築のコンセプト……私にとってこれは背景以上のものなんです。

TS:特に素晴らしいと思ったのは遊園地のシークエンスですね。馬鹿な係員が客たちを煽りたて、乗り物からは爆発的な音楽や騒音が響き、客たちが凄まじく加速する乗り物に熱狂するなか、コンカが上空へ銃を発砲する。これらの要素がユーモアやリズム、イメージと映画的な調和を見せ、完璧なインパクトを宿すこととなっています。セット、編集の両段階で、このシークエンスをどう構築していったんでしょう?

HD:元の脚本においてこれは"普通の"パーティと書かれていました。大袈裟に見えることが多くあるので、パーティを演出するというのに不安を持っていたのですが、ルール地方でロケーションテストを行っていたところ、ある遊園地に行きあたりました。そして思ったんです。遊園地の乗り物、あの場面はここで繰り広げられるべきだなと。とてもドイツ的だし、既に存在する物として盤石でした(部屋や空間はやはり私には重要という訳です)そしてこれがフェイクでなく、"本物の"パーティという状況を作りだしてくれました。しかし撮影は難しく、というのも実際セットに来るまで乗り物の全容を見られなかったせいで、Jesseと私が明確なストーリーボードを用意していなかったんです(普段こういうことはないんですが)しかも沢山のエキストラもいました。それでも最終的には狂気こそ描きだしたいというのがとても明確になり、撮影が進みました。編集においては場面の核として、あの係員と彼のアナウンスに焦点を当てようと決めました(あの第1、第2、第3ラウンドというやつですね)俳優のAndré Hegner アンドレ・ヘグナーは素晴らしい仕事をしてくれましたね。Wolframによる実際の脚本は全く違うものでしたが、彼は実況ジョークを沢山研究し、撮影の際には彼の馬鹿げたジョークの数々を採用した訳です。

TS:ステイトメントのなかで、あなたはこの映画を"オーバーハウゼンのプロアマ両方の俳優(インクルーシヴな劇団Blindflugなど)とともに"制作したと仰っています。このBlindflugとの共同制作についてお聞きしたいです。まずBlindflugというのはどういった類の劇団なのでしょう? そして今作において彼らと仕事を共にした理由は一体何でしょう?

HD:Blindflugは30人ほどの劇団で、殆どの人が肉体的、もしくは精神的な障害を持っています。Theatre Oberhausenでは毎年彼らと共同制作を行っており、彼らの活動を聞いた際、すぐに会いたくなりました。そして会ってすぐ、映画に出てもらおうと思ったんです。まず彼らは本当に素晴らしかった。際立った顔つきや身体を持っていて、特に顔つきは今までスクリーンで映しだされてこなかった種のものです。だからこそ彼らに出演してほしかった訳ですね。そして映画製作の際、誰が映画に出演したいかを尋ね、彼らのために当初の5倍は小さなシーンが増えましたね。例えば女性が窓越しにいるだとか、男性がハサミを持っている、少女がホウキを持っている、警察官がいるだとか……

TS:そしてプロフィールに、あなたは"'TheatralFilm'という映画上映会のキュレーター"だという文章が載っていますね。演劇と映画の融合というのは今作において重要な要素です。ドイツ語は理解できませんが、この上映会ではクリストフ・シュリンゲンジーSigna Köstler シグナ・ケストラーなどの作品を上映していますね。そこでお聞きしたいのはこの上映会やキュレーターとしての経験が映画に影響を与えているか?ということです。

HD:演劇と映画の融合は私にとって、そして今作にとって本当に重要ですね。というのも物語というものを様々に語るための信頼は、演劇からこそ学んだからです。演劇は様々な形で物語を語る一方、映画というのは時おり現実的すぎるやり方に陥ってしまいます。もう少し正確に言うなら、皆が同意するもの、つまり"自然さ"に固執する訳です。そういう意味で例えばFrank Castorf フランク・カストルフ、 Christoph Marthaler クリストフ・マルターラー、Susanne Kennedy スザンネ・ケネディといった人物には影響を受けました。そしてTheatralFilmを通じてこそ、私は多くの友人や同僚たちと、それこそWolfram Lotzと出会うことができたんです。

TS:新しい短編や長編を作る計画がありますか? もしそうなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。

HD:はい、あります。今2つの計画を進めているんですが、両方ともまだ初期段階で話せることはあまり……6か月後にまた聞いてください(笑)

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Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!

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私は今、ルーマニア映画界の新人の動向に2つの潮流を見ている。片方に"ルーマニアの新しい波"以降の、例えば長回しや徹底的なリアリズム描写など、いわば新しい伝統を継承し、新しい局面へ進めていく存在がいる。例えば今年のカンヌ批評家週間に出品された"Interfon 15"とその監督Andrei Epure アンドレイ・エプレがその代表的存在だ。もう片方にはこの新しい伝統から隔たった、全く別の場所から現れる存在がいる。カンヌの監督週間に出品された"When Night Meets Dawn"とその監督Andreea Cristina Borțun アンドレーア・クリスティナ・ボルツンは、ルーマニアの批評家から"この国にもアピチャッポンが現れた"と賛辞を受ける、そんなルーマニア映画界の特異点として評価されている。さて今回は、その後者に属するだろう新たな才能、Alex Pintică アレックス・ピンティカの短編作品"Trecut de ora 8"を紹介していこう。

主人公はアンドレイとロクサナ(Ionuţ Grama ヨヌツ・グラマ&Ana Udroiu アナ・ウルドイユ)という同棲中のカップルだ。しかし既に倦怠期に陥っており、どちらにもカタリンとデリア(Cezar Antal チェザル・アンタル&Andreea Şovan アンドレーア・ショヴァン)という好きな人がいる。実はその2人もまたカップルであり、今日アンドレイたちの部屋で夕食を楽しむこととなっていた。逸る気持ちを抑えながら、2人は彼らを出迎える。

今作はそんなカップルの悲喜交々を描きだす作品だが、こう説明すると、またルーマニア流のドス暗いユーモア混じりの笑えないコメディと思われる読者もいるかもしれない。だが冒頭からその予想は全く覆される。アンドレイとロクサナがリビングでぬるい口喧嘩をした後、それぞれシャワー室と部屋に籠るのだが、そこでいきなりカタリンとデリアへの愛を歌い始めるのだ。そして歌って踊って、愛の素晴らしさ、愛のスレ違いを高らかに叫ぶ。そう、つまりは今作、ミュージカルなのだ。

監督自身がジャック・ドゥミに影響を受けた公言する通り、今作はいわゆる"ルーマニアの新しい波"が指向するものとは全く真逆の、極彩色の輝きというものを目指している。陰鬱さというものが微塵も存在しない、愛のややこしさに七転八倒するスラップスティックな笑いの感覚がそこかしこに存在しているのだ。

私にとっては今作にルーマニア映画史において殆ど潰えた"古い伝統"というものを観たくなる。共産主義下のルーマニアにおいてはファンタジーやミュージカルなどの子供映画が一時期隆盛していたのだが、そこにおいて今でも称えられる映画作家Ion Poepscu-Gopo ヨン・ポペスク・ゴーポだ。彼はアニメーション、SF、ミュージカルなど生涯に渡って子供たちの楽しめる映画を作ってきた。この影響は相当大きく、2000年代に設立されたルーマニアアカデミー賞には彼の名字をとってPremiile Gopo(ゴーポ賞)という名が冠されているほどだ。今作と関連づけて思いだしたくなるのは、1965年制作の"De-aș fi harap-alb"だ。ルーマニアの古いお伽噺を基にしたファンタジー作品で、この煌びやかさを今作は継承しているように思われる。

そしてもう1本想起する作品がある、もしかすると監督自身は良く思わないかもしれないが。その1作がElisabeta Bostan エリサベタ・ボスタン監督の"Veronica"だ。今作は1人の少女を描きだしたファンタジー/ミュージカル映画で忘れ難い曲が幾つもある、もう本当に頗るキュートな作品だ。20代以上のルーマニア人は皆観ているといっても過言ではないほど国民的だが、テレビであまりに放送され過ぎたゆえに"ウンザリする"とか"嫌い"とか公言する人も少なくない、私と同世代の親友もそんな1人だ。だがこの監督BostanはGopoとともに子供映画を作り続けた偉大な人物で、しかしGopo以上に彼女を継ぐ人物はついぞ居なかった。そこから突然、この映画が現れた訳である。

部屋にはもう1組のカップルがやってきて夕食会が始まるが、こっから4人で歌って踊ってのミュージカルが開幕するのだ。撮影のMişu Ionescu ミシュ・ヨネスクルーマニアにおけるアパートの内装を計算しながら、登場人物たちが歌いに歌い踊りに踊る光景を溌溂に捉えていき、そこには色とりどりの喜びが宿っている。

しかしそれ以上に監督自身が手掛ける編集が絶品だ。冒頭の長回しによってカップルのぎこちない雰囲気を紡いだ後、歌が始まるとカット割が突然細かくなり、テンポやリズムが軽妙になっていく。この緩急のメリハリというものが、このミュージカルの歌と踊りを容器に高めていく。

監督は映画やその予告編の編集をしてキャリアを紡いできたそうだが、そうしてキャリアを通じて編集の美というものを理解しようとしてきたものができる練熟のものだ。ミュージカルはただ歌って踊ればいいというものではない。むしろ歌って踊っていない場面との兼合いが重要だ。そうしてこそ現実から逸脱する瞬間の数々に"現実離れ"の感覚が生まれ、非現実が輝くのだ。

これが特に際立つ場面がある。主人公たちが歌って踊っていると、いつも隣人の訪問で中断され、彼は"午後8時以降に騒音を出すな!"と通達してくる。これは言ってみれば自己言及的な、ミュージカルのセルフパロディ的なネタだ。普通はこれに鼻白むところだが、この場面が何度も繰り返されるうち、これこそがミュージカルにおける"現実"と"現実離れ"の橋渡しとして機能していくのが分かる。これがリズムとテンポとして有機的に機能するのだ。

そしてこの巧みなミュージカルを通じて、監督は愛の何とも言えない複雑さを浮かびあがらせていく。そこには"ルーマニアの新しい波"仕込みのダークな皮肉も感じさせられるが、それ以上にジャック・ドゥミへの愛や、GopoやBostanなど"古い伝統"への愛着すらも感じさせる。そうして"Trecut de ora 8"はルーマニア映画史において新鮮な輝きを放っているのだ。

実を言うとこの監督のAlex Pinticăは私の友人だ。いや、友人の映画観るというのはマジで怖いことだ。何故ならそれがクソつまんなかったり、倫理的にアカンものだったら、批評家として冷徹に批判するか、もしくは黙して語ることを放棄するしかない。だからそれを観る時、私はマジで心の底から"面白くあってくれ!"と超越的存在に祈らざるを得ない。今回はそれが通じたという訳で、彼の成した喜びを素直に祝福したい。Felicitări, Alex!

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?
その56 Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景
その57 Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛
その58 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その59 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その60 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その61 彼女の息子によるCristiana Nicolae~Written by Radu Nicolae
その62 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独
その454 Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築
その455 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域
その456 Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!

Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域

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2021年、ただでさえ凄まじいルーマニア映画界が更なる躍進を遂げている。まずベルリンでRadu Jude ラドゥ・ジュデの最新作"Babardeală cu bucluc sau porno balamuc"金熊賞を獲得、カンヌには5作のルーマニア映画が出品され、ヴェネチアでは新人監督Monica Stan モニカ・スタンのデビュー長編"Imaculat"ヴェニス・デイズ部門の作品賞を獲得した。そして先日開催のサン・セバスティアン映画祭でもまたルーマニア映画コンペティション部門で作品賞を獲得してしまった。ということで今回はそんな1作、Alina Grigore アリナ・グリゴレ監督作"Blue Moon"を紹介していこう。

今作の主人公はイリーナ(Ioana Chițu ヨアナ・キツ)という少女だ。彼女はよりよい教育を受けるため、そして離れて暮らす父親の許に行くため、ブカレストへの移住ひいてはロンドンへの留学を目指していた。だが家族はそれをよく思っていない。特に彼女を庇護下に置いているいとこリヴィユ(Mircea Postelnicu ミルチャ・ポステルニク)の反感は相当なものであり、イリーナに対し暴君さながらに振舞う。反発を繰り返しながら、彼女は留学への道を探し求めるが……

今作の基調はルーマニア映画の伝統を受け継いだかのごとき手振れを伴う長回しと濃密なリアリズムである。まず冒頭に置かれた大家族の食卓場面から、この手法が顕著だ。撮影監督Adrian Pădurețu アドリアン・パドゥレツはテーブルを囲む人々をまるで招かれざる客のような視線で見つめ、それが場に波紋を齎したとでもいう風に、空気は緊迫したものとなる。和気藹藹から程遠い雰囲気のなかで、彼らは言い争いを始め、怒号と唾が飛び散りまくる。ルーマニア語の響きが持つ異様さ、暴力性を提示すると共に、このシークエンスは今作が進む未来をも仄めかすこととなる。

ある日イリーナはパーティに参加するのだったが、翌朝起きると自身の性器から血が流れているのを発見する。だが泥酔していた故にセックスをした記憶はない。彼女は自分をレイプしただろう男性トゥドル(Mircea Silaghi ミルチャ・シラギ)の許へ赴く。問い詰めるなかで、彼はブカレストに住む妻子持ちの俳優であることが分かるのだが、ここから2人の関係性は奇妙な進展を見せ始める。

イリーナの置かれた境遇は凄まじいまでの被害者という立ち位置である。家族はイリーナの留学に理解がなく"どうしてそんなことしようとするのか?ここにずっと住んでればいいのに!"と疑問を隠さない。特にリヴィユの反感は壮絶なもので、彼女が生きられるのは自分のおかげだと常に恩着せがましく迫り、反抗するなら罵詈雑言など精神的暴力も辞さない。そしてトゥドルのレイプという肉体的暴力をも被ることとなる。肉体と精神、両方の面からイリーナは窮地に追いやられ、深く憔悴していく。

だが今作はそこで終ることなく、イリーナの生存がための闘争をも描きだす。幾らリヴィユに反撃されようとも、彼女の反抗心は潰えることがない。そしてレイプ犯であるトゥドルに対しては、家族がいるのに自分とセックスした、自分をレイプしたという事実を突きつけた後、彼の罪悪感に取り入り親密な関係を築いたかと思うと、彼の住むブカレストへ行くために利用を始める。被害者であったイリーナは加害者としても振舞うこととなり、実際にある面では加害者ともなるのだ。

現代のルーマニア映画にはモラルを描きだす濃密な映画が多い。例えばCristi Puiu クリスティ・プイユの大いなる1作"Aurora"(レビュー記事)はある平凡な中年男性が殺人を犯すまでを、長大な長回しを基調とした3時間にも渡る時間の流れによって描きださんとする。そしてCorneliu Porumboiu コルネリュ・ポルンボイユの2009年の1作"Polițist adjectiv"ルーマニアEU加入前夜、マリファナの密売を行う高校生を逮捕するか否かに苦悩する警察官の姿を描いていた。ルーマニアほど、モラルにおける限りなく黒に近いグレーの、曖昧な領域を描くことの上手い国はないだろう。

監督のAlina Grigore アリナ・グリゴレは今作がデビュー作とは信じられない、稠密な緊迫感とモラルへの鬼気迫る問いをスクリーンを通じて提示するが、この新人離れした手腕は以前のキャリアによって培われたものだろう。彼女は元々俳優としての活動が主だったが、その最中の2018年にAdrian Sitaru アドリアン・シタル監督作"Ilegitim"に主演を果たすと同時に、脚本家としてもデビューを果たす。今作は自身の娘と息子が近親相姦という関係にあり、しかも娘が妊娠してしまったと知った父の苦悩を描きだすといった作品だった。シタル監督はルーマニアにおける生命倫理や職業倫理の行く末を常に見据える人物であり、彼のモラルへの洞察やその方法論を苛烈に推し進めた1作がこの"Blue Moon"と言えるかもしれない。

今作においてもう1つの核となるのがイリーナを演じるIoana Chițuだ。彼女は幼い、不安定な雰囲気を宿しながら、しかし私たちは老いそのもののような陰が顔に深く兆している様をも目撃するだろう。彼女は若さと老いの狭間に在るゆえの曖昧さを持ち、それは被害者と加害者の狭間に在ることをも象徴しているのだ。そしてこの曖昧さは不穏な方向へと突き抜けていくこととなる。

この"Blue Moon"というルーマニア映画には"iad"というルーマニア語が似合う。つまり"地獄"という意味を持つ言葉だ。徹底的に被害者として虐げられてきた女性が、この抑圧的社会で生存するがため、加害者として振舞う。そして実際に加害者ともなり、この2つの概念の狭間、凄まじく危うい領域に迷うことになる。私たちは問わざるを得なくなる、こうしてしか弱者は生きられないのか?と。そんな絶対的な絶望がここにはある。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
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その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
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その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
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その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
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その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
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その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
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その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
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その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?
その56 Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景
その57 Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛
その58 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その59 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その60 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その61 彼女の息子によるCristiana Nicolae~Written by Radu Nicolae
その62 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域

私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独
その454 Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築
その455 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域

Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築

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コソボ映画界がアツいというのは毎度のことこの鉄腸マガジンで言ってきているだろう。が、色々とコソボの最新映画を紹介してきたが、実を言えば私がコソボ映画に嵌ったキッカケの人物を紹介していなかった。そんな中、彼が新作映画を作った訳で、とうとう紹介するべき時が来たと思う。ということで今回はコソボ映画界の新鋭Samir Karahoda サミール・カラホダと彼の新作ドキュメンタリー"Pe vand"を紹介していきたい。

今作の主人公はとある中年男性2人である。彼らはとある卓球クラブに所属しているのだが、ここには問題があった。活動の拠点となる場所がないのだ。なので毎回練習場を変えて活動を行う必要があったのだが、そういう訳でブッキングした会場に毎回卓球台などの運動用具を持っていくのが、この2人の役目だったのだ。

彼らは小型のトラックに卓球台を載せて、コソボの街並みを行く。彼らがめぐるのは台がギリギリで入るほどの家屋、打ち捨てられた廃墟の工場、他の利用者も多くいる公民館など、利用できる場所がどこでもといった風だ。そして彼らが台を設置した後には子供たちが卓球の練習を始める。その目つきは真剣そのもので、もたらされた機会と時間を出来る限り有効に活用しようとする熱意が感じられる。ひたすらにボールを打っていき、その響きが空間に小気味よく、鮮烈に響き渡っていくのだ。

こうして男性たちや子供たちの日常風景が描かれる一方、今作はある種の建築映画としてより際立っていく。卓球台の置かれた家屋は常に影に満たされており、その空間の翳る重みというものが網膜に迫ってくる。公民館などの広々とした空間では卓球台や子供たちが犇めいても余裕があり、その空間に在る余裕を真摯な熱気というものが満たす様を私たちは目撃する。ここにおいて建築こそが映画の主人公ともなるのだ。

振り返れば私が惚れこんだKambaroの初短編"Në mes"も建築にまつわる映画だった。90年代のコソボ紛争によって多くのコソボ人が国外移住を余儀なくされた。一方でコソボに残ることを選んだ人々は、彼らが戻ってきた際に住むことのできる家屋を建て、再会の時を待ち望む。こういった動機で建てられた建築とコソボの人々の関係性を描きだしたドキュメンタリーがこの"Në mes"だった。しかしこの作品が建築のファサード、そして外部に広がる空間を映し出していたのに対し、この"Pe vand"はむしろ建築の内部空間にこそ着目する。

私が今作を観ながら思いだしたのは、アメリカの建築家であるRobert McCarter ロバート・マッカーターの著作"The Space Within"(邦題「名建築は体験が9割」……いやナメとんのか)だ。この"The Space Within"とは彼が近代建築における偉人フランク・ロイド・ライトの建築群を論じる際、使われる言葉だ。彼の建築は外部でなく内部にこそ注意が払われ、それはつまりここで人々が生きることをまず最初に考えている。人々に生きられ、互いに作用しあい、特別な意味を宿す空間をThe Space Withinと呼称する訳である。

この意味で正に今作はThe Space Withinの映画なのである。ここに現れる空間は家屋や公民館、廃墟など何の変哲もない建築の数々である。しかしここに子供たちがやってきて、練習に明け暮れることで、空間が生きられていく。こうして空間が特別な意味を得ていく様が、今作では鮮やかに捉えられていく訳である。だが子供たち以上にこの意味の核となるのが、あの中年男性たちだ。彼らが空間に卓球台を据えることでこそ、空間は、世界は精彩を獲得する。この過程を見据える監督の眼差しは、観察的で明晰でありながら、同時にあたたかいものでもあるのだ。

"Pe vand"は建築という観点からコソボの現在を見据える1作なのだ。たった15分の短い作品だが、これを観ている間、私たちはコソボの人々とともに生きるような感慨を味わうことになるだろう。

そして極個人的に好きな場面があった。男性2人が運転している際、カーステレオから音楽が流れてくるのだが、それがShpat Deda シュパット・デダ"S'ka kurgjo"だったのだ。このSSWはコソボでもかなり人気な人物なのだが、去年のアルバム"Rrugë"は私も聞いていて、その清らかさに思わず2020年のアルバムベストに入れてしまった。それほど好きなアルバムの曲が、映画を観ていたら唐突に流れてくる。いや感動したね、これは。ということでこういう意味でも今作は忘れられない1作になった。

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